「ただいま……」
「おかえりっ! もう、エルカほっといてどこ行ってたのよー!?」
「おかえりなさいですのー!」
「きゅきゅきゅーう!」
玄関を開けるや否や。
廊下に座り込んで待ち伏せしていたらしいメイトルパトリオに、ソルは、ドアにべったり背をつけた。勿論、驚いたからである。
「おかえりなさい」
「……た、ただいま」
おたま片手ににっこり笑って出てきたリプレに、ソルはますます後ずさりたくなる衝動にかられる――ドアがなければ、そのままUターンしてたかもしれない。
と。
妙にフラットの中が静かなことに、彼は今さらながらに気がついた。
「……何かあったのか?」
「あったわよ」
おかげでみんな、疲れ果てて寝てるの。
困ったような笑みを浮かべて、リプレが頷く。
エルカが、大きく首を上下させる。
「あったわよッ、思いっきり!」
「ありましたの〜!」
その隣、涙目で、両手をぶんぶん振り回してモナティ。
「――何があったんだ?」
あまり騒ぐと、その寝ているという人たちが起き出してくるんじゃなかろうかと。
ちょっぴり心配になりつつも、ソルは、あったという何かについて問いかけた。
エルカやモナティの“大変”は微笑ましいモノも含まれるかもしれないが、夕食時には賑やかなフラットがこうまで静かだと、妙に不安になる。
それは、日常にありえない光景だから――
いつの間にか、賑やかな日々が日常になりつつあるということを、改めて思い返すほどの余裕は、今はないけれど。
そうして、問いに答えたのはリプレではなかった。
「イムラン・マーン暗殺未遂事件、だよ」
玄関の騒動を聞きつけてきたんだろう、廊下の角から頭を覗かせたカシスだった。
「……イムラン・マーン暗殺? 未遂?」
「そそ」
ソルたちが出かけた後、アキュートの人たちが、トウヤたちにイムラン暗殺のために手を貸してくれって持ちかけてきてね。
こっちは断ったんだけど、イムランがちょうど鉱山視察に行ってて状況的にヤバイってんで駆けつけたら、ホントにアキュートメンバー出てきてんの。
「イムランはなんとか逃がしたんですが、おかげでアキュートと一戦構える羽目になったんです」
同じ部屋ならば、そりゃあ起き出してもくるか。
クラレットと、次いでキールも姿を見せた。
「それで、全員寝てるのか?」
「ああ。元騎士団長のラムダに、暗殺者やらストラ持ちやら――これまで当たったことのないタイプだったから、勝手が判らなかった」
それに彼ら自身、相当の腕前だったから。
そう云うキールも前線に出たのか、頬にぺったりファーストエイド。の特大版。
……よく生き延びたもんだ。
兄に対して失礼な感想を抱きつつ、ソルは頷いた。
「悪いな、力になれなくて」
「ううん。ハヤトたちが頑張ったから、なんとか退いてくれたし」
「――へえ……」
いつの間にか、それほどに腕を上げたのかと。
素直に感心したソルの後ろから、今度はエルカとモナティの声。
「ねえ、たちはどうしたの?」
「まーちゃんさんも、いらっしゃいませんの」
お送りされたっていうお方のおうちに、お泊りになられますの?
――いつぞやの無断外泊事件を思い出したらしいモナティのことばに、リプレが首を傾げた。
「そうなの、ソル?」
こないだみたく、問答無用でお仕置き発言にならないトコロを見ると、ソルが口を開く余裕はありそうだ。
「ああ。……もともと、野盗に襲われてサイジェントに逃げてきたらしいんだ。で、今日戻ってみたものの、家が、その間に召喚獣だか当の野盗だかに叩き壊されてて……それで、聖王国にいるっていう知人のところを頼るそうだ」
「それで、とまーちゃんを護衛に貸してあげたわけ?」
「そうなるな」
ふたりとも俺たちを探してる間に旅慣れもしたって云うし、第一放っておけないし、任せることにした。
「だいたいギエン砦辺りまで行けば、旅人用の馬車なんかも出てるだろうから……そこまで行って戻るのに往復二週間かかるかどうか、だな」
「……お人好しだな、おまえ。あの二人がいなかったら、今度何かあったとき、戦力ガタ落ちだぜ?」
食堂で果てていたんだろうか、話だけは聞こえていたらしく、ガゼルが億劫そうに頭を覗かせた。
飛び道具でも受けたのか、矢だかナイフだかがかすって出来たような傷だらけ。救いは、もうかさぶたが乾きだしてるところか。
そんなガゼルを見て、ソルは小さく笑った。
「――何云ってるんだ? 今日だって、あのふたりがいなくて勝ったんだろ?」
おまえたちだって、充分に強いさ。
「……もっと自信を持てよ。おまえたちは、無力じゃないんだから」
「ソル?」
「キール。クラレット。カシス」
問いかけをまぶしたリプレのことばに被せて、ソルは兄弟たちを振り返った。
ガゼルやリプレに見せていた、穏やかなそれではなく――けして彼らには見せない、見せたくない、貌のない顔。
「――後で、話がある」
表情は見えなくとも、声は聞こえる。
含まれた緊迫。混ざりこんだ緊張。そうして、云い知れぬ何かの――影?
