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-足踏み入れた先-




 今はまだデグレアで元気だろうちゃん、お元気ですかー?
 1年後のあなたはとうとう、人外な場所に足を踏み入れてしまいますよー。覚悟しやがれこんちくしょう。
 ふわふわ、ひらひら。
 きらきら、さらさら。
 色とりどりの光が満ちるそこは、なんとも云えぬ空間だった。
 場所なのか、時間なのか。
 界であるのかどうかさえ、不明瞭なその場所。
 時間は果たして、体感のそれどおりに進んでいてくれるのだろうか――もう、それからして曖昧きわまりない。
 浦島太郎にならないだろうな?
 いや、それはそれで、出るのが1年後のあの時間ならバンザイこの上ないけど。
「どした?」
「あ、いえ、なんでも……」
 ――“そう緊張せずとも良い、白き焔の娘”
「…………」
 デグレアのちゃん、聞こえますかー? いや、聞こえちゃまずいけど。
 1年後のあなたは、あろうことか、エルゴと直接お話できる場所に来ちゃうんですよー。

 あっはっはっはっは。

 ……こんちくしょう。



 ギエン砦に行く、というレイズの舌先三寸を、ソルが信じたかどうか判らない。
 それでも納得する素振りを見せ、フラットに帰って事情を説明するために身を翻した彼は、振り返りもせずに荒野の先に消えた。
 風に乗って流れてくる気配も完全に消えたあと、レイズはたちに告げた。
「んじゃ、魔公子。力貸してくれるよな?」
「…………」
「き、気づいてたんですか……?」
 バルレルは不機嫌そうに眉をしかめ、は思わず問いかけざるを得なかった。
 これまで、何の疑いもなさげに“悪魔”とだけ連呼していた青年は、にっこり笑って頷いた。
「当たり前。おれを誰だと思ってる? サプレスのエルゴの守護者だぞ」
 何度かサプレスに行ったことだってあるし、そもそも守護者たる者、その界に熟知してなくてどーする。
 お説ごもっとも。
「まあ、なんで魔公子がこんなトコいるかはさておいて、だ」
 脱力した、ますます不機嫌な顔になったバルレルを見て、青年はにーっこり笑う。
 本気で、そのへんの事情はどうでもいいらしい。
 結構、大味な人なのかも。
「――結果としてな。おれは、守ってたサプレスのエルゴを奪われた」
「あ……」
「そして、君らも知ってるだろうが、儀式の暴発のあと、影も形も見当たらないときた」
 ケガしてたなりに、感覚探査は続けてたんだぞ。
 そうレイズは胸を張るが、それってもしかして、とんでもなく重労働なコトだったんじゃなかろうか?
「でも、結局見つけきれなくてな……四散して探査にも引っかからないか、正真正銘消滅したか、それは判らんけど」
「四散しちゃうと見つかりませんか?」
「界の意志って云っても、ぶっちゃけちまえば巨大な力の塊みてーなもんだ」
 首を傾げたに、バルレルが説明。
「石かなんかを砕いて砕いて砂粒くれぇにして、それを砂浜に撒いて……見つけきれっか?」
「ああ……無理かも」
「本当にそうなったかどうか、判らないけどな。エルゴが行方知れずになったことに変わりはないんだ」
 肩をすくめて、青年。
 そうして、エルゴの守護者たる彼は、それを報告する義務があるという。
 誰に?
 ――もちろん、結界を擁する、このリィンバウムのエルゴに。



 そして今、はここにいる。
 バルレルが取り込んでいた負担にならない程度のマナを借り、青年が器用に開いた道を通って。
 この、なんとも表現し難い輝く空間に。――エルゴのド真ん前に。
 眩しくて目を上げられない。
 太陽を直視しているみたいで、ちらりと視線を上げることは出来ても、すぐ、まばゆさに負けて落としてしまう。
 バルレルの衣装の裾を無意識に掴んで、は、エルゴと話すレイズの後ろ姿に焦点を合わせた。
「……ね」、
「ん?」
 小声の会話。
 もしかしたらそれさえ、聞こえているかもしれないけど。
「エルゴって界の意志でしょ? ……何があったかとか、とっくに把握してるんじゃないの?」
「さァな」
 つれないお返事である。
 でもそれから一拍置いて、バルレルは再度口を開いた。
「……報告だけのために、話に来たわけじゃねぇってこったろ」
 でなけりゃ、オレらまで連れてくっかよ? 魔力借りておさらばすりゃ、いいだけの話じゃねーか。
 と違って、かなり目の前の後ろ姿に聞かせるつもり満々のバルレルのことばに。
 予想どおり、レイズが反応して振り返る。これが冒頭。
「どした?」
「あ、いえ、なんでも……」
 ――“そう緊張せずとも良い、白き焔の娘”
「…………」
 おいおい。
 バレてるよ。
 がっくり、やけっぱちには肩を落とし――かけ。
「うわ! それはナイショ! ヒミツ! 機密事項ー!!」
 がばっと勢いつけて顔を上げ、両手をぶんぶん振り回す。

 しまったー! エルゴって思いっきり、あの人の力の源だったじゃないか!?

