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-喚ぶ声とは-




 ぜえはあと荒い息を繰り返し、は、気絶したキムランの手から何かを取り上げていた。
「それ、何?」
「……ナツミさんの持ってた、サモナイト石」
 ふう。
 大きく息を吸って吐いて、手にした石に傷が入ってないのをたしかめて、はやっと笑みを見せた。
「よかった、無事だ……」
「……テテですね、これ」
「はい」
 の手元を覗き込んだクラレットが、石に刻まれている紋様を読み取ってつぶやいた。
 応えて、は頷いて。
「もー、ソルさんたちいなかったから、すんごい苦戦しちゃいましたよ」
 危うく、弾みで手から零れたサモナイト石、かっぱらわれかけちゃうし。
「平民が持つもんじゃねえ、とか云っちゃって……ひどいですよね。誓約したのはナツミさんなのに」
 そうして両手に包み、胸にしまいこむような仕草。
 まるで宝物のようなサモナイト石の扱いに目を白黒させたのは、キールだけではない。
 カシスが、戸惑いを隠せない口調でに問いかけた。
「……じゃ、、サモナイト石のためにキムランを追いかけてたの?」
「そうですよ?」
「な、なんでそんなこと……」
 テテとはまた、誓約しなおせばすむ話じゃないか。
 あの儀式跡に転がっていた大量のサモナイト石は、いつか荒野を訪れたときに粗方回収済みだ。
 魔力を障害なく通すために、あの場で使用されていた石は未誓約のものが多数だった。
 故に、まあ、良い再利用とはなっているわけである。
 サモナイト石自体、本来はそう簡単に手に入るものではないのだけれど、この量があれば数年は困らないだろうというくらいだ。――数年後どうなってるかは判らないが。
 ともあれ、そんな事情で、ソルの問いかけは彼らとしては、実に当然だったのである。
 が、で「何を当たり前のコト」的な顔になって、
「だって、この石で誓約したテテは、ナツミさんの声に応えてくれた子なんですよ?」
 次に喚ばれたとき、あのキムラン……は、メイトルパ無理だからとしても、見も知らぬ相手だったらテテがかわいそうじゃないですか。
「――そういうものなの?」
「そういうものじゃないんですか?」
 やっぱり呆然とつぶやいたカシスのことばに、は首を傾げてそう云った。
 云って、そして。
「……あ……そっか」
 まなじりを下げて、キールを見上げる。
 もどかしげなその表情を真正面から見る羽目になって、キールは、果たしてどう対応すればいいのか判らなくなって。
 だけど。
 が何かを云いたそうにしている、それだけは判ったから。
 そうして、何かに遠慮して云い出せないでいるのも、なんとなく判ったから。
 だから――小さく頷いた。
「云ってくれ」
「いいんですか?」
「ああ。……聞いておきたい」
 それじゃあ、と、断って。
 は一度、手のなかのサモナイト石に目を落とした。
 夜の闇のなか、それは、やわらかくあたたかく、若草色の輝きを放っている。
 ふと。
 キールはさきほど自分の触れた、サプレスの石を思い出した。
 派閥の師が自分たちに与えた、霊界の住人に誓約させた石。
 それがそんなふうに輝いたところなど、一度も見たことはなかったような気がする。
 界の違いというのなら、そうかもしれない。
 けれど、それだけではないようにも思う。
 そしてが云いたいのも、それに関することではないだろうか――?
「今まであんまり気にしなかったけど……キールさんたち、どうやって召喚獣に喚びかけてます?」
「え……」
「痛苦、とか……前にソルさんも、下僕、とか云ってた気がするんですけど」
「……ええ」
 私たちはたしかに、召喚術の行使について、そのように教わりました。
 クラレットのことばも、戸惑い混じり。
 つ、と、が石を握りしめる。
 握りしめられた石の輝きが、少し強くなった――まるで彼女を慰めるように。
「……あたしも、ある意味では召喚獣です」
 まーちゃんもアヤさんたちも、そうです。
「――」
 視線を落とすの途切れたことばの先を、彼らは察した。
 痛苦を代償に。刻まれた痛みを糧に。
 そうして自分たちは、召喚獣をこの世界に喚び寄せる。

