創作 |
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怖くなかったといったら嘘になる。 優しかった日常が、あんなふうになったこと。 混乱した、というのだろうか? 必死で飛び出し駆け出した、己の心の片隅は。 いやに冷静に告げていた。 魔天楼に逃げればいい―― 妖の集うかの街に。 天帝にさえも膝をつかせた強大な、あの妖のいる街へ。 行けばきっと助かるのだと。 ゆらり、ゆらりと睡魔の誘いに身を任せ、 夢うつつのなか思い出す 夢であって夢でなく、記憶にもなりきれぬその光景を 【地球遊戯】 ゆぅらりと。 薄紅舞い散る街の中。 優雅に扇子で自身を仰ぎ、中央街路を歩くのは、云わずと知れたこの地の主。 「玖狼様っ!」 めったに逢えない天上人に、小さな妖のこどもたち、喜び勇んで駆け寄って。 ねぇねぇ少し遊ぼうよ、腕を引っ張り我侭云って。 傍にいた、保護者役の妖が、がばっと引き止め、頭を下げる。 「気にすんな」 さらりと笑って流してみせて、こどもたちに手をふりながら、玖狼は再び歩き出す。 「――おや、玖狼殿ではないか」 またも声をかけられて。 狼の化身が振り返れば、立っていたのは獅子の化身。 周囲にひらりと舞い降りる、薄紅の、気配さえも染め変えて。 にっこり艶やかに微笑むは、獅悠という名の美女ひとり。 「よぅ、久しいな」 旧知の友を目の前に、玖狼もにやりと笑ってみせた。 「さして広くもあるまい同じ街に暮らしておって、『久しぶり』などと云うあたりがのぅ……」 お主らしいと云うか。 くすり、微笑んだ獅子の化身。 だけど次の瞬間に、またも気配を染め変える。 触れれば瞬時に凍える氷。在るものすべて切り裂く刃。そんなものたち思わせる、研ぎ澄まされた怒りにも似た。 「ひとつだけ問おう。 『あれはなんだ?』」 「あれ、とは?」 判ってるのにとぼけてみせる。 それは玖狼の悪い癖。 口の両端きゅぃっと上げて、意地悪そうな笑み浮かべ。 そうしてそれはたいていがとこ、相手の逆鱗という逆鱗、つつきまくって怒らせる。 今回が例外のわけもなく。 「……妾がさして気の長いほうではなかったことを忘れておるのだとしたら、大目に見てやろう」 だが、判っていてそうなのであれば―― ひるがえされた扇の軌跡、灯るは溢れる力の具現。 殺気混じったその振る舞いに、狼もふっと笑いをおさめ、真顔になって獅子を見る。 「俺にも判らん」 「……」 「ただ……変なんだよなぁ。 うまく云えねぇけどよ、そう、何かが」 仕草もなくことばもなく、ただ佇んでいるだけの、獅悠に先を促され、玖狼はぽりぽり頭をかいて。 「俺は、あれを王子様だと見当つけてる。魔天楼に来た頃合いがよすぎる。 ――逃げてきたんだと思ったんだよ」 「今は?」 「……王子様だと思ってるのに変わりは無いさ? だがなぁ……」 美しい、輝き放つ黄金の、瞳の奥の凍える炎を隠しもせずに。 相手がそれに怯えぬほどの、力を持つと知っているから。 力の上で対等な、獅子に玖狼はだからこそ、娘にも息子にも見せぬまことのそれを、たまに明かすことがある。 そうして今日はまさにその、稀なるひと時の訪れだった。 なんつーのかなぁ……きれいに擬態してはいるが、あいつは猫又の気配じゃない。 じゃあ何かって訊くなよ? 俺にも実際掴めねぇんだ。 ただ、複数の魂がそれぞれ混ざり合ってるような印象を受ける。 おまえが不快感を感じてたのもそれだろう? 元来魂は一人に一つ、一つに一人。混ざり合ったりしないもんだからな。 ……まぁ、天の奴らのことだ、魂を合体させるなんて不気味な術の開発なんてやっててもおかしかねぇが。 で、だ。 壱足す壱は? そう、弐だな。 だがあれは弐じゃねぇ、ていうか、壱ですらねぇ。