まーちゃんは相変わらず、顔色も変えずに酒をあおっている。
えらくご機嫌そうに見えるのは、月光に含まれるマナのせいだけじゃないだろう。
その隣、ちょこんと座したはというと、最初の数杯以降は酒を口にしていない。
「酒を趣味にするのは早い、って、養い親が云うもんで」
と、えらく幸せそうに云ってくれたのが、やけに微笑ましかった。
「んで、何が訊きたいの? はさ」
すっかり出来上がったカシスが、にしなだれかかる。
これまでの、一歩置いた感が薄れてるのは、何もアルコールのせいだけではあるまい。
妹の様子を見守る他の兄弟も、何気にくつろいだ表情だった。
応えて、はにっこり笑う。
「夕方、カシスさん、あたしたちの話聞いてましたよね?」
「あ、うん。魔王のどうのって聞こえたから、やっぱり気になって」
「……どこから聞いてました?」
なんとなし、の目が笑ってない。
「どこって――そうそう、たしかまーちゃんがねえ」
ちょっぴり張り詰めた彼女の空気には気づかず、カシスは、傍の悪魔を指差した。
「“魔王も天使もねえ”って云ったところからだよ。ああ、ハヤトたちの力のこと云ってるんだなあ、ってすぐ判った」
「……あ、そうなんですか」
張り詰めた空気、きれいに霧散。
とまーちゃん、ひそかに目と目を見交わして、肩を上下させる。
「それだけなんですか?」
逆に、怪訝な顔になって問いかけるのはクラレットだ。
私たちに攻撃される可能性もあったのに、それを聞くためだけに、賭けに出たんですか?
クラレットの目は、そう語っている。
とまーちゃん、今度は隠さずに顔を見合わせて、肩をすくめた。
……だって、判ってる。知ってる。
遠い明日を。
あたしたちにとっての現在だった、あの日々を。
どんなに、あなたたちが強く在ったか。
どんなに、あなたたちが幸福そうに笑っていたか。
どんなに、あなたたちがあたしたちを助けてくれたか。
覚えてる。信じてる。
予想外の火種ふたつの介入があったって、きっと、あの日に辿り着いてくれるって。
そんな人たちだから、いくら逆鱗の直近突かれたからって、問答無用で口封じに出るとは思ってない。
あわよくばトウヤたちを殺そうともしてた、とか、荒野で姿を見せたときに自分で云ってたらしいけど。
……だいたい。
血も涙もない人間なら、そもそも路地で行き倒れかけてる浮浪者に、パンくれたりするもんか。
肩をすくめるふたりを見て、ソルたちが、まさか本当にそれだけか、と、呆れた表情になるのが見えた。
んだけども、違うんだな。これが。
「まだありますよー」
「どんな?」
酒に飽きたのか、スモークチーズを片手に持ったキールが問う。
「最近のことなんですけど。サイジェント付近で、真っ黒い何かに、心当たりはありませんか?」
「・・・まっくろ?」
「心に闇を抱えてるニンゲン、ってこった」
ちろりと舌を唇に這わせて云うバルレルを、は見上げて苦笑する。
そんなに美味しかったのか、あのときのアレは。
総毛立つほどの憎悪と嘆き、伴って吹き付けた冷気。――触れた深い闇。
「テメエらかと思っちゃみたんだが、違うんだよな」
どっちかていうと、テメエらはまだ、縁でギリギリ踏みとどまってる感じだし。
いっそ吹っ切れりゃ美味いんだが――
「こら」
ずびし、と、眉間にチョップ。
しようとした手は、あっさり、空いてる側の手のひらで防がれた。
まあ、命中してたら三つめの目にも当たったろうから、防ぐのは当然か。
しかも、反撃とばかりにどつかれた。
「〜〜〜〜」
涙目になって頭を抱えたを、当然だとばかりに一瞥して、バルレルはソルたちに視線を戻す。
「かといって、そこらのヤツだってのは考えにくいしな。テメエらに心当たりがないかってのが、用件ふたつめだ」
「真っ黒――」
「真っ黒……?」
一人、知ってるけど。
あの人がわざわざ、ここら辺まで出向いてくるかなあ。
「――それって、あたしたちの父様なんだけど」
「あー、やっぱその説ですか」
最初の儀式の実行者。
でもって、最後の儀式の実行者。
ん?
何かが心に引っかかる。
んん?
何かを見落としている気がする。
んんん?
