澱んだ魔力。
歪んだ意志。
そんなことばを具現したかのような存在が、その場に姿を見せていた。
気の昂ぶりを持て余すバノッサを諌め、奥に下がらせる。カノンはそれについていった。山といた悪魔たちも、それを機に一体、また一体とどこへとなく姿を消す。
残ったのは、オルドレイクと彼らのみ。
(……オルドレイク)
そのタイミングのよさに、は眉をしかめる。
だが、眼下の彼らはそんなことなど気づく由もない。
彼の唐突な登場、そして打ち込まれた魔力によってバノッサは退き、戦いはおさまったものの、緊張は消えない。
それどころか、新たな緊迫が、それまで以上の重圧をハヤトたちに与えていた。
(キツイな、ありゃ)
初めて見るヤツにゃ、毒だろうよ。
バルレルのつぶやきに、初めて路地で遭遇したときを思い出す。……うん。たしかに結構怖かった。
それでも、一行は必死にそれを跳ね除けてオルドレイクに相対していた。
「貴様が、黒装束どもの親玉か!?」
鋭いラムダの声に、オルドレイクは鷹揚にうなずく。
「いかにも……」
我が名はオルドレイク。セルボルト家の当主だ。
「おまえがバノッサをそそのかしたのかっ!!」
「よせ、エドス!」
とたん、エドスが床を蹴ってオルドレイクに向かう。
レイドの制止も間に合わず、彼の巨躯が見る間にオルドレイクへと迫り――
ばぢぃっ!
肉眼では判別しづらい、おそらく魔力による障壁がエドスを弾いた。
「ぐぅッ!?」
「愚かな真似はよせ……次は手加減せぬぞ?」
床に転がる彼を眺めるオルドレイクの目は、まるで地虫か何かを見ているようだ。
「貴様の目的はなんだ、オルドレイクッ!?」
「この世界を滅ぼし、新たな世界をつくりだすことだ……」
イリアスの問い。
そうして返された答えに、誰もが目を見開いた。
「馬鹿な! そんなことが人間の力で――」
フフフ、と、ギブソンのことばを遮って、オルドレイクは笑う。
「たしかに、人間の力では不可能だろう」
だが、悪魔の力ではどうかな?
「悪魔……!?」
「世界を滅ぼすは、魔王。我らによって召喚される、サプレスの悪魔を支配する存在」
「そんなものが……それこそ、人間の召喚に応えるわけがないでしょう!?」
「出来るのだよ」
ミモザの叫びにも、オルドレイクは動じない。
逆に、笑みを深くするばかり。
「我らは何年もかけて、そのための準備を進めてきた」
それに、目論見どおりはいかなかったものの、一度はその儀式を実行しておるのだよ。
絶句した一同を愉快そうに見やり、ことばは続く。
「――そうであろう? 我が子らよ」
(うわ!)
