ふたりの動きが止まったのを、攻撃を防がれた動揺故だとでも思ったか。
オルドレイクは悠然と、こちらに向かって足を進め始めた。
懐に押し当てた、彼の手の向こうで何かが輝いている。召喚術――やはりサプレスのものだ。
あくまでも、目の前の男は、こちらへの敵意をゆるめるつもりはないらしい。
何を喚び出すつもりか知らないが、これ以上、さっきの子みたいな真似、されてたまるか。
「やるぞ」
「うん」
バルレルのことばに、がこくりと頷いたと同時――
「――オォォォオオオオオォォォォッ!!」
魔公子が吼える。
枷が外れる。
遠慮が消える。
節制生活して貯めてた魔力は、生半可なものじゃない。
オルドレイクが召喚のために要する魔力さえ、周囲のサプレスの霊気とともにぶん取って。
――バルレルが吼える。
制御を外れた彼の力が、みるみるうちに膨張していく。
その魔力。
その様相。
「やはり……!」
バルレルがそれを解放する寸前、は見た。
――歓喜に歪んだ、オルドレイクの形相を。
北スラムの一角で、化け物が暴れ狂った。
そんなニュースがフラットに届いたのは、騒ぎからさして時間も経たない頃。
……というか、荒野の果てにさえ届きそうな爆音と閃光がほとばしったのだ、気づかない者などいないだろう。
率先して駆け出したソルたちのあとを追って、ハヤトたちも走り出した。
ほどなくして辿り着いた北スラムは、――たしかに以前から荒れてはいたけれど――、まさに廃墟。
問答無用に砕かれた瓦礫や、抉られた敷石から覗く地面が、揮われた力のすさまじさを想像させる。
「君たちは……」
危険だからこれ以上は立ち入るな、と、現場整理のために出てきていた騎士団――そのなかの一人が、ハヤトたちを見つけて声をかけた。
スピネル高原でひと騒ぎ起こした直後なだけに、少々気まずいが、場合が場合である。
「イリアスさん……これは、いったい――」
「何があったんだ!?」
アヤのことばを遮って、キールがイリアスに詰め寄る。
普段の彼からは想像出来ない様子に、ハヤトたちは目を丸くした。
だが、キールの普段を知らないイリアスは、一瞬の間を置いただけで首を横に振る。
「自分達も、ついさっき到着したばかりなんだよ。第一、ここ数日の伝染病騒ぎで、街自体人通りがなかったから、目撃者も期待できないんだ」
次がないとも限らないから、警備を厳重にするくらいしか、こちらの対策はとれない。
「……ッ」
キールが俯く。
その表情はハヤトたちからは見えないけれど、たぶん、ソルやカシスやクラレットとそう大差ないだろう。
眉根を寄せて、思考を内に沈めて、他の何をも遮断してそれだけに集中して。
そこに、
「あっ」
不意に、アヤが声をあげた。
「どうかしたのか?」
「ちゃんとまーちゃん、たしかこ――」
“ここ”と。
云おうとしたアヤの口を、咄嗟にナツミがふさぐ。
「……というと、君たちの仲間だったな。彼女たちがどうかしたのかい?」
「なんでもありません」
にっこり。
アヤとナツミの前に立ち、トウヤがさらりと云いきった。
追及を許さない口調もさることながら、むしろその笑顔に気圧されてか、イリアスが小さく息を飲む。
そうか、とひとつ頷くと、元々大して気にも留めていなかったのだろう。身を翻し、他の騎士たちへ指示を出しにその場を離れた。
それを見届けて、ナツミがようやっと、アヤから手を放す。
「ごめんなさい……でも、ちゃんたち、たしか――」
「ああ」
“なんでもない”と力いっぱい云いきったトウヤが表情一転、顎に手を当てて思案顔。
「カノンのことを気にしてたな。彼も子供だから、一応様子を見に行く、って」
自分たちなら、オプテュスのごろつきくらい蹴っ飛ばせるから、ちょっと行ってくる。
