創作

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春の彷徨者・前編


 吹雪が、ずいぶん日をおいて訪れるようになってきた。まだ、地面に積もった雪は溶けずに、あいかわらずこどもたちの雪合戦や、雪細工の材料となっていたけれど、だんだん、だんだん、積もっていた白いものが薄くなっていく。
 あいかわらず外は寒いし、お日様の光もまだまだ弱いけれど。
 風に、ちょっとずつあたたかさが交じりはじめた。
 それは、大陸北の辺境の村でも、例外ではなかった。


 フィリオンは、施設のこどもたちのなかでも起床が早い。
 日も昇らぬうちに目を覚まし、シーツをたたんでカーテンを開けて、天気のいいときには窓も開けて空気の入れ替えなどしているうちに、次にヒューが起きだしてくる。こちらはシーツをたたむまではフィリオンと同じだが、そのあと、施設の裏の井戸へ水を汲みに行くのが日課だ。そしてそうこうしているうちに、他のこどもたちも起きてくる。そうなれば、フィリオンはこどもたちの着替えの手伝いをして、ヒューは汲んできた水で顔を洗う用意をして。
 ――今年の冬から、彼らのその日課に新たな項目が加わった。

「おーきーろーっ!!」
「シェイドにーちゃん、朝だよーっ!!」
 ほとんどの者が起き出し、着替えたりシーツを片付けたりして、かなりざわついてきた寝室だったが、未だに丸くなって眠っている者がいた。
「リーシア、かまわないからやっちゃって」
 シーツをたたみ終わったフィリオンは、シェイドのまわりでぎゃあぎゃあ騒いでいたこどものなかで一番幼いリーシアをけしかける。少女は「うん!」とひとことうなずくと、シェイドの寝ているすぐそばにあった、小さめの飾り棚によじのぼった。くるりと身体の向きを変え、いたずら顔で黒髪の兄弟を見下ろす。
 あきれた顔でヒューが眺めているが、止めようとはしなかった。
 2ヶ月前、この施設にやってきた当初からだったが、この新しい黒髪の少年はこのうえなく朝に弱く、フィリオンが目覚める前――は、まだ無理があるとしても、それまでいちばんの寝ぼすけだと云われていたボウを差し置いて、皆がちょっとやそっと騒いでも、全然目を覚まさないのだ。
 そうなると、必然的に多少手荒にでも起こさなければ――施設の生活は、とくに食事・起床・就寝・勉強の時間は先生たちによって決められているから、きちんと守らなければ――いけないわけで。
「いきまーす!」
 元気いっぱい掛け声をあげて、少女が棚から飛び降りた。着地点は、いわずもがな。
 そして……
 こどもたちの寝室から聞こえてきた悲鳴に驚いた先生たちが駆けつけたのは、シェイドがげほげほ云いながら身を起こしたちょうどそのときだったのである。


