“あかなべ”の軒先には、客が休めるようにだろう、小ぢんまりとした木作りの長椅子みたいなモノが用意してある。
そこに腰かけたたちのもとに、シオンが自ら、湯気の立つ茶を持ってやってきた。
「本当にすみません、うちの店員が何度もご迷惑をおかけして」
「……いいえ、避けきれなかった僕にも責任がありますから」
どちらかというと、同行者にとどめを刺された気もしますし。
気付け薬まで持ち出してやっと意識を取り戻したキールが、茶を受け取りながらそれに答える。
とどめを刺した当のカシスは、素知らぬ素振りで首筋に冷や汗一筋たらし、手元の団子をほおばっていた。
「うー、お師匠の意地悪……」
「アカネさん」
「ひゃあいっ! ごめんなさぁいっ!」
疑問符さえついてない、ただの名前の呼びかけに、アカネがそれこそ、尻に火でもついたかのように飛び上がる。
……躾が行き届いてますな、大将。ちがう店長。
「とりあえず、打ち身に効く薬を出しておきましょう。後々響いてもいけませんしね」
手慣れた様子でアカネを撃沈させたシオンは、手にしていた茶を全員に配ると、店のなかに踵を返す。
そのことばで、はた、と一行は本来の目的を思い出した。
――薬。
「シ、シオンさん!」
あわてて呼びかけると、棚から『効能/打ち身・擦り傷・切り傷・刺し傷・火傷』と書かれた薬を取り出そうとしていたシオンが振り返った。
……てゆーか刺し傷って何だ?
まあ、ささいな疑問はさておいて。
「あのっ、今街で流行ってる病気のこと、ご存知ですか?」
「ええ。メスクルの眠り、ですね?」
「それで……あの、あたしたち、その薬を探してるんですけど」
「おや……そうだったんですか」
それは、一足遅かったようですね。
苦笑まじりの返答に、一瞬膨らんだ期待が、しおしおとしぼんだ。
「さっき、貴族の使いやら城の兵士やらがやってきましてね。全部買い占められてしまったんですよ」
「……」
がっくり。
バルレルを除いて、一同思いっきり肩を落とす。
ある意味最後の頼みの綱だったそのことばと、街中闊歩した疲れが、ここにきて噴出した感じ。
「そうか……それじゃ仕方ない。やっぱり一度、フラットに戻ろう」
あまり待たせてしまうのも、あいつらに悪いしな。
ため息ついて、ソルが立ち上がる。
少しふらつきながらキール、さすがに罪悪感を感じているのか、カシスがそれを手伝った。続いてクラレットが、湯飲みをまとめて盆の上に乗せた。
そうして、とバルレルも、不精不精立ち上がる。
なんというか、1年後のアレのせいで、この人ならあれこれ可能にしてくれそうな気がしてたんだけど、肝心の薬が品切れ中ではどうしようもないか。
「ああ、すみません。えぇと、さんでしたか?」
「はい?」
お茶とお菓子のお礼を云って、身を翻そうとしたところ。
穏やかなシオンの声が、にかけられた。
反射的に顔を向け、真正面から彼の目を見、はバッキリ硬直する。
……目、目が笑ってない……!
やんわり細められた目元の柔和な印象に反して、その奥の目は、まるで何かを見透かすようにを見ていた。
そういえば、忘れてたけど、あたし、こないだここでとっても不審人物を演じたような。
・・・・・・やばひ。
頭のなかで、カラータイマー点滅。ぴこーんぴこーん。
「“知り合いに、貴女によく似た人がいるんです”よ。……つい懐かしくなりまして……少し、お話しませんか?」
うっわあ。
そのときの脳裏には、カラータイマーの代わりに、蜘蛛の巣にひっかかった昆虫の心理が働いていたとかいなかったとか。
ことばをなくした少女の代わりに、バルレルが、明後日を見てつぶやいた。
「自業自得。」
うるさいやい。
獅子身中のなんとやらになった気分で、はソルたちを見送り、改めてシオンと向き直った。
だんだん小さくなっていくソルたちは、シオンのことばに不審を抱きもせず、それなら先に行ってるから、と、ありがたいおことばを下さった。
いや、まあ、いないほうが楽っちゃあ楽なんですけどさ。
用心深いくせに、こういうところでは結構アバウトなんですね、あなたたち。
遠い明日の大味だった彼らを思い出し、こんなころから兆候はあったのかと、思わず涙。
アカネもいつかの騒動を思い出したのか、興味津々とふたりを覗き込んでいる。
何を追及されるんだろうか。
ていうか頭上から苦無とか降ってこないだろうな。
あまつさえ一歩でも動いたら、地面から毒ガスが噴出したりとか……!
