翌朝――もう、日がそこそこ高くなった頃。
身体が痛いとぼやくジンガを、とガゼルで、自業自得だとからかっていた。
モナティが何か失敗やらかすたびにくってかかるエルカが、とうとうリプレにデコピンくらっていた。
石切り場が休みのため、エドスは薪割りをしようと中庭に出るところだった。
レイドはちょうど、アルバと連れ立って剣術道場へ出かけるところだった。
昨夜なんとなく落ち込んでいるように見えたソルたちも、朝食を終え、当番制である後片付けに勤しんでいた。
ハヤトとトウヤは、昨日できなかった稽古をしようと、がジンガをからかい終えるのを待っていた。
アヤとナツミは子供たちと一緒に、遊びにきたスウォンからハルモニウスを習おうとしていた。
要するに。
その朝は、昨日の騒動を一応帳消しにできるくらいには、穏やかでくつろいだ朝“だった”――
「まーちゃんまーちゃん」
「んー?」
例によって惰眠をむさぼっていた魔公子は、よりにもよってちびっこ姿。
呼びにきたのが以外だったら、どうするつもりだったんだ。
「おっと……」
の視線に気づいたバルレル、自分の姿を見下ろして、ぶるんとひとつ首を振る。
またたきひとつもするかしないか、あっという間に青年姿に早変わり。
彼の姿替えは、にかけた半永久的なものじゃない。
……便利だ。っていうかお手軽だ。
在り方の違う彼だからこそ可能なのだと判っていても、ちょっぴり羨ましくなってしまった。
「んで、何だ?」
まだ少し気だるげに、バルレルはそれでも身を起こす。
彼の動きに従って、の視線も下から上へ。
「うん、――ちょっとね、エルカが気になるコト云ってるんだ」
「……あ?」
の口からこぼれた名前は、完全に予想外だったのだろう。
バルレルの眠気は幸い、それですっ飛んだようである。
「――そうよ。なんか、そいつみたいなカンジのヤツ」
リプレのおたまの一撃をくらった頭をさすりつつ、エルカは、バルレルを指してそう云った。
さっきエルカにせっかんをしたリプレが、
「あんまりつんつんしてると、そのうち悪魔みたいに怖い顔になっちゃうわよ」
と云ったところ、
「何よっ! エルカ、悪魔なんて怖くないんですからねっ! 昨夜だって蹴っ飛ばしてきたんだから!」
――とかいうセリフが彼女から発された。
蹴っ飛ばしたんかい、というツッコミも出たことは出たが、それよりも問題がひとつ。
昨夜、エルカはサイジェントにいた。
つまり、彼女曰くの悪魔が、サイジェントにいたということだ。
……おいおいおい、ってなもんである。
だもんでとりあえず、ほんまもんの悪魔であるバルレルをつれてきて、検分してもらおうということになったのだ。
そして答えがさっきのそれ。
「…………蹴飛ばしてきたなら、別にいいんじゃねーの?」
心なし、目の前の騒動に疲れた表情のガゼルがそう云うが。
「でも、悪魔だよ?」
うーんとうなってカシスが反論する。
「悪魔そのものでなくても、サプレスの存在がサイジェントの路地のどこかに転がってた、ってことだろ?」
「そう云うと、結構間抜けに聞こえるな」
「ぱっと見笑えるけど、深く考えると笑えないよね……」
「ええと、エルカちゃん?」
視線は再び、メトラルの少女へ。
「その蹴っ飛ばしたのって、どのへんですか?」
「よく覚えてないわ。……スラムのどこかだったのは判るけど」
アヤの問いには、あやふやな答え。
そこで、その場にいた8割――アヤたち、リプレ、ガゼルを除く、セルボルト兄弟、、バルレル――は顔を見合わせた。
彼らは知っている。
最初の儀式、荒野に大きな穴を開けたすべての始まりのそれが、何を望んで行われたのか。
自分たちは知っている。
あの儀式において、どれだけの波紋が世界に広がったか――また、広がろうとしているか。
「……じゃあ――」
「あたしたちが調べてきましょうか」
カシスのことばを横からとって、は云った。
「たちが?」
「はい。まーちゃんなら、サプレスの気配見つけやすいだろうから。……あたしもしばらく、サプレスにいました(ってことになってる)し」
そもそもからして、サプレスの――とくに悪魔たちは、リィンバウムのニンゲンを快く思っていない。
それはバルレルがいい例であるし、リィンバウム自体が彼らにとっては侵略の対象であるからだ。
「下手に人間が出てきたりしたら、逆に攻撃されかねませんしね」
