囁きの名残も消えた頃。
何を云うでもなく立ち尽くしていた4人の耳に、足音がひとつ。
「誰?」
少なくとも、4人はさしたる身じろぎもしていない。
第三者の出現の予兆に、そちらを振り返るのは至極当然のこと。
少し走った緊張は、だけど、歩み出てきた人影を見て、すぐに消えた。
「ウィゼルさん……」
「こんな夜中に、どうしたんです?」
たしか、肺を患ってらっしゃる、って。
アヤの問いに、老人は、月明かりの下でもはきと判る笑みを浮かべる。
それは好意的なものではあったけれど、少しばかりの険しさも含んでいた。
自分たちに向けられたものではないと判っていても、4人は戸惑いを隠せない。
「……哭き声が聞こえての……」
さらに苦みもまじえた表情をつくり、ウィゼルはつぶやいた。
誰に云うでもないのだろうか、独り言めいた――けれどそれはたしかに、ハヤトたちの場所まで届く。
「泣き声?」
「うむ……世界を揺るがしかねない強い嘆きが、城から流れてきおる」
「――――」
街の人間なら誰もが、城で何が起こったか、おおよそは知っているはずだった。
だが、何かそれ以上を得ているようなウィゼルのことばに、4人はことばをなくす。
「ところで」、
けれど、ウィゼルはそのことについて話し込むつもりはないのだろう。
城に向けていた眼光をやわらげ、くるりと彼らを振り返った。
浮かべた笑みも、仕草も、どこから見ても好々爺。
先ほどまでの、云い知れぬ鋭さなど、いったいどこへ消えたのやら?
「おまえさんたちは……道具も嘆くと思うかね?」
「え?」
「道具、が?」
「そうじゃ。物言わぬ道具が、じゃ」
「…………」
唐突な問い。
何を云うのかと、笑って流しても良かった。
けれどアヤたちは、一様に考え込む姿勢を見せる。
それが嬉しいのか、ウィゼルの笑みはいっそう深くなった。
そして、一番最初に口を開いたのはトウヤ。
「――僕たちの世界の、古い話ですが。九十九神、という伝承があります。長く使われたものには魂が宿る、と」
それは悪戯をする存在として、民間に広く伝わってきた土着的なものですが。
「僕は実際それを見たことはありませんが、そういう存在自体はあるのだろうと思います」
「そうだね。刀の、名刀とかも魂がこもってるって云うよね」
やっぱり、見たコトはないけど。
ナツミが付け加えて、ハヤトとアヤも頷いた。
「魂かどうかは判らないけど、その道具を作った人の思いがこもってるのなら、もしかしたら、それも魂って云うのかもしれません」
「というわけで、俺たちは、道具だろうが植物だろうが、まあ、泣いたり喜んだりすることだってあるんじゃないかと思う。俺たちはそれを聞けないけど」
「……そうじゃのう」
ふふ、と、老人の笑みこぼす声が、夜気にのって流れる。
「ではな。もうひとついいかの?」
「なんでしょうか?」
「意志を持つ道具が誰かに用いられ、災いを引き起こしたとする。その場合、責を負うべきは道具か、それを用いた人間か――」
どちらと思うかね。
と、そこまでを、ウィゼルにつむがせさえせず。
「使った人間だろ」
「道具は、その意志を使う相手に伝えられないんですし」
「使い道を決めるのは、用いる本人なんだから」
「当然、使った奴をどつき倒さなきゃ!」
考えるまでもないじゃない(ですか)(か)。
果たして彼らが答えるまでに、1秒もあっただろうか。
やけに息の合った解答に、さしものウィゼルも絶句する。
「……それは、召喚術も同じなのかもしれません」
彼がことばを取り戻すより先に、アヤが小さくつぶやいた。
うん、と、ナツミが頷く。
トウヤとハヤトも顔を見合わせて、そうだな、と首を上下させる。
「いいえ、召喚術だけじゃない――わたしたちは、わたしたちのすることに、いつだって責任を負う覚悟であたらなくちゃいけないのかもしれません」
今まではどうだった?
そして、これからは?
