――そして文字通り。
ことは、大人しく捕まったままでいなかった。
というか、出ようと思えば速攻出れるのだ。空間転移出来るバルレルいるし。
でもまだ、やることがある。
それに、空間転移なんかやっちゃうと、本気で裏技っていうかなんていうか。ずるっこい気がするというか。
どうせ脱出するなら、正攻法で見張り叩きのめして途中の障害もぶちのめして、で、堂々と門から出てやりたいし。
……それが、正しい民間人の対処法じゃないか?
そもそも、民間人ならまず、こんなふうな事態に陥ることは稀だという事実を、はまだ認識していないようだが。
ひい、ふう、みい……
城に漂う気配を数え、バルレルは仏頂面で指を折り曲げていた。
硬い寝台に寝転んだまま、は顔だけを彼のほうへ向ける。
「何体ぐらい出てきてるの?」
「あー……30はカタイな。そのうち、まともに交渉に応じれそうな理性持ちが……17くれぇか」
どうも残りは、理性っつーか意志つーか、そういうもんを置いて出てきたっぽい。
すっからかんの頭で、命令に従って動いてるみてぇな感じだな。
「……それはそれで、ま、別の制御も出来るんだが……」
「それはやめやめ。ちゃんと還してあげようよ」
向こうに戻れば、理性も戻るんでしょ?
「まァな。じゃ、最低15はこっちで使える算段つけとくとして――」
とても囚われの身とは思えない、のんびりとした会話は、けれどそこで途切れた。
明りとりの窓に身体を向けていたバルレルはぐるりと反対側を、つまり牢の入り口を振り返り、寝転んでいたは身体を起こして、やはり入り口の方を見据えた。
カッ、カッ、カッ――
石造りの床を、心持ち早めに靴底が叩く音。
城の外れのこの塔に、こんな夜更けにいったい誰が、何の用だか。
もっとも、こんな大股でずんずか歩くような心当たりといえば、この城に、ひとりしかいないんだけど。
「よォ。いいザマだな、偽野郎」
「……こんばんは、バノッサさん」
真黒き宝玉片手に見下ろしてくるバノッサに、はゆっくり手を上げてみせた。
「で、偽ってなんですか偽って」
あたしはあたし以外の何にも、なった覚えなんざないんですけどね? 名前の詐称は除いて。
そのあまりに落ち着いたの様子に、カッときたのだろう。
何かを怒鳴りつけようとしたバノッサの先手を打って、は頬杖ついて彼と目を合わせた。
――ぐ、と、口ごもったあと、視線は微妙にそらされる。つれないなあ。
「偽は偽だろうが――あァ? そこの三つ目、手前ェがなんだか知らねぇが、魔王になるのはオレ様だぜ」
絶対的な力も。
圧倒的な力も。
そして、自由も。
全部、オレ様のもんだ。
やっとオレ様は、オレ様を埋没させやがった世界に復讐してやるんだ。
「ジャマはさせねぇ――手前ェらにも、アイツらにもだ」
ふ、と。
ため息。
わざとらしいかと思ったが、それは実にピンポイントでバノッサの逆鱗に触れたようだ。
「何がおかしいッ!」
ふるわれた拳は、金属で出来た檻に甲高い音をたててぶつけられる。
瞬間起きた振動が、たちの足元までも震わす錯覚をもたらした。
「……バノッサさん」
対照的に。
淡々としたの声が、震動の消えた牢に響く。
バルレルは黙って、そんなふたりを均等に視界におさめていた。
「最後に、お話しませんか?」
「……あァ?」
険をはらんだバノッサの返答にも、は動じなかった。
――そんな、単に脅しだけが目的の凄みに、いちいち反応する気はない。
だから。震える代わりに、微笑んだ。
「落ち着いてお話できるの、今日が最後かもしれませんから」
ね?
「……」
バノッサの双眸が険を増す。
……あ。やっと、こっち見てくれた。
睨みつけるのが目的だろうが、それでも、赤い双眸はを見た。
にらめっこなら負ける気はしない。
伊達に、一度決めたら頑として譲らない、あの養い親を見て育ったわけじゃないのだ。
……あたしってどんどん、神経ふてぶてしくなってないか……?