 でも。
 それは、そう。ほんの一瞬従えるだけのことであったから、喚びだされたものの表情なんて、気にも留めていなかった。

 でも。
 ほんの一瞬でさえ、痛みは痛み。苦しみは苦しみ。

 ――ああ、
    辛かったろうな……

 好きで、痛みや苦しみを味わいたいものなどいないだろう。
 自分たちがそうであるのだから、相手だってそうであるはずだ。
 そんな簡単なことに、どうして今まで目を向けきれなかったんだろう?
「……は」、
 知らず、ことばが零れた。
 それはキール自身の声だったか、それとも他の兄弟の声だったか――
 彼ら全員の共通した心であったことだけは、はっきりと断言できるけれど。
なら、なんて喚ぶ?」
「うっ」
 何故か彼女は絶句した。
「あ、あたし、実は召喚術苦手で……その、高次生物っていうよーな子は……」
 手にした石が、また輝く。笑ってるようだ。
「……リプシーの石、あります?」
 しばし視線を彷徨わせ、はそうお伺いを立ててきた。
 比較的容易に召喚に応えてくれるサプレスの小精霊の名に、ソルが、懐から石を取り出した。
 淡い紫のそれは、気のせいだろうか。
 ソルからの手に渡った瞬間、ぽう、と、輝きを増したように思えた。
「…………」
 若草色の石をしまい、紫の石を両手に掲げ、はそっと目を閉じた。
 見守る自分たちの前で、ゆっくりと、石が明滅を始める。
 溢れる、紫の光。
 彼女を包み込むように、それは迸る。
 魔力が満ちるのがわかる。
 自分たちの普段感じるそれと違う、優しくてあたたかくて、どこか懐かしい光。
 ――初めて見る気がしないのは、それが、アヤやハヤトたちの操るものと同じ光だからだ。
 改めて見つめるそれは、そう。たしかに同じ。
 召喚術に素人だったはずの彼らの光と、召喚術が苦手だという彼女の光。

 そうか。
 彼らは、ちゃんと知ってたんだ。

「……ちからを、かして」

 たった一言、二言。
 呪文も何も要らない。痛みも苦しみも必要ない。
 誓約の為されたサモナイト石は、魔力を注ぐだけで、異世界への道を開く。
 喚びかける声に、応えてもらうか応えさせるか。
 そう、単純な二者択一。
「――ぴぅっ」
「…………」
 ことばをなくして見守る彼らの前で、出現したリプシーが、に頬をすり寄せていた。
 嬉しそうな楽しそうなその様子に、なくしたことばは容易に復活しない。
 だって、リプシーのそんな表情、見たことがない。
 嬉しそうに楽しそうに飛び回る、そんな姿、知らない。
「ぴっ」
 ふと。
 キールたちに気づいたリプシーが、一瞬動きを止めた。
 あわてての後ろに隠れようとするのを、彼女は笑って引き止める。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
 ほらほら、怖くない。
「ぴ……」
 リプシーを胸に抱いて、がこちらに歩を進めた。
 近づけば近づくほど、リプシーの震えがはっきり判る。
 それほどまでに、自分たちの召喚は苦痛だったのかと……思い知らされるような。
 同時に、畏怖。
 懐にあるサモナイト石には、まだ実力が及ばないからと出したことさえもないものが幾つかある。
 痛苦という、そのもっとも反発されるべき手段でもって、各界の高等生物らと誓約を交わしてのけた自分たちの師、そして父の力のほどを、思い知らされた。
「……リプシー……」
 とん、と、カシスのつま先が地を蹴った。
「ぴぃうっ」
「ああほらほら、だいじょうぶ、怖くないよー?」
 じたばた暴れるリプシーを抱きしめて、は苦笑。
 そこに、戸惑いがちなカシスの手が伸びる。
 ゆっくりと、ゆっくりと。怖がらせないように、優しく。……少しだけ震えながら。
「……ぴ?」
 ――触れた。
 人差し指の先。
 五本の指すべて。
 そして、手のひら。
 リプシーの頬に沿って、ゆっくりと、カシスは手を動かす。
 その行為の名前はたしか、“撫でる”っていうんだったっけ?
「……っ」
 ぱた、と。
 軽い音をたてて、カシスの足元に水滴が落ちる。
「ぴっ」
 震えを止めて、カシスの手に身を委ねていたリプシーが、きょとんと彼女を見上げた。
「ぴ、ぴぅっ?」
「……ごめ……っ、ごめんね……っ」
「ぴぴぃ、ぴうっ」
 ちっちゃな羽を動かして、リプシーが、の手から舞い上がった。
 そのまま宙で一度回転すると、カシスの頬に、羽よりもっとちっちゃな手を伸ばす。
「……ぴーぅ」
「うん……、うんっ……。――――っ」
 ――ありがとう。ごめんね。
 呼気としてしか紡がれなかったカシスのことばは、だけども、ちゃんと全員に届いていた。
 少し遅れて足を踏み出したクラレットも、そっとリプシーに手を触れる。
「……知らなかった」
 数度撫でて、やっぱり彼女も視線を落とした。
「この子たちって、こんなに、あったかかったんですね」
「……クラレットさん……カシスさん……」
「ぴぅ〜……」
 心配そうに彼女たちを覗き込む、一人と一匹がおかしくて。
 ぼやけた視界のまま目を細めたら、ただでさえはっきりしなかった彼女たちの姿が、ますます輪郭を虚ろにする。
 ――胸が苦しいのに、あたたかい。
 だけど心地いい。
 それが、とても、心地いい。


 結局――駆け出したの帰りが遅いのを心配して追ってきた、ガゼルたちが発見するまで。
 気絶したキムランほっぽりだして、彼らは佇みつづけていた――――




 ……さて。
 どうして夜中にことが、キムラン追いかけて駆けずり回る羽目になったのか。
 それは、これからいささかの回想を紐解いた先に。


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