――それが本当の悪魔なら。
「エルカ、ウソは云ってないわよッ!?」
「そうじゃないんですよ。サプレスの気配を濃くまとった人間だったかもしれないでしょう?」
「……それにしたって、すっごく霊気が強かったのに」
「ま、そりゃ、実際見てみなきゃ判んねーな」
テメエが錯覚起こして、本来のそれを過大評価してる可能性だって、ないわけじゃねえ。
「……うーっ」
ぷう。
ほっぺたふくらまし、エルカはふてくされる。
彼女の感じたそれは真実なのだろうが、見たモノが見たモノだ。
早急な結論、ついでにそれによって生じる先入観は避けるべし。
そして響く、椅子を引く音。
椅子を斜めに傾けて座っていたバルレルが、立ち上がった。
「んじゃ、オレらが行ってやらァ」
ありがたく思え、ニンゲン。
「いつになく積極的だな、まーちゃん」
普段のぐうたらめんどくさがり節制生活の彼を見慣れたキールが、きょとんと目を丸くした。
応えてバルレル、ケ、と小さく喉を鳴らすだけ。
でもなんとなく、も察してしまった。
単にバルレル、ここの人たちの目の届かなさそうな場所に行けるのが嬉しいだけなのだろうと。
――そうは問屋が卸さないわけだが。
「それじゃ、俺も行こう」
とたんにバルレルが顔をしかめた。
発言した本人――ソルに視線を転じて、ギロリと睨みつける。
「なんでだよ?」
だけども、ソルも負けちゃいない。
どんな敵意をバルレルが見せても、根本的にそれを実行する意思はないのだと、たぶん勘付いているんだろう。
ちょっとだけ口の端を持ち上げて、指を一本立ててみせた。
「いいか? おまえたちは、俺たちの護衛獣だろ? 主を放り出して自分たちだけで出かけるなんて、それは情が薄いってもんじゃないか?」
「そうですね」
真っ先にアヤが同意する。
手のひらを胸元で重ね、にっこり、それこそ花のように微笑んで。
「ただでさえ、まーちゃんとちゃんを二人で出かけさせると、何が起こるか判りませんしね」
「だよな。ふたりとも、俺たち以上に無鉄砲気味だし」
それは、この間北スラムで行方不明になった挙句、無断外泊したことでしょうか? アヤ姉ちゃん、ハヤト兄ちゃん。
「へえェ? ならテメエ、悪魔に食われてもいいってのか?」
「それはだいじょうぶでしょ?」
「優秀な護衛獣がいるじゃないですか」
カシスとクラレットが、息の合ったツッコミを入れる。
“優秀な護衛獣”のくだりで、バルレルがずるずるとテーブルに撃沈した。こっそりも。
たしかに自分らでそう云って売り込んだ記憶はあるが、こう正面きって云われると、優秀でないどころかだましだましの商売やってる身としては後ろめたいことこのうえない。
バルレルに関しては、単に、護衛獣強調されるのがジンマシンなんだろうけど。
「あまりムリはしないようにな」
最後に、キールがそう付け加えた。
彼らのなかではすでに、現地調査隊として、まーちゃん、+ソルのご一行が出来上がっているらしい。
「チッ……」
ガッタン。
さっき以上の音を立てて、バルレルが撃沈から復活した。
「何かあってもな、オレは手ェ貸さねえぞ。テメエの身はテメエで守れ。それが出来なきゃ、喰われろ」
憎まれ口ひとつ叩くと、くるりと身を翻す。
「――あれ、まーちゃん? そっち玄関じゃないよ?」
進む方向を見咎めたナツミが、ふと、そう声をかけるけど。
「なんか客みてえだしな。いちいちニンゲンと顔合わせんの、めんどくせえ」
オレは裏口から出る。
と、バルレルが答えたのと同時。
コンコン、と、扉を叩く音が、食堂にいた一行の耳に届いた。
ガゼルと顔を見合わせたリプレが、手に持ったままだったおたまをしまいこむと、玄関に向かって駆け出した。
同じく顔を見合わせた残り一同のうち、とソル、それにエルカが、さっさとバルレルを追いかける。
裏口から中庭に出、山積みになった木箱を乗り越えて道路に出た彼らの耳に、リプレが扉を開ける音が聞こえた。
「いらっしゃ……え!?」
同時に、驚愕を宿した彼女の声も。
――後々、はちょっぴり後悔することになる。
何しろ、もしちゃんと玄関から出ていたならば、そのときから起こっただろうアキュートVSフラットの全面戦争(一部語弊あり)の手助けくらいは出来ただろうから。
…………もっとも、度合いでいえば、たちだってそれなりにハードな出来事が待ち受けているわけではあるのだけれど。