それは、未来と今とで充分ヒントが出てるもののような。
だけど、何故だかそれを避けて通ってるような。
煮え切らない、妙な感覚。
「……父上のもとには、俺たちの方から出向くんだ。自らやってくることはないはずだが」
がそれを見つけるより先に、ソルが云った。
「いいのかよ、そんなんまでばらして?」
バルレルが茶化すけど、
「共犯者だって云ったじゃないですか」
苦笑するキールの横で、クラレットが淡く微笑む。
にへばりついていたカシスが、姉のことばと同時に、身体を起こした。
「そう、共犯者!」
唐突なそれに、全員の視線がカシスに集中する。
「つまり、とまーちゃんは、あたしたちのウソに付き合ってくれるってこと?」
あたしたちはまだ、彼らに本当のこと云う勇気はない。
このまま、彼らの世界への門を開く手段を見つけて、何も告げずに手を振って別れられるなら、それがいいって思ってる。
こっち側の闇にまで、踏み込んでほしくないから。
あの人たちには、明るい場所で笑ってるのが似合うから。
笑ったままで別れたい。
本当のこと云ったら、もう、軽蔑されちゃうかもしれなくて。そんなことに巻き込んだ罪悪が、あたしたちを潰すかもしれなくて。
臆病だってそしられてもいい。
あの人たちが笑っててくれたら、あたしたち、今は、それだけでいい。
最初は淡々と、半ばからは切々と告げるカシスのことばに、彼女の兄弟たちは黙って頭を垂れていた。
同じ気持ちなんだろうな、と、でも判る彼らの心。
「……好きなんですね」
「うん」
大事な幼馴染みとその友達を、そんなに思ってくれるのが、とても嬉しい。
この人たちは、こんなにも一所懸命だ。あの人たちを守るために。
義務感とか、責任感とかだけじゃなくて。
あたしたちも、一所懸命にならなくちゃ。
過去を変えたくないからじゃなくて、来て欲しい未来を守るために。
だから、は、手を伸ばしてカシスの頭を軽くなでる。
「付き合います。――っていうか、付き合わせてください、むしろ」
そうでなきゃ、訪れない明日がある。
「本当云うと、あたしたちの持ちネタ、今ばらしたりしていいのか判らなかったんですけど」
そんなこと云ってたら、元々ありえないこの存在、どこで見切りつければいいのかさえ判らない。
「でも、ひとつだけ、はっきりしてることがありまして」
「それは?」
「あたしたち、きっと、カシスさんたち以上に大嘘つきな野郎だってことです」
でもってそれをつき通すことが、あたしたちの一所懸命。
つまり。
「それ以外なら、いくらでもちょっかいかけて良しってことです! そう決めました!」
だからカシスさんたちも、そのウソに触れない部分でなら、もっとみんなと一緒にバカ騒ぎとかしたほうが気分転換できますし前向きですッ。
それに、ホラ。
あなたたちの抱いたもの、一部だけど、あたしたちが知ってます。
自分たちだけが抱えてるときより、ちょっとは、気楽でしょ?
「あたしたち、これで正真正銘、ウソつき仲間ですし!」
握りこぶしつくって力説したところ、とりあえず、固まったセルボルトさん(複数)より先に、耐性のあるバルレルが動いた。
べしーん。
と、さっきの比でない後頭部どつき音が荒野に響く。
「テメエは結局そういう単純な部分しか、行き着くところがねえのかよ!」
「あははははっ、これがあたしだ文句があるか!」
「大有りだァァァッ!!」
このノリでいくと、もしここにちゃぶ台があれば、世にも珍しい魔公子のちゃぶ台返しが見れたかもしれない。
が、生憎ここは荒野。
しかも真夜中をとっくに過ぎている。
獲物を探して一瞬彷徨った、魔公子の視線がとらえたものは――
目の前で飛び交う、空になった酒瓶とか杯とか、あと肴の残骸とか。
月明かりを浴びても、風情もへったくれもないその光景に、セルボルトさん(複数)の放心はよけいに深まっていくばかり。
「……あ」
でも。
「そうか」
だけど。
大きな秘密を抱えてるくせに、ウソつきに付き合ってくれるくせに。
どうして、君たちはそんなふうに笑えるのか、って、前に思ったけど。
それは、抱えるものの差だろうか、と、考えたけど。
「そっか……」
そうすることが、自分たちの欲しい明日に繋がる道だって、たぶん、知っているからなんだね。
――いつか。
俺たちも、そう思える日が来るだろうか。
――いつか。
私たちも、心からあの人たちと向かい合えるときが来るだろうか。
――いつか。
僕たちは、彼らに、すべてを告白する強さを持てるだろうか。
――いつか。
あたしたちは、選ぶことができるだろうか。
絶対たる父と、――笑いかけてくれる彼らと。
どちらも失わずにすますには、名も無き世界への門を開くこと。
それが、一番穏便な方法で――一番、絶望的な方法。
だけどそれが叶わず、どちらかを選ばなければいけないときに。
自分たちは、どちらを選ぶだろう。
……答えは、もう、このとき出ていたのだろうか。
後になって、何度かそう自問したけれど、いつも、解はひとつだった。
「……とりあえず」、
ヒュン、と、目の前を通り過ぎる酒瓶を眺めて、ソルが眠そうに云ったのは、
「おまえら、いい加減にやめたらどうだ……?」
そろそろ、夜も明けようという時間だったことを、念のために記しておく次第である。
ところでセルボルトさん(複数)。
なんでとまーちゃんが、君らの事情と家名を知ってるか、追及はしなくてもいいのかい……?