 覚えてる。知ってる。感じてた。
 大きな大きなひとつの何かと、意識が繋がるような感じ。
 自分が広がるような、世界のすべてを感じられるような――そんな感覚。
 そうだ。
 どうして気づかなかった?
 それは、まさしく目の前の存在から受ける感じ、そのものだというのに。

 だけども。
 あわてまくるも、眼光を鋭くしたバルレルも、続くエルゴのセリフにことばをなくす。
 ――“知っている”
 レイズは、にこにこ笑ってる。
 ――“汝らが、遥か時の向こうから訪れたことを、我は知っている”
「…………え」
 ――“我はエルゴ。界の意志。あまねく存在に通じ、あまねく時に通じ、あまねく始原から終焉を知る”
「……ってこたァ」
 バルレルのセリフに、少しばかりの喜色が混じった。
 一度喉を鳴らし、彼はエルゴに問いかける。
「オレたちを、元の時間に戻すことが出来るか?」
「出来るんですか!?」
 それを今訊いてんだ、バカ。
 脳天に落ちた拳骨の痛みも、今は気にならない。
 それこそ、輝かんばかりの期待を込めてエルゴを見上げるを見て、レイズがちょっぴし遠い目になる。
 ――“出来ぬ”
「何でだ!?」
 ――“汝らは、我が意志にて呼びこまれた者ではない”
 汝らについて、我は干渉することが出来ぬ。
 エルゴは、淡々と語る。
 それとは逆に、バルレルが、怒り心頭ってな感じで床――なのかどうかは不明だが――を踏み鳴らした。
「あっ……ンのメガネオンナっ! どこまで面倒ごと起こしゃ気がすむんだよッ!!」
 ミモザは云っていた。
 召喚術と送還術の応用で、その理論を組み上げたのだと。
 そうして、エルゴから伝授された送還術はともかく、そこから人間が独自に編み出した召喚術っていうのは、エルゴの意志を横に置いて他の世界に干渉するわざだ。
 つまり、エルゴと無関係に行われる術。
 その結果としてもたらされた現状を、エルゴに修正してもらうのは無理、と。
「やっぱ自分たちで帰るしかないってことですか……」
 まあ、そんなに物事がうまくいくはずないよなー、とは思ってたけど。
 うなだれたと怒り狂うバルレルを、レイズが面白そうに眺めていることに、幸いふたりは気づかない。
 ――“出来るのは、汝に白き焔の真の意味を教えること”
 ――“汝らの在るを世界に広げず、欠片たる我の知るに留めること”
「……え?」
「つまり、ここにいるエルゴは、もっとでっかい本体の欠片なわけだ」
 目を丸くしたの耳に、レイズの解説が届いた。
「君らがここに在るって事実を、この限定された一帯――サイジェントの外にはもたらさないでくれる、ってさ」
 これって結構、破格の扱いだと思うぞ?
 だけども、バルレルは半眼三つで云い返す。
「ふざけろ。トーゼンだろが、それくらいッ!」
「万一、本当にこの辺から離れた場所にまで行ってたら手遅れだったけどな。良かったなー、まだ遠出とかしてないよな?」
「……してません……」
 実はちょっぴりデグレアに行ってみたいなー、なんて思っちゃったりしたことは、とりあえず内緒。
 そっか。やっぱり行けないか。
 諦め半分納得半分、は頷く。
 そこに再び、エルゴの声。
 ――“汝らの為すこと、我らは関知せぬ。汝らがこの時間より消えしとき、我は汝らの痕跡を消そう”
 ここまでくれば、否応でも判る。……というか、判らざるを得ない。
 破格というか別格というか、なんか、すんげぇ至れり尽せりじゃございませんか、これ。
 ――“その代わり”、
「交換条件かよ」
 チ、とバルレルが舌打ちした。
 ――“白き焔の意味を知れ”
「え……?」
 ――“汝の使う彼の者の力、それを汝の力とせよ”
 コツ、と。
 床という概念はないはずなのに、硬質な足音が響いた。
「君の力は、世界の力――エルゴの力を引き込むものだ。魔力とかいう後付けの概念がない分自由はあるが、それだけ制御が効き難い」
 自分の意思に関らず力が顕現したことだって、あるんじゃないか?
 いつの間にか背後に立っていたレイズのことばに、は声を失う。
 ぴったしかんかん。
 語尾にお星さまでもつけて返したい気分だ。いや、それだけ動転してるんだけど。
「やけに詳しいな、テメエ……」
「まあな。伊達に守護者を名乗ってるわけじゃないぞ」
 知ってるさ。
 実際、この目にしたというわけじゃないけれど――白い陽炎と、銀色の悪魔の、遠い遠い昔の、終わらない歌。
 小さくつぶやいて。振り返ったに、レイズは優しい笑みを向ける。
 後輩を見るような、それとももっと身近に、妹を見るような。
「……だからさ。君は知れ。そして学べ。扱えるようになってから、持ちつづけるか手放すか決めな」
 力を持て余してる状態じゃ、どっちにしても選びようがない。回路の開閉を覚えなきゃ、持ちつづけるままになる。
「第一、いつまでも魔公子のサポートがあるわけじゃないだろ?」
「う……」
 ちょっぴり感じてた不安を突かれ、思わず口ごもった。
 バルレルはというと、隣で「そりゃそうだな」と同意する始末。
 でも。たしかに、そうだ。
 いつまでも、バルレルが面倒みてくれるわけじゃない。
 こんなふうに、誰かに頼ったままでいられないことくらい、判ってる。
 ――そうだ。
 いつまでも、あったかい人たちの傍に居続けられないことくらい……判ってた。
 それでも、居心地が良くて。あたたかくて、優しくて。
 出来るかぎりはそこにいたくて。

