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彼らのいる世界

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 ここに、ひとつの世界がある。名は、そこで暮らす者たちならば知っている。故に、誰も、改めて確認する者はない。
 改めて確認するまでもないといえば、もうひとつ、年号がある。このときより1274年と三月ほどを遡った頃に定められた共通歴。それは逆に云うならば、定められてから1274年と三月ほどを数えるということだ。
 もっとも、これもやはり、その世界で暮らす者ならば知っていて当たり前のことである。
 だが、共通歴が定められる以前のことなら話は別だった。各国が独自の暦を用いていた時代よりも、まだ遥かに遠い時間の向こう。単に“古代”と総称されるその時代の遺跡から“人形”が発見されて以来、一躍、多くの人々にその時代が特殊なものであったのだと認識されてしまったからだ。
 “人形”自体は、共通暦になってから、もしくはその少し前から人々の間に浸透していた。
 動物を模した単純な玩具から、人の姿を持ち、簡単な命令信号を与えることによって動く、召使いめいたものまで。
 けれど、それはあくまでも“道具”。子供たちがままごと遊びで使う小さなあれが、実物大になってちょっとした動きをするようになった、というくらいのものでしかない。人の代わりにいくらかの作業をこなす、無機物のお手伝いさん。そんな印象であり、また事実であった。
 ――それが一変したのは、共通暦1269年。つい数年前のことだ。
 前述のとおり、古代の遺跡より“人形”が発見された。神殿めいた建築様式の朽ち果てた建物の奥、氷室に眠るようにして安置されていた“人形”が運び出されたとき、まだ人々は古代でも似たようなことをしていたのだな、と思った程度だった。
 だが、その認識はすぐに覆される。
 “人形”を閉じ込めていた氷室を溶かし、いくらか現代のそれと違う手順ながら、無事にそれは起動した。
 起動して――
「おはよう」
 周囲に佇む研究者たちを見渡し、誰も何も云わぬうちに、自ら行動を起こしたのだから――その場の混乱、推して知るべしだ。
 区別をつけるために、発掘されたほうは『原体』、現代において培われてきた産物は『複体』とされるようになったのも、この後から。このへんは、先人を重んじてのことだろう。
 そうして話はすぐに広まり、特にトレジャーハンターと呼ばれる遺跡探索者や人形の作成を手がけていた人形師のなかからは、我先にと遺跡に手当たり次第特攻をかける輩まで現れた。
 目的はもちろん、第二、第三の原体を見つけることだ。
 何しろ、原体は云うまでもなく素晴らしい希少価値。誰よりも先に見つけてしまえば、売ろうが使おうが本人の自由。
 これまでの人形、つまり複体は道具や玩具として認識されてきたものの、原体に関してはまだ人々の間に情報が浸透していない。数年も経つのだからせめて法的整備のひとつやふたつと心有る人は思うのだが、いかんせん、ほぼ無機物の身体でありながら魂や自我を持つという事実はその確認や扱いが難しく。
 故に原体は今のところ、いかに自我があろうが文句があろうが、それまであった複体と同じ扱いをしかされていないのが現状なのであった。
 ……もっとも、第一体が発掘されてより数年。目についたあらゆる遺跡が掘り返されてなお、発見された原体はやっと両手の指で数えることが出来るようになった程度。加えてその特殊性により、発掘も発見後の取引も秘密裏に行われることが多く、表立ってその存在が明らかになったことは少ない。大衆の認識的には『めずらしい“人形”がどこかにいる』といったものであり、とても詳しい情報までまわるような状況ではないのである。
 故に。
 故に――だ。
 心無い人間に発掘されたが最後、その原体の末路というのは火を見るよりも明らかなわけで――――