 久々に、空をおおっていた薄雲がなくなり、弱々しいながらも太陽の光がふりそそぐなか、先生たちにお使いをたのまれたフィリオンとヒューとシェイドは、つれだって街道を歩いていた。
 今日のお使いは、村からちょっと離れた丘陵の――とはいってもちょっとした山くらいの規模はあるが――、一角に独りで住んでいるという、狩人のおじいさんから肉の燻製をもらってくるというものだ。冬の間は新鮮な肉が手に入りにくいのだが、育ち盛りのこどもたちに食べさせてやれないのはかわいそうだから、とおじいさんのほうから云いだしてくれたことらしい。今までも、時々燻製をもらいに行ったことはあるが、いつも先生たちといっしょだった。だが、今回はそうもいかなかった。いちばん小さい、まだ赤ん坊のカイがどうやら風邪をひいたらしく熱を出してしまったため、先生たちは彼から目を離すことができないでいる。
 こどもだけで出かけるのは、今日が初めてだ。シェイドもいっしょに行くのは、おじいさんへ挨拶するため。そして、シェイドがいるなら帰りの荷物もだいじょうぶだろうとリク先生が云ったので、今、金銀黒の3人組は街道をてくてく、丘のほうへ向かって歩いているのである。
「おじいさんて、どんな人だ?」
 シェイドの質問に、
「こわいけど、優しい人だよ」
「あんまり笑わないんだけどな、けっこう世話焼きみたいな気がするぜ」
 ほとんど同時にフィリオンとヒューが答え、一瞬、目を丸くするシェイド。
 初めは緊張していたのか、なかなかうまくしゃべれなかった彼も、さすがに2ヶ月も施設で寝食をともにしているうちに、少なくとも同じ年の金銀ふたりに対してはまともに話せるようになっていた。その代わり、他のこどもたちに対してはいまだにしどろもどろなのだから……ヒューによく、年下に遠慮してどうする、とかなんとかつっこまれているのを見かける。
 もっとも、こどもたちはそんなシェイドをけっこう好いていたりするようで。
 シェイドがやってきた初日から彼とけんかしてしまったボウも、今ではすっかりシェイドになつき、一緒にたきぎを運んだり裏で飼っている羊たちの世話をしていたりする光景がおなじみになった。
 フィリオンの、11の誕生日のときも、そうして仲良くなったみんなで、プレゼントをくれたのだ。
 しゃらん、と涼やかな音をたてて、フィリオンの首にかかった銀の細工が揺れた。
「……おまえな、こんなとこにまでそんなもん付けてきてどうするよ?」
 反射する陽光に少しだけ目を細めながら、ヒューが抗議の声をあげる。
「だって、大事なものだもん。ずっと傍においときたいじゃない?」
「うん、大事なものなら……もってたほうがいい」
 その『だいじなもの』をくれた一人であるシェイドが、フィリオンに同意して真面目にうなずいた。
 銀色の少女の首にかかる、銀の鎖。その先には、小さな天然石が同じく銀板に埋め込まれ、フィリオンの胸元を飾っていた。リク先生と、フレア先生と。それから、こどもたちみんながお小遣いを少しずつ貯めて。誕生会のときにくれた、フィリオンの宝物。もっともそれなりに高価な代物だから、リク先生が帰ってこなかったら、たぶん別のものになっていただろうけれど……
「ヒューだって、それ、いつも持ってるじゃない。
わたしのことだけ云うのはずるくない?」
 そう云って、フィリオンはヒューの腰を指した。
 指の先にあるのは、なめし皮の鞘に収められた小振りのナイフ。やっぱり、彼の11の誕生日に施設のみんなで贈ったもの。
 ヒューは一瞬視線を移したものの、
「これはいいんだよ。いざってときに使えるし」
「いざってときって……」
「そろそろ、冬眠中の熊なんかが起き出すだろ」
「熊と戦うつもりなのか? ヒュー」
 眉根をよせて、シェイド。
「そんなことしないよ……転ばぬ先の杖っていうじゃないか」
「また、難しいこと云って―――」
 ふくれかけたフィリオンだったが、ふと目を転じてみると、めざす狩人のおじいさんの小屋が小さく見えていたので、すぐに笑顔に戻る。3人でつらつら会話しながら歩いているうちに、距離も、時間が経つのも忘れていたようだった。
「ほらシェイド、あそこがおじいさんちだよっ」
 顔をほころばせて道の彼方を指差すフィリオンに、シェイドが微笑みで答えた。

