創作 |
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そこは、薄紅舞い散る世界。 視界いっぱい広がっていた、淡い紅色、桜色。 降り注ぐ、舞い降りる、薄紅色の欠片たち。 息も詰まりそうなその世界。 自分を抱いて、立っていた人。 ぽたり、ぽたり。 幼い自分のその頬に、したたり落ちるは生命の証。 鮮血、それもまた、『紅』。 「……痛くないの?」 その人は、頭部から胸部にかけて、真っ赤に染まっていて。 幼かった自分でさえも、おおごとなのだと認識せざるを得なかった、凄惨な姿。 なのに。 想像を、絶してあまりある激痛であっただろうというのにその人は、にこりと自分に微笑んだのだ。 「だいじょうぶ」 そう云って、壊れ物に触れるごときの慎重さで。 ゆっくりと頬の血をぬぐい、その人はもう一度微笑んだ。 そして。 次の瞬間。 四方八方から降り注ぐ、力そのものの刃の嵐。 舞い降りる薄紅引き裂いて、ただ、自分を抱く人だけを狙った力。刃。 そして記憶はそこで途切れる。 うっすらと、覚えているのはその人が、誰かに向けて放ったことば。 「おまえは、こいつの兄弟になれ」 【地球遊戯】 魔天楼、という場所がある。 すでに場所とも云えないような、虚空の只中に存在し、ふぅらりと、風の吹くまま気の向くままに、三千世界の合間を縫って、移動をつづける妖の楽園。 たまぁに人間が紛れ込むけど、それも夢路か黄泉路の寄り道。 実態持たぬ彼らの記憶、消すはたやすいことなれば、この地へ招くはやぶさかでなく。 いっときの滞在を得た人々は、そしてまた、夢路を戻り黄泉路を通り、本来の場所へと帰り往く。 もちろんそのときにはすでに、魔天楼など欠片も知らぬ。 ただ刹那の出会いの記憶、心の端にひっかけて。 通り過ぎるは人間たち。 それでも、けれど、例外は。やっぱりどこにでもあるとみえ。 「えええぇぇぇ!?」 甲高い、少年の声を響き渡らせたその原因も、例外に関することである。 「榊、人間なの!?」 「声がでかいよ、夜」 それと、もう少しおとなしくね。 すっとんきょうな声をあげ、目の前の少女につかみかからんばかりの勢いの、猫耳猫目の少年の、首根っこどっかと押さえつけ、云い含めるは綺羅という。狐の少年。 「て、いうかさ」 欄干に座って体重預け、のんびりと、扇子で風を誘いつつ、榊と呼ばれた少女がぼやく。 「人間に見えなきゃ何なんだよ、榊は?」 ちらりと髪に舞い降りた、桜の花びら払いつつ、少女は子猫をじっと見る。 その視線に気圧されたのか、夜と呼ばれた猫又は、小さくなって首をすくめて。 「雪女とか……座敷童子とかさぁ」 見た目姿も完璧に、生まれたときから人間の、異形を数種候補にされて、今度は榊が首をすくめる。 「榊には、雪を操ったり、住んだ家を幸せにするような力なんてないぞ」 「じゃ、じゃあ、榊は、なーんにも、力持ってないの?」 心底意外そうに云われ、さすがに呆れて笑い出す、狐と少女を眼前に、夜は何故だか不満顔。 「だって、俺、見たよ?」 「ん?」 「ここにきたときさ、榊の周りに、見たんだよ?」 「何を?」 「桜色の、きれいな力!」 あれって榊の力じゃないの? 夜のことばはそれなりに、核心をついていたらしい。 綺羅と榊は顔見合わせて、それからほんのちょっとだけ、感心したような眼差しになる。 「たしかに、あれは榊のものだ」 そっと子猫の頭をなでて、少女は優しく笑ってみせた。 「じゃあやっぱり」 「だけど、榊はそれを使うことができないんだ」 少女の一人称。 自分の名前であるせいなのか、どことなく、他人事みたいなその口調。 「修行とかしたことないの?」 「ないよ」 「どうして? せっかくもってる力なのに」 「自覚がないんだ」 ゆぅらりと。 今だって、ちょっと子猫が目をこらせば、榊の周りには桜色。 降りそそぐ、花びらの錯覚じゃなく、正真正銘少女の内からあふれる力。 隣の狐の兄さんだって、きっと見えているんだろうに、当人は、知らぬふりを決め込むらしく。瞳に映る桜色、意図して視界から外してる様。 「たとえばさ」 「うん」 閉じた扇子で額を軽くつつかれて、子猫は少女に向き直る。 「夜が、大きな、何か他の生き物のぬいぐるみのなかにすっぽり入ったとするだろ?」 「……うん」 想像するとかなりおかしな光景なのだが、素直な子猫はただ首を上下させて。 