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彼らのいる世界

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 路地裏の一角、壊滅。そんな小さな、けれど常駐の警備団が頭を悩ませる事件が街の人々の口にのぼるまでには、まだ余裕があった。
 何に頭を悩ませるって、それは、その原因だ。
 目撃者をつのっても名乗りはないだろうし――何しろ、最終的に灼印を逃れたルカが、暴行を働かれたとして人形屋の男を先に突き出してしまったから。男はなんだか他にもいろいろ余罪があったらしく、長期の求刑をされたらしい。まあ、そんな奴の言い分なんて誰も聞きやしないだろう。
 それに、犯人を探そうにも、とっくに街を出てるはずだし――何しろ、今、イィリスの目の前には街から出る門があるから。



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「やれやれ、どうもお騒がせしました」
「……私こそ、ご迷惑をおかけして」
 しょんぼりと項垂れる女性――ルカ。
「いや、元はといえばあなたが薄くなった灼印に気づいたからであって、その灼印を薄いまま放置しておいたのはこっち、もといパースなんだから全部の責任はこいつ」
 ついでに云うなら、こいつが森を進んでる途中にわたしとはぐれなかったら、捜索に時間を割かなかったら、こんな騒動起きなかった。
「結局ひとりで向かったときには、手遅れだったし」
「あいたたたたた」
 すぱすぱさっくり。アルが何か云うたびに、パースの左胸に見えない剣が突き刺さる。
「好きなだけ痛がれ。また初期化灼印味わうなんて思わなかったぞ、わたしは」
「だって、初期化用は初期化用じゃないと上書き出来ないじゃないか〜」
 身悶えるパースを慰めるべきなのか、アルと一緒に追い打ちかけるべきなのか。まだ、イィリスにはよく判らない。判るのは、初期化の上書きをされたアルが、まるで昼寝の後のように、なんでもなかった顔して起き上がったって事実だけ。だから、とりあえず、ルカと同じように、曖昧に口元を緩めてみた。
 ひとしきりパースがいじめられたあと、そういえば驚きました、と、気を取り直したルカが云う。
「パースさんもお人形さんだったんですね。――びっくりしました」
 人形師だって聞いていたから、なおさら。
 付け加えられたことばに、ほんの少し涙目になってたパースが笑う。
「でしょう? でも、人形だから人形のことが判るんですよね。――原体は特に、そういうのが必要だろうと思うんです」
「人形師ってのは嘘じゃないし、こいつと一緒だと所有権がどうのってごたごたが起きなくていいし」
「アル、頼むからきれいにまとめさせろよ」
 現実的なアルのことばに、パース、またも落涙。……の、ふり。イィリスもだけれど、彼らには、涙とか血とか、そういうのはないから。
 それなのに痛みを知ってる身体――それは何のためなのか。
 まだ、イィリスは答えを知らない。
 さっきアルを捕まえたとき、ちょっととっかかりが出来たけど、まだまだ、形にするまでには遠い道のり。
「さて、それじゃ長話もなんだから。俺たちはそろそろ行きますか」
 涙を拭う真似したパースが、東に向かう街道に身を翻してそう云った。
 うん、と、アルもその横に並ぶ。
 そうしてイィリスも、
「お元気で」
 と、パースとアルに手を振った。
「たまには遊びに行くからね」
 手にした地図をひらひら振って、アルがにっこり笑って告げる。土産楽しみにしててくれ、と、パースも嬉しいことを云ってくれる。
「いつでもいらしてください。楽しみにしています」
 イィリスの横に立つルカが、同じように笑って云った。
「それじゃイィリスちゃん、私たちも行きましょうか」
「はい、ルカ」
 アルの手にした地図には、とある村への道筋が記してある。ルカとイィリスが向かう先でもあるそこは、流行り病で一度は壊滅しかけたながら持ち直した、小さなのどかな村だという。
 それをひらひらと振りながら歩くパースとアルの背を少し眺めて、イィリスは、北西の街道を歩き出したルカの後を追う。
 どうせ一人暮らしだから身軽、と、張り切ったルカの荷物が詰め込まれた荷袋は、イィリスが背負ってる。力ならルカより強いから全部持つと云ったんだけど、ルカも幾つか背負ってる。
 ――なんでだろう。そのほうが、ルカは楽なのに。
「楽しいね」
 イィリスが問いを繰り返す前に、先を歩いていた彼女がくるりと振り返ってそう笑った。
「楽しいですか」
「ええ。それに嬉しい。家族と一緒に村に帰れるなんて、出てきたときは思わなかったもの」
 なんでだろう、を問いかけたときと同じことば。そして、そうならないかって云ってくれたときと同じ表情。
 ――家族、って。云ってもらうとくすぐったい。そしてあたたかい。東の街道に歩いていった、アルとパースを見てたときと同じ感覚。
 これが、楽しいってこと。それとも、嬉しいってこと。
 忘れないように、刻み込む。

 ――――歩く。
 ――歩く、歩く。
 ゆっくりと、わくわくと。
 初めて、空や緑を眺めながら。
 初めて、誰かと共に進みながら。
 初めて、イィリスはこの世界を歩き出す――――



 ――――歩く。
 ――歩く、歩く。
 そういえば、と、アルはちらりと背後を振り返った。
 もう姿も見えない、家族を得た小さな人形の問い。それに答えてやれなかったなあ、と、心中ごちた。
「どした?」
「あ――いや。イィリスが云ってたぞ、なんでわたしらには痛みなんてあるんだろうって」
「……そりゃあまた……、もう知ってるんでないの?」
「だといいな。知ってくれたら生きていける」
 ――痛みがあるから、痛みを知れる。
 されたら嫌だから、しないようにしようと思える。
 ――喜びがあるから、喜びを知れる。
 されると嬉しいから、してあげたいと考える。
 それを忘れずにいられたら、わたしたちは、この世界と生きていける。

 ……それは単純で、だけど、なくてはならないものだから。
 彼らをつくりだしたひとは、それを、知ってほしいと願ったから。

 どちらからとなく顔を見合わせ、パースとアルは微笑んだ。
「それじゃ、これからどこ行こうか」
「ま、適当でいいだろ。――久しぶりに、パースの師匠んとこ行く?」
「なんて云って。実は、アルが行きたいだけじゃないのか?」

 ……

「否定はしない」
「はははっ」

 そうしてふたりも。
 また、世界へと歩き出す。


 / 





ひどく単純で、だけど、とても大事なことではないかと思うのです。
ただ、それだけのことだけど。
生きるってなんだろう。痛みってなんだろう。
たぶん答えは出ないまま、求めてるうちはたどり着いているのではないかと。
そんな、曖昧なままに。それでも歩く、彼らを書いていきたいな、そう思います。

…ええい、ほんまに曖昧な(笑