「。それ、とってくれ」
「はいはい、どうぞー」
「ねえ、まーちゃん、これ好き?」
「ふざけろ。食えねえモンをオレに寄越すな」
「おのこしはダメよ、そこ」
わいわいわいわい。
「・・・・・・・・・・・・」
「ご主人さ……マスター、どうしたんですの?」
ぽかーん。
そんな擬音も相応しく、食器を手にしたまま固まっているハヤトに、モナティが声をかけてきた。
のんびりした彼女の声に、はた、と彼は我に返る。
その横で脱力したナツミが、うりうりとモナティに攻撃をしかけていた。
「モーナーティー?」
「ごめんなさいの、まちがえちゃいましたのー」
げんこつぐりぐりなんてされてるものの、ちっとも痛くないらしい。
てへ、と、こぶしをふたつ口元に当てて、モナティ、少し眉を下げてそう云った。
おかげでハヤトは、モナティがフラットにやってきた初日を思い出してしまったのである。
いったい最初の召喚主がどういう教育をしたのか知らないが(あとで聞いたらそれが召喚師と召喚獣の慣例らしい。ヤな慣例だと思った)、モナティは、ハヤトたちを『ご主人様』と呼ぼうとしたのだ。
それは恥ずかしい。いくらなんでもこっ恥ずかしい。
男子高生がそんなふうに呼ばれて、平然と会話なんてしてられるか。トウヤもさすがに絶句してたし、アヤとナツミなんか目を丸くして固まってた。
別のにしてくれと頼み込んで、ご主人様からマスターになったのは、その数分後。
ガゼル曰く「お偉くなったもんだな」だそうだが、どこが偉いのか説明してみろって気分である。
「ご主人様はやめてくれよな、頼むから」
苦笑して、テーブルの中央、大皿に盛られた野菜に手を伸ばす。
一日のエネルギーは朝食から、という大原則に基いて、フラットの朝食はボリュームがある。
人数が多いせいもあるが、リプレが一人分として用意する分量が、ハヤトたちの世界とは段違いなのだ。
肉体労働に出かける人もいるから、なんだろうけど。
ちらりと視線を動かした先には、エドスとジンガがいる。
同じ職場で働いているせいもあってか、彼らの朝の会話は、その日の仕事の流れの打ち合わせが多い。注意して聞いてると、どちらが多くやり遂げるか勝負だ、とかなんとか、ほほえましいものもたまに。
……というか、エドスとジンガの腕力がほぼ同じってのが、なんかスゴイ。
エドスはともかくジンガ、成長したらいったいどれくらいの怪力を誇るようになるんだろう。
「ハヤト、バン屑こぼれてる」
「あ、ごめんっ」
手付かずのままだったパンが一欠けら、さみしそうにテーブルに落ちた。
目ざとく見つけたリプレの指摘に、慌ててそれを拾い、口に運ぶ。
毎日ちゃんと拭き上げられてるテーブルだし、ハヤトはそもそも、そういうのを気にするほど潔癖でもない。
「おまえがぼーっとしてるなんて、珍しいな」
一連の経緯を見てたのか、く、と喉を鳴らしてソルが云った。
「……あー、うん」
原因はおまえたちなんだけどなー。
とはさすがに云えず、ハヤトは曖昧に頷くだけに留める。
朝食の順番だからとはいえ、ここにアヤとかトウヤとかがいないのが、とっても惜しかった。
まあ、次で彼らも驚くことになるだろうから、先んじて見てたってことで溜飲は下がるかもしれないけど。
だってなあ――
もくもくとパンを口に運びながら、ハヤトはちらりと視線を動かす。
「?」
視線に気づいた相手が、疑問符を乗っけて首をかしげてみせた。
なんでもないよ、と、笑ってみせると、彼女もにっこり笑って返す。
……既視感。
記憶の底にうずもれた、それは、遠い日の映像。
――勇人兄ちゃん
そう彼に呼びかけて、にこにこ笑っておっきなランドセル背負って、教室の入り口で手を振ってたのは――
いなくなったときこそ大騒ぎになったけれど、時が経つうちに、だんだんと。盛っていた火が小さく消えていくように。
……それが悔しくて。覚えておこうって、強く思った、遠い記憶。
「ハヤトさん?」
ほんとになんでもないんですかー?