「それが、熊とかなんとかだったりして。中に夜がいると知らない、小さな子が夜を『くまさん』って呼んだとして。 夜は、自分が熊だと思えるかい?」 「思えない」 自分は自分。 夜は子猫。夜は妖。夜は猫又。 上からかぶった熊なんて、所詮仮初めの姿でしかなく。借り物でしかなく。 「――榊は、そうなの?」 「そうなの」 にっこり笑う少女の周り、優しく輝く桜色。 それはとても少女に合っていて、溶け込んでいて。仮初めだとか、借り物だとか、思えないのに当人にとってはそうらしい。 そんなふうには見えない、 そう突っ込んで訊こうとした瞬間、子猫と少女のその隙間、割り込む狐が、ほらそこに。 ふわふわ天然黄土色、髪の間からのぞかせた、とがった耳をぴんと立たせて、尻尾をぱたぱた床に落として。 「そーこーまーで。」 口調はすっごく優しいけれど、有無を云わせぬその迫力に、場慣れしてない子猫はしどもど。 「ほらほら、いつまでも俺たちに張り付いてないで遊んできなさい」 指で示されたその先は。 欄干の向こうに集ってる、最近やってきた新入りと、遊んでみたい妖の子たち。 雪ん子、座敷童子、影法師、夜とおんなじ子猫もいる。 みんなの笑顔に誘われて、子猫はくるりと身をひるがえし、あっという間に飛び出ていった。 「……かーいいねぇ」 後ろ姿を見送りながら、にこにこ笑う狐が一匹。 「榊の小さい頃、思い出すな」 「あんな感じだった?」 夜と話していたときは、ちょっぴりお姉さんぶっていたのに、綺羅に対しては甘えるふうな話し方。 「うん、あんな風にすぐあちこち飛び出していって。捜すの大変だったなぁ。 それで、俺と親父が捜しに出てさ」 「でもいつも、見つけてくれてた」 「もちろん」 綺羅がにこりと微笑んで、榊をぎゅっと抱きしめる。 こぼれる真紅、舞い散る薄紅。 夢であって、記憶であって。 齢3つ4つの幼子に、その光景が理解できたのはどうしてか、あとで散々悩むのだけど、それはまた別のお話になる。 だけどやっぱり幼子だから。判っていたことは多くない。 ばくだんが、いっぱいいっぱい降ってきて。 街も家も人々も、みんな燃えて紅い空。 最後に残った公園の、大きな桜の木の下で、最期の時を待っていた。 あのとき自分は死ぬのだと、判っていたから泣きもせず。 先に旅立った友に家族に、自分ももうすぐ行くからね、と。 そうしたら。 目の前の空間いきなり裂けて。ばくだんでなく、傷ついた狼が降ってきた。 見る間に人の姿になって、追い詰められてそれでも尚、それは獲物をむさぼる瞳。 それと。 目が合った。瞬間。 ひゅううぅ、と上空からばくだんの降ってくる音がして。 自分が死ぬときがきた。 目の前の裂け目からは、狼に向かって何者かが強襲し。 彼の背後に死が見えた。 けれど。 こい! 伸ばされる手。 何も考えずすがりつき、そして。 あぁ、『渡った』のだなと。そう理解できたのはどうしてか。 そこは、薄紅舞い散る世界。 何を思い出してるか、当ててみようか? くすくすと、笑って告げる狐の綺羅に、榊も小さく笑ってみせる。そして首を横に振り、示されるのは否定の意。 わざわざ当てっこしなくても、判っているに決まってる。 いたずらっぽく輝いた、緑の瞳を覗きこむ。 自分が映っていること認め、そっと安堵の息をつく。 ――自分はここにいる そんな思いを感じられたか、先ほどにも増し抱きしめられて、優しい手のひらが背をなでて。 くん、と兄弟のにおいをかいで、榊は身体の力をぬくと、ことりと綺羅によりかかる。 兄弟だけどきょうだいじゃないの、血のつながりなんてないのだから。 住まう世界も違ったのだから。 だけど出逢った、その瞬間を皮切りに、長い長い、長い時間。 一緒に過ごしてきた記憶。たしかに共有する、なつかしいものたち。 ……昔話を聞いてみる? あんまり時間はないけれど。 それでもおとぎ話のひとつやふたつ、話す時間くらいある。 三千世界の狭間をくぐり、来訪者がくるまでは。 |
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たしか仏教だったでしょうか。三千世界、という観念があります。 パラレル・ワールドの方が皆さんの耳にはなじんでるかもしれません。 すこしずつ、ずれて、重なっている並行宇宙。 彼らの住む街は、その隙間にぽっかりと浮かんでいます。 そこは虚無というのか混沌というのか…… |