 おじいさんの小屋にたどりついたのは、それからさらに小半時ほど経ってからだった。大きな木が材料の――しかも手作りだと聞いている――家の前に立ち、こどもたちは顔を見合わせた。
 金銀、ふたりの視線が黒の少年に集中する。
 いきなり注目されたシェイドは、とまどったようにフィリオンとヒューを見返した。
「じゃ、シェイド。がんばれ」
 ぽんっとシェイドの背中をたたいて、いやにさわやかにヒューが云った。
「え?」
「おじいさんにご挨拶しなきゃ、シェイド」
 笑いながらフィリオンがうながすと、彼はなんとなく不思議そうな顔をしながらも扉のほうに近づいていった。
どんどんどん、と力を入れて扉を叩くと、幸い、おじいさんは家にいたようだ。「入れ」と声が聞こえた。
 フィリオンとヒューに背中を押されるようにしてシェイドが扉を開け―――
「村の子か? よくきたな」
 67という年の割にはたくましさを感じさせる声が聞こえてきた。
「おじいさん、こんにちは!」
「久しぶりです」
 金銀ふたりはそれぞれ挨拶したが、シェイドは扉を開けた体勢のまま、見事に固まっていた。
 くすくす笑いながら、フィリオンとヒューは、シェイドの肩越しに家の中を覗き込む。
 ――熊。
 壁いっぱいを使ってかけてある、大きな大きな熊の毛皮。両手を上げた格好で天井からかけてあるため、まるで襲いかかってくるようにさえ、見える。最初に見たとき、自分たちも泣き出してしまったのは棚にあげて、ふたりはシェイドを驚かせられたことに会心の笑みを浮かべた。
 引きつった顔でシェイドが振り返る。
「……おまえら……っ」
「なーに?」
「ははは、すまん忘れてたっ」
「………」
 わざとらしさ大爆発の金銀コンビプレーに、黒髪の少年は本気で頭痛を覚えたようだったがすぐに、気を取り直して家の持ち主へ視線を転じた。
 熊の毛皮を背にして、大きな木作りの椅子に座りこちらを眺めている白髪の老人。体格はがっしりしていて、山暮らしで鍛えられた筋肉が、こんな季節だというのに薄着の服の下から見て取れる。眼光するどく、並の獣であれば相対したとたん射すくめられてしまうに違いないだろうが、今は、穏やかな光を宿していた。
 その瞳が、いま、優しくこどもたちを見ていた。

 外を歩きづめですっかり身体が冷えてしまったこどもたちをとりあえず中に入れ、老人は温かいスープを振舞ってくれた。彼ひとりだけならばあまり使われない暖炉も、たきぎを大量に足した結果、今は赤い炎がぱちぱちと音を立てて踊っている。その前に敷かれた毛皮の敷き物に簡素なテーブルが置かれ、彼らは輪になって炎の恩恵にあずかっていた。
 こどもたちがくつろぐまで待って、老人はシェイドに話しかけた。
「施設の新入りか?」
「……はい」
 フィリオンとシェイドに、さっきの、熊の毛皮のことを告げなかった不義理を責めていたシェイドは、いきなりかけられた声におどろいて、振り返った。
 もう何度もここにきているふたりはとっくにくつろいでいたが、この少年だけはまだ少し、身体が固い。見慣れぬ場所に戸惑っているというのもあろうが、もともとの警戒心がこどもにしては強すぎる。魔族という、今ではほとんど伝説と化した種族の生まれならばそれも仕方ないのだろうが。
 ざっとそのくらいを見て取った老人は、ゆっくりと黒髪の少年に語りかけた。
「名はなんという?」
「シェイド」
「いつ、こちらにきたのだ?」
「……1ヶ月…いや、2ヶ月前くらい」
 フィリオンは、暖炉の炎のあたたかさに眠ってしまいそうになりながら、老人とシェイドの会話に耳を傾けていた。ヒューなどは、すでに舟をこぎかけている。
「見たところ魔族のようだが」
「……ああ」
「おまえも何か、人にはない力を持っているのか?」
「判らない。それを教わる前に親をなくした。
家族だけで住んでいたし、同族の住処も知らない」
 黒髪の相棒が、いつになくすらすら話していることにフィリオンは驚いた。初対面の人には、必ずといっていいほど、儀礼のような挨拶をしたあとは会話権を金銀にゆずって日和見しているこの少年にしてはめずらしい。
「同族のいる場所はわかるのか?」
「……――――――」
 眠くなりすぎて聞き取れなかったとフィリオンは思ったのだが、どうやら少年の声が小さいのと早口になってしまったのとで、老人もうまく聞き取れなかったらしかった。首をかしげて少年に聞き返している。
 銀の少女の横で舟をこいでいたヒューが、いつの間に目を覚ましていたのか、
「フュールディームハレス」
 と、ぽつりとつぶやく。
「知ってるのか?」
 シェイドが驚いた様子で振り返った。
 うん、とヒューがうなずく。金色の少年の知識量に今さらながらフィリオンは驚いて、彼が次にことばをつむぐのを待った。
「魔族や妖精や精霊や……彼らに伝わる場所の名前。『いつか帰る場所』の名前。
賢者が作った幻の彼方。
 黄昏の果てとも暁の向こう側とも云われる……俺たち人間には、絶対にたどり着けない場所」
「そうだ」
 ゆっくりと老人がうなずいた。
「おまえさえその気なら、見つけることができるかも知れんな」
「……」
 ふと、何かを感じてフィリオンはシェイドを見た。
 ヒューも、黒髪の少年に視線を向けた。
 最近では金銀黒、と呼ばれることの多くなった相棒たちに目を向けて、シェイドはゆっくり首を振ると、かすかに微笑んでみせた。
「父が云ってた――それは伝説だと。遠い昔に人間たちと争った祖先が生み出した想像だと。
 賢者という幻にすがりつき、そうでもしなければ、争いで種族の大半を失った彼らに、心の寄る辺はなかったのだと……」
 だけどもう、人が千回生まれ変わるよりも遠い昔のできごと。
 魔族、妖精、精霊……その昔に人々と地上の覇権をめぐって、勝敗のつかない争いをした彼らだが、ここのところは人間と親しく交流をもつ者もけっして少なくない。そして彼らの住処へ案内してもらうという稀な体験をした人もいるそうだ。
 ということは、すなわち、彼らは人間のいける場所に住んでいるのだということ。
 ――だが。
 すべては過去のこと。
 フュールディームハレス。人でないものたちがいつか帰る、賢者の生み出した、ときの彼方。
 在りえない、けれど彼らの心にはたしかに存在するその場所に思いを馳せて、小屋にいる人々はしばり黙り込んだ。