おそらく大きく重いことを、自分たちはこれからやるんだろう。
自問も解も、まだ、落ち着いて考えるほど、事態に余裕があるわけじゃないけれど。
常に。
いつも。
その覚悟をもって挑め。
「……まーちゃんあたり、“自分のケツは自分でふけ”とか云いそうだしな」
くすくす、笑ってハヤトが付け加えた。
そうして。
はっはっは、と、磊落な笑い声が路地を満たす。
目を丸くする4人の前で、老人が、見た目に似合わぬ豪快な笑いを展開していた。
「じ、じいさん……?」
気はだいじょうぶか?
ハヤトが彼の目の前で手を振るが、果たして見えているんだろうか。
ひとしきり、ほんの数十秒。
夜に笑みを溶かしたあと、ウィゼルは、背に負っていた袋から何かを取り出した。
それは、一本の剣。
さしたる装飾があるわけでもない、どちらかというとシンプルな印象。
だけど、
「――わぁ……」
鞘から取り出されるや否や、刃が、月明かりを反射してほのかに輝き始める。
淡く優しく、だけど、烈しく強く。
これなら本当に、剣に意志が宿っているといわれても疑いはしないだろう。
感嘆の声をあげたアヤとナツミを優しく見て、ウィゼルはその剣をハヤトに渡した。
「……え?」
呆気にとられたハヤトをおいて、再度袋へ手を入れる。
出てきた手に握られているのは、ハヤトの手のなかにあるのと寸分違わぬ、もう一本の剣。
それはトウヤへ渡される。
「え……」
珍しくも動揺を露にしたトウヤが、剣とウィゼルを交互に見た。
「あの……もしや、これを僕たちに?」
「ああ、そうじゃよ」
それは、わしがこれまでの生に得たすべてをつぎ込んで鍛えた剣じゃ。
「ちょ、ちょっと待てよ。こんなすごそうなもん――」
受け取れない。
ハヤトの語尾にかぶせて、剣が輝く。
何かを訴えるように、いや、もっと直接的に。
自分を手放すなとでも云いたげに。
ことばはない。剣なのだから。
だけどことば以上に、その意志ともいえるべきものだけは、彼らにはっきりと伝わった。
「たしかにの」、
輝きに混じってウィゼルの声。
「それは、おまえさんたちのために鍛えた、というわけではない。とある男が自らの野望のため、わしに作らせた剣じゃ」
「……野望……?」
「世界を壊す――それがその男の望みじゃった」
高純度のサモナイト石を使用し、使い手の意志の強さによって、その強度と切れ味は決まる。
「でも、願い次第だってのなら、そんな悪っぽい望み持ってる奴が使ったって、どうってことないんじゃないの?」
「勘違いしてはいかんよ、娘さん」
望みの正邪ではない。
望みを果たそうとする、その意志の強さ。それがそのまま、剣の強度。
「――これは、そういう剣なのじゃ」
「・・・・・・」
沈黙。
思考。
ウィゼルのことばを飲み込むために彼らが要した時間は、けれどそう多くはなかった。
「だったら、余計にこんなもの受け取るわけには――」
万が一わたしたちが、その男と同じ望みを抱いたとしたら、取り返しのつかないことになるんですよ?
「うむ。じゃからの。わしはわしなりに、おまえさんたちを見極めさせてもらったつもりじゃ」
「……え?」
「先ほどの問いへの答え。何か得があるわけでもなしに、おまえさんたちは考えたし、そして答えた」
その答えは充分、その剣を泣かすことなく託せると、わしに判断させてくれたよ。
「………………」
「だいじょうぶじゃよ」
ウィゼルは笑う。
たたえた優しさ、ひそんだ凄み。
老人の奥に宿るものの一端を、彼らはそのとき垣間見た。
「わしが、おまえさんたちを信じて託すのじゃ」
――きっかけはたしかに、あの日、投げかけられたことば。
けれども、見極めたのはたしかに自分の眼。
ならばそれ以上、何の確証を求める必要があろうか?
