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彼らのいる世界

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 「ほう」と感心したような声をあげるのは、傍にきた人影のひとつ。
 アルとイィリスの戦闘のとばっちりを避けるためか、それとも人質管理のためか。倒れたままのパースの傍に、女性と黒ずくめ共々移動してきた男。
「見事ではないですか、あなたの……いえ、元あなたの人形は。いくら反撃を封じたとはいえ、戦闘種に対してあの優位」
 素晴らしい、あれらの戦いはきっと素晴らしい。そう男が零す理由を、パースはちゃんと知っていた。
 この男の店の規模が他に類を見ないほど大きいのは、一部の――とても趣味の悪い――貴族や領主たちに、とある娯楽を提供しているからだ。
 戦闘に特化させた人形を戦わせ、それを賭け事のネタにして楽しむという娯楽。
 街の同業者がそんな彼をよく思うはずはなく、だが、下手に口出しすると火の粉が飛ぶため、仕方なさと諦めで口を閉ざしているのだとか――ただ挨拶と世間話にきただけのパースたちにそれを話したのは、彼らが通りすがりの旅人だからか。
 もともとは、まだ手付かずの遺跡がこの近くで発見されたという情報を得たからこそ、パースとアルはこの街を訪れた。森でイィリスに話したように、妙な奴に引っかかった原体の末路というものを、彼らは知っているからだ。だから、もし原体がいたら妙な奴に目覚めさせられる前に――そう思ったのだが。
「……お褒めいただき、恐悦至極」
「ええ、実に素晴らしい。これならきっと、皆様お気に召します」
 勝手に満悦してやがれ、と、そんな毒舌は胸の中。
 どうせ腐ったお貴族様は、複体での人形遊びに飽きてきたんだろう。自らに及ばぬ暴力劇を見る者は、そのうち感覚が麻痺してもっと上の刺激を望むようになる。
 ならば、言語に疎く行動の柔軟性も乏しい複体よりは、原体をと。この男に要請する様までもが網膜に浮かんで、パースは自分の想像力に思わず嘆いた。……心のなかで。
「知ってます?」
 代わりに口にしたのは、そんなこと。
「はい?」
「戦闘種と通常種。確認されてる原体の区別が、いつ出来たのか」
 何をこいつは悠長に――男の顔に軽蔑が浮かぶ。こんなのに軽蔑されるのは心中穏やかではないが、やっぱり顔には出さない。
 あからさまな侮蔑ともに寄越される答えも、だから平然と受け止める。
「二体目の発見と同時でしょう。あれを戦闘種と云わずして、なんと云うのです」
「ああ、そりゃ知ってましたか。常識ですもんね」
「……何が仰りたいのですか」
 男の苛立ちが形になったかのように、黒ずくめの突きつける剣の切っ先に力がこもった。だが、それは僅かに皮膚を傷つけただけ。出血にまでは至らない。……どうしても。
 さて、と口の動きだけでつぶやいて、パースは一度、視線を、戦うふたりの人形に転じた。