「シェイド」

 沈黙を破って、フィリオンはシェイドに呼びかけた。
「ん?」
 すっかりぬるくなってしまったスープ入りの、大きなカップを両手にもったまま、黒髪の少年が振り返る。
「……シェイドも――」
 問いかけて、フィリオンは、ふっとため息をついた。
「なんでもないよ」
 隣の赤い瞳が、視線だけで投げかけてくる問いには気づかないふりをして、笑ってみせた。

 炎がはぜる。しばらくゆっくりしていけ、との老人のことばどおりにこどもたちはくつろいでいた。もうそろそろ出なければいけないのだが、このぬくもりが心をつかんで放さない。
 穏やかに流れる空間に気が緩んだか、
「……いつか……」
 ぽつり、とフィリオンは、知らず知らずのうちにつぶやいていた。
「いつか?」
 聞きとがめたヒューのことばに、けれど彼女は首を振る。そして視線を動かした先には、狩人のおじいさんから熱心に話を聞いている、黒色の相棒。
「……フュールディームハレス……か」
 人で無いものたちが、いつか帰る場所。
 賢者だけが知っているという、遠い遠い彼方の地。
 黒色の相棒は、黒い髪も褐色の肌も人のそれだが、とがった耳はそれだけで雄弁に彼が「人外のもの」であることを語っていて。
 シェイドがきたのは、いつだったかな。
 2ヶ月前、誕生日を間近にうきうきしていたころを振り返る。そう、リク先生が彼をつれて帰ってきたんだった。雪にまみれて真っ白で……耳を見るまで、まさか人間じゃないなんて思いもしなかった。
 ……2ヶ月。
 そんな短い間に、黒髪の少年はすっかり施設に解けこんでしまって。特に金銀ふたりはシェイドといっしょにいることが多かったから。
「……いやだな……」
 施設から、もらっていかれたこどもを知っている。この地方ではなく、中央の……アストリーア王都からときどきやってくる、『貴族』が、施設の子供をぜひにと願い養子にしたことは、フィリオンが施設にやってきてからも何度かあったこと。そのたびにみんな泣いて……
 使われなくなった、こども用の食器は、次に入ってくるこどものためにとっておかれる。要りもしないのについ、その食器を手にとってしまってなんだか目が熱くなったこともあった。
 ぽん……と。
 自分の手とそう変わらない大きさの手が頭に乗せられた。とっさのことに驚いたフィリオンの、見やった先には見慣れた紅い瞳。
「それは、あいつが決めること」
「……なによ、えらそうに」
 ちょっと頬をふくらませて、ヒューの手をどける。
 フィリオンだって判っている。自分たちがどう云っても、結局最後に決めるのは彼らではなく、もらわれていくその子だったから。
 そしてシェイドもきっと、自分で決めるのだろう。
 けしてたどり着けないだろう遠い場所に、フィリオンは思いを馳せた。


