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名もなき話

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 ドンドンドンドンドン!!

 盛大な騒音が宿を揺るがしたのは、夜半過ぎ。
 少年も子供もすっかり熟睡していたのだが、それで思いっきり目を覚まさせられた。
「……なんや?」
 ふあ、と欠伸。
 ざんばらに落ちてきた黒髪をかきあげ、少年は寝台の上に身を起こす。
 隣の寝台で同じように身体を横たえていた子供も、数拍遅れて起き上がる。
 開け放った窓からは、位置を変えた月の光が、寝る前と変わらぬ明るさで部屋のなかを照らしていた。
 ひょい、と、少年はそこから顔を覗かせる。
 通りに面したこの部屋からは、宿の入り口が見下ろせるのだ。

 ――果たして。

 騒音の主たちは、そこにいた。
「勅命である!!」
 同じように、両隣や上下から、他の客がわらわらと顔を出す。
 そのころにはとっくに、宿の主人と思しき中年の男性が、扉を開けて騒音の元と対峙していた。
「勅命である!」
 もう一度、騒音がそう告げる。
 怒鳴り声に近いそれは、もはや、近隣の家や店の明かりまでも呼び覚ましていた。
 灯りに照らされた一団を見て、少年も、そして両隣の客たちも一様に顔をしかめた。
「騎士団か、あれ?」
 右隣の客が、同室らしいもうひとりにそう話しかけるのが聞こえた。
 そのとおり。
 灯りを受けて鈍く輝く鎧、脇に抱えた兜。夜風にゆらりとひるがえる重厚なマント。その隙間から覗くのは、装飾の施された立派な剣。
 それらに記された、街門のところでも見た紋章。
 おそらくは、街の領主の近衛か、その下の衛視あたりだろう。
「こんな夜中に、何があったんだ?」
 左隣の客がつぶやいている。
 ざわざわ……さわさわ……
 波紋のようにゆっくりと、人々のささやきが夜の通りを満たしていく。
 いくつもの視線が見守るなか、兜を抱えたおそらく騎士が、ば、と主人の前に巻物を取り出して見せた。
 遠目に見えるのは、鎧兜に刻まれたそれと同じ紋章。
「ツェルク領騎士団長ガイアスが告げる。領主よりの勅命である、心して聞け」
「は、――はっ」
 頭を垂れる主人に、ガイアスと名乗った騎士団長は朗々と告げた。
 それは当然、通りを注目する人々にも――少年にも届く。

「セライスで発見されし大和の遺産が、この街に持ち込まれたとの連絡があった」

 がくッ

 少年は、それを聞いた瞬間窓に突っ伏した。
 あわてて振り返り、顔を出そうとしなかった子供の姿を確かめる。
 手際よくしたくを整えた子供は、こくりと頷いた。
 ――もしかしてコイツ、街に入ろうとしてなかったのは、こうなるって判っとったからか!? 意外としたたかか、この人形っ子!
 通りから聞こえるのは、宿の主人が、それはどのようなものかと訪ねている声。
 その間に少年もまた、おそらく自己記録更新の勢いで寝間着をとっぱらい、したくを整える。
 めったに見ないお偉いさんに、腰がひけているのだろう。どもりがちに応答を繰り返し、結果として時間を稼いでくれている主人のことばを、それはそれはありがたく思いながら。
 だが、それでもやはり、限界というものはくるのだ。
 苛立ったような騎士団長の声が、再び響いた。
「それは、名も高き人形師にして大和の皇子の遺した最後の作品である!」
 大和亡き今、王都にて保管されるべき国家的財産である!
「速やかに引き渡されたし!」
 人形は子供の姿。
 緑の髪と、金の目を持つ。
 とうとう、騎士団長は、高々と宣言してくれた。


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