創作

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 翡翠は微笑む。
 蒼銀は笑う。
 金と銀と蒼はたゆたう。
 緑はまどろむ。

 ――凝りし金色の一欠けらは願う。


 願うは薄紅、その力。
 世界と世界の狭間を壊す、ななつの星の欠片のうちの、今は失われたひとつを望む。


【地球遊戯】
〜在りしもの〜



 くるり、くるくる、環がまわる。

 阿修羅は驚き、狐は笑んだ。そうして、少女はまたたき数度。
 覚えてる。見覚えている。
 この空間。この金色。
 ずっとずっととおいむかし、あの人のところに落ちたとき、自分が迷い込んだ場所。
 懐かしい。覚えてる。

 ――この気配も覚えてる。

 ばっ、と、3人同時に振り返る。
 ばらばらだった表情は、そこできれいに一緒になった。

 警戒。臨戦。

「ひさしぶり」

 阿修羅の王子の記憶を食らい、魔天楼のこどもの姿を象った、界渡りは微笑んだ。


 真っ先に、反応したのは綺羅だった。
 横の榊をちらりと見やり、それから正面の榊を見やり、
「趣味悪ー」
 と、すっぱり一言切って捨て。
「あ、榊が趣味悪いっていうんじゃないからね?」
 と、途端に不機嫌顔になった、横の少女のフォローに入る。
 実に普段どおりの狐の仕草を見せ付けられて、修羅はがくりと肩落とし。
 だけど気づいた。気づいてしまう。
 ぴりぴり、空気が殺気立ちつつあることを。

 修羅は親をあれに喰われ、記憶も力も奪われた。
 心の底から浮かびつつあるこの憎悪と似たものを、隣の彼らから感じるのは、いったいどうしてなんだろう?

 王子の疑問に気づいたのだろう、榊が先刻とは別の、仏頂面をつくりつつ、一言ぼそりとつぶやいた。
「あいつ、敵」
 ただごとではない因縁が、そのただ一言に込められる。
 ゆらり、立ち上る淡い桜色の陽炎。
 それは力の顕現である。
「戦うの?」
 くつり、もうひとりの榊が笑う。
 無邪気な、邪気に溢れた笑みを浮かべ。
「いいかげんやめてよ、その恰好。前の天使姿のほうがまだいいよ」
「気に入らない?」
「気に入らない。第一その話し方もやだ。榊はそんな話し方しないのに」
 模倣するならカンペキにやれ、それがオリジナルへの礼儀だろう。
 そう云い募る狐の横で、阿修羅と少女は脱力してた。
 けれど界渡りにとって、それはそよ風ほどしかないのだろう。
 手のひら口に押し当てて、ころころ笑ってこう云った。
「だって、幼い頃しか知らないもの」
 あの頃の薄紅しか、知らないもの。

 その一言に、やっぱり殺気がむくりとふくれた。

 薄紅、と彼女は云う。
 榊、と彼女は云わない。
 薄紅はちから。榊はにんげん。
 薄紅は象徴。榊は存在。

 ・・・界渡り。その在り様を、うとましいほどにくっきりと、知らしめる。

 けれど。
 やっぱり目の前の榊にとって、それは心地好い風なのだろう。

「まだまだ、時は要るのかしらと思ったわ」

 以前あのときあの瞬間、玖狼に邪魔され薄紅を、手に出来なかったあの夜に。

 挑発されてるととったのか、綺羅がゆっくりと立ち居を変えた。
 半身をずらし、片足心持ち浮かし、おそらくいつでも動けるように。
 魔天楼の幼子を、狐はずっと守ってきた。
 薄紅だからではなくて、同じ迷子だったからではなくて、――家族だから。
 だから、今度もこれからも、守りつづけていくのだと。

「でも僥倖。阿修羅の王子。貴方の記憶、美味しかった。力もとっても上等だった」

 今まさに私に溶けようとしてる、父上ほどではないけどね?

「薄紅の在り処も・・・見つけられた」

 含まれる多大な揶揄の響きに、修羅がすっと身構える。
 黒い髪を虚無に浸し、身をかがめ、こちらもいつでも動けるように。
 父を喰われ一族を喰われ、そうして己の記憶も力も食われ。
 そしてそれがあろうことか、幼い頃にただ一度、出逢った少女さえも巻き込んだ。
 許せるか? ――許せない。


 にこり――正面の榊が笑う。
 むすっ、と、横の榊が身構える。

 もしも余人が見ていたならば、

「うわあ一触即発」

 ――見ていたし、こう云った。



 ばっ、と。
 今度は4つの存在が、声のした方を振り仰ぐ。
 この場に上下も左右もなくて、だけど方向を云うならば、蛇がいるのは彼らの頭上。
 深い緑色の髪を、重力のない虚空に広げ。
 深い緑色の眼を、苦笑にも似た色で染め上げて。

 環の番人が、其処に立つ。

「……おまえ……」

 正面の榊が、表情を歪ませてつぶやいた。
 憎々しいと評ぜられるにふさわしく、恋焦がれると形容されるにふさわしい。
 厭う心と慕う心。
 矛盾を抱くそれこそが、もはやはじまりには還れないのに。
「ひさしぶり? はじめまして? ・・・ねえ、きょうだい?」
 嫌味全開で、蛇はにっこり笑ってみせた。

