TOP


-一方その頃-




 ここで少し、場面をサイジェントに戻そう。
 ――といっても、先日のアキュートとの騒動で、レイドを始めちょっと重い空気の漂っているフラットではなく、負けず劣らず静まり返っているオプテュスのほうだ。
「いねえ?」
「……みたいですよ」
 僕もここ数日、さんとまーちゃんさんの姿を、どこでも見かけません。
 買い物に出たときなんか、あの赤い髪だから、ときたま見かけたりしてたんですけど。
 バノッサの手のひらで弄ばれている宝玉をちらちら見つつ、カノンはそう答えた。
 灯りを反射して鈍く輝くそれは、濃い闇色。
 紫を極限まで凝縮したら、こんな闇色が出来るかもしれない――そんな色だ。
 玉の中央で、ときおり、闇よりもっと昏い色がちらちらと揺れている。
「へェ……まさか逃げやがったか?」
 反射される光は紫。
 それが、バノッサの顔に深い陰影を刻む。
 浮かべた笑みと相俟って、それは壮絶な印象だった。
「どうでしょうか……」
 出来れば、そんなことはあってほしくないけれど。
 つぶやきは心のなかに留めて、代わりに息を吐き出した。
「まぁいいさ。ヤツらがいないってんなら、好都合だ」
 うっとうしいアキュートの連中共々、フラットはこの機会にぶっ潰してやらぁ。
「……本当にやるんですか?」
「当たり前ェだ。今さら怖気づいたかよ?」
「いえ……」
 手に入れた力。その愉悦に浸るバノッサは、カノンの逡巡にも気づかない。
 ――手に入れた?
 ふとカノンは自問する。義兄の手にある宝玉を見つめて。
 闇色の宝玉。
 名はたしか、『魅魔の宝玉』というのだと。
 それをバノッサに与え、宝玉を用いて行う召喚術を教えたあの男は云っていた。
 ――与えた。そう。与えられた。
 それは果たして本当の意味で、『手に入れた力』と云えるのだろうか。
「…………」
 カノンは思う。
 フラットの、彼ら――バノッサが『はぐれ野郎』と呼ぶ4人を。
 あの人たちもたしかに、最初は、手に入れた力に振り回されているみたいだった。
 でも今は、どうだろう。
 騎士団と事を構えて勝利し、先日などマーン三兄弟を退けたという噂も流れている。
 その力はどこから出るのだろう。
 いつか見た、あの得体の知れない光だけで、それが可能になるわけじゃない。
 その強さはどこから来たのだろう。
 ……もしかしたら、それこそが。
 本当の意味での――……



 強さって何だろう。
 剣の腕? それとも召喚術の熟達度?
 弱さって何だろう。
 逃げる心? 挫けた意思?

 なんだか、それは、どれもがそうでどれもが違う気がするよ?

 召喚列車でのアキュートとの戦いから数日、ついでにとまーちゃんがお出かけしてから数日。
 アヤとナツミ、それにリプレの買い物帰りにいきなりやってきたアキュートの一員・スタウトが、レイドをつれてってから数分。
 なんとなしに外に出たハヤトたちは、やっぱりなんとなく顔を見合わせた。
 出向いた先は公園。
 穏やかな陽射しが降り注ぐなかで、いつものように子供たちが遊んでいる。
 元気な声がそこかしこから、お母さん達の井戸端会議も健在だ。井戸はないけど。
 考えてみれば、落ち着いて全員揃うのは久しぶりのような気がした。
「レイド、何話してるんだろうね」
 売店で買ってきた飲み物を全員に手渡しながら、ナツミが云った。
 よく冷えたそれは、すでに器の外側に水滴を生んでいる。手にとると、ひんやりとした感覚がそこから全身に広がるようだ。
「気になるよな、やっぱ」
「……戻ってからでも訊けばいいさ」
 素直に答えてくれるなら、だけど。
「答えてくれなさそうですから、気になるんじゃないですか」
 ハンカチで器を包んで、アヤはトウヤを見る。
 あたたかな陽射し、響いてる喧騒。
 なんだかどれもが、薄皮一枚隔てた先の別世界のよう。
 ――はあ。
 今こぼれたため息は、果たして誰のものだろう。
 穏やかな光景が、本来この街の日常のはずなのに、うっすらと感じる違和感。
 何かが迫っている。そんな、はっきりしない予感がある。
 それを振り切るように、ハヤトが口を開いた。
「戻るっていえばさ、たち、今ごろどのへんだと思う?」
「……うーん、ギエン砦ってトコまで往復二週間くらい、でしょ? そしたら、片道一週間くらいだよね」
 何気ない日常を装った会話に、まずナツミがのった。
 少し表情に安堵をまぶして、アヤもそこに混じる。
「でしたら、砦まで後半分越したかなってころじゃないでしょうか?」
「しまったなー。土産買ってくるように頼めばよかった」
「砦に、何の土産があるんだ?」
 苦笑して、トウヤも会話に参戦する。

 ……ひたひたと。
 背後に迫る、大きな影を予感して。
 それでも彼らはまだ、この日常に溶け込んでいることを選んでいた。

「早く戻ってこないかな、たち」
 空を見上げてナツミがつぶやいた。
「それまで、何もないといいですね」
 いつかみたいに、帰るなり戦いがどうのって引っ張り出すようなことにはならないといいんですけど。
 ほんのり微笑んで、アヤがそう付け加える。

 ――そうして。
 再び彼らがまみえるのは、彼らが彼らの物語をあと少し、先に進めてからの話なのだけれど。
 それが、剣と血と悪意に染まった場所であることは、まだ――誰も知らない。


←前 - TOP - 次→