ただそれだけを感じて、でも、感じたそれ故に何も訊けなくて。
リプレたちは、顔を見合わせるだけだった。
――驚愕は、少なかった。
何か途方もないことを云われる、と、おぼろげに予感していたからかもしれない。
“サプレスのエルゴの守護者が生きている”――
淡々と告げるソルのことばを静心で聞けたのは、単に、それだけの理由だ。
だからといって、衝撃が小さかったわけではない。
「……そう……です、か」
それだけを口にするために、喉を絞るほど力を入れねばならないのが、その証拠といえるだろう。
「ただ、もう守護者としての力は残ってない……そうも云ってた」
「――――」
かつて、自分たちが殺した人間。
派閥の師たちと比べてはるかに年若い自分たちには、それが初めての殺人――今となっては未遂だが――だった。
サプレスのエルゴの守護者。
知る人間は多くはないが、ここは遠い昔、リィンバウムを守る結界の布石を置かれた地だ。
それ故に、結界の要たる5つのエルゴの欠片はこの地に誼を残し、その守護者達もまた、この地に暮らしている。
欠片とはいえ、エルゴの持つ力は膨大だ――それは誰もが知っている。
意思ひとつで世界を生み、輪廻を編み、様々な人知を超えた事象を起こしてのける。
この小さな存在などでは理解できぬ、大きな意志――それがエルゴ。
その欠片――サプレスの、エルゴの一片。
それを用いることなくして儀式の成功はならぬ、と……
だから殺した――
だから貫いた――
思えば、父が自分たちにそれをさせたのは、逃げ場をなくしてしまうためではなかったろうか。
犯した罪の重さにつぶれ、その隙間に魔王を降臨させることを狙っていたのではないだろうか。
……あえて、確認するつもりはない。
自分が道具なのかと、問い詰めるだけの、勇気がない。
判りきっていることを改めて問うてなお、挫けずにいる自信がない――
レイズと名乗った青年のことばをつぶさに伝え、ソルはそれきり沈黙している。
「あたしたち、彼の名前も知らなかったんだね……」
ふと思い出したように、カシスがつぶやいた。
「……殺す相手の名前ぐらい知っとけよ、って怒ってたな、そういえば」
話を聞くだに、レイズという青年は大層陽気な性格のようだ。
小さく口の端を上げたソルのことばに、クラレットも、少しだけ目を細める。
――罪とかなんとか、おれから云う気はないさ。たしかに迷惑はしたが、どんだけのものでとらえるかってのは、君ら次第だからな。
――したことを後悔してんなら、今の君らの気持ちは何に由来してる? その答えを見つけてみろよ。
伝えられたレイズのことばに、救われた気持ちになっていいのか、ますます重責を感じるほうがいいのか、今はまだ判らない。
弑そうと思って行動に出たのはたしかなのだし、それを行ったのは間違いなく自分たちの意志なのだ。
それでも。
「……見つけましょう」
彼が生き延びた意味と、再び私たちの一人が出逢った意味を。その答えを。
この、奇跡にも思える偶然を無駄にしたくない気持ちは、きっと本当だ。
兄弟たちが頷くのを確認して、クラレットも頷いた。
つと。
キールが首を傾げたのは、そのときだ。
「……ひとつ、疑問があるんだが」
「何だ?」
「彼は本当に、ギエン砦に向かったのか?」
「まさか」
答えはあっさり返って来た。
すでにそれは予想していたのか、キールは黙って肩をすくめる。
「聖王都に知り合いがいるのは本当だろうとは思うが……まず間違いなく、ギエン砦行きは嘘だろうな」
ただ、こちらにも負い目があって追及は出来なかった。
とまーちゃんは必ずこっちに帰すと云っていたから、おおよそ2週間という期間は間違いないんだろうけど。
「ナツミたちには話すのか?」
「まさか。下手に心配させる気はない」
ただでさえ、自分たちの力と俺たちの嘘と、騎士団やオプテュス、アキュートとの確執であっぷあっぷしてるのに。
「そうだね。でも……そしたらたち、どこ行ったんだろう?」
カシスのつぶやきに、答えは出ない。
彼らが答えを得ることは――たぶん、ない。これからも。