二分の一以下って云ってもおかしくない。 本来持ってるだろう力の予測範囲を大きく下回ってやがる。 そして混ざってる複数の魂。 おまえは感じたか? 修羅と羅護の気配はまだわかる、だけどそれに加えてあとひとつある。 あぁ、だから訊くな、俺もはっきりしねぇんだよ。 ――――なぁ、獅悠 おまえの力を見込んで、おまえとの付き合いの長さを担保に、 ちっとばかし頼まれてくれねぇか? ひらり、ひらひら。ひら、ひらり。 魔天楼の街外れ、薄紅舞い散る一角に、ちょこんとかわいくこしらえられた、木造りの丸い椅子の上。 耳を伏せて丸まって、すやすや眠る猫又ひとり。 さくり、さくさく。さく、さくり。 敷き詰められた砂利の上、小気味良い音立てながら、近づいてくる人影ひとつ。 ……さくり 夜の手前三歩ほど、間を置いて立ち止まり。 幸せそうに眠ってる、子猫の寝顔をたしかめて、玖狼は優しく微笑んで。 ひらり、扇子をゆらめかせ―― 「ふッ!?」 もしもそのままだったなら、きっと欠片も残らぬほどに、焼き尽くされていただろう。 扇子の軌跡を追うように、ほとばしった玖狼の力。 瞬時に目覚めて飛び退いた、子猫の眠っていた場所を、刹那の間もなく砂と化す。 「……玖狼さま……」 攻撃しかけた不埒の輩へ、反撃しようと構えた子猫。 目の前に立つこの街の、主たる御方認めて呆然と、その意図つかめず立ち尽くす。 「なかなか良い身のこなしだな」 寝込みに不意打ちしかけておいて、にっこりにっこりさわやかに、微笑んでみせる狼に、子猫は力が抜けたよう。 ぺたりと地面にへたりこみ、未だ動悸の激しい胸を、落ち着かせるよう手で触れて。 何故こんなことをするのかと。 見上げ問うてみたならば、返ってきたのは玖狼の笑顔。 「うん。いいかげん正体明かしてくれや」 「え?」 きょとん。 予想外というかなんというか、あまりにも意外なそのことば、聞き間違えたと思ったけれど。 「だから、おまえの、正体」 ご丁寧にも数回に、区切って教えてもらった以上、聞き間違いではないらしい。 「猫又、ですけど」 わけの判らないままなりに、それでも答えてみるけれど。 狼のお気には召さないようで。 閉じた扇子でとんとんと、肩なぞ叩いてみせながら、狼またもやにっこりと。 笑んでそのまま力を振るう。 「うっ、うわっ!?」 手加減されているのは判る。 だけどそれでも当ったら、待っているのは己の消滅。 必死で避けて、かわして避けて。 攻撃がひと段落したあとに、へたりこんだ子猫に向けて、玖狼は再度問いかける。 「忘れてるふりか? それとも全然覚えてねぇのか? ――修羅」 修羅。 それは阿修羅の王子の名。 「……え……」 子猫の瞳が丸くなる。 驚愕、動揺、そして絶望。 感情が、様々な感情が。 浮かんで消えて浮かんで消えて、そして最後に残ったものは。 舞い落ちる、薄紅の密度がどんどん増して、周囲はすべて紅に染まる。 ぼた、ぼた。 薄紅の上から滴り落ちる、目に痛いほどの鮮やかな紅。真紅。 くつくつ、くつくつ 狼の、笑い声が響いてる。 「……すみません」 その人の腹を貫いた、右手をずずっと引き抜きながら、己の前面朱に染め、泣き出しそうになりながら。 ごめんなさい、すみません、ごめんなさい 何度も何度も謝りながら、真紅に染まった腕を抜く。 くつくつ、くつくつ 微笑う狼の声だけが、刹那その場に染み渡り、 「……いいなぁ……やっぱりおまえの血は最高だ……」 うっとりと。 告げる狼を振り返り、獅子の女性が苦笑する。 「莫迦狼め。痛いものは痛いというに」 「おまえなら、だいじょうぶ、だろう?」 ……さらに阿呆もつけてやる。 「こやつの器におさめるために、力を抑えている分痛みが多いのだよ。 