ぶつくさぶつくさ。
さっき出陣を提案したときとは、見事すっぱり180度。
両目と額のを合わせ、三つのそれを不機嫌全開半眼にして、背中にはそのとおり、「不機嫌」のでっかい描き文字。
「まあまあ、いいじゃない。せっかくエルカが案内してくれるーって云うんだし」
「そうよ、ありがたく思いなさいよ」
「うるせえよ、獣人。ていうか猪オンナ」
「なんですってぇ!?」
とりなそうとしたの後ろにエルカが続け、バルレルがばっさり切り捨てて。
うわ。なんか既視感。
「誇り高きメトラルを、そんな猪突猛進しか能のないイキモノと一緒にしないでよッ!」
「あー、猪が悪けりゃ猛牛だな。すぐくってかかるあたり、そのものだぜ」
「……っ、あんたねぇッ!!」
「ほれ、見たまんま」
「〜〜〜〜〜〜ッ!!」
「おい、まーちゃん。あまりからかうなよ」
「うるせ。」
護衛獣だけでは、と、結局ゴリ押ししてついてきたソルのことばにも、バルレルは一言で返すのみ。
つれないお返事に、ソルは苦笑してを見た。も苦笑を返す。
なんとなく。
バルレルがエルカをおちょくるのは、遠い未来の護衛獣仲間を思い出してしまうっていうのもあるんだろう。
で、その思い出す護衛獣仲間と同族のはずの目の前の少女。
……性格違いすぎ。
そのギャップに思いだしたのが、1年後サイジェントに訪れたときの話。
そのときも、たしかバルレル、エルカとソリが合わないみたいだった。あのときは、ほんのちょっとしかないなかったけど。
もしかしてエルカ、このこと覚えてて、あのときバルレルにくってかかってたんじゃないだろうな……?
帰ったら訊いてみよう。そうしよう。
「このへん、だったかしら」
南スラムの西の端に差し掛かった頃、エルカがつぶやいた。
すっかり捨て置かれているこのあたりは、人が住んでいる様子もない。
フラットの周辺は、ちょっと歩けばまだ、住人と挨拶を交わすことが出来るんだけれど。
「……マジにこのへんか?」
「ええ。川に出ようと思って走ったんだもの」
そしたらソイツが転がってて、蹴っ飛ばしちゃって、しょうがないから逃げてきて。
「……エルカ……」
微笑ましく思うべきか、あきれておくべきか。
迷った末に微妙な表情を向けたソルに、エルカが腕を振り回す。
「なっ! なによっ! だって、死んでるって思ったんだもん!」
でも、後で思い返してみたら、なんかうめいてたような気がしたから、それでっ!
「“誇り高いメトラル”が死体を怖がったワケかよ。へーえ」
「だっ……誰がっ! 急にそんなもの転がってたら、普通驚くでしょ!?」
「それは云えてるかも……」
「ケケケッ、ニンゲンも獣人も軟弱なヤツばっかでやんの」
「「あんたが変なだけだ(なのよ)−っ!!」」
「まあ、まーちゃんは悪魔だしな」
死体なんて、見て気持ちのいいものじゃない。
動物だろうが召喚獣だろうが、この世にあらざるモノのそれだろうが――
……あ。また既視感。
違う、記憶。
やっぱり違う、これは、感覚。
――人を刺したことがある、あたしの手に残った感覚――
戦いはそういうものなのだと、自分なりに納得はしてる。
軍隊に身をおくって決めたとき、そして、訓練を始めたとき。自分なりの覚悟は決めた。
それでも迷う。
それでも迷え。――それでいい。
自分の手にかけた命の重み。
その重みを忘れずにいるなら、迷いも惑いも無駄にはならない。
断ち切った分の命に恥じずに生きようとするなら。
……うん。
あたしは、彼らに恥じないひとになる。
ウソついたって後ろめたくたって、いつだって前を見て歩こう。
他に何で証を立てることも出来ないから、これだけは忘れないようにしよう。
つん、と。
引っ張られる服の裾。
「え?」
「え? じゃないわよ。どうしたの?」
死体の話で気分が悪くなった?