(云いやがった)
オルドレイクが、立ち並ぶソルたちに向けてそう呼びかけた瞬間、空気が凍結した。
動かぬ子供たちへ向けて、少しばかり気分を損ねたらしい彼の追い打ち。
「答えよ! ソル、キール、クラレット、カシス!」
名前を呼ばれ。
ますます、一行のうちに驚愕が広がる。
いつの間にかうなだれていた4人に、全員の視線が集中した。
「……そのとおりです……父上」
俯いたまま、キールがつぶやく。
「うそだろ……?」
呆然としたガゼルのことばは、無自覚のままに発されて溶け消える。
それをとらえたオルドレイクは、けれど律儀に応えて。
「嘘ではない。ソルたちは、魔王召喚の儀式の最高責任者だったのだ」
奪ったサプレスのエルゴを用い、魔王を喚ぶための儀式のな。
「じゃあ、サプレスのエルゴが失われたっていうのは!?」
判りきったことを――
ミモザに向けられたオルドレイクの目は、そう云っていた。
「儀式が失敗したせいだ。……つくづく、惜しいことをしたものよな」
「何もかもが、貴方たちの仕業だったのですか!」
「フン……おまえたちに、我らの崇高な目的など理解できまいよ」
「理解なんて出来てたまるかッ!」
ハヤトが云い放つ。
衝撃と驚愕を、そのまま怒りにすりかえて。
「あんたたちの勝手で、この世界を滅ぼされてたまるもんですか!!」
ナツミが怒鳴る。
ふたりのなかにある力が輝きだすのを、たちは見た。
けれど、それが発言する前に、察したオルドレイクが口の端をさらに持ち上げる。
「……ほう?」
「何がおかしいんです!?」
キッ、とオルドレイクを睨みつけて、アヤ。
彼女もまた、力をぶつけようと高めている途中だ。
「ふふふ……これが、一の魔王の力というわけか……なかなかのもののようだな」
「魔王――?」
「え……!?」
フ、と。
高まろうとしていた力が消える。
呆然としたハヤトたちを、オルドレイクは嘲笑う。
「まだ気づかずにいたのか? おまえたちの使う力は、サプレスの魔王の力の一部よ」
「なんだって……」
トウヤの声にはもう、力が感じられない。
「おまえたちは、誓約者などではない」
偶然、魔王の力の一部をそれぞれ身に宿してしまっただけの存在。
「いわば、出来そこないの魔王なのだ!!」
「うそだっ! こいつらは――」
「ならばその力はなんだというのだ?」
「っ」
オルドレイクの告げることばの一つ一つは、まるで毒薬。
一同の心を侵蝕し、その気持ちを萎えさせていく。
くってかかろうとしたガゼルもまた、発しようとしたことばを飲み込んでこぶしを握りしめるばかり。
「おまえたちもまた、一つの魔王よ……だからこそ、キールたちはおまえたちに近づいたのだ」
我々の役に立つ存在かどうか、見極めるためにな。
「だが、ここではっきりした」
瞬時に声の調子を変え、オルドレイクは告げる。
氷のようなそれは、心臓を貫くほどに冷たい。
「新しき魔王召喚の贄にでもなるならと思ったが、あの者たちほどの適性はなさそうだ」
あの者たち――?
誰かのつぶやいたそれは、声という形にもならずに空気に溶ける。
誰も、ことばを紡げない。
誰も、ハヤトたちにかけることばをもたない。
誰も、ソルたちに何を云うことも出来ない。
……沈黙が、場を満たしていた。重苦しい、呼吸さえもためらわれる沈黙。
誰もが凍りついたなかで、ただ、オルドレイクだけが嗤っていた。
(…………?)
くい、と、バルレルがの袖を引く。
(見ろ)
云われる前に、も気づいていた。
オルドレイクのマントの下、ちょうど、腕を垂らせばその位置に手がくるだろうという、あたりで。
小さな――本当に小さな光が、生まれていた。
色は紫。
勘付かれぬようにか、声に出しての呪はないが、あれは間違いなく高等召喚術。
(――誰かは死ぬぞ)
そのとおりだ。
自失している彼らは、オルドレイクが召喚術を放とうとしていることに気づいていない。
こんなときは頼りになるんだろうギブソンもミモザも、あまりの事態の大きさに、ただハヤトたちを見つめているだけだ。
蒼の派閥の一員として、動揺が大きいんだろう。
相手は無色の派閥の総帥、そして誓約者になるべきとばかり思っていた少年達の裡には、魔王のものかもしれない力。
カイナやエルジンたちも、あんまりといえばあんまりな展開に、ぽかんとしているだけ。
ヤバイ。
(誰もアテになんない……!)
じわり、握りしめた手のひらに嫌な汗がにじむ。
そこに被せて、オルドレイクの声。
「今ここで、私自ら始末してやろう――!」
ほとばしる閃光。
オルドレイクの放つ召喚術は、それこそ魔王クラスの力でさえなければ衝撃の緩和も出来そうにない、問答無用の攻撃の意志の具現だった。