第一、おぬしがこの子程度に力を抑えきれぬ不器用者なのが悪いのだ」 眉をしかめて苦痛を堪え、獅悠がふらりと身をかしがせる。 子猫はとっさに腕を伸ばしたのだけれど、それよりも一瞬以上先に、狼が獅子を抱きとめる。 そのまま、ずるりと手を這わせ、腹にぽっかり空いた穴、撫でるように動かして。 ぬったり手のひら染める血を、ぺろりと舐めて浮かべるは、愉悦の笑みとも呼べるカオ。 「……美味い」 「不味いわけがなかろうが。妾の血ぞ?」 今の狼のひと撫でが、どうやら傷もふさいだようで。 流れ出していた鮮血は、もはや影も形も見えず。 すでにどす黒く変色し、こびりついたそれのみが、確かにそれがあったこと、伝えるだけになっていて。 「ごめんなさい……」 ぽたり、ぽた。ぽた、ぽたり。 悔しそうに哀しそうに。 ただ両目から、水滴とめどなく溢れさせ、こどもがひとり謝りつづける。 それをいとおしそうに見て、まだ揺らぐ身体をしっかり立たせ、獅悠はふわりと手をのばす。 真っ直ぐな、つややかな黒髪の縁取る頭、優しく何度か撫でてやり、 「気にするでないよ、修羅の坊」 「だけど……」 俺にもっと力があれば。 もっと俺が強ければ。 「良いと云うのに。代償は玖狼にしっかり払わせてやるのだから」 「うわぁ、ひでぇ」 笑いながらの玖狼の抗議、けれど獅悠はしっかり無視し、己の望みを口にする。 「そうさのぉ……せめて三月はお主の傍にて養生せねば回復はせぬだろうなぁ」 などとのたまう獅悠の力、その気になれば明日にでも、取り戻すこと可能だけれど。 めったに逢えぬ情人の、傍居の機会逃しはせぬと。 恋する瞳で訴えられれば、さしもの玖狼も折れざるを得ず、 「しょうがねぇなぁ……」 苦笑まじりの微笑みこぼす。 そんな睦言めいた情景を、見せつけられた阿修羅の子、どうしていいのかうろたえて。 そうしてそれに気がついた、玖狼のことばにはっとする。 「いいから、おまえは行きな」 「――は、はい」 「今ならまだ、あの子たちが駆けた跡が残っているであろうよ…… 間に合ううちに、追いかけたほうがよいのではないかえ?」 「はいっ!」 腕の鮮血そのままに、くるりとその身をひるがえし、阿修羅の王子が走り出す。 魔天楼の唯一の、出口目指して走り出す。 奪われた、力と記憶と家族のうちの 記憶は確かに取り戻し、 力は奪われてものの、奴を倒せば還ってくる そして家族は戻らない ならばせめてこれ以上、奪われることは防いでみせる すべらかな、情人の肌に手を這わせ、思い出すのは子猫のことば。 くすくす笑う獅子の身を、半ば強引に引き寄せて、狼もつられてかすかに笑んだ。 「……なぁ」 「うん?」 「おまえは何も訊かねぇの? 事情も説明せずにおまえの力を分けさせたのにさ?」 「……」 くすくす、くすくす。 獅子は答えず微笑んで、狼を優しく受け入れる。 「全ての魔天楼の住人を代表して云ってやろう、主殿」 玖狼と榊とそして綺羅。 魔天楼の主にして、唯一虚無を生身で渡る、妖の範囲を外れた存在。 信じているよ 妾は事情を知らないし、たとえ知ろうとも思わぬけれど、 主たちの選択を、そなたたちの歩む道を、疑うことなど決してないよ それはきっと不変の誓約。 魔天楼の人々と、玖狼と榊と綺羅の間に結ばれた、唯一絶対の絆の誓い。 ゆらり、ゆらりと虚空に漂う魔天楼。 ぎぃいと再び門は開き、一閃のひかりが飛び出した。 |
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猫又=修羅。実は最初からそうしようと考えていたわけではないのですが。 というか反則じゃないかとつっこまれましたが(笑) 一応、あとあとへの伏線らしいものも。 ・・・・・・ちゃんと終わるのかな、これ(笑) |