創作

■目次■

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 伝説は語る。
 
 それはかつて、ずっとずっと遠い過去。
 星々が、並びを変えてしまうほど。それが幾度も繰り返された、遠い、遠いずっとむかし。
 世界と世界の狭間を渡り、三千世界を滅ぼしかけた、狼の化身の物語。
 人よりも、妖よりも長く生きている神といえども、若い者は知らないほどの。
 ずっとずっと昔の話。
 だけどそれは伝説として。
 忌まわしき過去のものとして。
 読書としてか寝物語か。
 はたまた伝承される歌。
 さまざまな、さまざまな形をとって。
 今も語りつがれるは、一度は天さえ屈させた、狼の化身の物語。


【地球遊戯】
〜玖狼〜



「ってかおまえら、ずいぶん無茶な相談を持ちかけてくれるもんだな」
 呆れたように云いきって、ずずずと緑茶をすすりつつ。
 座敷の上座にえらそうに、ふんぞり返っているのは玖狼。
 その隣、そんな父親に苦笑して。
 無言でずいっと差し出されてる、湯飲みに緑茶を注ぐのは、黒い髪した彼の娘。
 名は榊。
 玖狼の拾った人間のこども。
 そして玖狼の斜め前。
 同じく緑茶を飲みながら、茶菓子のしょうゆ味せんべい、ぽりぽり食しているのは綺羅。
 玖狼を父と呼ぶ狐。
「ったく」
 天帝の直筆だという書状、無造作にひらひら弄びつつ、
「界渡りが出たくらいで大騒ぎするなよ。
 それをどうにかするのがおまえらの役目じゃないのか?」
 こんな大仰なもんまで持ってきやがって。
「それが、ただの界渡りではないのです」
 伝説の存在目の前に、ややすれば圧される自分の魂揺り起こし、惟莢はすぃと背を伸ばす。
「どうせ、生き物の精気喰らうのに味しめた、そこらの莫迦な異形だろ?」
 人間が、生きるために他の動物植物を、食べて力にするように。
 妖たちもそれなりに、取り入れるものを必要として。
 それはたいがい大気の中に混じってる、世界に広がる生命の息吹。
 少しずつ、少しずつ。
 けしてそれが原因で、世界を壊したりしないよう。
 第一必要以上とったとて、何かの力になるわけでなく。
 強さは意志。
 存在は力。
 彼らの強弱決めるのは、ただその者の心の在り様。
「親父殿、話だけでも聞いてやろうよ」
「だってなー」
 苦笑交じりにたしなめる、少女の方がなんとなく、年上に見えるような気がしないでもなくて。
 思わず惟莢も苦笑して。
「おまえに笑われる筋合いはないぞ」
 拗ねたようににらまれて、ほんとうにこれが玖狼かと、思ったときには遅かった。
 油断して、真っ向からぶつけた視線。
 切れ長の、金の瞳の奥深く、凍ゆる炎の存在を。認めてしまって飲み込まれる。
 視線もそらせず身動きも出来ず。
「親父、怖がらせてどうするよ」
 さりげなく、すっと惟莢の前まで動き、さらにたしなめたのは綺羅。
 視線が少年の背に隠れ、しびれかけた四肢に血が通う。
 ほっと息つき少年に、背中からだが頭を下げて。惟莢はつと、前に出る。

「話だけでも聞いていただきたい。
 天帝が気に掛けられるということはすなわち、貴方としても油断のできぬ存在になりましょう」

「……ほぅ?」
 面白そうな話じゃないか、彼のそんな心のつぶやきが聞こえたような気がした。
「羅護阿修羅王をご存知か?」
「阿修羅族の四人の王のひとりだろ?」
 答えたのは玖狼ではなく、横に下がっていた榊。
 正解と、小さくうなずいた玖狼の動き見逃さず、惟莢はさらに語をつむぐ。
「彼なのです」
「……は?」
「界渡りに堕ちたのは、羅護阿修羅王その方なのです」

