創作

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冬の来訪者


 そこは、大陸の北の果て。
 どこまでもつづく荒野と、吹きすさぶ冷たい風と。
 一年の半分以上は厳しい冬に覆われ、わずかに訪れる夏の日々でさえ、太陽の光に力はなく。
 およそ生物が住むには適していないように思われる、そんな辺境の地にも――けれど、やはり。
 生命というものは、存在して……

 アルストリアという世界がある。
 人と神と魔物、妖精や動物や様々な生命たちの暮らす――遠いかの地。



 世界地図のほぼ中心を占める大陸の名を、ハリアーと云う。
 その大陸の北の辺境に、小さな村があった。
 村といっても、ちょっと高台へ登れば一望できるほどの広さしかなく。住民も、全員が顔見知りだというくらい。
 王都から領主が派遣されてはいるものの、どちらかといえば定年間近になった官僚の老後を世話してやっているような感がある。
 そんな、小さな……けれど素朴で心休まる――それが、アースフィルドという村。



 長い長い冬が、実はフィリオンは大好きだった。
 そりゃあ、外に遊びに出られないというのは、もうすぐ11歳になろうかという遊び盛りの彼女にとっては少々たいくつな状況ではあったけれど。
 それでもちょっと周りを見てみれば、楽しいことはたくさんあるから。
 暖炉の前でみんなで転がって、絵本を読み合いっこするのもいいし、広間をちょっと片付ければ、数人のこどもたちが駆けずりまわっても十分な広さがある。あんまりはしゃいで埃を巻き上げ、結局そのあと掃除になっても、全員でやるのだから全然つまらなくない。
「先生――」
 外を眺めていたフィリオンは、買出しに出かけていた『先生』が雪の中を戻ってくるのを見て取って、あわてて窓辺から玄関へと駆け出した。
 フィリオンが暮らしているのは、身寄りのないこどもたちを引き取って育てている、小さな施設だ。
 大陸の北の果てにあるこの地域は、冬の寒さが尋常でなく厳しい。そのため、一歩間違えれば抵抗力の低いこどものみならず、大人ですらも、命を落とすことがまれではなかった。そうして親をなくしたこどもたちは、けっして少なくなく。彼らは、村に唯一あるこの施設に集められ、世話されることになっていた。
 もっとも、小さな小さなこの村だ。
 村中の大人たちは村中のこどもたちの親であり、こどもたちは村中の大人のこどもである。
「お帰りなさい、先生!」
 扉を開けて出迎えると、施設で彼女たちこどもの世話をしているフレアが、
「ありがとう、フィン」
 にっこり笑いながら、軽く抱いてくれた。
 彼女――フレア・リジアスは、今年で28になる落ち着いた女性だった。紅茶色の髪は簡素にたばねられており、肌にも化粧っけはない。落ち着いているといってもけっしてなよやかだとか繊細だとか、そういう意味合いはない。元気盛りのこどもたちに『先生』と呼び慕われるくらいには、彼女は肝が据わっていたし元気もあった。食事の時間になってもこどもたちが席につかなければ雷を落とすし、けんかがあればすぐさま飛んでいって平等に仲裁する。全員分の洗濯物をあっという間に洗ってしまうし、買出しに出たときなんかは、よくもまぁこんなに抱えられるものだと店の人が感心するくらい、大量に買い込んで(まとめ買いだと安くなるということもあるので)帰ってくる。

