「こんにちはー」
「あら、スウォン。いらっしゃい」
買い物に出ようとしたリプレが、玄関で誰かを迎え入れていて。
誰だろうと思っていたら、その声ですぐに誰だか判った。
中庭でうたた寝していた身体を起こし、は、家の角からひょっこり頭を覗かせる。
朝食終わって片付けも終わって、掃除も終わった、もうお昼に近い時間だ。
白墨を走らせていた板を床に置き、わらわらと、ハヤトたちもやってくる。
お天気がいいから、今日は庭でかきかたの勉強をしよう、ってことになったのだ。
召喚術について学びたいというハヤトたちの熱意は良いが、手習い程度ならともかく、本気で学ぼうと思ったら、字の読み書きくらい出来なきゃ話にならない。
レポートにまとめることによって学んだことを整理するのだって必要だし、それを添削してもらうのだって大事。
そして、レポートは、見せた相手が読めなきゃ意味がない。
故に、近頃ハヤトたちは、召喚術とかきかたの勉強を交互に繰り返しているわけだ。
総勢8人が頭寄せ合って勉強会している構図というのは、端から見てもかなりユカイである。
「あ、スウォンだ。やっほー」
真っ先に頭を出したナツミが、玄関口でリプレと話す少年を見つけて手を振った。
「こんにちは。皆さん」
すっかりフラットにも馴染んだスウォンが、応えて、にっこり頭をさげる。
手にしているのは、念のためだろう弓矢の装備。あとは、ちっちゃな何かの楽器。
この間来たとき子供たちにせがまれて、中庭でミニ演奏会をやってたような気がする。
「はい。子供たちの分をつくったので、持ってきたんです」
問えば、お返事は予想どおり。
「アルバは道場に行ってるけど、フィズとラミなら部屋にいるわよ。えっと……あ、モナティ!」
「はいですのー」
「きゅきゅー?」
自分が呼びに行くつもりだったのだろうけど、ちょうど、モナティとガウムがとおりかかったらしい。
孤児院のほうへ身体を向けたリプレの声に、奥から応える一人と一匹の声。
そういえば、今日は珍しく破壊音がしなかった。
モナティもがんばってるなあ。
ぱたぱたぱた、と、軽い足音が玄関に近づく。
たちの位置からでは姿の見えないふたりに向かって、リプレが、フィズとラミを呼んでくるよう頼んでいる。
「判りましたのー!」
元気な返事と同時に、再び足音が遠ざかる。
孤児院の中庭に鈴なりになったたちは、何をするでもなし、そのやりとりを見守っていた。
「せっかくスウォンさんも来られたんですし、このまま休憩してフィズちゃんたちと遊びましょうか」
ふと思いついたように、アヤが指を立てた。
そうだね、と、トウヤが頷く。
楽器の練習はたぶん中庭でやるだろうし、それじゃあ、ちょっとあのへんの板とか白墨片付けようか、と、一同が腰を浮かしたときだ。
「たっ、たいへんです! たいへんですの〜〜〜!!!」
「きゅきゅきゅきゅーーーーっ!!」
どたどたどたどたどたどた!!
ぽんぽんぽんぽんぽんぽん!!
行きは軽やか帰りは騒音♪
どっかのメロディに乗せて、そんなわけのわからん歌を思いつかせてしまう勢いで、モナティとガウムが玄関に全速ダッシュで戻ってきたのである。
あとは任せて買い物に行こうとしていたリプレは、思わずつんのめりかけていた。
……そんなちょっぴりほほえましい雰囲気も、次の一言で、あっという間に崩れ去る。
「フィズさんとラミさんが、お部屋で倒れてて目を覚ましてくださいませんの〜!!」
困った。これは困ったかなり困った。
重苦しい雰囲気に包まれたフラットの食堂のなかで、皆、頭を抱えていた。
特にリプレなぞ、今にも泣き出しそう。普段の明るい彼女を見慣れているだけに、かなり痛い。
誰一人としてことばを発さない――発せないなか、がちゃり、と、鈍い音をたてて扉が開いた。
ばっ、と、テーブルの上で組んでた手を解き、リプレが立ち上がる。
「レイド! アルバはっ!?」
「……どうやら、同じ症状らしい」
彼女が立ち上がった拍子に、テーブルに置かれていた弁当箱がふたつ揺れた。
剣術道場へ行っていた、レイドとアルバのために用意されたものだ。
そう。
本来なら、この時間にレイドたちが戻ってくることはない。
「まずいことになったもんだなあ」
「俺っちたちのところでも、何人か倒れたって云ってたけど……」
腕を組んでうなるエドスも、頭を乱暴にかきむしってるジンガも、こんなに早く仕事が終わることはない。
「……“メスクルの眠り”か……」
ぽつりとつぶやいたトウヤのことばが、重々しいその場の空気を、さらに深めたのである。
――メスクルの眠りと呼ばれるそれは、一種の伝染病だ。
名前のとおり、かかったものは昏々と眠りつづける羽目になる。
それだけならかわいいものだが、タチの悪いことに、眠りつづけた挙句に死に至らしめるのがこの病気の最大の難点。
抵抗力の薄い子供たち……ここでいうならフィズやアルバ、ラミが、真っ先にその餌食になった。
エドスやジンガ、それに出かけていたガゼルの証言によれば、すでに、街中広まっているらしい。
症状がかなり進んで危ない者も、ちらほら出ているそうだ。
ただ、不治の病というわけではない。
適切な薬を用いれば、比較的容易に治すことが可能だ。
問題は――
「すまない、やはりだめだった」
街中の薬屋をあたってみたんだが、とっくに貴族たちが買い占めていた。
そんな報告と一緒に、キールたちが戻ってきて、室内の空気はますます重さを増していく。
そう。
唯一にして最大の問題は、肝心の薬が手に入らないということなのだ。
「どうしよう、このままじゃあの子たち……!」
とうとう、リプレの目から、大粒の涙が零れようとしたときだ。
「……あれ?」
ふと、スウォンが、何かに気づいて声をあげた。
モナティの叫びのあと、ほとんどなしくずしにこの場にいる彼は、この場に戻っていないふたりのことに気づいたのである。
「さんとまーさんは……」
その名を、彼が紡ぎかけたとき。
ばた――――ん!
盛大な。
そりゃあもう、盛大な。
驚きすぎて、リプレの涙があっという間に引っ込んだくらい、盛大な。
玄関の扉が開く、音がした。……っていうか、すでに爆音に近い。
ばたばたばたばたばたばた!!
続いて、廊下を全力疾走する足音。
そして。
「スピネル高原と薬草にアカネさんとりに出かけてきます!!」
「意味わかんないってそれじゃ!」
赤い髪振り乱し、少女ふたりが駆け込んできたのは、その直後だったのである――