――どがぁッ!
爆音は。
紫の光の源からではなく、玉座の天井からとどろいた。
もはや轟音に等しい音は、その場にいた全員の耳に影響を与えた。
わんわんと、耳のなかで虫が飛びまくってるような耳鳴り。
おまけに、天井からもうもうと舞い落ち、また床についた刹那再び舞い上がる煙が、煙幕よろしく全員の視界を奪う。
「煙玉……!?」
結局アカネ共々シノビとしての本業をハヤトたちにばらし、戦いに参加していたシオンが叫ぶ。
そう大きくないながらもとおりの良い彼の声は、けれど、さきほどの轟音のおかげで妙にノイズがかって一行に届いた。
「な……何……?」
呆然と、ナツミがつぶやく。
今の音で我を取り戻したのだろう、心に受けた衝撃は消えたなどないだろうけど、ハヤトたちもソルたちも、きょろきょろと辺りを見渡している。
――そこに。
響く足音。ふたりぶんの。
そして、声。
「逃げて!!」
少女の声。ノイズがかかっていても、はっきりと判る――少なくとも、アヤには。
「ちゃん!?」
無事だったんですか!
魔王の力とか、ソルたちの血とか、そんな衝撃から抜ける受け皿を見つけた、彼女の声が張りを取り戻した。
こんな状況ながらも、同じように、一行の雰囲気に安堵が混ざる。
カイナやエルジンたちは初めて聞く人物の声に、一瞬だけ警戒を見せたけど。
アヤのことば、また周囲の人々の反応から、すぐにそれを解いた。
「オルドレイクは食い止めるから! 逃げて!!」
声の方向に駆けようとする彼らの足を留める、強い声が再び、煙の向こうから。
「お……おまえらは、それからどうすんだよッ!?」
「君たちも、早くこい!」
ガゼルとレイドの叫びは、しごく当然だった。
捕えられたと聞いて心配していた相手が、(おそらくだが)元気で出てきたのだ。
でも。
煙の向こうのふたつの気配は、動く様子さえない。
あげく、だんだんと苛立ったような声で、
「いいから逃げてってば!」
などと叫ばれる始末。
「そんなこと、出来るわけないでしょ!?」
「に……逃げるならキミたちも……!」
ナツミとカシスの叫びにも、けれど、煙の向こうの気配は応えない。
けれど。
頑として動く気配のない一行に、業を煮やしたのだろうか。
――ふ、と。
妙に生ぬるい笑みのようなため息が、煙の向こうから聞こえた。
それにしても、だ。いくら埃が大量だったとしても、こんな長時間、舞いつづけるわけがないのだが。
立て続けの出来事に意識を奪われた一行は、そのことに、誰も気づかないでいる。
気づいていたら――もしか、ふたりは姿を見せたくない理由があるのだろうかと、普段冷静な何人かは気づいたかもしれない。
だが、この場でそれを要求するのは、少し酷か。
だから誰も動かない。
煙の向こうのふたりがこちらに来るまで、待つのだとの気持ちもあらわに。
――けれど。
「今のあなたたちじゃ、この人とまともに戦えないっ!」
あなたたちがここで死んじゃったら、誰がこの街とか世界とか守るんですかッ!?
やっと口にしてくれた“逃げて”以外のことばに、ぐ、と何人かがことばをなくす。
それは騎士団長であるイリアスや、彼の従者であるサイサリス。
かつてはこの街の騎士であったラムダやレイド、そうして、エルゴの守護者であるエルジンたち。
「――待ってるから!」
そこに重ねて、響く声。
「儀式場で……あなたたちが来るのを待ってるからっ!」
「ほう……新たな魔王の器の一となる覚悟、身に抱いたか」
昏いよどみをたたえた声が割り込み、ハヤトたちの足を、別の意味でその場に縫いつけた。
「新しい魔王――!?」
「器って……!!」
口々にこぼれる問いかけ。
でも、少女の声がそれを遮る。
「逃げて!」
再び響いた声は、涙に濡れていた。
「今は逃げて! お願いだから!」
「…………」
「逃げてッ!!」
「……――っ!」
ダッ、と、床を蹴る足音が、場のそこかしこから響いた。
やっと動き始めた彼らに伝わるのは、煙の向こうからの安堵の息。
その背に、おぞましい声がする。
「我が子らよ……その者たちの始末は任せよう」
儀式の失敗を償って、我らのもとへと帰ってくるのだ……!