 今日も、フレアは例外なく大荷物だった。フィリオンは、まず先生の身体につもった雪を振り払い、荷物のなかから自分が持てそうなものを預かると、ふたりつれだってこどもたちがいる広間へと向かった。
「そういえば、リク先生が帰ってくるの今日だっけ?」
「手紙にはそう書いてあったけど……どうかしらねぇ?」
 くすくす、笑いながらフレアが答える。
 リクというのは、フレアより3歳年上の男性で、やはり彼女とともに施設のこどもたちの面倒を見ている人だ。王都のほうまで資金稼ぎに働きに出ていることが多く留守がちだが、まめに手紙をよこす几帳面な性格なので、彼らはもうひとりの先生のことを忘れることはない。
「みんな、ただいま」
 フレアが広間へ顔を出すと、そこに残っていたこどもたちがわっと駆け寄ってきた。
 6歳のボウ、まだ3歳のリーシア、そして先日5歳になったばかりのセリエ。少し離れた暖炉の傍の揺りかごで眠っていたカイが、その騒ぎに気がついて目を覚ましたらしく、ぐずつくような声もした。
「お帰りなさい先生っ!」
「今日は何を買ってきたの?」
「今からご飯つくるんだよね、僕手伝うよっ」
「はいはい、みんなありがとうね」
 フィリオン以外の5人のこどもたちを順番に抱いてやっているフレアを見ながら、フィリオンは手に持っていた荷物をドアの脇に置いた。
「フィン」
「なに? 先生」
「ヒューと一緒に、洗濯物をたたんでくれるかしら? そろそろ乾いたと思うのよ」
 そのことばに、こどもたちの群れからひとりの少年が抜け出てフィンの方へやってきた。
 フィリオンが白銀の髪に蒼紫の瞳なら、ヒューは朱金の髪に鮮赤の瞳という、実に対照的なふたりである。年もいっしょ――というにはまだもう少し日が必要だったが――で11歳、施設の中では最年長でお兄さんお姉さんの役割をもっていた。そのせいか、施設内でのしごともふたり一緒に頼まれることが多い。今回も例外ではなかった。
「またおまえ、そのままの格好で外に出たな?」
 ふぅ、とフィリオンを一瞥してヒューが溜息をつく。
「なんで?」
「雪。早くふいとけよ」
 ほら、と厚手のタオルを渡されて、フィリオンは云われるままに頭の雪を拭き取った。ついでに、ウールの上着に点々とついた雪解け水もぬぐい去る。そのまま、彼らは暖炉の上にほしてあった洗濯物をとりこんだ。一枚一枚、しわを伸ばして丁寧にたたんでいく。あまりにしわくちゃなものは、横によけた。あとで先生にアイロンをかけてもらうためだ。
 その間に、先生はこどもたちを引き連れて台所のほうへ行った。行く前に、ゆりかごの中のカイをあやし、見ていてくれるようふたりに頼んでいくのは忘れなかったけれど。
 廊下をはさんだ台所から、先生とこどもたちの賑やかなやりとりが聞こえてくる。

 ふと、フィリオンは、自分とヒューがあの中に入らなくなったのはいつだったろうかと考えた。記憶に残っている、みんなで揃って食事の支度をしている最後の風景は、去年の夏。その年にカイの両親が狩りに出かけたまま帰らなくなり、施設に新しいこどもが入ったのだ。カイは、まだ母乳の必要な時期の赤ん坊で、自然先生はカイにかまいっきりになってしまった。それで、フィリオンとヒューがこどもたちのまとめ役のようなものをやりだしたのだ。それ以来、なんとはなしに先生の手の回らないところを手伝う癖がついたのである。
 おかげで先生からはけっこう感謝されているのだけど……やっぱりたまには、みんなとわいわいやりながらお手伝いしたいものだったりする。
「ヒュー、覚えてる?」
「ん?」
 だがさすがに相棒(?)を放り出していくわけにはいかないので、次善の策としてフィリオンは彼と会話をすることに決めた。
「リク先生が、今日帰ってくるかもしれないってこと」
「ああ……前の手紙でそんなこと云ってたな」
「帰ってくると思う?」
「どうだろ? ここんとこ吹雪がつづいてるし、先生が宣言した日までに帰ってきたことあんまりないだろ?」
 まさにそのとおりなので、フィリオンとヒューは顔を見合わせて笑った。
 どうにも、リクという先生はまめに手紙は書くくせに大雑把なところがある。何日に帰る、と手紙に書かれていて、じゃあその日にあわせてお迎えをしようということで準備していても、必ずといっていいほど――そう、10回に8回は――その前日前々日、もしくは2〜3日遅れて帰ってくるといういい加減さを発揮してくれるのだ。
 だから、不意に、入り口の扉が勢いよく叩かれる音がしたときも、ふたりは急ぎの用件か何かでやってきた村の人だと思った。
 あらかたたたみ終わった洗濯物をわきによけ、玄関へ向かって走り出す。
 先生はたぶん食事の支度で忙しい。手の空いているこどもが客を出迎えに行くことは、明言されたことはないが施設のちょっとした決まりごとだった。
「――リク先生!!?」
 先行していたヒューが、突き当りの角を曲がったかと思うと、すっとんきょうな大声を出していた。
「え!? リク先生!?」
 遅れること数秒、フィリオンも廊下の角を曲がって玄関を視界に入れることができた。
 そして、ふたりの目の前で雪にまみれて座り込んでいる、小麦色の髪と同色の瞳を持つ男性は、彼らが『リク先生』と呼び慕っている人そのものだったのである。
「……やぁ、ただいま」

