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彼らのいる世界

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 ある程度大きな街の大通りというのは至って人通りが激しいものなのだが、今少女が立つ場所もそれは例外ではなかった。
 誰の家とも知れぬ場所に背を預けた少女の目の前を、人や馬車がひっきりなしに行き来する。向かいがわにある店では何かたたき売りをしているのか、威勢のいい声や突進する客たちの阿鼻叫喚が聞こえてくる。
 ひとしきりそれらを眺めていた少女はやがてそれに飽きたのか、ふ、と視線を足元に落とした。
 待ち人来たらず――そんな風情だ。
「……遅いなあ」
 何してるんだ、あいつ。
 若草色の髪に黄金色の丸っこい目、小柄な身体。かわいらしいと称されそうな外見を裏切って、こぼれることばはどことなく少年めいたもの。服装もどちらかといえばそうなのだが、それはおそらく旅のためだろう。半袖のシャツに丈夫そうな革の上着、白いズボンの膝までを覆う靴とくれば、それは立派な旅装束。
 通りすがる何人かが、そんな少女をめずらしげに眺めて歩く。
 保護者や同伴者の姿もなく、旅の途中と思われる子供がひとり街角に佇んでいるのは、あまり見ない光景だからだ。
「――こんにちは」
 そんな人々のひとりが、足を止めて少女に語りかけた。