それを振り切るように、一行は走った。
「……ちゃん!」「まーちゃん!」
煙を突っ切って、玉座の間の入り口に到達したと同時。
アヤとハヤトは同時に振り返る。
感じる、ふたりの気配へ向けて。
懸命に声を張り上げる。
「きっと助けに行くから――!!」
その声が最後。
ひとつ、またひとつと、気配が玉座の間を抜けて、消えていく。
城内はそうして、再び静寂に包まれる。
――最後のひとつが城を駆け出たときになって、やっと、その場一帯を覆っていた煙が晴れた。
「ちくしょう、強情なヤツら……」
延々と、魔力でもって煙幕を保っていたバルレルの、疲れた声。どちらかというと精神的に。
「……さ……」
そして、床にべったり、膝と手のひらをついたの、小刻みに震えつつの声。
ぼたぼたと床に落ちて水溜りをつくるのは、大量の涙。
「さぶいぼ出来た……」
同時に、バルレルがぼりぼりと腕をかきむしる。
睨んでいると云ってもいい勢いでを見下ろし、
「テメエッ! オレにまでうつしてんじゃねえっ!」
むず痛痒い、そんな表情で怒鳴りつける。
「うっ、伝染せるものじゃないでしょー!?」
そっちが勝手に、じんましん出してるだけじゃない!!
溢れる涙を拭おうともせず、髪振り乱して、はバルレルを振り仰ぐ。
その、笑い顔とも泣き顔ともつかぬ表情はどう見ても、さっきの、切々と心に訴える叫びを発したのと同一人物とは思えない。
身体の震えはいまだ止まらず、起き上がる根性さえもどこかに消えた。
一瞬だけ持ち上げた首は、けれど、すぐにまた落ちる。
それどころか、ずるずると、悪魔と少女はその場に崩れ落ちた。
「……あ、あんな、こっ恥ずかしいセリフ……きっともう一生云えない……」
「聞いてるコッチが、よけいクソかゆいっつの……」
「…………」
ぽかーん、と。
そんなふたりを眺めているのは、当然、彼ら以外でこの場にいる唯一の人間。オルドレイク。
あまりと云えばあまりの雰囲気破壊っぷりに、自分のペースを保つことも出来なくなったようだ。
さもありなん。
煙によって、彼もまた視界を奪われていた。
その向こうで展開されたことばのやりとりは、さぞかし悲嘆に暮れたものであったろうと、想像していたからこそ。
命がけで残ったはずの、このふたりの様子はどう見ても、ヘタな芝居をうったあと、自己嫌悪に陥ってる一般市民だったから。
「……あの……」
普段なら絶対使わないだろう呼びかけに、ふたりが、死んだ魚のような目をオルドレイクに向ける。
たいていのことでは揺るがない彼も、思わず一歩あとずさった。
「えっと……とっつかまえてもいいかな?」
「「どうぞ」」
でなきゃ残らないっつーの。
ぐったりと床に寝そべったふたりは、数分後、幸いにもその光景を目にすることがなく、故に精神的ダメージも受けずにすんだ無色の派閥の者たちによって、再び牢に押し込められた。
悪魔の魔力塊によって破壊された檻は使えず、別の部屋に移されたが、どうせそう長いことでもあるまい。
少女が発したことばのとおり、儀式の準備はもうすでに、ある場所にて始まっているのだから――
だけど。ちょっぴり。
ほんとーに、こんな奴らを魔王の器に使っちゃっていいのかなー、と。
オルドレイクが星空を見上げて考えていたことを、知る者は誰もいない。
が、もしも彼曰くの“こんな奴ら”がそれを知ったら。
『いいわけないじゃん』
そう、声を揃えて云いそうではあるが、それはそれで真実なのだ。