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彼らのいる世界

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「嫌」
「……何?」
 あっけらかんとしたパースの声に反比例して、男の声が低くなる。
「そのお姉さんが直接来てくれたなら考えたかもしれんけど、あんたには嫌だ。痛いんだぞ、初期化の灼印。あれを平然と使うなんて云える奴は俺が嫌いだよ」
 以下同文。そう云うアルの声が、どうしてか、やけに遠くからのものに思えた。
「私としては、それに加えて仕置きってのが気に入らないな。先に手を出したのはあんたらだろうに――でなけりゃ、あんなことにはならない。“私たち”は、目覚めた瞬間何かの命を奪うようになんか、決められてないんだからな」
「……む」
 男がうなる。
 イィリスの肌には、上書きされてもまだ消えない、一度めの灼印の跡が残っていた。証拠は充分、反論は無意味。
 金色の、アルの双眸は、まるで男を射抜くかのよう。
「そうそう。だからあんた、同業者には嫌われてるんじゃないか?」
 さらに追い打ちをかけるかのように、パースが、わざとらしく手を打った。
「俺が人形師だってんで、イィリスの情報教えてくれた店の主人、あんたらより早く見つけてやってくれって云ってたぞ。……まあ、結果として間に合わなかったけど」
「厭味か、パース」
 もとはといえば、途中の森でおまえがはぐれるから。
「はい、余計な一言でした」
 ちらりとこちらを見るアルに、笑いながら応じるパース。――その目が、見開かれた。

「アル、上!!」



- 5 -




「――――!?」

 頭上。
 狭い路地の、真上。両隣の家の、どちらの屋根から飛び下りたのか。男の背後にいるのと同じ黒ずくめの人間が、アルの頭上に影をつくっている。
 手に持つのは剣や槍といった武器ではない。小さな棒状のもの。判とも云えそうなもの。
 ――灼印!
「行け!」
 男の号令。
 そちら側にいた黒ずくめが、アルに向かって地を蹴った。同時に、大きく振りかぶり――担いでいた女性を、イィリスとパースへ投げつける!
「な……っ!?」
 前方からの体当たりを予測していたアルは、それを見て目を点にした。そこに頭上からの男が飛びかかる。もんどりうって倒れ込むふたり。
「アル! ――って、こっちもか……!」
「パース……!」
 投げ込まれた女性をキャッチしようと、パースが前に出る。イィリスは、その横でおろおろと双方を見ることしか出来なかった。
「――――あ」、
「!」
「うあああぁぁぁああぁぁッ!」
 そこに響く絶叫。
 イィリスたちから見た黒ずくめの向こう――アルが襲われていた場所。そうして、声も、イィリスがだいじょうぶだと安心できたもうひとりの人形のものだった。
「ア――……っ!?」
 どん、という鈍い音。女性に気をとられていたパースに、向かってきた黒ずくめが一撃を当てた。そのまま腹に足を入れて、パースを蹴り飛ばす。その拍子に弛んだ彼の腕から、女性を奪取した。
「パース……っ!」
 受け止めようと滑り込んだが、飛ばされてきた勢いと体格差が影響しあって、それは叶わない。パースごと、路上にもんどりうって倒れてしまう。
「っ、つぅ……」
 意識はあるのか、小さな呻き声。だけど、起き上がるのは辛そうだった。首から上を打たれたようだから、どこかの神経がおかしくなったのかもしれない。
「――――――ッ!!」
 一緒に崩れ落ちそうになった身体を留めた。
 そこで思考放棄。
 すべての回路を制御機構へ。目的は解除。そして排除。
 倫理を弾き理性を断ち切る。ただ害するものを排除するだけの凶器へ移行する。
 一番解除、
 二番解除、
 三番解除、
 最終――――
「動けば彼女を切りますよ」
「……!」
 けぶりかけた視界が、急速にブレを止めた。またたきの向こうには、男と黒ずくめたち。そこに担がれた女性と、……
「アル?」
 アルは立っていた。さっきの悲鳴で心配したけど、ちゃんと、誰の支えもなく自分の足で立っている。
 けど。
 どうして、こんなに胸がきりきり絞られてるんだろう。
「……アル?」
「ふむ。自我まで消してしまいましたかな?」
 呼びかけても、答えはない。真っ直ぐにイィリスを見てくれた金色の瞳は、何故だかぼんやりと虚空を見ていた。
 そんなアルを眺め、男は感慨のない声でつぶやく。それどころか、そのほうが手間がかからず便利だとでも云いたげだ。
 あっちゃあ、と、立ち上がったイィリスの足元から呻き声。意識ははっきりしてるらしい、けど、身体に力が入らないのだろう。地面に突っ伏したまま、頭を押さえたパース。
「上書き、かけたな?」
 しかも今の悲鳴。使ったのは初期化用か。
「ええ、そのとおり。たった今灼かれた灼印よりも、まだ灼きなおしのされていない古い灼印のほうが上書きしやすいですからな」
「……そん、な」
 愕然と。ふたりの応答とともに、イィリスは、二の腕に生じた痛みを受け止めた。
 さっき灼印を灼かれたときでさえ感じなかった痛みが、腕から胸を侵食する。これは後悔というのか、それとも贖罪というのか。
 そうして、男がほくそえむ。
「では、この金色の眼の人形はいただきますよ」
「だ……だめっ! アルはパースの……!」
 イィリスの叫びは右から左。男はアルを振り返り、所有者としてこう告げた。
「最初の命令です、あの人形を身動きできなくなる程度に破壊しなさい。戦闘種ですが、抵抗はしませんから問題はありません」
「――――ッ!」
 ちらりと男が動かした視線の先には、いまだ気を失ったままの女性がいる。
 制御機構の解除――自身を凶器と化す最後の一歩――が踏み出せないのはそのためだ。初期情報として記録されている道徳や善性、理性を一時的に遮断してしまえば、きっとすぐに男や黒ずくめを排除できる。

