創作 |
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――闇。 どこまでもどこまでも。 ただ、広がりつづける闇。 そこに存在しているものすべて、飲み込んでしまいそうに深遠な、闇。 立っているだけで、そのものの存在すら希薄にしてしまいそうな―― 虚無。 「……」 どこからともなく。歌が、僅かに虚無を揺らす。 何もないと思われた闇の彼方に、かすかに浮かぶ桜色の光。 そこへ行けばいいのだと、自然と判った。 だから、彼は、走り出す。 きっとあそこで、待ってくれている誰かがいると、すでにそれは予感であり。 「あっちのみーずはにーがいぞー、と」 上等な、郭門のその真下。 ひらひらひらひら舞い降りる、桜の花びらを掃きながら。 ご機嫌と顔に書いて、少々音程の外れた歌を気持ちよさそうに歌っている少女が一人。 「……おや?」 歌をやめて、手を止めて。 少女は、宵闇色したその瞳を、眼前に広がる闇へ向けた。 「おー」 お客さんだぁ。 こちらへ向けて走ってくる、小さな影を視界にとらえ、彼女はうれしそうに、ほんとうにうれしそうに笑う。 「門番」 門の上にちょこんと座る、小さな影法師のこどもを振り仰ぐと、彼はめんどくさそうに手を振った。 その動作で云いたいことは。もうすぐ門を閉める時間、とっととあの子を回収してこい、と、まぁ乱暴にまとめればこんな感じ。 そうして、彼女は手にしたほうきをひとまず門に立てかけて、ゆっくりと歩き出した。 【魔天楼】へとやってきた、久々の客人を迎えるために。 「いらっしゃい」 【地球遊戯】 一瞬、桜をまとったその女の子が門番に思えて。 もしかしたら、魔天楼には何か入るための試験なんかがあったんだろうか、と不安になってしまったけれど、目の前のその女の子はにこにこと笑って「いらっしゃい」と云ってくれた。 それに安心したから、一度止まりかけた足を再び動かして。 彼が辿り着くまで、門を閉めるのを待ってくれるつもりらしい、女の子――それから、間近まで来てようやく気づいたが、本物の門番らしい影法師――のところまで走る。 「ようこそ、魔天楼へ」 丸っこい宵闇の瞳に見下ろされて、もともと人見知りがちな少年が、どきどきしてうつむくと。 すい、と、少女は彼に視線をあわせるべく、その場に膝をついて、 「わたしは榊。あっちの影法師の子は耀。――小さな猫又くん、君の名前は?」 「夜」 「よる?」 うん、とうなずいて。夜は、榊と名乗った少女の肩越し、門の向こうの魔天楼を見ようと首を伸ばした。 ひらひら、ひらひら。 門の向こうは、息の詰まるような桜吹雪に覆われて。 その合間合間にかすかに見える、質素なつくりの数々の家。 のんびりと、道を歩く異形たち。 そこは、魔天楼―― 世界と世界の狭間に存在し、ゆぅらりと。虚無の海、闇の空を彷徨っている、異形たちの住まう町。 「榊」 影法師の耀が、町中に目をやって、ついで榊に呼びかけた。 なぁに? と、立ち上がって榊が問う。 「綺羅がおまえを迎えに来てるよ。 そろそろ門も閉めなければ。早く中にお入り」 「はーい」 夜、行こう。 にっこりと微笑んで、榊が夜に手を伸ばす。 「うん」 差し出された手を握り返して、夜もにこりと笑ってみせた。 妖狐の綺羅は、魔天楼の中でもかなりの古株。 というか早い話、魔天楼ができた当初からここにいる。それがすなわち何を示すかというと、こうやって町中を歩いているだけで、 「綺羅の兄さん、今日はどちらへお出かけだい?」 「無粋なことを聴くでないよ。綺羅さんは榊さんを迎えに行くんだろう」 「あっ、綺羅兄ちゃん、今度俺の、変化の特訓成果見てくれよっ!」 「おぅ! どうだい、一つもっていかないか。父上様の土産にさ」 「綺羅はん、玖狼お父上は元気かえ? 最近めったにこないから、うちの花たちがさめざめと、泣いているよと伝えておくれ」 「よぅ、綺羅! うまい菓子ができたぜ、あとで榊といっしょに食べにこいよ!」 また綺羅が、これに対していちいちしっかり返事をしているものだから、進む速度は遅くなる。 ようやっと魔天楼の繁華街と云える部分を抜けて一息ついた彼だったが、またしても、 「おや、綺羅の坊。榊の嬢のお迎えかい?」 「獅悠姐さん」 魔天楼広しと云えど、いくら見目形が少年といえど。