そう云ってふたりがフラットを出たのは、かれこれ数十分前だ。
それは、ハヤトたちがここに来るまでの時間の、おおよそ2倍ほど。
――つじつまは合わなくもない。合わなくもない……が。
「でも、たちがそんなことする理由ないだろ?」
バノッサならともかく。
何気に本人が聞いたら剣が二本、クロスして襲ってきそうだが、ハヤトとしては至極真面目にそう云って。
そこに、
「……まーちゃん……」
ぽつりと割り込んだのは、ソルの声。
おそらく無意識につぶやいたんだろう、視線は相変わらず、足元とも宙ともつかない部分を彷徨っていた。
「どうかしたの?」
ぱたぱたと、クラレットの前でナツミが手を振ってるけれど、果たして彼女はそれが見えているのか。
「……まさか、そんなこと……いいえ」、
きゅ、と。
引き結ばれる、カシスの唇。
「違う。――まーちゃんは違うよ」
「カシス……?」
怪訝なトウヤの声も、そして、周囲の彼らの視線も、喧騒も。
聞こえないかのように見えないかのように。
ただただ、4人は立ち尽くしていた。
――そして。
そのまま北スラムを後にして、日が落ち、夜が来ても、――とまーちゃんは、フラットに戻ってこなかったのである。
月の明かりが降り注ぐ。
子供たちの病にカタがついたと思ったら、今度は別の問題が持ち上がったフラットは、普段の何倍も静かだ。
北スラムのカノンのことを気にしてた、。
それについてった、まーちゃん。
そしてほぼ時を同じくして起こった、北スラム大量破壊事件。
瓦礫のなかから死体や負傷者は発見されなかった、という声明を聞いて、ひとまずは安堵したものの、帰ってこないのでは心配も晴れない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
屋根に集まったハヤトたちにしたって、だから何を出来るわけでもない。
明日になったら帰ってくるわよ、と、かなり無理した表情でリプレが云った夕食時から、かなり時間は経っていた。
普段ならもう少しは灯りのついてるフラットの建物は、すでに真っ暗。
起きている人間もいるのだろうが、何故か、灯りをともすのをためらわれる雰囲気が満ちていた。
――ヘンな話だよな。
ガゼルが、頭をかいて云ってた。
――おまえらと暮らすようになって、まだ短いのにさ。
たかだか2人消えたくらいで、こんなヘンな気分になるなんて、思わなかったぜ。
その彼も、すでに自室に引っ込んでいる。
いや、皆が皆、夕食が終わると同時、それ以上その場にいるのがいたたまれないとばかり、三々五々姿を消した。
ハヤトたちはどちらかというと、割合最後まで残っていたほうだ。
後片付けをするリプレを、アヤとナツミが手伝っていたけど、彼女たちにしたって終始無言で。
口を開けば出てくる会話は、どうしたのかな、どうしたんだろう、そんなことばかり。
「……」
眠れなくて屋根の上に出てきたけれど、そうして自然と集まってきた形になったけれど。
ハヤトたちだって、たぶん、口を開けばそれしかことばが出てこないだろう。
――どうしてるんだろう、あいつら。
云っても答えはないと判ってるから、口を閉ざしたまま、ハヤトは屋根の上で膝を抱えた。
「どうもこうもねえ。逃げられた」
仏頂面でつぶやくバルレルの横、は、やっぱり、とため息をつく。
「……冷静に考えてみたら、ここであたしたちがオルドレイク倒したら、えらいことになるんじゃないかなあ」
「おう。ブッ放したあと思った」
まあ、結局仕留めきれなかったから、結果オーライっちゃあオーライか。
あの瞬間――
バルレルが力を解放したあの瞬間、屋根の上から黒い影が幾つか降りてきた。