 ……けど、それはだめ。
 赤い海になっていた、あの室内を思い出す。見境なしに命を奪うなと、アルとパースは云っていた。
 この手が彼らに届く前に、彼らは、あの女性を排除する。

 ……それに、これはもっとだめ。
 さっき楽しそうに自分たちを見てた、彼女の微笑みを記憶している。男どもよりもっと脆そうな女性は、きっと、奴等の一撃で排除されてしまうだろう。

 どうしよう。
 このまま大人しく無力化される?

 ――――パースが排除されてしまう。
 ――――アルとパースが離れ離れになってしまう。

 どうしよう。
 だったらアルと戦って止める?

 ――――女性が排除される。イィリスのせいで排除されてしまう。
 ――――パースとアルのことばに背いてしまう。

「では――行け」
「…………」
 迷っているうちに。
 アルが、イィリスを見ないままこちらを見て歩き出し。

「……え?」

 人の感覚で云うならば、またたきひとつ。その間に、アルはイィリスの懐に接近した。最初の数歩はゆっくり歩き、一瞬止まって、直後、止まったその場に残像を残してかき消えた。
「きゃああぁッ!?」
 ぐ、と足元で腰を落として、伸び上がりざまの強烈な掌底。イィリスが、アルの立ち止まった場所から視線を動かすより速かった。顎を下からすくわれる。強い衝撃に、地面から足が離れた。身体が浮いた。弾き飛ばされる。
「――――ッ!」
 大きく宙を飛ぶ身体。背中から叩きつけられる未来予測を自ら回避。身をよじって体勢を立て直し、膝と掌をついてなんとか着地といえる着地は出来た。
 じん、と顎から思考に突き刺さった痛みは鈍い。鈍いけれど、断続的に響いて集中を乱す。――戦闘種ではないはずなのに、さっきの動きは追えなかった。今の一撃は重かった。それだけで、アルの力量は見てとれる。
 ――アルは、イィリスを排除する力を持っている。
 ――排除。しなければ。
「……!」
 目前に迫る黄金。距離にしてたかだか拳ひとつあるかどうか。
 ――排除。
「だめ……ッ!」
 反射的に打ちこもうとした拳は、だが届かない。視界の端には、刃物を突きつけられた女性。そして、いつ近づいたのか。イィリスがアルに吹き飛ばされた間に、もう一人の黒ずくめがパースの傍に立ち、やはりこちらも刃物をちらつかせている。
 届かせなかった拳、それを顔の前で交差させた。
「――っぐ……!」
 一撃は、やはり、重い。
 まともに受けていたら、比喩でなくて、本当に顔面が陥没していたのではないだろうか。みしり、と軋んだ腕が、そんな予想をたてさせる。
 もっとも、それはすぐに現実になることなのかもしれない。
 傾いだ身体を、アルはそのままにさせてくれない。髪を掴まれる。長い髪は、活動源を取り込むのに必要なものだ。色もそう。だけど、それが今は仇になる。
「あ――――!」
 身体つきは同じ。なのに、アルは楽々と――容赦なく。髪を掴んだ腕を振りかぶり、イィリスを宙に持ち上げた。
「―――ぐ、あ……ッ」
 どぉん、と、鈍く大きな音をたてて、今度こそ地面に背中から叩きつけられた。宙から落下してたほうがまだマシだったかもしれない、そんな、きっと渾身の力のこもった投げおろし。だって、平衡感覚のどこかが混乱した。四肢に力が入らない。
 だけどまだ、アルの手は髪を放してくれない。感覚を取り戻せないイィリスを、再び宙に投げ上げる。――今度は手を放した、そして、自らの身体も宙に運ぶ。
 意図はすぐに判った。飛び上がったアルと落下するイィリスの進路がちょうど交差する地点、ひゅん、と一度大きく、アルの右足が横にまわり――体勢を整えきれず落下するイィリスの腹を抉るような、横っ腹への蹴り―――――!
「あ――ぁぁッ!」
 どうして。
 真っ白になった意識、壁に叩きつけられる背中。
 どうして。どうして。
 今ごろ、そんなことを思うのは、それこそ、どうしてなのだけど。
「なんで……痛……」
 なんで、痛みがあるんだろう。
 なんで、痛いなんて思うんだろう。
 こんなのなければ、意識、引っ張られないですむのに。力全部、制御にまわすことが出来るのに。
 なんで、痛みなんて感じてそれが嫌だと感じてそれを与える相手に反撃しようとしちゃうんだろう。
 ――何故。私は人形なのに、痛みを知っているんだろう――?


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