 どちらに降りることもせず、蛇はゆらりと虚空に立つ。
 けれどただその存在だけで、彼云うところの一触即発だった場の空気、ゆらりゆらりと散っていく。

「――たしかにいい案だ。ここで騒げば刺激行くしね。起きるかもしれないね」

 そのまま周囲を見渡して。
 降り積もる金色を見透かして。
 心なしうっすら目を細め、蛇は界渡りにそう云った。
 そのことば。
 気づかされた目論見に、魔天楼と阿修羅の子たち、はっとその目を見開いた。
 憎悪。戦い。嘆き哀しみ、そうして戦い。
 引き起こさせたのは。誰?
 引き起こさせたのは、界渡り。
 消滅を望む界渡り。個を消し去って、全を望む界渡り。
 ・・・今のこのときこの舞台。この状況。
 仕立て上げたのは眼前の榊。

 子供たち、ひどく悔しげな顔になる。
 またしても、嵌められたのかとの思いも強く。

 そんな彼らをゆっくり見やり、蛇は、申し訳ないけどね、とつぶやいた。

「決着・つけられるわけがないんだよ。俺たちは」

 どうして!?
 と、真っ先にそれに噛み付いたのは、幼い阿修羅の王子様。
「こいつを倒せば……!」
「喰われた魂も奪われた記憶も、もうあれに溶けてしまってる」
 分離、させること出来る?

「……だって……折角、追いついたのに……!」

「折角、待っていたのに……!」

 修羅の叫びに重ねて、叫ぶは正面の榊――いや、界渡り。
 ゆらりと、少女の姿が揺らぐ。いや、霞む。
「逃げる・・・!?」
 榊が、それを追おうと足を踏み出すけれど。
 その腕を、綺羅がつかんで止めた。
「きぃ!?」
「あれが本当の姿だよ」
「……?」
 云われて。
 改めて、視線を向けてみる。

 霞。陽炎。霧。幻影。

 そんな形容もふさわしく、背後の黄金透き抜けさせて、ゆらり、ゆらゆら――かすむは霧とも霞とも。
 ・・・界渡り。
 今にも消えてしまいそうな、今にも失せてしまいそうな。
 ひどくはかない風情の――けれど、あれは存在だった。

「……界渡りと、星は、本来まったく別の性質だった」

 番人が、金色のひとつを手にとった。
 それはいつの輝きだろう。
 新しいのか古いのか、それさえも、はきとは判らせない、ただ純粋に輝くかけら。

「両方を抱えていたからこそ、あれは、生まれて死ぬものを生み出した。対極の界渡りと星を生み出した」

 ……同じもとから生まれた存在。
 望みが違い、願いも異なる、けれど。

「・・・あれは、対極の星を喰ったんだ」

 遥かな時を、遥かな道を、隔てた場所にある星を。
 その距離縮めて、喰ったんだ。

 星の嘆きを覚えてる。
 榊と綺羅は、身を震わせて思い出す。
 薄紅の力を受諾した、遠いあの日を思い出す。

 界渡り。

「渡すわけにはいかないって……星、泣いていたよ……?」

「うん。泣いていたね。……星は、今の世界を好きだからね」

 壊される、と、思ったんだよ。
 界渡りはそのときまで、界渡りだったから。

 星を喰うまでは、

「……ね?」

 蛇のことばに応えるように、霞のなかで、淡く何かが明滅しだす。
 それは、界渡りにとっても意外だったらしい。
 驚愕の。意志が、場の全員に伝う。
「……消滅だけを望んでいたら、いつかは金色に戻れたかもしれないのに」
 力を望んだ界渡り。
 星を望んだ界渡り。
 願いはひとつだけではなくなった。

 純粋に。
 消滅だけを願うはずの、界渡りは其処にはいない。
 消滅を願い、力を望んで星を食らった、そこからすでに、界渡りは界渡りではなくなった。

 矛盾を、抱いた。

「最初から、俺たちには難しすぎるんだ。壊すの壊さないの、どうして俺たちが決められる?」

 子供が、どうして親を殺せる?

 振り返る蛇の視線を追って、こどもたちも首を動かす。
 降りつづける金色に。
 積もりつづける金色に。

 ここは世界の果ての果て。狭間の果ての、その向こう。

 ――母親が嘆きまどろむ所。

「消滅を願うのは……もしかして」

 いつか父親から聞いた、神話をふと思い出し。
 修羅が、界渡りに目を戻す。
「すべて壊してひとつになるの、衝突も争いも抗いもない、たったひとつのものに戻るの・・・!」
 あれの嘆きを消したいの……!

 だから力が欲しいのに。
 だから薄紅が欲しいのに。
 どうしていつも、邪魔するの!?

「……ひとつになったら、おかあさんはいなくなるよ」

 すべてが混沌としたあのときに、異端として生まれたひとつ。
 すべてが全であったとき、個としてうまれた単体ひとつ。

 生み出された、自分たち。

「わからなくなるよ。壊したら」

 嘆きも哀しみも消えるだろうけど、そのぬくもりもなくなるよ。

 降り積もる、金色のかけらが幾つか、応えるように寄り添った。
 榊に綺羅に、修羅にみどりに。
 そうして、ただよう界渡りに。


 ・・・ほら、難しいでしょう。

 囁く番人の声がする。



 だれも、なにも、だれを、なにを、こわしきれるほど、つよくない。


壊すと同時に何かを生み、生むと同時に何かを壊す。
それは、喰らうものも喰らわれるものも、すべてすべてが同じだった。


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■目次■

端的に云えば。親殺し。

そうすれば嘆きもとまる。だけど暖かい腕もなくなる。
二択。
出来ないし、しないでほしい。
ならば守り抜いてしまえ。