普段の気の強さはどうしたのか、まなじりを下げたエルカの問い。
「そうなのか? それなら一度戻るか?」
「コイツがそんなタマかよ」
ソルの語尾に被せて。エルカの後ろに立ったバルレルが、呆れ返った表情でそう口にした。
「あぁもうっ、いちいちうるさいのよ、悪魔ッ! 人にちょっかい出すヒマあるなら、さっさと見つけなさいよ!」
「だから、そもそもこの街一帯、サプレスの霊気が濃いっつってんだろうが!」
あれもこれもそれも紛れて、判別しづれえんだよ!
けんか腰のエルカのことばに、やっぱりケンカ腰で返すバルレル。
頼むから、どっちか冷静になってくんないもんだろうか。
仲裁に入ろうかどうか、切実には迷ったけれど。
彼女が行動に出るより早く、ついでにエルカがさらに攻撃しようとするより早く、
「――お」
くん、と鼻を鳴らして、バルレルが視線をめぐらせる。
もエルカも、思わず口を閉ざして彼の動きを見守った。
そうして。
右――左――前――斜め右――左後ろ――停止。
立ちぼうけてるの後ろ、細い路地が伸びてる暗がりに、魔公子は目を止める。
「ああ、ホントだ。溜まってんな」
「ほらっ、エルカの云ったとおりじゃないっ!」
「だが……悪魔じゃねぇぞ、これは」
意気込んだエルカの出鼻をくじくようなバルレルのことばに、また、彼女は不機嫌になるけれど。
そのなかに、揶揄も皮肉もないことを感じたのだろう。
「――それじゃあ、何だっていうの?」
不機嫌な表情は一瞬で消して、代わりに浮かべたのは怪訝な色。
鏡はないが、もソルも同じような表情になって、バルレルを注視した。
「かなり混ざってるが、ニンゲンくせぇ」
「人間……?」
「まさか、本当に浮浪者?」
ってソルさん。そこでなんであたしらを見ますか。
「別に?」
小さく肩をすくめて、でも口の端を持ち上げるソルに思わず殺意を抱いただが、この場合一応正当であるといえよう。
その殺意を実行する機会には、あいにく恵まれないわけだが。
「――――――――」
ピン、と、一本。
つつけば瞬時に断ち切れてしまいそうな糸が、その瞬間張り詰めた。
発信源は、ソル。
一瞬前まではたしかに、いつもの……人をからかうような笑みを浮かべてた彼の表情が、消えていた。
まるで能面のように。顔の筋肉が凍り付いてしまったみたいに。
もエルカも……バルレルも、その変貌にことばをなくす。
「ソル……さん?」
それでも、おそるおそる呼びかけた。
「ッ――」
「ソルさん?」
きっかけは呼びかけか、それともただの事象の一致か。
今にも泣き出しそうに表情を歪めて、ソルは一歩、から距離をとる。
彼の足元にあった石が靴と地面に挟まれて、小さく悲鳴をあげた。
ソルの双眸が映しているのは、正面のじゃない。その向こう――バルレルの見ていた、路地の薄暗がり。
「生き……て……?」
小さな小さなつぶやきは、風に消える前になんとかに届く。
聴力に折り紙つきのバルレル、それにエルカも、一様に疑問を強くして彼を見た。
それから、視線を追っての後ろを。はそのまま、自分の背後を。
――じゃりっ、
ソルの立てたそれとは別の、足元の石をはねる音。
――彼の行動に擬音をつけるなら、『ずる、ずる』とでも評すべきだろうか。
薄暗がりのなかから。
ゆっくりと――
ゆっくりと。
壁に手をつき、それでもなお二本の足で立って、歩いてきたのは。
――闇の化身。
そう思わせるほどの、黒い――真っ黒な。
ひとりの青年――