- 2 -




「いや、だがしかし、頭上から落ちてくるとは思わなかった。うん」
「…………申し訳ありません」

 小一時間ほどうんちくをたれてくれた青年のシメに、それは身を縮めて謝罪した。
 落ちただけならここまで居心地の悪い思いもせずにすんだだろうが、あにはからんや、ついさっきまで彼の黒髪の間からは大きなたんこぶが発生していたのである。うんちくの間に縮んでいく様は、観客がいたらばきっと大笑いしてくれただろう。
 たんこぶを作らせた犯人は――云うまでもない。
 緑の海に落下したそれは、生い茂った木の枝に何度かひっかかるうちに体勢を崩し、結果として、真下を歩いていたこの青年の頭と自分の頭に運命的な衝撃を発生させてしまったのであった。
 痛みを誤魔化すためか、はたまた脳みそがどこか潰れたか。数分間気絶した男が目の前のそれを見て、唐突にうんちくを並べ始めたときにも、だから、辛抱強く聞いていた。
 ――今こうしてうんちくも途切れたことで、よかった、とちょっぴり安堵もしている。壊れた録音機みたいになっていたら直せない、と、本気で心配もしたのだ。
「で、何か質問は?」
「……はい?」
 だから、唐突にそんなこと云われても反応できるわけがない。
 ぱちくりと目をまたたかせたそれに、青年はわりと辛抱強く話しかける。
「だから、何か質問はあるか? ないならこれで起床直後の説明は終わりにして交渉に入ろうと思うんだが」
「……は、はい?」
 交渉ってなんですか。――なんて訊いていいんだろうか。
 話の展開が右から左、いや、頭上から急降下のち高速上昇でアクロバット回転左斜め上45度。
 起きたばかりだからというわけではなく、その話の飛びっぷりに、頭がついていかない。そうして、目を白黒させるそれの前に、青年が懐から何かを取り出して見せた。
「……!」
 目に映った物体を見て、それはすぐさま反応した。
「ををッ!?」
 力なく地面についていた手を、大きく薙いで威嚇。同時に座り込んでいた足に力を込め、青年の前を離脱した。
 ――――走り出さなかったのは、あくまで、たんこぶをつくってしまった青年への謝罪の気持ちがあったから。それから、彼からは敵意が感じられなかったから。
「ありゃ」
 そして、その青年は威嚇された折についた尻餅をそのままに、ぽかん、と、手にした道具とそれを見比べていた。
「……知ってるのか、これ」
 見比べた後、なんだか申し訳なさそうな表情になって、青年は云った。
「…………」
 こくん、と、それは首を上下させる。
 衣服に隠れた二の腕が、ぢりぢりとした刺激を覚え――否、甦らせる。
 青年が持つのは、手のひらに乗るくらいの、小さな判のようなものだ。インクをつけて捺印するそれと違うのは、なんだかスイッチみたいなものが軸の部分についているということ。
 何も知らなければ、ぱっと見てちょっとおかしな印象を受けるくらいだろうが、それは、道具の正体を知っている。
 あれは判であって判ではない。
 ――灼印(ゲイン)。
 それの二の腕にあれと似たモノを押し付けた一行は、その道具のことをそう云っていた。
 聞き取れたのはそれくらい。だが、あれが危険なものであることだけは判っている。
 だって、あれは熱かった。
 だって、あれは痛かった。
 そして、もう少しそれの意志が弱かったら、起き抜けに与えられた熱と痛みに自分を手放してしまうところだった。

 ――そう。
 自分という意識が、熱と痛みという形によって、力任せに塗りつぶされていく恐怖。

 だから危険。
 あれは危険。
 あれを持つ、あのひとも危険――――!

「うーん……すまん」
 ――――じゃ、ないのかな……?

 すごく。
 すっごく申し訳なさそうに、青年は頭を下げている。
 臨戦体勢をとっていたそれは、また力任せにあれを押し付けられるかと思っていたそれは、きょとんと目を見開いた。
「灼かないの?」
「え。だって嫌なんだろ?」
「うん、嫌」
「だろ?」
 大きく頷いたら、青年も、我が意を得たとばかり、こくこく。手のひらの道具をもてあそびながら、それに笑いかけてきた。
「ならやめとこう。――灼印があると楽なんだが、嫌なんじゃしょうがないしな」
「……?」
 しまいこまれる、灼印。
 青年の手が完全に懐から出されたのを見届けて、それは、また、おずおずとその前に戻る。
 そうして、青年はそれを覗き込んだ。
「どこに灼かれたか見せてくれるか?」
「…………」
 少しだけ迷って、それは、左腕を差し出した。その部位にまとわりついていた髪を、そっとどかす。
 露になった箇所を見て、青年は強く顔をしかめていた。
「……ひでえ」
 なめらかなそれの肌を真っ黒に焦がし、周囲を赤黒く染め上げる紋様。ひどいところからは、ぼろぼろと組織が剥がれ落ちようとしている。
 禍々しい印象を与えるその印を、青年の指が用心深く触れた。
 怒りをたたえたまなざしで印を見つめ、ことばも出てこないのか、口元を強く引き結んでいる。
「痛くないか?」
「痛くないです」
 それは本当。あの熱と痛みの残滓とは思えないほどに小さな、ちりちりとした、なんともむずがゆい刺激が残るだけ。
「そっか」
 安心したように、青年は表情をほころばせた。
 人好きのしそうなその笑顔を見て、それの胸にもふうわりとした何かが生まれる。あたたかなその何かにしたがって、それは、青年に向き直った。
「イィリス」
「うん?」
「私の名前、イィリスです」
「ありゃ。これはご丁寧に。俺はパースです」
 青年は一度だけ大きなまたたきをして、そうして、また笑う。
 それ――イィリスはそんな青年を見て、同じような笑顔を浮かべてみた。


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