 自由騎士団に入ろうって思ったのも、その気持ちの延長じゃなかった?
 手伝いたい、とか。
 力になりたい、とか。
 そういう、いつまでも、大きな背中の後ろにくっついてたいって気持ちで。

 ――ずっと。
 そこに留まりつづけるわけにはいかないって、うっすら感じて。それでも。
 留まりつづけることを選んだのは、あたしの甘えだったのかもしれない。

 ……我知らず。
 手のひらを、握りしめていた。
「――――……」
 ……強く。
 強くなろうって――決めた。あの日々に。
 前を見て歩こうって思った。この日々に。
 そのために、何をする?
 そのために――あたしは、あたしを知る。
 今、ひとつ知れた。甘えてた気持ち。頼りたい気持ち。
 白い焔の本当を知ったら、あたしは、あたしの力を知れる。保つか捨てるか選択も出来る。
 選ぶことが出来る。
 ……選べ。
 だいじょうぶ、いつだってそうしてきたじゃないか。
 選ぶことを、あたしは選べ。
「決まったかな?」
「はい」
 心持ち首を傾げて覗き込むレイズに、は頷いてみせた。
 握りしめた手のひらはそのまま、首だけでなく身体全部で彼を振り返る。
「お下がりでも、なんでもいい。これが今あたしに在る力なら、ちゃんと源理解して、ちゃんと制御できるようになって、ちゃんとあたしの力ですって、胸張って云えるようになります」
 おぼろげで、曖昧で、それこそ陽炎のような状態のまま、その恩恵に預りつづけられるわけがない。
 それは、彼女の残滓を引きずっているに過ぎない。
 理解して。納得して。呑み込んで。
 そうして始めて、それは力になるだろうから。
 ふ、と。
 口を閉ざして、レイズはを見ていたけれど。
「……養い親さんが、いるって云ったっけ?」
 たたえた笑みはそのままに、そんなことを訊いてきた。
「え? はい」
「いるな。親バカが一匹」
「まーちゃんー!」
 単に、ちょっぴり過保護なだけじゃないっ!
 一応自覚あったのか、と、バルレルがちょっぴし遠い目になった。
 ははは、と、そこに笑い声。
 ふたりのやりとりがおかしかったのか、青年、おなかを抱えて笑ってた。
「や、なんて云うのかな。君見てるとさ。その養い親さん――きっと、すんげえかっこいいんだろうなぁって思ったよ」
「あ、はい! とってもかっこいいですよっ!」
「……アッチが親バカなら、コッチは子バカか」
「ちがーう!!」
「あははははっ、まあ、照れるな照れるな」
「いやその解釈もちょっと!?」
 ――“…………”
 にバルレル、レイズも混じった談笑もどきの響く、輝く空間で。
 エルゴさんがちょっぴし寂しげに明滅してたのは、エルゴさんのみぞ知る。


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