創作

■目次■

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 それからは、ずっと独りでそこにいた。
 大好きだった父と母、人間たちに襲われて、殺されそしてどうなったのか。
 茂みに隠れて怯え震えた、自分の記憶には残っていない。
 それからは、ずっと独りで生きていた。
 時折山を訪れる、物の怪たちと酒盛りやって、そうして見送る夜明け際、ひときわ強い孤独を感じて。
 だけどそんな心さえ、だましてずっと生きていた。
 ぽたり、ぽたり。
 物の怪としてはまだ幼い、人型とった自分の頬に、したたり落ちる生命の証。
 ――鮮血。
 いったいどこの異空へ飛んで、いったい何と戦えば、そんな傷が負えるのか。
 何も知らなかった子狐だけど、じわりと背筋に走った何かは、戦慄だとか恐怖とか。そんな類のものだったろう。
 目の前に、薄紅の欠片たち、身体にまといつかせた狼が立つ。
 大事に腕に抱かれてる、幼い人間の少女にも、いくつかついてる桜の花びら。
 その子がふっとこちらを見て、にこりと笑ったその瞬間、見えぬくびきにとらわれていた、自分の身体が動き出す。
「……痛くないのか?」
 どう考えても痛いだろうに、やせ我慢の片鱗も見せず、狼はにやりと笑ってみせる。
「おまえ、強くなるぞ」
 そう云って、あっけにとられた自分に向けて、狼の手が伸ばされる。
 そして。
 次の瞬間。
 手を取って、またたき一・二度するその間。

 気がつけば、そこは薄紅の踊る世界。
 狼、不敵な笑み浮かべ、狐に向けてたった一言。

「おまえは、こいつの兄弟になれ」


【地球遊戯】
〜綺羅〜



 魔天楼、という場所がある。
 世界と世界のその狭間、混沌に彷徨う帆なし舟。
 今日はこちらで明日はあちら。
 主たる、玖狼という名の狼の、気の向くままにゆらゆらと、世界の隙間に浮かぶ街。
 そこは異形の住まう街。
 ちょっと窓を開いてみれば、そこにかしこに妖たち。わいわいわいわい歩き往く、楽しい光景が目に映る。
 生まれたばかりでここにきた、幼い物の怪が連れ立って、大通りを駆けていく。
 長い時間を外で過ごした、老成した異形たち。茶屋でのんびり茶をすすり、団子なぞをつまんでる。
 上下も身分も隔てなく。
 ただそこに在る、彼らの姿。
 だけどすべてに平等な、魔天楼でもごく一握り。
 主たる、狼の化身とそのこどもたち。
 榊と綺羅はどうしても、嬢様若様と呼ばれることになじめない。
「別に、どーんと大上段にかまえとけばええやん?」
 綺羅が座った目の前で、煎茶をずずずとすすりつつ、指摘したのは今日の連れ。
 いつも隣にいるはずの、黒髪の子は今日はいない。
 父親の、玖狼が云ったらしいのだけど、なんでも客がくるからと、父娘そろって大掃除。
 もともと掃除が苦手な綺羅は、あっさり追い出されてきた次第。
 そんなこんなで暇もてあまし、しょうがないからそのへんで、茶でもすすってのんびりしようと歩いていたら。
 先に声をかけたのは、濡れたような漆黒の、それはきれいな羽をもつ、黒刃という名の天狗の少年。
「やだよ」
 わらび餅などつまみつつ、綺羅は不機嫌そうに云う。
「だって、偉いのは玖狼親父であって、俺でも榊でもないんだぞ?」
 なにがかなしくて雲の上の存在扱いされないといけないんだよ。
 ぶうたれた、目の前の狐をふっと笑って呆れて見やり、黒刃はまたも茶をすする。
「でもおまえたちがいたから、玖狼様はここを創ってくれたんだろ?」
 ここは魔天楼。異形たちの楽園。
 他の者ではなしえない、玖狼以外にできるとすれば、それは天しかおらぬだろう。
 予想もつかない膨大な、力と意志を要とし、世界と世界のその狭間、生まれ落ちたは魔天楼。

 ある夜親子水入らず、月見酒など酌み交わしつつ。
 玖狼がぶつぶつ語ったところ、最初は自分と榊と綺羅で。
 せめて榊の寿命まで、のんびり3人仲睦まじく、暮らす予定を立ててたらしい。
 けれどここで予想外。
 あまりの力の放出に、敏感な物の怪異変を感じ。
 ほころびかけた時空の隙間、ひょっこり覗いてみたならば。
 そこは薄紅舞い散る世界。
 だんだんと、自然を壊し世界を壊し、彼らの住処を奪おうとする、他の生き物がひとりもおらぬ。
 いやさ一人いるけれど、それは創造主の愛娘。
 かくして希望を胸に抱き、ひとりふたりと異形が訪れ。
 ある日気づいてみたならば、ここは魔天楼となり、妖の街となっていた。