- 3 -




「え? ああ、こんにちは」
 壁に預けていた背を離し、少女は、話しかけてきたその女性に小さく頭を下げた。
 それを見て、女性はちょっと目を丸くする。
 何か? と尋ねる金色の双眸に、女性は少女の腕――手首の少しばかり上の部位を手のひらで示した。
「灼印が薄れているわよ、お人形さん。ご主人が戻ってきたら、早めに灼きなおしてもらったほうがいいわ」
「ありゃ」
 云われて初めて気づいたように、少女は左腕を持ち上げた。剥き出しになったそこを眺めて、うわ、とため息とも呆れともつかぬことばを零した。
「うわあ」、
 もう一度つぶやいて、周囲より少し赤味が強いくらいの肌を眺める。
 それから、再び女性に目を戻した。
「ありがとう。来たらいの一番にやってもらう。――――どうかした?」
 ぽかーん、と。
 目をまん丸にして、女性は少女を凝視していた。いつからかと問われるならば、『ありゃ』と少女が腕を持ち上げたあたりからか。
 少女の声に我を取り戻したか、女性は応えて「ううん」と首を振ったあと、改めて少女を覗き込む。
「――驚いた。もう、そこまで技術が進んだの?」
「技術?」
「だって、あなたはすごく自然だもの。人形師の技術がこんなに上昇したのなら、驚かないほうが変だと思うわ」
 息継ぎも惜しいと云わんばかりの、だが一応配慮してくれているのか小声での女性のことばに、少女は傾げていた首を戻した。
「ねえ、どこの匠が手がけたのか教えてくれる? あなたのいるおうちの人でもいいわ、よかったら私も――」
「いや、ちょっと待って」
 矢継ぎ早に繰り出される女性のことばを、少女は片手とことばで遮って。それに圧されるように口ごもった女性に、申し訳なさそうに答えを告げた。
「悪いけど、わたしは原体のほうなんだ。――同伴者が人形師なんだけど、複体の技術がそこまで進んだなんて話は聞いてない」
「…………あ……、そ、そうだったの」
 一瞬呼吸を止めて、女性はただ、それだけをつぶやいた。
「――そうよね、そんな急に、あなたみたいな人形を作れるようになるわけがないわよね……」
 その強い落胆に、少女は眉宇を顰める。しかめっ面というよりも、怪訝な色の濃い――人間の子供なら、あまりやらないたぐいの表情。
 失礼だけど、と前置きして、少女は問う。
「普通の手伝いめいたことなら、複体のほうでも充分だろ? なんでわざわざ、めんどくさい原体がほしいの?」
「……え? ああ、そっか。不思議?」
「不思議。そもそも、わたしは灼印見せる前や自分でばらす前から人形って見破られたことないし。こんなに薄い灼印を見破る人も、正直云って初めて見た」
「そうよねえ……あなた、本当に人間と変わりないもの」
 実に未練たっぷりにため息をつく女性に、少女はまたも首を傾げる。
「うん……そう。私、すごく、あなたみたいなお人形がほしいのよ」
 だから、いろいろと調べたりしていたの。原体と複体があるっていうのを知ったのも、そのせいでなのよ。
「なんで?」
 女性のことばを聞く金色の双眸に、ほんの少し。
 それと判らぬほどの一瞬に、険がきらめいたことを、果たして女性は気づいたろうか。ただ胸元に組んだ手を切なげに見つめ、少女の問いに答えるべくことばをつむぐだけ。
「私、元々はちょっと離れた村に住んでたの。そこで病が流行って、父母と妹が死んでしまった」
「……ひとりなの?」
「ええ。それで成人するまでって約束で親類を頼ってきて、今はそのままここに住んでるんだけど――急に家族を亡くしちゃったせいかしらね、時々無性に寂しくなって」
 だからといって、今出回ってるお人形を用立ててもらっても、たぶん余計に寂しくなっちゃうだけだから。
 そう付け加えて微笑する女性を、少女はなんとも複雑な表情で見上げていたが、
「ごめん」
 そう頭を下げて口にしたのは、一言の謝罪。
「え?」
「失礼なこと訊いて、あなたの過去に踏み入った。だからごめん」
「え――い、いいのよそんなこと。私こそ、勝手に思い込んでいろいろ質問攻めにしちゃってごめんなさい」
 深々とこうべをたれる少女の若草色の髪目掛けて、女性も負けじと頭をさげる。
 だが少女はそれでよけいに申し訳なく思ってしまい、持ち上げかけた頭をまた下げた。
 このままならば、道の一角で謝り合戦が始まろうかという矢先、
「――おーい! アル!!」
 まるで見計らっていたんではないかと問い詰めたくなるほど、実によいタイミングで道の向こうから声をかけたのは、緑色の髪の子供を従えた、ひとりの青年だった。
「あ」
 人込みの向こうからぶんぶん手を振る青年の姿を認めて、少女は下げようとしていた頭を止める。そのまま、未だ元の位置に戻っていない女性の頭にぶつけないよう自分のそれを持ち上げると、まず、軽く女性の肩を叩いた。
 女性も声は聞こえていたのだろう、今の少女の仕草で、それがこちらに向けられたものだと察したらしく、さしたるためらいもなしに姿勢を正した。
 少女と女性、ふたりぶんの視線を向けられた青年は、それに臆した様子もなく、大股で歩み寄ってくる。その後ろを、やけに長い緑の髪を引きずった子供が小走りについてきた。
 待ち人の人数が倍増していることに気がついて、少女は「ん?」と首を傾げる。
「待たせたか?」
 そんな少女の仕草に気づいていないのか、青年は到着するやいなや、親しみいっぱいに笑って問うた。
「少しね」
 答える少女の表情も、ひとりで佇んでいたときよりは心なし穏やかになっていた。――少し細めた金色の双眸は、そのまま、青年の後ろに立つ子供に移動する。
「……で、どうしたんだその子」
「さっき拾った。名前はイィリスちゃんだそうだ。イィリス、こっちはアルで、見りゃ判るだろうけどお仲間」
「はあ、イィリスちゃんか」
 真面目に応じる少女を見て、子供が逆にあわてだす。
「あ、私、ええと……い、イィリスです。あの、あなたは、その」
「ああ、ご丁寧にありがとう。わたしはアル」
「は、はい! アル様ですね、記憶しますっ!」
 かなり必死の様相で復唱する子供ことイィリスに、少女ことアルは怪訝な顔して青年を振り仰いだ。
 振り仰がれた青年は楽しそうに緑色の髪のふたりを眺めていたが、少女の視線に気づいて、心持ち身をかがめる。
「なあ、パース。わたし、この子に何かした?」
「さあ。意外と眠る前に顔見知りだったとか」
「知らん。そもそも他の奴はひとりも知らん。今日が初対面だ。――イィリスちゃん、なんでそんなに緊張してるんだ?」
「――――ッ、イ、イィリスでけっこうですアル様っ!」
「真面目に呼ぶな、アル」
「おまえが云ったんだろうが、たわけ」
「バカって云った奴がバカ……っと、失礼。内輪話満開でしたね」