素晴らしい瞬発力を持つその人影は、オルドレイクをその場から離脱させたのである。所要時間、暴発前の刹那、コンマ何秒もあるかどうか。
なんとなくシオンを連想させる彼らはおそらく、無色の派閥の関係者――暗殺者か専属の護衛かどっちかだろう。でなきゃ、オルドレイクを救う理由が判らない。
要するに、バルレルの放った力は、北スラムを見事に壊滅させるだけに終わったのだということだ。
さすがにこれはヤバイと逃げ出して、数時間。
灯台下暗しを見事に実践し、とバルレルが現在いる場所は、ここに来た当初もお世話になったフラットの近所のゴミ溜め。
周囲の廃屋やらゴミやらに埋もれて、表の道から二人の姿ははっきりとは見えないのだ。
「……もうだいじょうぶ?」
「おう」
短く答えるバルレルの姿は、最近あまり見なかったちびっこ姿。
小さな手を開いて閉じて、ゆっくりと口の端を持ち上げる。
「だいたい、ブッ放す前くらいにゃ戻ったな。――やっぱ負の感情てな、効率がいいぜ」
「さぞや美味でしょーねー……」
あたしには判らん、ていうか判りたくないけど。
オルドレイクの残した、彼の抱く闇の残滓。
それをすべて喰い尽くし、月の光にあたること数時間。ようやく減った分を取り戻したというバルレルを見下ろし、はしみじみため息。
「オマエは人間だろーが。判らねえでいんだよ」
てゆーか判るな。美味だとか思われたら、奪い合いしなきゃならねーだろが。
などと云ってを絶句させ、逆にバルレルがため息をつく。
「つーか、これからどうするよ」
「うーん……」
問題はそれなのだ。
幸いにして目撃者はいなかったものの、フラットの――アヤやソルたちは、たちがどこに行くつもりだったか知っていたはずだ。
さらにソルたちは、バルレルがあの儀式で巻き込まれて喚び出されたものだと思っている。
それに関しては、まあ、むしゃくしゃしてたからちょっと発散した――で納得させられなくもないだろう。
が。
問題はその親。
オルドレイク。
最後に見せた彼の歪んだ喜悦は、どう考えても、その結論に至られたとしか思えない。
「……いや、間違ってはないんだよね。うん」
バルレルは立派に魔王だし。
単に、あの人たちが喚びだそうとしてた魔王とは別人ってだけで。
「でも間違いなく、あたしたちを探しそうだよね?」
「探すだろ。そりゃ。未だに正体つかめない力の宿った奴よりか、あからさまにそれっぽいオレのが、話が早そうだしな」
「しかも」、
天を仰いで、またため息。
「なんでかあたし、恨まれてるっぽいし……」
「テメエ、ほんとに何もしてねーのか?」
「してないってば」
くどいようだけど、オルドレイクとはこれが初対面。
そういう存在がいたってことこそ、かつて耳にはしたけれど、真正面から視線を交えたのは今日が初めて。
だというのに、何をどうちょっかいかけて『野望を阻む』暇などあったというんだ。
「てゆーかあの人の野望はこれからじゃないかっ!」
阻むも何もなーい!
「現在進行形だろ」
拳を天に突き上げて無駄にハッスルしてみたところ、横からやっぱり冷静なツッコミ。
ああ、この冷静さを、さっきオルドレイクに攻撃かます前に、どっちかが取り戻していたならば。
……なんて後悔してみても、事態が変わるわけもない。
後悔する時間があるなら、とりあえず、次の手立てを考えるべきだ。反省会はあとでやれ。
いい加減、愚痴から頭を切り替えようと、は手を下ろし、壁に背を預ける。
「なんにしてもさ。適当に誤魔化して」、
一旦フラットに戻ろうか――
そうつぶやこうとしたときだ。
「やれやれ、やはりおまえさんたちか」
苦笑混じりの老人の声が、路地の向こうから耳に届いた。