 のんきに片手をあげて挨拶するリク先生―――その傍らで、もぞもぞと何かが動いた。お土産の豚か鶏だろうかと思って見たが、どうも大きさが違うような気がする。雪をかぶった布にくるまれたそれは、ふたりの見つめる中、出口を捜してしばらくうごめいていたが、やがてがばりと顔を出した。そのとたん、布につもっていた雪がばさりと落ちて、出てきたものは真っ白い雪にうずまってしまう。
「!?」
「せんせっ……その子……!?」
 そのとき、玄関でなにやら騒ぎが起こっているらしいと感じたのだろう、鍋の見張りはこどもたちに任せたのか、フレアが小走りにやってきた。真っ白い雪の巨人もどきに一瞬硬直していたが、すぐに自分の同僚だと判ったらしい。
「おかえりなさい、リク」
「やあ。ただいま、フレア」
 雪にまみれているのもかまわず抱擁しあうふたりを見て、金と銀のこどもたちは頭を抱えて溜息をついた。施設の、このふたりの先生の仲のよさは村ではけっこう有名なことだ。彼らが並んで歩いているのが目撃されるたび、いつ結婚するのかと必ず訊かれるくらいには。
「あら? この子は?」
 足元で座り込んでいる、リク先生のつれてきた小さな生き物に、フレア先生もようやく気がついたらしかった。若草色の目をまんまるくして、その子どもをしげしげと見つめる。
「リク、どこで拾ってきたの?」
「街道に落ちてたんだよ」
 ……見も蓋もない説明だ、と、頭を抱えたままヒューがぼやいた。うんうん、とフィリオンもうなずいた。そして、彼女は自分の肩に、さっき雪をふいたときに使ったタオルがかかっていたのを思い出し、それを、ふたりの先生の足元に座っているこどもに差し出そうと近づいていった。
 急に近寄ってきた人間に、相手はびっくりしたらしかった。ささっと、玄関に飾ってあった観葉植物の陰に逃げる。そろそろ溶け始めた雪が、玄関に点々と黒いしみを作った。
「拭いてあげる。おいで」
 そのこどもに向かって、フィリオンは手をのばす。瞳を正面から覗き込めるように、心もち首もかしげる。
 黒い髪に隠れた、やはり同じ黒い色の瞳がフィリオンを見た。
「……おいで?」
 にっこりと。自然に微笑みを浮かべて、フィリオンはもう一度呼びかけた。
「フィン、その子はちょっと……」
 困ったように、リク先生がフィンに云ったとき、
「お」
 ヒューが小さくつぶやいた。
 黒髪のこどもが、フィリオンの手招きに応じて彼女の方へやってきたからである。
「…………」
 なぜかリク先生が硬直してしまったが、そんなことはとりあえず彼女の知るところではない。やっとこちらへきてくれた子どもの頭に、ばふっとタオルをかけて丁寧に拭いてやった。それから、服についている、まだしつこく溶けていなかった雪を手で払い、溶けた分はさきほどのタオルでまた簡単にぬぐってやる。
 そうして、子どもの姿がやっとあらわになって、彼女はもう一度驚く羽目になった。
「……耳……」
 人間の耳は丸いものだという認識が、フィリオンにはあったし、今まで実際そのとおりだった。ところが、目の前にいるこどもの耳は、まるで絵本に出てくる妖精のように、長くはなかったけれど、とがっていて。
 ……目を丸くしたフィリオンの様子に、後ろに立っていたヒューが何事かと覗き込み――彼もまた、フィリオンと同じように目を見開いた。ヒューは、フィリオンよりもいくらか本が好きなほうで、暇さえあれば本を読んでいるような少年だったので、そのとがった耳が何を示しているのかを理解することができた。