- 6 -




 ずきん、ずきん。
 痛いのは手。
 痛いのは足。
 もっと痛いのは――どこ。
「アル……ッ」
 成すすべもなく、もう何十度目か判らない攻撃を受けて。それでもなお、イィリスの意識は途絶えない。途絶えてしまえば楽なんだろうけど、それはイィリスが無力になるということ。そしてパースをアルが排除してしまうということ。
 それは、嫌。
 それだけは――嫌。
 ずきん、ずきん。
 疼く四肢。
 跳ねる身体。
 腹に何発くらったか、背中を何度打ち付けたか。痛みは神経という機構を断ち切らんとばかりに暴れ狂って思考を侵す。
 侵しきられれば思考が切れる。
 思考が切れれば意識が途絶える。
 意識が消えれば理性が消えて最後に残るのは本能だけ。――排除を拒み排除しようとする部分だけ。
 ずきん、ずきん。
 だけど何より痛いのは、ぎりぎりと絞り上げられる胸の内側。
 たとえば、イィリスを見てないアルの金色の眼とか。
 たとえば、その腕に灼かれた黒焦げの灼印とか。
 ずきん、ずきん。
 それらを目にするたびに、身を襲う以上の痛みがイィリスを苛んだ。
「――アル」
「……」
 返事はない。
 自我が消えたと男は云った。
 目の前のこの黄金は、もう、二度と自分を見ない。――パースを見ない。
「――――ッ」
 鳩尾への強打が何だ。
 喉を潰す手刀が何だ。
 そんなものより、この胸の内側が絞られるほうが、ずっと痛い。
 ……笑っていたのに。
 ……怒っていたのに。
 ……楽しそうだったのに。
 そんなアルとパースを、見ていたとき、胸の内側、とても、あたたかかったのに――!
「…………、い」
 零れる気持ちの名前など、検索してる暇もない。そんな余力はすべて、目の前の“敵”を排除しようとする本能を抑えるために注ぎこんでいるようなもの。
 それでも。
 言葉は知らず、零れてしまう。
「ごめんなさい……っ」
 ずるい。
 さっき覚えた言葉だ。
「ごめんなさい――」
 そう云うたびに、少しだけ、痛みも一緒に零れていくから。だからずるい。イィリスはずるい。
「――ごめんなさい――」
 届かないのに。
 届かない言葉なんて、ただ、イィリスという思考が消えるのを繋ぎ止めるだけのものでしかないのに。
「ごめん、なさ」
 そんな自分に、また胸の内側がぎちぎちと絞り上げられる。
 ……何のためにこの暴力を受けているのか。そんな理由さえもが掠れていく。
 まるで自らを罰するかのように、イィリスは、アルの攻撃をただ受け続ける。


 ああ、痛そうだ。
 早くこっちも動かないとなあ。
 またも心中でひとりごちる。言葉として外界に零すのは、やっぱり別のことだけど。
「面白い仮説があるんですわ。一部の人形師にしか出回ってないんですけどね」
「ほう? 是非聞かせていただきたいですなあ」
 急に親しげになったパースに不審の目を向けたものの、男の余裕はちらとも揺るがない。最後の戯言に付き合ってやるつもりでいるのか。
「――お言葉に甘えまして。二体目が暴走したあと、ある人形師が破壊されたそいつを見てみたんです」
「ふむ。まあ後学のためにはといったところですか。――戦闘種の構造なんぞ、危なすぎて使えますまいが」
「ところがです。その人形師、後に三体目以降も検分する機会に恵まれたんですが――彼の話によると、二体目と三体目に構造的な差異は全然なかったんだとか」
 一方的に攻撃を繰り出す人形。
 一方的に攻撃を受け続ける人形。
 二人を陶然と眺めていた男の表情が、初めて、小さくゆらめいた。
「……はい?」
「うん、信じられないでしょうが、これ、事実だそうで。つまり、原体ってのは外見はともかく、基本構造がみんな一緒らしいんですね」
 一体目は不明ながら、それ以降の原体を見た人形師はそう語ったのである。
「だから、アルが優勢なのも当然なんですよ。能力が同じなら、あとは蓄積したものの差です。起きたばかりのイィリスは、経験が全然ないですからね」
 ――古代と呼ばれる時代、何を思って、人々は原体を造ったのか。そんなこと、パースは考えたこともない。ただ、彼らはずっと眠りつづけ、この時代で初めて大地に足をつけた。
 そして彼らには、人と同じ――ではないのかもしれないが、よく似た感覚と感情を有している。ならば、とパースは思うのだ。発掘されたという事実さえなければ、原体は人の世とともに生きていくことが出来るのではないかと。
 ――だから、人形師は、付き合ってくれる人形と一緒にあちこち放浪しているのだ。
「てなわけなので」
 パースは笑う。
 笑いながら、いかれた平衡感覚が調子を取り戻したのを確認。そして云った。
「俺も、戦闘能力的にはあいつらと同じなんです、よ……!」
 ごすっ、と。
 跳ね起きざま突き上げた拳は、見事、黒ずくめの顎に命中していた。――これって一種の意趣返しかな。最初にくらった一撃が顎だったイィリスのことを思い、パースは今度こそ、心のそれを形にした。
 ただ、女性の傍にいた黒ずくめその2をどつき倒したあとだったため、少々間が空いたけど。
「イィリス、かたきはとったぞー」


