本当に、ウィゼルには世話になってばっかりだ。
前にバルレルが子供たちから助けてもらったことに始まった彼との縁は、どうやらかなり深いものだったらしい。
北スラムの爆発を、サイジェントのどこぞでウィゼルも当然目にしていた。
で、これはあの女の子と三つ目の悪魔の仕業だろう、と思ったらしい。
「――もう。いくらお茶が楽しかったからって、泊まるなら連絡くらいしてちょうだい」
ぷん、とむくれるリプレに手を合わせながら、は心のなかでウィゼルへの礼を繰り返す。
そうして見当をつけたウィゼル、たちが面倒なことになっていやしないかと、サイジェントを歩き回ってくれたらしいのだ。
夜になってやっと見つけ、声をかけてくれたという次第。
「ごめんなさいごめんなさい。今度はちゃんと連絡入れます。だからご飯抜きは勘弁してください」
「だーめっ。今日はお昼までご飯抜きっ!」
「ケケケケッ、ニンゲンて面倒だな」
自分だけとりあえず満腹のバルレルは、の後ろで声を立てて笑う。
けど。
「まーちゃんもよっ! 今日は一日、子供たちの相手しててもらうからね!」
「ゲッ!? ムチャ云うなテメエ! オレに扱わせたら壊すぞ!」
何気に物騒なことを云いつつ、バルレルは後ずさる。――が。
その背に、とん、と押し当てられる手のひら。
……にっこりにっこり微笑んだアヤが、彼を再び前に押し出した。
「だめですよ。ちゃんと罰は受けないと」
「僕たちだって心配していたんだからな」
アヤとトウヤのスマイリーダブルアタックって、なんか、とってもコワイんですが。
どこかの聖女様を彷彿とさせる笑みに、バルレルは一瞬凍りつく。
相変わらず、アメルへの苦手意識は根強いらしい。天使と悪魔だから当然か。
――そうか、オルドレイクと逢ったか
ウィゼルは開口一番、そう云った。
ヤツを知ってんのか? バルレルの問いには、首を縦に振ることで応じて。
――いずれはそうなると思っておったが、ちと早すぎやせんか
などと呆れたように云われては、もう、どう答えればいいのやら。
――おそらく、奴はまたおぬしを狙うじゃろう
と、指さされたのは、攻撃かましたバルレルではなく、いわれのない因縁つけられたのほう。
どうにも納得いかないその展開の、せめて説明くらいしてくれと頼んでみたはいいものの、ウィゼルは笑って切り返すばかり。
それでも、彼はまた、たちの手助けをしてくれた。
「これで思い知っただろ」
肩をすくめて、入り口近くに立っていたガゼルが云う。
口調こそ真剣を装ってはいるが、顔が笑っていては効果がない。
「フラットの総元締めにゃ逆らうな、ってな」
「ガゼル……ご飯抜きと一日薪割り、どっちがいーい?」
「――ゲッ!?」
なんというか、自業自得ということばがよく似合う人だ、ガゼルって。
腰に手を当て、今の今までとバルレルに迫っていたリプレは、今度はガゼルに向き直る。
にっこり微笑みながらのおことばに、ガゼルはしくじったとばかりに顔をしかめた。
薬を――メスクルの薬を。
カノンついでにウィゼルにも届けに行った、ということにして。
お茶の話が弾んで、つい一晩を明かしてしまったと。
バルレルだけなら嘘くささ全力のそれは、が主導権を握ったということで話はおさまった。
効果のほどは見てのとおり。
ただし、副作用もあった。
前回ウィゼルと遭遇したサーカスの折、見事に肩透かしを食わされたハヤトたちが、たちを送ってきたウィゼルをがっちり捕まえたことだ。
ハヤトとナツミに苦笑しながら拉致されてったウィゼルに、は心の中で手を合わせたものである。
ま、人生経験豊富そうなあの老人のことだ。
ハヤトたちと何を話すにせよ、一番肝心な部分は秘めたままにしておくつもりだろう。
彼がそういったものを明かすときがくるなら、それは――
それはたぶん、大きな兆しが見えたとき、とでも云えばいいだろうか。
何の根拠さえない予感だけれど、ただ、そう思う。
じり、と、ガゼルがリプレに圧され、一歩あとずさる。
救いを求めるように動かす視線は、部屋を一周。
その間に、彼はカシスとソルに両腕を掴まれたを見、アヤとトウヤに背中を押されているバルレルを見た。
「……」
そして、がっくり肩を落とす。
「薪割り」
「よろしい」
じゃ、早速よろしくね。
そう云って庭を示したリプレは、ガゼルが出て行くのを見届けると、とバルレルに向き直った。
「はお昼ご飯のあと、アヤたちとお使いよろしくね」
「……はい」
「まーちゃんは、そろそろ子供たちが目を覚ますから、モナティとガウムと一緒にお部屋に行ってあげて」
「冗談じゃねーっ!」
・・・・・・数秒後。
狂嵐の魔公子の断末魔が、フラットから響いたとか響かなかったとか――
戻ってきた彼らを出迎えたのは、そうそうたる瓦礫の山であった。
居住に定めていた区画から離れていたのが幸いというか、崩れた家々は、住む人間もいなくなって随分と経った代物ばかりではあったけれど。
これでもかというほど壊滅しつくされた北スラムを見て、さしものバノッサも目を丸くし、カノンは目眩を覚えた。
留守を任せていたはずの手下たちに問うても、まともな答えは返ってこず。
なんでもメスクルの眠りという伝染病が流行って、やっとおさまってきたかと思った昨日、急に爆音が聞こえて、あわてて様子を見にきたらこのありさま。
野次馬が集まってくるわ、騎士団が警備を強化する話をしていたわ、で、バノッサたちが戻るまで息を潜めていたらしい。
そんな手下たちは、自身のテリトリーが半壊したバノッサの怒りのターゲットにされたのだが。不幸度ではどっちに転んでも同じであったのかもしれない。
義兄がストレス発散をしているのを、カノンは後方からのんびりと眺めていた。
止めなくても半殺しまではいかないだろうとは思ったし、何より――久しぶりに戻ったこの場所に、懐かしさを感じていたからだ。
「……あれっ?」
そんなカノンの視界の端に、自分たちの住処にしてる家が移った。
あるだけマシ、そんな錠の付けられた扉の下に、何か袋が落ちている。
悲鳴と打撲音を聞きながら、カノンは腰かけていた瓦礫の山から滑り降りると、その袋を手に取った。
「・・・・・・」
手にした袋を開け、しげしげと眺め――赤橙の眼を、知らず細める。
『もし、メスクル病で困ってたらどうぞ。
とおりすがりの薬配達人』
少し右肩上がりの字で走り書きされたメモが、はらりと袋からこぼれ、カノンの手のひらに舞い下りていた。
「……ありがとう」
嬉しい。
とても嬉しい。
掛け値なく――その気持ちが嬉しい。
「でもね」
でも、バノッサさんは……ボクたちはもう、あのときにじみ出た闇の誘いに、乗ってしまったんです。
呼気と変わらぬカノンのつぶやきは、うっすらと漂いだしたサプレスの気配に紛れ。
そして、すぐに溶け消えた。