 すっかり蚊帳の外になってしまった女性に、やっとこ青年が気づいたようだ。少女や子供と話していたときとは打って変わった丁寧な口調でそう告げると、ぺこりと軽く頭を下げる。
「あ、いいえ、お構いなく」
 それは女性の本心である。
 何故かって、青年と少女の子供のやりとりは、傍で見ていた彼女自身、とても楽しい気持ちになれたのだから。
 だが、彼女はそれでいいとしても、
「うーん」
 青年のほうは、そうはいかないらしい。
 ちょっぴりわざとらしさがにじみ出る仕草で腕組みして、ひらひらと女性の背後――通りのほうを示して曰く、
「ですがほら、このままだと、おれたち立派な街頭漫才」
「……え?」
 ざわざわ。
 ざわざわざわ。
 いったいいつから足を止める者が出始めたのか。第一人者は間違いなく少女に話しかけた女性であったはずだったが、その彼女も、いまやすっかり青年曰くの街頭漫才の一員になってしまったようだった。
 ――彼らの周囲にたむろった、数十人の通行者たちにとって。
「あら……」
 ぽ、と、女性は顔を赤らめる。
「あら……」
 ぽ、と、青年は顔を赤らめた。
「気色悪いッ!」
 それを見咎めた少女が、手近にあった箒をとって一閃。すこーん、といい音を立てて、柄が青年の後頭部を直撃した。
 わきおこる拍手と歓声。そして飛んでくるおひねり。
 ……何かが違う。
「はっはっは、人気者だなあ、おれたち」
 のんきに笑う、約一名を除いてだが。
 すこーん。
 その約一名に対して、またも少女が箒を振るった。
「笑ってる場合か! 行くぞバカ!」
 今度は怒鳴り声のオプションつき。しかもかなり力が入っていたらしい。脳天を押さえて悶絶する青年の襟首をひっつかむと、体格差に似合わぬ力持ちっぷりを発揮して――つまり、ずるずると青年を引きずって、歩き出したのである。人込みを押しのけて歩く気はさすがにないらしく、自分たちが立っていた家の横のわき道に向かって。
 イィリスと名乗った子供がついてくるのをちらりと振り返って確認すると、少女はそのまま視線を動かし、ぽかんと佇む女性に目礼。そのあとは一度も振り返らず、歩き去っていったのだった。
「……」
 そうして女性は、所在なげに佇んでつぶやく。
「おひねり、要らないのかしら……?」
 未だ投げ込みの続く硬貨の音を足元に聞きながらのそれは、本音の気持ちがかなり色濃く漂っていた。
 その背中に当たる硬貨――ではなくて、誰かの手のひら。
 とんとん、と、呼びかけの意思がこめられたそれに振り返った女性は、「あら」と口元をほころばせた。
「こんにちは、お人形屋さん」
「奇遇ですな、ルカさん。今、そこで漫才をやっていた彼らはお知り合いですかね?」
 人形屋さん。
 にこにこ微笑むこの中肉中背の男、女性がそう呼んだとおり、複体と呼ばれる一般的な人形の販売を生業としている人物である。店の規模は街のなかでも一、二を争う大きさで、住人のなかで彼を知らぬ者はいない。
 女性――ルカは、男の問いにゆっくりとかぶりを振ることで、まず答えとした。
「いえ、ちょっとお話をしていただけなんです。……私が勘違いをしてしまって」
「おやおや。ルカさんも意外とおっちょこちょいですな」
 ははは、と人形屋が笑うころには、集まっていた人々も三々五々と散り始めていた。漫才というより微妙に間抜け楽しいやりとりを見た彼らの表情は、脳天に花が咲いたよう。
 そんな人々を、ルカと男は成り行きながらその場に佇んで見送った。
 人の流れが完全に元に戻った頃、「そうそう」と、男がルカを振り返る。
「近々、いい人形が入る予定なんですよ。今度こそ、ルカさんにも気に入っていただけると思うんですが――」
「そうなんですか? ……でも、複体の子ですよね? 私やっぱり、いくらお金がかかってもいいから、いつか原体の子といっしょに暮らしたいなあって……」
 今の子たちを見て、もっとそう思うようになったんです。
 ――と、続けるのはためらわれて口を閉ざしたものの、ルカは自分で自分を不思議に思った。
 この人形屋は、最初にルカが店を訪れたときから、何かと親身になって手配をしてくれている。勿論商売のためもあろうが、出来るだけ人間に近い子がほしいのだという彼女に原体や複体といったあまり知られていない情報を教えてくれたのも彼だった。それに、とても小さな確率だが、原体もしくはそれと遜色のない複体が手に入ったら真っ先に連絡すると約束までしてくれているのだ。
 内心首をかしげるルカに、男は、にっこりと笑いかける。
「いえいえ、それが違うんですよ」
「え……?」
 会話の流れから、つづくことばは予想できた。
 だのに、彼女の胸に去来したのは喜びでなく不安。何故だろう、そんな疑問と感情が混ざって複雑なものになってしまった彼女の応答に、だが、男は気づかなかったらしい。
 笑いかけた表情そのままに、「ええ」と大きく頷いて、
「とうとうですね、原体の情報が入ったんです。もう数日もすれば、間違いなくご対面させてあげられますよ」
「そ……そうなんですか」
「……おや、あんまり嬉しそうじゃありませんね? だめですよ、せっかく待ち望んでたんですから、もっと喜ばないと」
 諭すようなそのことばに、ルカは、そうよねと思い直す。
 親類のもとを出て独りで暮らすようになって数年、いささか慣れはしたものの、寂しさが消えることはなかったのだから。
「そ、そうですよねっ! それで、どんな子なんですか?」
 あげた声は、心なし無理が見えた。だが、ルカ自身が気づかぬそれに、男が気づく道理もない。
 にっこり、にっこりと笑みを深め、大きくうなずくと、
「――今、お逢いになったでしょう?」
「え……?」
 ぱちんと男の指が鳴る。
 それとほぼ同時、ルカの首筋に鈍い衝撃が走った。


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