 水晶体のどこかがつぶれたのか、保護膜が使い物にならなくなったのか。朦朧と、白くけぶる視界の端で、パースが男ふたりを引きずって立ち上がっているのが見えた。
 かたきはとったぞ、と、さっきまでと同じ笑みで手を振ってる。もう片方の手には、またたく間に気絶させた男を二人、襟首掴んで引きずっていた。
 ……呆気にとられる。
「あれ、事実……?」
 ぽかんとしてた間に、一旦距離をとったアルが、また間合いを詰めていた。突き出された拳を、反射的に受け止める。
 あ、と思ったけど、女性はパースが取り返してる。男も黒ずくめたちも気絶してる。
 枷は消えた――そう、安堵してしまった。気が弛んだ。緊張が抜けて、気も抜けた。
「あ」
 最終制御、解除。
 害するものを排除するための切り替えが、完了してしまった。
「だ――――」
 だめ、と、つむぐ行為さえ無駄だと、声帯が停止する。腕が持ち上がって、接近するアルの腹を狙う。だめ。紙一重で横に滑ったアルを追い、足が動く。痛みは思考までこない。感じない。神経機構に留めて遮断された。急激な移動に体勢を整える前のアルの頭上を狙った蹴り落とし。だめ、だめ、だめ。僅かに上体を傾がせ、腕で受け止められる。だめ、だめ、だめ、だめ、だめ……!
 戦闘に余分なものが、次々遮断されていく。だめ、と思うことも、最後にはかき消えてしまうだろう。
 そうなったら。
「イィリス! 一瞬でいいアルを抑えろ!」
「!」
 パースの声に、霧の向こうに行きかけた意識が留まる。目を向けた先には、懐から取り出した灼印を持って走ってくる彼の姿。
 そうか。また灼印を上書きすれば。
 声は出ない。ぎちりと拒否する首を、無理矢理頷かせた。感情が弾き飛ばされるまでもう少しだけ余裕はある。その、間に――……?
 若草色の髪が、イィリスに背を向けた。
「へ?」
 唐突な方向転換に、パースの足が鈍る。まさか自分に向かってくるとは思わなかったのだろうが、何故。
 ――“皆殺し”
 男の最後の命令が、自問の解として浮かび上がる。そう。皆殺しということは、目につく生命すべてを排除せよということ――!
「っ、ぐ……!」
 躊躇いも、遠慮もなしに、アルがパースを突き飛ばした。
 腹を強打され、背中を打ち付け、パースが苦悶の声をあげる。咄嗟に身体が動かなかったか、それとも――アルだからか。彼の反応は、今まで攻撃を受けていたイィリスよりも鈍かった。
 アルは、突き飛ばしたパースには目もくれない。障害を退かしたその足で再び地を蹴って、倒れ伏す男たちへ向かう。
 “皆殺し”
 その命令を遂行するために。
「――――」
 あれは敵。
 その思いが、走り出そうとしたイィリスの足を止めた。
 私を害した。
 アルを害した。
 パースを害した。
 敵。
 あれは愚かというのか。あんな命令を出すから、自滅する。
 ならば。
 “それが、わたしたちを害するとしても”
 止める必要は――
 “同じようにやり返したら、そいつらと変わらなくなってしまう”
「――――――――――――ッ!!」
「――――アル――――!」
 パースの叫びは、声帯の機能しないイィリスの代わりのよう。
 同時に地を蹴る。
 すべての機能を遮断。思考を遮断。アルに追いつくために。
 代わりにひとつの命令を、身体に、四肢に、末端にまで飛ばし刻む。
 止めろ。
 アルを止めろ。
 私みたいな――を犯す前に、あのひとを止めろ――!
 意識がかき消えていく中、イィリスの身体はアルの背中に追いついた。伸ばした腕に反応したか、振り返る若草色の髪が、ふわりと鼻先をくすぐった。やわらかく、やさしく。まるでイィリスを出迎えるよう。
 白くけぶる視界。腕を掴んで引き倒す。
 ふたり、もつれあいながら地面に転がった。そこにパースが追いついて、イィリスに加勢する。片手はアルを抑えつける、そうしてもう片方の手に灼印を掲げ――――
「――――」
 そして、砂粒になってゆく意識。
 ごめんなさい、と。
 つぶやくことは出来なかった。しなかった。
 届かないことばの代わりに、押しつけられるそれから、ただ目を逸らすまいと――


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