・・・時間は、少し遡る。
倒れたフィズとラミ、そしてレイドの連れ帰ってきたアルバの症状が、メスクルの眠りだと判明した直後だ。
街の薬屋をあたってみようと出かけた数人のなかに、とバルレルの姿もあった。
結果は、キールたちの報告通り惨敗。
けれど。
意気消沈してフラットへ足を向けたとき、は思い出していた。
『あかなべ』
赤いのれんに達筆な筆字、自分が知っているのは蕎麦の屋台のその店だけど。
先日見たシオンとそのお弟子さんのやりとりから察するに、サイジェントの『あかなべ』は薬屋らしい。
でもって、今まわった薬屋のなかに、『あかなべ』はなかった。
の感覚で云えばかなり西洋ぽいこの街で、あの店の様相はどう見ても、一般的な薬屋だと思えないせいもあったのだろう。
こちらがそう思うに至ったのだって、シオンと、弟子のアカネの会話を聞いて確信したからなのだし。
「……バルレル」
前を行くキールたちに聞こえないよう、極力小声でつぶやいた。
「あ?」
こういうとき、人外の聴力持ってる相手ってのは便利だ。
横目で見下ろす視線を感じつつ、は、前方を見ながらさらにつぶやく。
「シオンさんとこ、行ってみよう?」
「あ? ――ああ」
いぶかしげな声はすぐに、得心含んだものに変わった。
「そういや、薬屋か。今は」
「そう。今は」
……1年後に美味しいお蕎麦をご馳走してくれる、本業シノビの大将さんは、今はお薬屋さんなのだ。たぶん。
「キールさん!」
「え?」
なんだい、と、キールが振り返る。
彼の隣を歩いてた、建前上たちの召喚主も以下同文。
どうして彼の名を呼んだかというと、まあ、単に、一番背が高くて白マントで後ろ姿が目立ってからというかなんというか。
本人には絶対云えないけど。
「あの、この間買い物のときに見かけたんですけど、たしかもう一軒――」
薬屋さんがあったような気が、と、はつづけたかった。
実際、つづけようとした。
でも。
「どいてどいてどいて―――――!」
病を恐れてのことだろう、静まり返った道に突如響いたその雄叫びが、にそれを許さなかった。
咄嗟に振り返った先に映ったのは、いつかも見た、オレンジ色の服着た少女。
名前を聞き違えていなければ、たしかアカネといった彼女が、猛スピードでこちらに向けて疾走してくる光景だった。
「うひゃああぁッ!?」
「猛牛かよコイツ!?」
まず他に類を見ない彼女のスピードに怖れをなして、一番手前だったとバルレル、回避成功。
「ちょっ……ちょっと待ってー!」
「うわあっ!」
「きゃああぁっ!」
カシス、ソル、クラレット、同じく回避成功。
「わ……ッ!」
「だあッ!?」
ど ん 。
「あ。」
キール、回避失敗。
「あー……」
軽やかに宙に舞い上がった彼は、放物線のてっぺんで逆光を浴びてシルエットになった。
そして。
ひ ゅ ー ・・・ ぽ て
「……あー……」
何故か、もバルレルも、ソルもカシスもクラレットも。
あまつさえ、ぶつかった当人であるアカネさえ。
きりきり舞って地面に落っこちるキールの姿を、立ち尽くして眺めたのち。
「って! キール!?」
真っ先に我に返ったカシスが、ぐったり伏して動かないキールに駆け寄った。
「ちょっと、キール? キールってば! おーい!!」
がくがくがくがくがくがく。
上体を抱え上げ、肩をつかんで前後に揺さぶり、必死の形相で呼びかける。
「うわちゃあ、ごめん! 成仏してね!」
そんじゃアタシ急ぐから!
そんなカシスとキールに景気よく手を合わせ、アカネがくるりと身を翻した。
ひき逃げする気かあんたは。
これがソルたちだけだったら、足の差もあって、それは成功したかもしんない。
だけども、体さばきに関しては彼女のお師匠さんからお墨付きをいただいた元軍人と、存在自体反則の魔公子が、あいにくその場にはいたのである。
「にーがーしーまーせんっ!」
「ケケケケケッ、カモネギたぁこーいうこったな!」
怖いよあんたら。
「ななな、何ッ!?」
アタシがいったい何したってのよ!
全然自覚のないセリフを吐くアカネに、
「「「キールを跳ねたのはあんただろうがッ!!」」」
と、セルボルトトリオのツッコミが入る。
だけどアカネだって、そこで云い負けるような性格ではない。
カシスの揺さぶりで泡を吹いてるキールを指差し、
「そいつがぼーっと立ってるから悪いんじゃない!」
そう云った瞬間。
「……暴走した馬車が通行人を跳ねたら、悪いのは馬車だと教えたと思うんですけどね?」
――ひんやり。ぴきーん。
不意に割り込んだ声の主に、一気に空気はマイナス10度。
そしてアカネはキールを指差したまま硬直した。
ゆっくりと。
……ゆっくりと。
油の切れた人形さながらに振り返るアカネの視線を追って、たちも首を動かした。
その先、おおよそ30メートル。
ひらひらと、風にはためく赤いのれん。
“あかなべ”と書かれた達筆な文字。
その下に。
にっこりと。
……にっこりと。
微笑みをたたえて愛弟子を見つめる、店の主人が立っていた。