 そよりと風が通り過ぎ、ふゎりふゎりと降っていた、桜が瞬間宙に舞う。
 茶などとっくに飲み干して、空になってた綺羅と黒刃の湯飲みの中に、桜が迷い込んでくる。
「そういえば、榊ちゃんがおまえの傍にいないなんてめずらしいやな?」
 さりげなく、綺羅の目の前置いてある、わらび餅へと手を伸ばしつつ、黒刃がいまさら問うてくる。
 なんで最初に気づかないんだと、呆れながらの綺羅の問い。
「いやー、別の店で買い物して待ち合わせかと思ってさ」
 暮らす者がそこに在る。となれば当然入り用なものはそれぞれ増えてくる。
 彼らが居座るこの茶屋だって、物々交換からはじまって、いまやすっかり大店舗。
 もっとも通貨はここにはない。
 物の怪たちは作り出す。それぞれの力用いて創る。
 使って減ったその力、減った分だけ買い物客が、補うそれがこの街の手法。
 当然力のあるなしで、個人の買い物限度は決まる。
 だけどみんなお人よし。人じゃないけどお人よし。
 ほんの少し足りなくたって、はたまた全然間に合わなくても、いいよいいよ持っていけ、と笑いながらよこしてくれる。
 だけど貰った方だって、やっぱりちゃんと払いたい。
 そんなときにはちょっとずつ、毎日毎日ちょっとずつ。
 魔天楼の商店街、そんなこんなで発展し、なかなか雰囲気いい感じ。
「残念。榊、今日は親父といっしょに家の掃除してるんだ、客がくるから」
「……おまえはいいんかい」
 半眼になって問うてくる、天狗の気迫にちょっとだけ、狐の少年気圧される。
 両手をぱたぱた目の前で、振って示すそれは否定。
「追い出されたんだよ、じゃまになるからって」
「さもありなん、て感じやな」
 あはははは、と豪快に笑う天狗に向けて、ちょっと拗ねた視線を送る。

 悪い悪いと謝りながら、なおも笑っていた天狗、緑の瞳が自分から、それたことに気がついて。
 背後に感じた気配の主を、確認しようと振り返る。
「貴方が、綺羅、か?」
 歌でも歌うような声。
 軽く結われた長い黒髪、まとうは質素な衣装だが、その雰囲気は貴人に近い。
 普通に話しているだけだろうに、旋律さえも感じさせ。
 ゆっくりと、語りかけてくるその人に、天狗はなにやら覚えがあった。
 その人個人にというのではなく、この人のまとう、空気だか何だか、覚えがあった。
 それは綺羅も同じこと。
「乾闥婆か?」
 確信持って放たれた、狐の問いに乾闥婆、ふゎり頷き微笑んで。
「天に仕えし八部衆が乾闥婆。その一人の惟莢という」
「いさや、ねぇ……」
 記憶をほじくり返してみたが、そんな名前は出てこない。
 横取りされかけたわらび餅、取り返すついでに天狗を見ても、心当たりはないようで。
 そんなふたりの表情に、あわてて割り込む黒髪の青年。
「私は乾闥婆の中でもまだ生まれたばかりなのだ。
 お二方がご存知なくてもそれは当然だ」
「……で?」
 先を促すは綺羅の声。
「魔天楼の創造主、玖狼殿に天からの書状を預かってきている。
 目通りさせて……」
「あ、なるほど」
「そうか、それだ」
 惟莢のことばをさえぎって、狐と天狗の少年たちは、手に手を打って得心顔。
「親父、この人のこと云ってたんだな」
「だろうな。相変わらず勘のいい方だ」
 あっけに取られた乾闥婆、ふっと見上げて綺羅は笑う。
 それから視線を友人に戻し、
「黒刃、ゆっくりするのはまた今度な」
「りょーかい。勘定立て替えとくから今度返せよ?」
「悪いな」
 すたすたと、歩き出した綺羅のあと、あわてて惟莢がついてくる。
「き、綺羅殿?」
「親父のとこ行くんだろう?」
 足は止めずに振り返り、答えて綺羅は歩を進め。
 はてさていったいなんでまた、いまさら天が用事など、持たせてよこしてくるのだろう? そんな疑問が脳裏かすめる。
 たしかに彼の父親は、一度とはいえ天にさえ、膝をつかせたことがある。
 だがそれも、すべては過去のこととして、今や遺恨はないはずなのだ。
 それに実際目の前の、惟莢の態度のどこかしこ、そんな陰は見えなくて。
 だけどそれなら何の用だと首ひねり。

 それでも綺羅は商店街を突き抜けて、大通り、すたすた迷わず歩きとおし。
 さぁ、もうすぐ彼の家。
 おそらくは、掃除にお茶に茶菓子の準備、滞りなく終わらせて。
 榊と玖狼が待ってるだろう、彼の家。今は子猫も居候。

  さぁ、昔話を終わらせて。
  意識を向けるその先は、魔天楼への来訪者。
  今これからの物語、いつか時が過ぎたとき、いつかなつかしいものとして、おとぎ話の形を取って。
  話せるときがくることを。

  ただ、祈っておこう。今はただ。


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宗教にあまりこだわりはないと自分では思いますけど、
自分でなんだかんだ調べたりしたのは仏教でしょうか。
サンクスリット、八部衆、梵天……耳にされたことはあると思います。
何故仏教なのかと云われるとちょっと考えますが…世界観が好きなのでしょうね