「魔族……?」
 あちゃあ、とリク先生が頭をかいた。
「ばれちゃったか……ヒュー、相変わらずするどいね」
 そういう問題か、とヒューが今日何度目かに頭を抱え込む。そんな少年の気分を知ってか知らずか、あいもかわらずのほほんとしたリク先生は、やっぱりのんきにフレア先生に云ったのだった。
「まぁそういうわけでフレア、今日からこの子も施設に入れることになるんだが……
 いいかな?」
「いいわよ」
 にっこり微笑んで、フレア先生が答える。
 フィリオンも、この施設に新しいこどもが増えることについては別に異議はない。リク先生が稼いできてくれるお金は、この大人数を養ってまだあまりあるくらいだったし、村の人からいろいろと差し入れももらったりしているし。それに、にぎやかなほうが楽しいと、彼女は思っていたし。それに、人間と魔族が争っていたのは、フィリオンが生まれる―――いや、フレア先生やリク先生、村のおじいさんおばあさんが生まれるよりも、ずっと前のことだから。魔族だから、という理由で、目の前の少年を嫌うつもりはなかったけれど、でも、生まれて初めて目にした異種族の存在に驚いたのは事実で。たぶん、ヒューもそうなんだろう。
「……フィン?」
 ぽつり、と。黒髪の少年がつぶやいた。
「そうだよ、この子がフィリオン―――フィンだ」
 さきほどリク先生が彼女に呼びかけたのを、覚えていたのだろうか。
「うん。フィリオンだよ。
―――君の名前は? 年はいくつ?」
 ぽんっと背中を叩かれて、フィリオンは少年にもう少しだけ近づいた。そっと右手をさしだすと、彼はその仕草の意味がわからなかったのか、小さく首を傾けたものの、
「……シェイド。年は……11」
 たどたどしい口調とはいえ、彼女の質問に答えた。
 11歳といえば、フィリオン、ヒューと同じ年である。
「そして、こっちの金色の子がヒュー」
「先生、その云い方はやめてくれって……前から云ってるのに……」
 眉根をよせて、ヒューが意見した。まぁ、小さな頃から二人揃うと『金のほう』『銀のほう』と云われつづけてきたのだからしかたあるまい。考えてみれば、この施設にきたのも同じ3歳、おまけにたった一日違いだったのだから……それこそ物心ついたときからと云っても差し支えないくらい、金銀の呼び名はふたりの耳にたこを作っていたのである。
 差し出した右手をどうしようかなとフィリオンが思っていると、フレア先生がそっとふたりの手を取って、握手させてくれた。
「握手はね、こうするのよ?」
「……あくしゅ?」
 どうして先生でなくてフィリオンに訊くのかは判らなかったが、彼女はうんとうなずいた。
「うん、握手だよ。仲良くなろうねってときにするんだ」
「……」
 シェイドはしばらく離した手を見つめていたが、やがて、ふっと視線をヒューのほうへ動かした。
 すい、と差し出された手に、逆にヒューのほうがとまどって見えた。
「握手……」
「あ、うん。握手な」
 男の子同士が握手を交わしているのを見ていたフィリオンは、ふと、シェイドのはい出てきた布がまだふくらんでいるのを見つけた。銀のこどもが不思議そうに自分の足元を見ているのに、リク先生はようやく気づいてくれたらしい。お土産だよ、と云いながら布の下からさらに布袋を出し、広げて見せた。中には、色とりどりの紙の包みがいっぱい入っていた。たぶん、施設で留守番していたこどもたち全員と、それから、自分のいない間ひとりできりもりしてくれていたフレアの分も。