 ぶッ
 綺羅と榊が同時に緑茶を吹き出して、同時にげほげほむせだした。
「おいおいおい」
 こどもたち、見やって呆れてつぶやいて、玖狼が榊の背をさする。
 惟莢はというと必然的に、というか玖狼の視線に促され、綺羅の背にそっと手を伸ばす。
 ひとしきり、座敷に咳き込む声だけが響いたのち。やっと落ち着いたこどもたち。
 前にもまして勢い持って、惟莢にいきなりくってかかった。
「修羅はッ?」
「羅護王の子はどうなった!?」
「行方不明です」
 あっさりと。告げて、惟莢は居住まい正した。
「――魔天楼は異形を集わせる何かがあります」
「なんちゃらほいほいみたいな云い方すな。
 だがまぁ……云いたいことは判らないでもないな」
 ある意味、ひどく遠まわしに云われたそのことば。
 けれど、玖狼はしっかり受け止めて。
「行方不明の修羅坊が、ここへくるかもしれないと?」
 そして迷い込んでくるかもしれない、そのこどもを保護しろと?
「それもあります」
「……それ『も』?」
 いぶかしげな響き乗せ、問うは娘と息子と同時。
「羅護阿修羅王ほどの力を持つ方が界渡りに堕ちたとなれば、三千世界への影響は計り知れません。
 実際、敏感な世界は熱量の変換を感じとり、微妙にその姿を変質させ始めている」
「真っ先に変わったのは何処――いや、いい。
 アルストリア、だな」
 着流し浴衣の玖狼の自問、片仮名文字が飛び出して、微妙なおかしみ感じさせる。
 けれどつむがれたそのことば、場の空気を一変させて。
 ずしりと重い感覚が、玖狼以外の3人を襲う。

 ――アルストリア。
 できよう者などいるわけもないが、仮に三千世界を平面に記すとするのなら、その中央に位置する世界。
 かつて遠い、遠い過去。
 あらゆる、あらゆる、たとえどんなにかけ離れた世界にさえも、傷を負わせた玖狼でさえも。
 かの世界には手出しが出来ず。
 それは最初の魂抱いた、ひとりの少女に因を帰す。
 だけどそれはまた、別の話。

 重要なことは?
 そんなに多くはないはずだ。
 界渡りへとその身を変じ、今はどことも行方の知れぬ、阿修羅の王の、身の捕獲。
 そうしておそらく親の異変に端を発する、羅護王の子の、身の保護と。
 三千世界が熱量の変換感じて震えだす、その前にすべての完遂を。
 ほら、ただ、それだけ。

 ただそれだけが、重い。



 ――夜――
 薄紅舞い散るその世界、魔天楼の片隅で。
 うつらうつらと舟をこいでいた子猫、呼び声に応えて目を覚ます。
「榊……綺羅?」
 どうしたの?
 問うた理由はふたりの衣服。
 いつもだったらゆったりと、粋な着流しをこそ好む、魔天楼の少女と狐。
 だけどいったいどうしたことか、今日の彼らは違ってる。
 榊の服は、不思議な紋様染め抜いた、白い上下にみどりの勾玉首から下げて。
 一方の綺羅は榊より、ゆったりとした服だけど、黒が基調になっていて、なおかつふっと目をやれば、左右の腕には手甲の存在。
 これで物々しさを感じるな、そういうほうが難しい。
 寝ぼけ眼の子猫にも、それくらいは判るのだ。
 榊と綺羅は視線を交わし、優しく夜に笑みかける。
「ちょっと、お遣いにね」
「……長くかかるの?」
「うん、もしかしたら。
 でもちゃんと、帰ってくるから」
 そうしたら一緒に遊ぼうな。
 綺羅と榊の手のひらが、交互に子猫の頭をなでる、その優しさと心地好さ。
 再び子猫が眠るには、十分すぎるものであり。
 けれどそこでちょっとだけ、はっきりしっかり目を覚まし、ふたりの瞳覗いてたなら。
 宿る決意と強い意志、もしか見つけていたかもしれぬ。
 いつか自分も抱いたそれ、もしか思い出したかもしれぬ。
 あぁ、けれど
 子猫は睡魔に身を委ね、  まだそのときは 訪れぬ。