「わ!?」
「うわ!」
いつの間に目の前にきたんだろう。
それだけ、自分がまた、ぼうっとしてたってことなのか。
ぱたぱた振られる手に気づき、すぐ眼前にある顔に気づき、ハヤトは椅子の足と床のこすれる音も高く、冷や汗流して後ずさっていた。
ちょっと過剰すぎるくらいのその反応に驚いて、手を振っていた当人――も驚いて身を退いている。
そして集中する視線。
「何やってんのよー」
あははっ、と、笑いながら云うのはカシス。
「ハヤト、なんだか変よ?」
「まだ頭が寝てんじゃねーか?」
リプレとガゼルのダブルアタック。
「バーカ」
三つ目をみっつとも半眼にしたまーちゃんが、心底呆れた表情をつくる。
何も云わないけどくすくす笑うその他の人々も、彼らと同じ心境でいるのは、思いっきり明らか。
「う……」
ぐうの音も出ず首を縮めたハヤトの代わりに、が、むっと一同を見渡した。
「違いますよー! 今のは、あたしが脅かしたからですって!」
「でも、さっきから、何かぼーっとしてるのは本当だろ?」
「何か悩みでもあるのか?」
意地悪げに笑ってソルが指摘すれば、レイドが気がかりそうな目を向ける。
特にレイドの場合、先日アルバと剣術道場の件でひと悶着あったから、まだその名残もあるんだろう。
(と、まーちゃん?)がアルバの相談に乗って、それは解決したらしいけど。
「いや、悩みとかそういうんじゃなくってさ」
「どこか体調が悪いとか?」
「違う違う」
首を傾げたの肩で、赤い髪がさらりと揺れる。
赤と緑。
これほど隣に並んで合わない色同士もあるまいに、のそれはしっくりきてるのが、なんだか不思議。
心配そうな緑の双眸が、ハヤトの答えに、安堵に似た感情を浮かべてた。
「なんかさぁ」、
その変化に後押しされ、ハヤトはようやく、放心がちな理由を口にした。
「ソルとカシス……なんか、随分気ィ抜けた感じで笑うようになったなー、って」
「俺?」
「あたし?」
ぴこぴこフォークを振り回して示した(良い子は真似するな)ふたりは、予想外だったらしいそのことばに、目をまん丸にしてそう云った。
「うん、俺がそう思っただけなんだけどさ。なんて云うか、今まで背負ってた縦線が、5本から3本に減った感じ?」
「何だそりゃ」
ガゼルがテーブルに上体落として、疑問顔。
リィンバウムにマンガはないのか。
「……よく判らないけど、キミの云いたいことは判ったよ。うん。」
あたしたちが、なんだか陽気になったってことなんだね?
ぴん、と跳ねた髪一房を揺らして、カシスが微妙な角度で頷いてみせる。それは首をかしげたのか、それとも正真正銘頷いたのか。
ソルが、ああ、とそれに追随する。
「実に優秀な護衛獣がついててくれるな、と、最近つくづく実感したからな。それでだろ」
「護衛獣って……」
「あたし?」
「オレが?」
こら、まーちゃん。その、心底イヤそーな顔はなんだ。
そんな穏やかな朝の光景に、ことは、思わず笑みをこぼしていたのだった。――昨夜の彼らとの会話を、こっそり思い出しながら。
信じるよ、と、彼らは云った。
彼らが自分たちを信じてくれる、その、何分の一かもないだろうけど。
――セルボルトの名を知ってる理由
――自分たちに近づいた理由
自分たちが彼らに話さないでいるように、君たちが自分たちに話さないでいることがある事実も含めて。
彼らに応えるためにも、自分たちは君たちを信じるよ、と。
そう彼らは、云ってくれた。それがきっと、今朝のソルやカシスの雰囲気を生んでくれたのだろう。
ちなみに蛇足だが、朝食二番手の順番だったアヤとトウヤは、やっぱりクラレットとキールを見て、目を丸くしてたんだそうだ。
ツッコミ役は、主に子供たちだったらしい。