 そのころには、いいかげん台所で食事の準備をしているのに飽きたこどもたちが、先生を捜して玄関のほうへやってきていた。
「あ――――っ、リクせんせーだ――っっ!!」
「その子だれ!? うちの子になるの!?」
「やぁ。みんな元気そうだね、ただいま」
 そして始まる大騒ぎ。
 先に先生と会って、年下組より抜け駆けしてしまった気がするフィリオンは、ヒューと一緒に壁際に寄って、その騒ぎを眺めることにした。こんなふうに、なんだかんだでいつもふたり一緒にいるから『金銀コンビ』なんてあだ名がついていることには、お互い気づいていない。
「これでしばらく賑やかになるね」
「……だな」
 と、妙に達観した会話を交わしたときだった。
 ぱしん、と乾いた音が響き、
「わああぁぁぁぁん!!!」
 ボウのすさまじい泣き声が、施設中に響き渡った。


「まったく……何考えてるんだよ」
 ぶつぶつ云いながら、シチューをよそうヒューの後ろで、シェイドが困ったようにうつむいていた。向こうの広間からは、まだ、ボウがぐずぐず云っているのが聞こえてくる。
 人数分の食器を用意し終えたフィリオンは、突っ立っているシェイドのほうに歩いていって、
「なんで、ボウをたたいたの?」
 でも――ボウはやんちゃな子で、たしかにさっきシェイドの耳を引っ張ったりしていたから、もしかしたらそれが嫌だったのかも知れないな。でも、たたくことはないのに……、と思っていると、黒髪のこどもは困った顔のまま、
「……悪魔だって云われたから」
「悪魔? シェイドは魔族……だよね?」
 おうむ返しになってしまった彼女のことばに、ヒューが応じる。
「悪魔と魔族はちがうんだぜ。フィン、勉強不足」
「君が、本読みすぎてるだけだよ!」
「悪魔は……この世界にはいない。生き物じゃない。
 ……魔族は……姿は似ているかもしれないけど、この世界に生きている……命がある」
 ゆっくりと、ことばを捜しながらつむがれるシェイドのことばに、ヒューがうなずく。
「ま、そんなもんだ」
「悪魔って、幽霊みたいなものなわけ?」
 いまいち判らないフィリオンの質問に、ヒューはふきだして。けれどシェイドは首を傾げ、なにやら考えながら口を開いた。
「影……だと思う」
「影?」
 急に怖くなって、彼女は思わず自分の足元に目をやってみた。別に普段と変わらない。肩よりちょっと上で切りそろえられた髪型をした、小柄な、いつもの自分の影。
「実体はない。でもいつもそこにある……」
「……じゃあ、今もそのへんにいるかもしれないの?」
「馬鹿だな、フィン」
 冷めた口調でヒューがつっこんだ。
「この世界にはいない、って云ったろ? 悪魔の住む世界そのものが、俺たちの世界の影みたいなもんなの。
 影の中に俺たちは行けない。向こうからこっちにくることも……まぁ普通ならできないな」
 その説明を聞いたシェイドが、ヒューに向かって何か云おうとした。だが、黒髪よりも金髪のこどものほうがまだまだ要領がよかったので、
「なぁ、シェイド?」
 その強気のことばに呑まれてか、黒髪のこどもはあっさり首を縦に振ってしまった。不得要領な表情はそのままだったが、ヒューがシチュー皿を載せた盆を片手に通り過ぎざまフィリオンには聞こえないよう小声で、
「フィン、怖がりだから」
 そう云うと、すぐに納得した顔でうなずいていた。
 もちろん、フィリオンにはふたりの会話は聞こえていなかった。―――それ以前に、悪魔がこちらの世界にはこられない、と聞いてほっと胸をなでおろしていたところだったので、ヒューがシェイドに耳打ちしたのも見えていなかったのである。
 そして彼女が顔を上げたときにはすでに、ヒューが食事のしたくを整え終えていたりする。
「ほら、シェイド、広間のみんなを呼んで来い」
「……」
 そのことばを聞いたシェイドが、またうつむいた。
「ちょっとヒュー、今ボウとけんかしたばかりなのに」
 あわてていさめようとしたフィリオンの言葉をさえぎって、ヒューが云う。
「今だから、だよ。今のうちに謝って来い。
でなきゃ、俺もフィンも、おまえをここの子なんて認めないぞ」
「……フィンも?」
 不安そうに見つめてくる黒い瞳に、思わず、「違うよ」と云ってあげたくなったけれど。ヒューの考えていることを、彼女も察してしまったから。
 共同生活をしていくうえで、最初から亀裂が入ってしまっては、また、それを放っておいたりなんかしておいたら。歪みは、大きくなるばかり。それを防ぐためにはまだひびの小さい今のうちに、ちゃんと修復しておいたほうがいいんだと、フィリオンもヒューもこれまでの生活で知っていたから。