「じゃあ、ありがとうございました」
 引き車を使っているとはいえ、いっぱいの燻製肉の重みによろけているこどもたちに、老人は苦笑してうなずいた。
「本当にだいじょうぶか? 施設まで運んでやってもいいぞ?
 それに暗くなるのも早いだろう……泊まっていってもいいが?」
「ううん、わたしたちのしごとだから。
 ……それに、この燻製、早く持って帰ってあげたいし」
「できるだけ急いで平地に降りろ。そのあとはゆっくりでだいじょうぶだ。とにかく丘を降りることを急げよ」
「はい」
 真剣な顔でヒューが答える。前に一度、彼と先生たちだけでここへやってきたとき、熊に襲われた経験から――そのときは、駆けつけた老人がかろうじて熊を撃ち殺して助けてくれたそうだ――、忠告を無視できないものと考えているようだ。
「……あなたは」
 ふと、シェイドが老人に向かって話しかけた。
「ん?」
「あなたは、町へ行かないのか? 誰かといっしょにいたく、思わないのか?」
「……さぁなぁ」
 にやりと笑い、老人は、豊かに生えそろった白いひげをなでた。
「おまえは、わしを独りだと思っているか?」
「でも、おじいさんは一人暮らしでしょう?」
 意外な答えにびっくりして、フィリオンが横から口を出す。「ちがうのだ」と、おじいさんは表情を微笑みに変えた。
「わしにはこの丘が在る。幼いときから長い間ここと共に在った。ここの生き物たちとともに在った。彼らを糧にするときもいつも、わしは感謝しているよ。
 人間はたしかに『独り』では暮らせまいが、わしは『一人』なのだから気にすることも無い」
 この丘に、一人。けれど独りではない。
「まぁ、こんな隠居暮らしのじじいの話など、おまえさんたちにはまだ早かろうがな」
 かっかっか、と豪快に笑って、老人はこどもたちの背を軽くたたいてやった。

「おまえたちにはあの家があるだろう。早く帰ってやりなさい」




       さくり、さくり
   聞こえるか聞こえないか、ほんとうにかすかな音しかたてず、彼女は歩いていた。
   落ち着いた歩調で、アースフィルドの村に背を向けて、丘を登っていく。
   ……ふと。
  「ねぇ、なんだか騒がしい気配がしない?」
   彼女以外には誰もいないはずのそこから、不意に声が発された。
   まだ、幼さを残す少年の声。
  「そうだな……」
   だが、それは彼女にとっては別段異変を感じることでもないらしい。
   歩みを止めると、顎に指を当てて、なにやら考える素振りをした。
  「また懐かしいな……これは……」
   ぽつりつぶやいて、また、歩き始める。
  「見に行かないの?」
  「さぁね」
   意外そうな少年の声の問いに、彼女は、そっと瞳を細めて見せた。
  「進んで見に行くほどのもんじゃないだろう?
   不安定な気はするが、まぁ、これくらいならどってことない」
  「……そうかねぇ?」
  「おまえも少しは信じてみろよ?」
   くすくす、彼女は微笑った。
  「約束しただろう? 彼らと」
  「そうだね」
   ふっ、と。気を抜いたような感覚を伝え、少年の声はそれっきりしなくなった。
        さくり、さくり
    そして、彼女はふたたび歩き始める。



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