最初はおずおずと、けれど、徐々に手慣れた様子で剣を慣らしている少年達を見て、ウィゼルは思う。
元々筋がいいのだろう、すぐに、剣は少年たちの手に馴染んでいた。
いや。
意図したわけではないけれど、その剣はたしかに、彼らの手におさまるために生まれたのかもしれない。
ウィゼルに届く、声なき歓喜の声が、それを確信させていた。
「さて、では娘さんたちにはこれを」
「……え? わたしたちも、ですか?」
「あたしたち、剣はちょっと危なっかしいんだけど……」
ていうか、あんな長いの振り回したことないよ。
ナツミが云うように、トウヤとハヤトの手にあるのは、長剣と呼ばれる部類のものだ。
片手で扱うことが出来、比較的軽いものだが、それでも女性にはちょっと辛い。
だが、ウィゼルが少女たちに渡すものは、剣ではない。
原料は同じくサモナイト石。
製造過程も同じ――大量のそれを凝縮し、固めて、そして形となしたもの。
それぞれ手のひらに乗せられたものを見て、彼女たちの戸惑いに、先ほどと似た感嘆が混じる。
「ペンダント……」
「きれい――4つの色だ」
ううん、5つ?
紫、緑、赤、黒――そして無色透明。
傾きによってそれは、それぞれの色を生み出して輝く。
「……いいんですか?」
「うむ。男どもだけでは不公平かと、こちらはちと急いでつくったものじゃがな」
剣の一部を削りだし、加工させてもろた。
もっとも剣の方も、削ったことでより理想の形に近づけたから問題なしじゃ。
「おじいさんったら……」
でも嬉しい。ありがとうございます。
ふふ、と、アヤが笑って、ペンダントを首にかける。
ちょっと手間どるナツミのそれもつけてやって、ふたりそろってウィゼルに向き直った。
その横に、剣を鞘におさめた少年たちが並ぶ。
4人の少年少女。
その裡に淡く、白い光が宿っているのがウィゼルには見える。
光の繋がる先――大きな存在。
そうしてそれを受け止めるだけの、彼らの意志。
もしかしたらそれは、この世界に先入観がないからこそ可能なのか。いつか聞いた彼らのいきさつを思い出し、ふと考えるけれど。
……そんなことはあるまい。
この少年たちはただ、自らの可能性を潰さず、育て、そしてそこに辿り着こうとしているだけなのだろうから。
「よう似合うとるよ」
声をかけてやると、実に年相応の笑みや照れが返ってくる。
微笑ましくそれを眺めて、ウィゼルは、最後の荷物を取り出した。
「――これを」
それは、一振りの短剣。
伸ばされたアヤの手に、そっと乗せた。
「これは……?」
「に――あの赤い髪の娘さんに、返しておいてくれるかの」
――それは、遠い遠い約束。
微笑むウィゼルと対照的に、アヤたちは表情が暗くなるのを留めることが出来なかった。
ウィゼルとの間ににいったい何があったのか、なんて、そんな当然の疑問でさえ、今の彼らには浮かびもしない。
「……どうかしたのかね?」
その様子を見て、怪訝な顔で老人が問いかける。
「、城に捕まっちまってるんだ……」
ぽつりとハヤトが答えた。
イリアスからの話を、それから自分たちのことを、手短に話す。
けれど、ウィゼルの笑みが消えることはなかった。
終始微笑みとともにそれを聞き、ウィゼルは最後にこう告げた。
「――助けに行くのじゃろう?」
「もちろんです!」
もうこの際ですから、一度バノッサさんにはきついお仕置きもさせてもらいます!!
ばっ、と顔をあげ、アヤは云う。
「……アヤ……本音が出てる」
「あら」
「まあ、たしかに賛成したい気分ではあるけど」
「おい……トウヤ……」
ははは、と、老人の快活な笑い声。
「ならば心配要るまいよ。おまえさんたちなら、出来るじゃろう」
それに。
あの娘さんが大人しく、捕まったままでいるわけもないさ――
何故か。
そんななんでもなさそうな素振りでの、ウィゼルのことばに。
普通に考えたら、ありえないだろう情景を語る、そのことばに。
ハヤトたちは――反論する材料を見つけることが出来なかった。