そんな自嘲はとりあえず、心の底だけに留めてはおいたけど。
そうして、どれくらい睨みあっていたのか。
結局、根負けしたのはバノッサの方。
「――なら訊いてやる」
いや、訊きたいのはあたしなんですが。
とはいえ、せっかく会話してくれる気になった人の機嫌を損ねては、これまでのにらめっこ、無駄。
黙って首を傾げて、先を促した。
「手前ェあのとき、何を云おうとした?」
「……あのとき?」
「今日の城門前だッ!」
「――――ああ」
そういえば、オルドレイクがパラ・ダリオかましてきたせいで、中途半端だった。
なんだ。
それじゃ結局、あたしの訊きたいことが訊けるってことじゃないか。
などと考えて浮かびかけた笑みは、幸い、夜の闇のおかげでバノッサまでは届かなかったらしい。
届いてたらたぶん、また牢の檻が震動と撲撃にみまわれただろうし。
バノッサは黙ってを見ている。
今夜は珍しく気が長い――“最後”なんて云ったから、少し大目に見てくれてるんだろうか。
そうして、背後からはバルレルの視線。
全部に任せることにしたのか、単にめんどくさいの一点張りか。さっきから、彼は黙ったままだ。
「えー、とですね」
前後からの視線に促されるように、は口を開く。
「バノッサさんがフラットに拘ってた理由、教えてもらえませんか?」
「――あァ? 今ごろ何云ってやがる」
てか、手前ェ、そんなもんを一々今まで覚えてたのかよ。
さすがに予想してなかったのだろう、バノッサの表情に呆れが混じる。
だがすぐに、彼は口の端を持ち上げた。
「まァいいさ。ここんとこオレ様は機嫌がいいんだ、教えてやらねェこともねぇ」
「わ、ありがとうございます」
「…………」
ぽん、と手を打ち合わせて喜ぶを見、バノッサは何を思ったのだろう。
何か。
どこかに落としたものを見つけたような、そんな、虚を突かれた表情を見せる。
けどそれは一瞬。
すぐに、さっきと同じ勝ち誇った笑みを浮かべ、手にした宝玉を掲げてみせた。
「何せオレ様にはもうじき、召喚術なんざ足元にも及ばねぇ力が転がりこんでくるんだからよ――」
その笑み。
その表情。
もう、すでに走り出してしまった者の、それだった。
後戻りなど考えようともしてない者の、それだった。
力に酔ってやがるな――背後のバルレルが、声なき声で冷静に分析する。もっともそんなこと、城門前の短い相対でだけでもハッキリしてたけど。
「そうさ、オレ様はヤツらが憎いんだよ」
の沈黙をどうとったか、バノッサは、誰に促されるでもなし、つづきを口にする。
「アイツらは、召喚師としての教育も受けてねェ。それどころか事故で喚ばれたはぐれのくせして、召喚術を使いやがった」
しかも、フラットのヤツらにまでそれを広げやがった。
当然のように。
何の負い目もなく。
「オレ様がどれだけヤツらを憎いか、手前ェに判るか?」
――それでも。
バノッサに浮かぶ表情は、笑みだ。
渦を巻く闇を内包したそれは、でも、たしかに笑みだった。
「……」
は、黙って首を横に振る。
「だろうな」
答えなど期待していなかったのだろう、バノッサは、特に咎める素振りも見せない。
「手前ェは知らねぇだろうがな。オレ様は、召喚師の血を引いてるんだよ」
「……召喚師の?」
「ああ。母さんがそう云ってたんだ、間違いねぇ。――だがな、その父親はオレ様たちを捨てやがった」
“母さん”と。
それを口にするバノッサの表情は、心なしやわらいでいた。
「生まれたオレ様を見るなり、ヤツは云ったらしい。才能のない子供なんぞ、用はねぇってな」
「……」
「だからオレ様は召喚師が憎い。ヤツらが憎い。――判るか、手前ェに」
「…………」
「だが、それも終わりだ」
手にした宝玉が、輝く。
昏く――黒く。
それはたぶん、バノッサがこれまで胸に凝らせてきた憎しみの具現。
積もりつづけたそれは、――そう。
あの夜感じた黒い意志に酷似、いや、そのもの。
「オレ様は、誰にも負けねぇ力を手に入れる――そして今度こそ、自由になってやる」
心を縛りつづける、召喚術への呪詛。
自分を捨てた、顔も知らぬ父への恨み。
召喚術。
召喚師。
そんなものを絶対とする、この世界さえも。
全部全部、ぶち壊して。
オレ様は、オレ様を縛るくびきを引きちぎる。
「…………」
「あァ、そうだな。手前ェらは生かしてやってもいいかもな?」
「……?」
それは単に、思いつき程度のものだったのかもしれない。
「三つ目も手前ェも、オレ様のもんになる力ほどでなくても、それなりに強いんだろう? 手下にしてやってもいいぜ」
もっとも、地べたに這いつくばって、オレ様に慈悲を請うならな。
だけどもそれは。
たしかな証。
まだ、この世界のすべてを捨てきっているわけではないと――その証明。
そして、人間が魔王になるということがどういうことなのか、彼が知らないでいる証拠。
「……バノッサさん」
「ん? 頭を下げる気になったか?」
否定も肯定も、はバノッサに示さなかった。
背後のバルレルが何か動く気配も、なかった。
心なし楽しげなバノッサに、は云う。
「まだ間に合います」
「……なんだと?」
「まだ間に合うんです」
「だから、何がだッ!!」
苛立ちを募らせるバノッサの怒声が、牢どころか塔を揺るがす。
は、全部を知らない。
この先待ち受けるだろう事柄を、すべては知らない。
だいたい、オルドレイクを倒したことは聞いていたけど、魔王が実際出現したのかどうかは、かなりあやふやな話だった記憶がある。
たしかなことは、アヤたちが誓約者となったこと。
オルドレイクを倒したこと。
リィンバウムの結界は、繕われたこと。
……では、バノッサは?
よく判らない。
彼もまた、この戦いに深く関って――実際こうしてここに――いることは確かなんだろうけど。
そうしてたちと出逢ったあの日に、健在だったことは知ってるけど。
ここまで自らを追い詰めているバノッサが、いったい、どうやってあの日に辿り着くのか。には判らない。
まあ、まさか、
『こんなところで魔王に食われちゃったら、1年後が変わっちゃうんです』
なんて云えるわけもないし。
ひとりごちた、未だ黙ったままのバルレル、そうして肩を上下させるバノッサの耳に、足音が届いた。