 シチューから立ち上る湯気が、少し規模を縮めたころ、ようやくシェイドが顔をあげた。
「悪魔じゃないって、ちゃんと云ってくる」
「よし、じゃ、早く呼んでこいよ」
 小走りにシェイドが行って、その後ろ姿を見送っていたフィリオンだったが、ふと思いついて、ヒューの頬をひねってみた。
「あ、いてててっ! 何すんだよフィン!?」
「ふんだ。ヒューばっかり大人ぶって」
 要するに、フィリオンはヒューがひとりで解決策をシェイドに示してみせたのが気に入らなかったのだ。
 自分だって、ヒューと同じくらいにはこの施設にいるのに。
 ヒューも自分も、年は同じなのに。
 なんだか、先を越されたみたいで。
「……でもさ」
 赤くなった頬を押さえて、ヒューが(たぶん半分くらい無理矢理に)笑って見せた。
「最初にあいつに手を差し出したのは、おまえだろ?」
 つれてきたリク先生じゃなくて。
 この施設で出迎えて、そして初めにシェイドに呼びかけたのは―――
「だから、お互い様」
 なんとなく、ヒューがあのとき先を越されたと思っていたんだと判ると、フィリオンは急におかしくなった。
 いつも大人ぶっている同い年の『兄弟』が、不意に自分より年下に思えたのだ。
 だけど、年下といえば―――
 広間から、ぺしん、と何かを叩く音が聞こえた。

 金銀ふたりは顔を見合わせ、あわてて台所を走り出て広間へ向かう。そして目にした光景は、
「よし! これでお互い様だからな!!」
「……うん」
 ぶたれた頭を痛そうにさすりながら、けれど不器用に笑ってみせる黒髪の少年と、まだ目は赤いけれど、まっすぐにその少年を見て笑っている6歳の少年。なんだか、一瞬どっちが年上なんだか判らなくなりそうなそんな奇妙な図に、
「ぷっ」
 まず、フィリオンがふきだした。
「あははっ」
 ついで、ヒューが笑い出した。
 いきなりやってきて笑い出した金銀ふたりを、黒髪のこどもは不思議そうに見上げたけれど。やがて、つられたように顔をほころばせる。
「さぁさ、仲直りしたところで食事にしましょうか」
 気がついてみれば、フィリオンが外を見ていたとき、わずかとはいえ光を透かしていた雲も、今ではすっかり闇にその姿を染めてしまっていた。
「はーい」
 こどもたちの元気な返事に笑顔を返して、ふたりの先生がまず先に歩く。フレア先生の背中には、今ミルクを飲ませてもらったカイが、おぶわれて幸せそうに眠っている。それを囲むように、年少組のこどもたち。
 最後に金銀黒の3人組が、暖炉の火を確認して広間をあとにした。

 明日になったら、とフィリオンは思う。


 一晩眠って明日になったら、そして明日がもしいい天気だったら。
 久しぶりに、みんなで雪遊びをしよう。本を読みあいするのは雪の日でもできる。
 でも、外でみんなで遊ぶのは晴れた日しかできないから。
 
 そう、久しぶりに揃った先生たちもいっしょに。
 そして、村の人たちにシェイドを紹介するのだ。
 新しいきょうだいです、と。


 大陸北方、まだ人の手があまり入らぬ未開の地に、小さな村があった。
 その小さな村の小さな家に、ひとり、新しい小さな家族が増えた。



  冬将軍が猛威をふるう、ある寒い日のことだった。


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