薬屋の店頭にあるはずのないモノばかりを思い描くは、毛を逆立てた猫のようである。
内心の動揺はともかく、外見はいかにも『くるならこいや』状態。
見え見えの臨戦体制に、シオンが小さく苦笑した。
「……落ち着いてください。別に、スラムの方だからと騎士団に引き渡したりなどしませんよ?」
ちょっぴり、空々しいセリフとともに。
「そ、それはありがたいんですけど……」
どきどきどき。
「プロのシノビ相手じゃ、警戒してもしょーがねえだろ」
そこに、バルレルのつぶやきが割り込む。
っていうかおいこら魔公子、それ爆弾発言!
「バ……ま−ちゃん!」
「ばまーちゃん?」
「合体させんな!」
どもったのことばじりをとらえ、アカネが、何それと首を傾げる。
それにバルレルがツッコんだ。
ああ、なんか、こんなやりとり、ちょっと前にもあったような。
が、途端に騒然とした3人もなんのその、
「やっぱり、気づかれてしまっていたんですねえ」
やっとまともに相好を崩して、シオンがゆっくりとことばを紡ぐ。
えらくあっさり認めたな、隠密行動至上のシノビさん。
彼のことばに、もバルレルもあまつさえアカネも、ばまーちゃん発言は横に置き、薬屋の店長を振り返った。
「そうでなければ、先日、いきなり足を止めて凝視される理由が思いつきませんからね」
まさか、あのわざとらしすぎる理由だなんて思えませんし。
うんうんと一人で納得しているシオンだが、いや、違うんだよ大将。
が、勝手に納得してくれてるのだ、これに便乗させてもらえるならありがたいことしきり。
というより、思考の範疇外なんだろうな。
時間を越えてやってくるような、そんな人間(と悪魔)がいるなんて。
タイムパラドックスよろしく、しれっと過去に混ざり込んでるなんて。
思いもしないんだろうな。
……それは、たしかに、助かることに変わりはないんだけど。
ちょっと――いや、かなり、寂しいというか空しいというか。
「お、お師匠ー! 正体知られたらマズイって、いつも云ってるじゃないですか!?」
師匠の爆弾発言に固まっていたアカネが、ばばっと両手を振り回して叫ぶ。
「彼女たちは、その限りにありませんよ」
「で、でも……」
むしろ彼女の叫びの方が、マズイと思うんだけど。
伝染病を恐れてだろうけど、周囲に歩いてる人がいなかったからよかったものの。もし聞こえてたら、それこそ正体ばらしてるようなものだぞ。
疑問符を大量出現させた弟子を一瞥し、師匠は視線をたちに戻す。
「彼はサプレスの悪魔――しかも、発する気を見るに、かなり上位の存在ですね。彼女にしても、相当剣に熟達していますよ」
まあ、こちらの職業を見破られても当然かもしれません。
……いや、あたしら、未来で大将がばらすまでちっとも気づかなかったんですけど……
かなり。すっごく。とっても。
本来のそれより上に見られてる気がしないでもないを余所に、バルレルはまんざらでもなさそうだ。
「ケケケッ、テメエもたいしたもんじゃねぇか」
オレの実力を見抜くたぁな。
「ええ、シルターンにも種族こそ違えど、貴方たちのような存在がいますからね」
「シルターン……鬼神か」
「そうです。私と彼女は、元々は鬼妖界から召喚されてきたのですよ」
戦いのために召喚されたのですが、当の召喚主がその戦いで命を落としましてね。
仕方ないので、流れ着いたこの街で薬屋などして、生計を立てているわけです。
「・・・・・・」
――さて。
ここに来てようやく、もバルレルも首を傾げた。
いくらなんでも、大将、自分らの事情をぽんぽん話しすぎじゃあないか?
そして思い出す。
いや、姿が重なったと云ったほうが正しい。
誰と? ――ソルと。
いつか訪れた森のなか、自分の手札と交換条件で、おまえたちの手札もさらせと云った彼の姿と、シオンが重なる。
「さて」、
首を傾げたふたりを眺め、シオンがにこりと微笑んだ。
「私の話はこれで終わりです。次は、貴方たちの番ですね」
先日起こった、膨大な魔力の暴走――それに近頃この街で起こっている騒ぎ。貴方たちが関与しているのは間違いないと、私は睨んでいるんですがね?
その笑顔、口調、ついでに、いかにもそれっぽい仕掛けのスイッチにさりげなく置かれた手。
いつかのソルなんて相手にもならない。問答無用とばかりに泰然とした、その姿。
場数も経験も違う。
この人相手に腹の探り合いなんて、たぶん、どっかの銀髪悪魔でもなきゃムリかもしんない。
……恐るべし、大将。