創作 |
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それからは、ずっと独りでそこにいた。 大好きだった父と母、人間たちに襲われて、殺されそしてどうなったのか。 茂みに隠れて怯え震えた、自分の記憶には残っていない。 それからは、ずっと独りで生きていた。 時折山を訪れる、物の怪たちと酒盛りやって、そうして見送る夜明け際、ひときわ強い孤独を感じて。 だけどそんな心さえ、だましてずっと生きていた。 ぽたり、ぽたり。 物の怪としてはまだ幼い、人型とった自分の頬に、したたり落ちる生命の証。 ――鮮血。 いったいどこの異空へ飛んで、いったい何と戦えば、そんな傷が負えるのか。 何も知らなかった子狐だけど、じわりと背筋に走った何かは、戦慄だとか恐怖とか。そんな類のものだったろう。 目の前に、薄紅の欠片たち、身体にまといつかせた狼が立つ。 大事に腕に抱かれてる、幼い人間の少女にも、いくつかついてる桜の花びら。 その子がふっとこちらを見て、にこりと笑ったその瞬間、見えぬくびきにとらわれていた、自分の身体が動き出す。 「……痛くないのか?」 どう考えても痛いだろうに、やせ我慢の片鱗も見せず、狼はにやりと笑ってみせる。 「おまえ、強くなるぞ」 そう云って、あっけにとられた自分に向けて、狼の手が伸ばされる。 そして。 次の瞬間。 手を取って、またたき一・二度するその間。 気がつけば、そこは薄紅の踊る世界。 狼、不敵な笑み浮かべ、狐に向けてたった一言。 「おまえは、こいつの兄弟になれ」 【地球遊戯】 魔天楼、という場所がある。 世界と世界のその狭間、混沌に彷徨う帆なし舟。 今日はこちらで明日はあちら。 主たる、玖狼という名の狼の、気の向くままにゆらゆらと、世界の隙間に浮かぶ街。 そこは異形の住まう街。 ちょっと窓を開いてみれば、そこにかしこに妖たち。わいわいわいわい歩き往く、楽しい光景が目に映る。 生まれたばかりでここにきた、幼い物の怪が連れ立って、大通りを駆けていく。 長い時間を外で過ごした、老成した異形たち。茶屋でのんびり茶をすすり、団子なぞをつまんでる。 上下も身分も隔てなく。 ただそこに在る、彼らの姿。 だけどすべてに平等な、魔天楼でもごく一握り。 主たる、狼の化身とそのこどもたち。 榊と綺羅はどうしても、嬢様若様と呼ばれることになじめない。 「別に、どーんと大上段にかまえとけばええやん?」 綺羅が座った目の前で、煎茶をずずずとすすりつつ、指摘したのは今日の連れ。 いつも隣にいるはずの、黒髪の子は今日はいない。 父親の、玖狼が云ったらしいのだけど、なんでも客がくるからと、父娘そろって大掃除。 もともと掃除が苦手な綺羅は、あっさり追い出されてきた次第。 そんなこんなで暇もてあまし、しょうがないからそのへんで、茶でもすすってのんびりしようと歩いていたら。 先に声をかけたのは、濡れたような漆黒の、それはきれいな羽をもつ、黒刃という名の天狗の少年。 「やだよ」 わらび餅などつまみつつ、綺羅は不機嫌そうに云う。 「だって、偉いのは玖狼親父であって、俺でも榊でもないんだぞ?」 なにがかなしくて雲の上の存在扱いされないといけないんだよ。 ぶうたれた、目の前の狐をふっと笑って呆れて見やり、黒刃はまたも茶をすする。 「でもおまえたちがいたから、玖狼様はここを創ってくれたんだろ?」 ここは魔天楼。異形たちの楽園。 他の者ではなしえない、玖狼以外にできるとすれば、それは天しかおらぬだろう。 予想もつかない膨大な、力と意志を要とし、世界と世界のその狭間、生まれ落ちたは魔天楼。 ある夜親子水入らず、月見酒など酌み交わしつつ。 玖狼がぶつぶつ語ったところ、最初は自分と榊と綺羅で。 せめて榊の寿命まで、のんびり3人仲睦まじく、暮らす予定を立ててたらしい。 けれどここで予想外。 あまりの力の放出に、敏感な物の怪異変を感じ。 ほころびかけた時空の隙間、ひょっこり覗いてみたならば。 そこは薄紅舞い散る世界。 だんだんと、自然を壊し世界を壊し、彼らの住処を奪おうとする、他の生き物がひとりもおらぬ。 いやさ一人いるけれど、それは創造主の愛娘。 かくして希望を胸に抱き、ひとりふたりと異形が訪れ。 ある日気づいてみたならば、ここは魔天楼となり、妖の街となっていた。 そよりと風が通り過ぎ、ふゎりふゎりと降っていた、桜が瞬間宙に舞う。 茶などとっくに飲み干して、空になってた綺羅と黒刃の湯飲みの中に、桜が迷い込んでくる。 「そういえば、榊ちゃんがおまえの傍にいないなんてめずらしいやな?」 