――気配は消えた。
レイズの持ってた雰囲気も、声も、もうどこにもない。
肉体共々、光に飲み込まれてしまったのだろうか。それとも、いつか見たそれのように、無理して動かした肉体は、飲まれもせずに散ったのか。
「……どういうこと」
やっとの思いで搾り出した声は、レイズがいるうちに発したかった。
彼に投げかけて、答えを得たかった。
「……」
沈黙を挟んで、バルレルが口を開く。
「なんだってんだ……これじゃまるで――」
云いかけて、彼は続きを飲み込んだ。
代わりに、「タチ悪ィ……」不機嫌そうにつぶやく。
そう。
これでは、まるで。
自分たちがここに来なければ、エルゴの試練は彼らに与えられなかったとでも云いたげじゃないか。
じゃあ何か?
ここに来るってことは、初めっから、決まってたとでもいうのか?
1年前から――いや、それ以上前から?
がデグレアに落ちたのも――そもそも、彼女と出逢ってその手をとったのも。
バルレルがトリスに召喚されたのも。
そうしていくつもの戦いを、みんなが潜り抜けてきたのも。
あの痛みも苦しみも全部、最初っから、何かの意図が決めてたことだっていうのか?
「そんなの……」
――そんなのって、ない。
握りしめた手のひらの皮膚に、爪が、ぷつりと食い込んだ。
――こんな莫迦な話って、ない。
つぅ、と、鮮血が手を伝って滴り落ちる。
「……そんなのって……ッ!!」
そんなことがあってたまるかと。
張り上げた声は、空しく、光に吸い込まれる。
――――“時は変容する”
叫びの残滓ががき消えたころ、淡々とした声が空間を満たした。
――――“未来世の事象にて過去世が書き換えられることは稀だが、皆無ではない”
――――“特に、汝は”
――――“汝に関る者たちは”
――――“辿る行く末、如何様にも変わりつづける”
その理由はただひとつ。
――――“汝の魂は、未だこの世界に縛られておらぬから”
元々、この世界を巡る輪廻に存在していた魂ではない。
召喚の誓約を通したわけでもない。
ただ自らの深い意志によって、この世界を訪れ、この世界に生きようと定めた存在。
「…………」
だとよ?
の激昂を冷ましたのは、エルゴの声ではなく。
引きつりながらも口元を持ち上げたバルレルの、なんとも生ぬるい視線だった。
「テメエ、マジでブッ飛んだ人生だな」
「し……しみじみ云われたくない……!」
それじゃあなんですか。
あたしってばつまり、予想外の火種で。
何やらかすか判らない、危険人物だってぇことですか。
別の意味で肩を震わすの背を、バルレルの手が叩いた。
「わっ!?」
心なし強めのそれに、は、数歩たたらを踏む。
「バルレル?」
「編まれる時間の糸なんか、ぐだぐだ考えたってしょーがねぇ。諦めろ。全部理解してんのは、あのオンナくらいしかいねぇんだ」
「女の人?」
「……いいから行くぞ」
もういい。もういいから。
オマエはオマエのやりたいコトだけ、やりやがれ。
問いに答える気は皆無のようで。
バルレルはまた、の背を押した。
さっきよりはやわらかいその仕草に、もしぶしぶ歩き出す。
――しぶしぶ? 違う。
そうするために、歩き出すんだ。
そうしなきゃ、知ってる明日に辿り着けないっていうなら、そのために、それをする。
……もう。やりたいようにやってやる。
その場に留まる者がいれば、だんだんと小さくなる、少女と魔公子の後ろ姿を眺めていたかもしれない。
いや、眺めていた。
ただそれは、何かのカタチを持ったものではなく。
光とか力とか、そんな存在だったけど。
――――“それでも”
――――“汝が訪れたことにより、過去の嘆きは消えるのだ”
……嘆きはたしかに、笑みへと転じたのだ。
――――“選ぶか否かは、まだ、汝に託されるが……”
卵が先か鶏が先か。
生物の進化の過程どうのこうのの話で、そんなネタがあったと思う。
小学生だった自分には、いまいち難しすぎて。
その読み物自体もたしか、答えは出ないって感じで終わってたと思う。
絵柄がかわいらしくて気に入って、それでねだって買ってもらったその本は、大きな文字とたくさんの絵のわりに、えらく哲学要素が入ってた。
折に触れて考えてほしい、と、作者はそんなことを考えていたんだろうか。
だとしたら、狙いは見事に当たったことになる。
狙いどおり、は、6年あまりのブランクを置きつつもそのことについて考えているのだから。
「つまり、あたしがここに来たことでアヤ姉ちゃんたちが誓約者になったんなら」
「ヤツらが誓約者になったおかげで、1年後のあんトキに手ェ借りて戻れた」
「そのおかげで皆と合流できて戦いが終わって、あたしたち、平和に暮らせてて」
「挙句、メガネオンナが暴走してオレらをここにすっ飛ばした」
「でもそれって、それまで、あたしたちがここに来るってハッキリしてなかったわけで」
……
…………
「「結局どっちが先なんだよ(ろう)」」
時系列どおりに考えるなら、過去から未来に時間が一方通行なら、たちがここにいたのが先なんだろうけど。
このたちは、その先の彼らの助力を受けて、ここに至る道を歩いたのだ。
となると、先はやっぱり、誓約者が生まれた方だろうか。
いやいやそれもちょっと違う気がする。
どう違うのかと訊かれても、答えられないけど。
歩きながら悩むことしばらく――どころか、数時間。
「なんか、アレだね」
「おう。アレだな」
とうとうふたりは、この問題について思考することを放棄した。
「「考えるだけムダ」」
「……だね」
「だな」
どちらからともなく足を止める。
誰に云われたわけでもないけど、たぶんここが、終点だった。
あえかな光は変わらず空間を満たしていて、漂う何かの存在もハッキリしてる。
「さっきも思ったけど、もう、やっちゃうしかないよね」
「それ以外、どーもこーもねェな」
お膳立てされてっみてぇで、気に入らねぇけど。
「でも、やるかやらないかはあたしたちが決めることだもん」
鏡の封印っていうのを、解くか解かないか。
誓約者候補の彼らに試練を与えるかどうか。
……大きな分岐だ。
重要な分岐だ。
でも、選んだ先が予想できるなら――そうして、その未来を望むなら。
「あたしたちが、やるんだよ」
欲しい明日に続く道が、ただ、そこにあるのだから。
――りん、
伸ばした手のひらに、何かが触れる。
何もないはずのそこに、何かが在る。
目を閉ざしてみたら、そこにあるものがはっきり見えた。
――茜色の錠前。
――純白の鍵。
そこに残されたかすかな気配は、のよく知るものだった。
「……メイメイさん……?」
「ああ、なるほどな……“守護者”か」
アイツがいなくなってから、コイツを代役に据えてたんだっけな。
のこぼしたつぶやきを耳にし、バルレルがひとりごちた。
「解けるのは、あのオンナと――今はオマエだけってわけだ」
「どうりで、あたしが力使えないと困ったわけね」
「「……」」
喰えない奴等だ。エルゴもレイズも。
ふと見交わした視線から、ふたりは、相手が同じことを考えていると知る。
片方は苦笑、片方は悪態混じりの吐息。
「何にしても」
悪態をついた側が、苦笑した側に告げる。
「そろそろ、終わりも近いってこったな」
「……そうだね」
ゆっくりと、回線開いて。
ちょっとだけ、白い焔を通して。
押し当てた手のひらに生まれた焔は、錠前を包むように取り巻いて――
かちり、
硬質な音が響いた。