実際に綺羅をこども扱いする者は多くない。 獅子の髪と耳、それに金色の透き通った猫目を持つ妙齢の女性は、その数少ないなかのひとりだった。 そうだよ、と綺羅がうなずいてみせると、獅悠はころころと、珠のような笑い声をこぼす。上品に、手にもった扇で口元を覆うことも忘れない。 彼の相棒はそんな彼女にあこがれていて、いつか獅悠姐さんみたいな大人になるんだ、と息巻いているが……綺羅としては、そもそもの魂が違うのだから、もう少し自分というものを見つめてほしいなぁ、と思っていたりもして。が、ことこれに関して、綺羅は極力、相棒へのコメントを控えていた。 本当に相棒が憧れているのは、彼らの父親であることを綺羅は知っている。 父親のように強く、美しく生きていくことがあの子の望みであり、そして自分の望みでもある。 「玖狼殿はどうしておられる?」 「最近は暇みたいだよ」 もっとも、親父が忙しくなったらなったでそれは困りもんだけどね。 「云えておる」 くすくす。綺羅と獅悠がふたりして、顔を見合わせ笑っていると、獅子の後ろで鞠をついていたおかっぱの少女が忠告してきた。 「綺羅、榊を迎えに行くんじゃないの?」 「っと、そうだった!」 「急ぎや。もうすぐ門も閉まる頃合。影法師がおるとはいえ、また前のように亜空に置き去りにするのは忍びなかろ」 「あの子も、二度もそんなことしないと思うけどね」 笑いながらそう云って、身をひるがえした狐を見送って。獅子と少女がくすりと笑う。 そして再び彼女たちは、桜にその身を溶かしつつ、別の場所へと去っていく。 桜の花びらがゆらゆらと、その空間に舞い降りる。 見渡す限り、桜の木など見えもせぬ、魔天楼。淡い紅色の花びらが、ゆぅらりゆぅらりふりそそぐ。 いつでも、どこでも。 相手が近くにいるならすぐ判る。 どうしてと理由付けられるものでなく、直感というには曖昧すぎる、それも予感と云えるのだろうか。 「榊ーっ」 先に見つけたのは綺羅のほう。 裏路地から大通りに出た、その視界の正面に、見慣れた黒いふわふわの髪。 彼女に手を引かれている小さな子はきっと、魔天楼の新入りさんかなにかだろう。 「きぃ」 ふぅわりと。 自分を見つけて真っ先に、微笑んでみせる宵闇の瞳。榊。 綺羅の、大好きな、きょうだい。相棒。親友。 ――恋人、 なんて云ってみたら、この子は笑ってかわしてしまったけどね。 「お掃除終ったの?」 問いに、榊は笑ってうなずいた。 「新入り回収もしたよ」 「回収って……ゴミじゃあるまいし」 つないだ手を示されて、その腕の先へと視線を転じる。 小さな小さな猫又の少年。 たぶん、生まれてそんなに間が無いのだろう。 地面まで届く長い黒髪、同じ色の丸っこい瞳、瞳孔はきゅぅっと細く。ずるずるの服は、幼子であることを無意識に示しているのか。まだ、人型への変化にも慣れていない様子。 だけど、変化はしてもらわないといけない。ここで暮らしていくうえでの、最大厳守のそれは原則。 ここは魔天楼。 妖の、異形たちの楽園だけど。ごくたまに。 紛れ込んでくる人間がいるから。 夢路を通って、あるいは黄泉路への途中で。 人型と、異形そのものの姿と。どちらを、より違和感なく人間というものが受け入れるのかというと、それはもちろん……だから。 「親父にお目通りさせなきゃね」 人懐っこい猫又の少年は、ちょっと頭をなでてやると、綺羅の腕にもしがみついてきた。 名前は? そう訊くと、にっこり笑って、 「夜」 「俺は、綺羅だよ」 「きぃじゃないの?」 先ほどの榊の呼びかけを、しっかり覚えているらしい。 「き・ら。だよ」 笑いながら、榊が夜に教えてあげる。 自分が綺羅をそう呼ぶのは、小さいころの舌足らずな癖が未だに残っているからだと。 「直さないの?」 「直して欲しくないの」 だって、今じゃ綺羅をそう呼ぶのは榊だけだから。 自分たちに許された特別な呼び方。それってなんだか特権だから。 ね。 顔を見合わせて、笑いだした狐と少女を、子猫は不思議そうに眺めていた。 魔天楼の主は、大通りの突き当たり、ひときわ目立つ楼閣で、のらりくらりとしていることが多い。 主と云ってもすることはなし、せいぜい虚無の隙間を移動する際、この街が喰われてしまわぬよう、うっすらと膜をかけるのみ。 もっとも、それを行うには大量の力を必要として。 彼以外、それを行える者はいないからして。 