 薄紅舞い散る魔天楼、中央街路を真っ直ぐに、歩きぬいたその先に、先日子猫を招いて入れた、大きな郭門がある。
 門番の影法師の耀、ふたりを認めてゆっくりと、虚無へつながる道を開く。
 気をつけていっておいで
 声にならない見送り聞いて、綺羅と榊は手を振って。
 ちょっとだけ緊張した素振り、お互い感じて視線をあわせ、笑いあって外へ出る。
 そこはなにもないところ。
 そしてすべてがあるところ。
 ここは虚無、そして混沌と呼ばれるモノ。
 あらゆるものを拒絶して、あらゆるものを受け入れる。
 矛盾はそこでは矛盾ではなく、ただ在るがまま、ただ無きがまま。
 耐性のない者ならばすぐにでも、気を失いそうな感覚に、けれどふたりは平然と、数歩進んでその場に止まる。
 虚無を動く魔天楼。
 ふたりが進んだその間にも、常に止まることはなく。
 ふっと振り返ってみるならば、すでに遥か霞む位置。
「行こうか」
「行きますか」
 刹那の間をおき光が疾る。
 それはいったい何年ぶりか。もはや気の遠くなるほどの、遠い昔からそうだった、人への擬態を綺羅が解く。
 緑の瞳はそのままに、白き四肢持つ九尾の狐。
 ふわりと榊の目の前に、虚無を揺らして舞い降りる。
 ――どうぞ
 声にならぬ相棒の、声に榊はうなずいて、ひらりとその背に飛び乗った。
「どこへ行く?」
 ――榊はどっちへ行きたい?
 方向など関係ない虚無のなか、榊はちょっと目を閉じて、やがて一点を指し示す。
 修羅か羅護かは判らねど、かすかに感じる阿修羅の気配。
 そうして綺羅がうなずいて、相棒の指した方向に、音も立てずに駆け出した。

 ひらり、ひらひら
 ひら、ひらり
 彼の居住の楼閣の、薄紅舞い降る屋根の上、ゆぅらり扇子をひるがえす。
 飛び出していった我が子へと、それは激励の意味こめて。
 ほんとうは、玖狼が動くべきことかも知れぬ。
 界渡りというものは、妖の変異とも云うべきなれば、いったいどんな奥の手切り札、持っているやら判らぬのだから。
 その点で、榊と綺羅は力が足りぬ経験も足りぬ。
 玖狼ならば力押し、叶う場面であったとしても、万一のこともあるかもしれぬ。
 けれど自分は動けない。
 魔天楼。
 彼の創ったこの街は、要たる、玖狼がそこから出て行くならば。
 踏み出た最初の一歩を鍵に、すぐに霧とも霞とも、消え果てるさだめを負っている。
「……俺も甘くなったよなぁ」
 ずっと昔、遠い過去。
 暴れまわっていた頃の、玖狼がここにいたならば。
 そんなさだめ知らないと、俺には関係なかろうと、とうに飛び出ていたやも知れぬ。
 けれど玖狼の娘と息子。
 綺羅と榊が哀しむと、判っているからそれはしない。
 束縛は、今も昔も嫌いだけれど。そんななかに一抹の、心地好さを感じてるから。
 身に絡む、見えぬ鎖の存在を、頭の端にとどめおき。
 ふぅわりと、玖狼は屋根から身をひるがえす。

「さぁて、王子様を保護しておこうかね……?」
 魔天楼から動けぬはずの、狼の化身が笑って云った。

   ひらり、ひら。 ひら、ひらり。
   薄紅舞い散る魔天楼。世界の狭間にゆらゆら浮かぶ、妖たちの集う街。
   いざなわれ、そして呼ばれてやってくる、妖たちの憩う場所。

   うつら、うつら。
   やわらかな、薄紅のかいなに抱かれて、うつらうつらと、夢を見る。

   ――夢うつつのなか思うのは


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■目次■

羅護阿修羅王。法華経なんかで記されている彼の名前とは、字が違います。
Web上で出せない漢字で、後、このお話での役目からこの名前になりました。
仏教の設定そのままではなく、かなり自己見解が入ってます。
……さて、夢を見ているものは