さりげなく、綺羅の目の前置いてある、わらび餅へと手を伸ばしつつ、黒刃がいまさら問うてくる。 なんで最初に気づかないんだと、呆れながらの綺羅の問い。 「いやー、別の店で買い物して待ち合わせかと思ってさ」 暮らす者がそこに在る。となれば当然入り用なものはそれぞれ増えてくる。 彼らが居座るこの茶屋だって、物々交換からはじまって、いまやすっかり大店舗。 もっとも通貨はここにはない。 物の怪たちは作り出す。それぞれの力用いて創る。 使って減ったその力、減った分だけ買い物客が、補うそれがこの街の手法。 当然力のあるなしで、個人の買い物限度は決まる。 だけどみんなお人よし。人じゃないけどお人よし。 ほんの少し足りなくたって、はたまた全然間に合わなくても、いいよいいよ持っていけ、と笑いながらよこしてくれる。 だけど貰った方だって、やっぱりちゃんと払いたい。 そんなときにはちょっとずつ、毎日毎日ちょっとずつ。 魔天楼の商店街、そんなこんなで発展し、なかなか雰囲気いい感じ。 「残念。榊、今日は親父といっしょに家の掃除してるんだ、客がくるから」 「……おまえはいいんかい」 半眼になって問うてくる、天狗の気迫にちょっとだけ、狐の少年気圧される。 両手をぱたぱた目の前で、振って示すそれは否定。 「追い出されたんだよ、じゃまになるからって」 「さもありなん、て感じやな」 あはははは、と豪快に笑う天狗に向けて、ちょっと拗ねた視線を送る。 悪い悪いと謝りながら、なおも笑っていた天狗、緑の瞳が自分から、それたことに気がついて。 背後に感じた気配の主を、確認しようと振り返る。 「貴方が、綺羅、か?」 歌でも歌うような声。 軽く結われた長い黒髪、まとうは質素な衣装だが、その雰囲気は貴人に近い。 普通に話しているだけだろうに、旋律さえも感じさせ。 ゆっくりと、語りかけてくるその人に、天狗はなにやら覚えがあった。 その人個人にというのではなく、この人のまとう、空気だか何だか、覚えがあった。 それは綺羅も同じこと。 「乾闥婆か?」 確信持って放たれた、狐の問いに乾闥婆、ふゎり頷き微笑んで。 「天に仕えし八部衆が乾闥婆。その一人の惟莢という」 「いさや、ねぇ……」 記憶をほじくり返してみたが、そんな名前は出てこない。 横取りされかけたわらび餅、取り返すついでに天狗を見ても、心当たりはないようで。 そんなふたりの表情に、あわてて割り込む黒髪の青年。 「私は乾闥婆の中でもまだ生まれたばかりなのだ。 お二方がご存知なくてもそれは当然だ」 「……で?」 先を促すは綺羅の声。 「魔天楼の創造主、玖狼殿に天からの書状を預かってきている。 目通りさせて……」 「あ、なるほど」 「そうか、それだ」 惟莢のことばをさえぎって、狐と天狗の少年たちは、手に手を打って得心顔。 「親父、この人のこと云ってたんだな」 「だろうな。相変わらず勘のいい方だ」 あっけに取られた乾闥婆、ふっと見上げて綺羅は笑う。 それから視線を友人に戻し、 「黒刃、ゆっくりするのはまた今度な」 「りょーかい。勘定立て替えとくから今度返せよ?」 「悪いな」 すたすたと、歩き出した綺羅のあと、あわてて惟莢がついてくる。 「き、綺羅殿?」 「親父のとこ行くんだろう?」 足は止めずに振り返り、答えて綺羅は歩を進め。 はてさていったいなんでまた、いまさら天が用事など、持たせてよこしてくるのだろう? そんな疑問が脳裏かすめる。 たしかに彼の父親は、一度とはいえ天にさえ、膝をつかせたことがある。 だがそれも、すべては過去のこととして、今や遺恨はないはずなのだ。 それに実際目の前の、惟莢の態度のどこかしこ、そんな陰は見えなくて。 だけどそれなら何の用だと首ひねり。 それでも綺羅は商店街を突き抜けて、大通り、すたすた迷わず歩きとおし。 さぁ、もうすぐ彼の家。 おそらくは、掃除にお茶に茶菓子の準備、滞りなく終わらせて。 榊と玖狼が待ってるだろう、彼の家。今は子猫も居候。 さぁ、昔話を終わらせて。 意識を向けるその先は、魔天楼への来訪者。 今これからの物語、いつか時が過ぎたとき、いつかなつかしいものとして、おとぎ話の形を取って。 話せるときがくることを。 ただ、祈っておこう。今はただ。 |
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宗教にあまりこだわりはないと自分では思いますけど、 自分でなんだかんだ調べたりしたのは仏教でしょうか。 サンクスリット、八部衆、梵天……耳にされたことはあると思います。 何故仏教なのかと云われるとちょっと考えますが…世界観が好きなのでしょうね |