だからというわけでもないけれど、それも因のひとつとし、彼はこの街の主なのだ。 そして―― 「親父殿」 今日も今日とて楼閣の、屋根のてっぺんでのんびりと。煙管なぞをふかしつつ、気分よく桜の花びらの舞い散る様を眺めていた彼のところに、ふぅわりと、まるで空から降るように。綺羅にその身を抱えられ、舞い降りたのは愛娘。 さらに娘の腕に抱かれ、ぎくしゃくと会釈してみせたのは、さきほど虚空を駆けてきた、幼き異形に違いない。 遠くに感じた小さな妖気を、今目の前に示されて。彼はこっそり苦笑した。 わざわざこんな処まで、つれてこずともよかろうに。 あと半刻も待ちおれば、どうせ下におりたのだから。 ――だけど。 彼の気配に圧倒されて、びくびくしている子猫を見るに、娘と息子の気遣いが、嫌というほど身にしみる。 たしかにこんな幼子ならば、魔天楼の主としての自分より、綺羅と榊の親として、のんびりしているこの姿、見せたほうが緊張はしすぎなくてもすむだろう、と。 「ほら――夜」 子猫の名前は夜という。 「この人が、魔天楼の主で、俺と榊の親父。 ――玖狼さんだよ」 「玖狼さま!?」 子猫の耳がぴんと立ち、丸っこい目はさらに丸く、ずるずるの着物からのぞいていたしっぽの毛は、ぶわっとふくらんだ。 「知ってるのかい?」 できるかぎり最大限、気配をゆるませ散開させて。幼い小さな猫又が、おびえなくてもすむように。 その優しげな口調故にか、ようやく子猫の緊張がとける。 だけども。 抱いている、榊の腕に伝わるは、どきどき脈打つ心臓の音。 別の意味でのその興奮は、異形としての生を多少でも、経験している者ならば、当たり前のものかもしれない。 「三千世界を荒らしてまわり、三十四身と戦って、かの帝釈天と互角とも云われた異形――」 銀狼の化身。玖狼。 子猫のつぶやきを黙って聞いて、狼は、にっこり笑って首傾げ、 「そのことを云っているのなら、一応当たりと答えておくけど」 「死んで……消滅してしまったと聞いてた」 異形の間ではすでに伝説となっている、強大な存在目の前に、子猫の心は畏敬に震える。 「そうだね」 「え?」 「三千世界を敵に回した玖狼は、もういない」 くすくすと、綺羅と榊が笑みこぼれる。 「俺は今、このふたりのお父さん役で手一杯なの。 だからもう二度と、世界に牙を向くなんて、退屈なことはしたくないんだ」 「た、退屈なこと……って」 「退屈だったのさ、あの頃の俺はね」 星々が位置を変える、それが何度となく続く、その長い時間を、ちょっとした昔のことのように云い切って。魔天楼の主はにこりと笑う。 そう、退屈だったのだ。 あまりに強い力を持って生まれた、最強にして最悪の異形は。 その力故に、何を為すにもかかる制限に苛立ちを覚えた。 指を動かすだけで、呼吸するだけで、世界にひびが入るのをその身に感じるが故に。 自らの力を抑えようともしなかった――遠い、未だ若かった、異形は。 自分の力を限界まで、臨界まで、解き放ってみたくなり。 無限に連なる三千世界を駆け巡り、世界を守護する者たちと渡り合い、そして、天すら一度は彼の前に膝をついた。 そのまま世界はすべて虚無に帰すかと―― 当時を知る者は、振り返りつつ身を震わせる。 昔話をしてあげようか。 そう云って、狐と少女は子猫を抱いて、ふわりと屋根から姿を消した。 「……やれやれ」 こどもたちを見送って、またぞやごろりと寝転んで。 狼は、煙管の煙を吐き出した。 白煙と舞い散る桜のその向こう、けぶって見える彼の街。 彼が創った魔天楼。 さぁ、昔話をしてあげよう。おとぎ話のほうがいい? 時間だけならたんとある。 亜空に住まう者にとり、もはや時すら意味を為さず。 ゆぅらりと、時の狭間をたゆたいながら。 さぁ、おとぎ話を始めよう―― |
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魔天楼は摩天楼にひっかけてますが、特に意味は(笑) 亜空間、もしくは異世界。妖怪や、異形や。物の怪。そう呼ばれる者たちが住む、 彼らだけの楽園。意識的にリズムをもった文章になるようにしてるのですが。 努力の欠片くらいは現れてくれているでしょうか? 桜舞う、かの地に眠る昔話。 さて、お時間に余裕のある方は、どうぞしばしのお付き合いを。 |