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名もなき話

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 ばたばたばたばたばた!

 少年と子供は、全速力で階段を駆け下りる。
 ――そう。
 黒髪と緑髪のコンビ、なんて、ぱっと見珍しい組み合わせは、食堂にいた他の泊まり客や宿の主人、受付の人間の印象に強く残っていた。
 現に、子供の容姿を騎士団長が宣言したとたん、左右隣の部屋の人間が、少年の方をぐりっと振り返ったくらいだ。
 もっとも、そのときとっくのとうに、ふたりは部屋の扉を開け放って走り出していたのだけれど。
 目指すは裏口。
 宿のつくりを最初に確かめておくのは、旅人の常識だ。何しろ見知らぬ人間同士が寄り集まる界隈、いくら治安が保たれていても、いつ何が起こるか判らないのだから。
 ……こんなことが起こるなど、さすがに予想はしていなかったが。
「いたぞ!」
 そろそろ来るかと思った矢先、背後から野太い男の声。
 聞き覚えがないところから察するに、たぶん、他の泊まり客だろう。
 夜に作業する従業員のために灯された廊下のあかりは、晧々とまではいかなくても、黒い髪も緑の髪も充分すぎるほどに照らし出していた。
「どうするの!? たぶん裏口にもいるよ!?」
 一瞬だけ振り返った子供が、少年を見上げて問いかけた。
 裏口までは、あと角をふたつ曲がれば到達する。
「ええから、着いてき」
 全力疾走にこともなげについてくる、子供の腕を引っ張って、少年は角をひとつ曲がる。
 横手の扉から出てきた不幸な誰かに、そのへんのずだ袋を投げつけて牽制。
 そして。
 裏口へは、あと、角ひとつ――

 ぎゅりっ!

 そこで、少年は急激に、進行方向を転換した。
 横手に見える観音開きの大きな扉――おそらくは、食糧などを搬入し、保管しておく倉庫なのだろう――を開け放ち、そこに子供を投げ入れた。
 つづいて、自分も飛び込む。
 開けたときとは裏腹に、内側から、慎重に扉に手をかけた。
 かんぬきをギリギリまでひいておいて、まず、扉を閉める。
 続いて、背中の太刀を抜く。
 扉の隙間に刃を差し入れ、かろうじてひっかかる位置にあったかんぬきを、太刀のそりの部分で下からすくいあげた。
 くっ……くっ……
 小刻みに動かし、重心を変えさせること、おそらく数秒。
 カタン、と。
 かんぬきのかかった音を聞いて、少年の背後から見守っていた子供が目を丸くした。
「……すごい……!」
「旅の心得その1や」
 もちろんそんなわけはないのだが、暗闇で無駄にかっこつける少年を、子供は尊敬のまなざしで見上げている。
「ま、持ち上げて落とす型のかんぬきやったから、助かったな」
 これが、穴に通すとか下から止め具を使うとか、そんなのだったらまずこんなことは出来なかった。
 予算のことを考えて選んだ安普請の宿に、ちょっぴり乾杯。
 それでも念のため、倉庫の奥、積みあがった食糧類の陰へとふたりは移動する。
 そのころには、さきほど廊下で遭遇した泊まり客たちが、倉庫の前を駆け抜ける足音が響いていた。
 息を殺して、扉の外の足音と声に耳をすます。
 裏口まで駆け抜けて、やはり待機していた騎士団と正面衝突したらしい泊まり客の悲鳴も聞こえた。
 倉庫を調べようという声がする。
 身を固くしたものの、かんぬきがかかっていることで、調べる価値もないと判断されたようだ。少年達のいる場所に、灯りがさすことはなかった。
 そして、ここからでも聞こえる宿の外の喧騒。
 姿を消したのかとか、大和の人形は化け物かとか。あの少年も人形なのかとか。
 使命感と高揚に巻き込まれた人間たちに、灯台下暗しの理念などはたらくまい。
 ざわめきがだんだん宿から遠ざかり、山狩りならぬ街狩りに発展しそうなことをたしかめると、少年は、外に面する壁に押し付けていた耳を離す。
「……夜明けまでじっとしとくで。騒ぎがおさまるころが、出時や」
「手慣れてるね」
 子供の声には、尊敬と一緒にちょっとした呆れが混じっている。
 暗がりに慣れてきた目でその影を見つけ、少年は、子供の隣に腰かけた。
「まあなー……オレの姉ちゃんが――っつてもまあ、血は繋がってないんやけど、すげえたくましい姉ちゃんでな」
「たくましい?」
「おう。オレにコレの使い方教えてくれたんも、さっきのかんぬき技とか、旅の心得とか、いろいろ教えてくれたんも姉ちゃんや」
 コレ、と。
 示された太刀は、今は少年の背におさまっている。
 ちらりとそれを一瞥して、子供は、首を小さくかしげた。
「……たくましいね」
「やろ?」
 どうやら、世間一般の女性の概念は持っていたらしい子供に、我が意を得たとばかりに少年もこくこく頷いてみせた。
 それから、
「んで……なんで追われてんねん?」
 真顔になって、そう問いかける。
 こんな闇のなかで、果たして子供に表情が見えているのかどうかはわからないが。
 もぞもぞ、子供が動く。
 伸ばしていた足を引き寄せ、膝を抱えて丸くなる。
「わたしは、貴重品なんだってさ」
 街で暮らしてたときも、こんなこと何度かあったんだ。
「どういうふうに?」
「動くし、しゃべるし、自分の意思があるし。――あと、ついでに云うならわたしを造った人は、当時、世界中でけっこう有名な人形師だった」
「ふーん……遺作って奴か」
 最初で最後、と子供は自分のことをそう云った。
 高名とか有名とか、そんなのが頭につく人形師がつくった作品ならば、たしかに、噂が流れて高い値で取引される可能性もあるのだろう。しかも自分で考えて動くというのなら、なおさら。
 一応納得して、
「でもなあ」
 と、少年は眉を寄せる。
「あんたはどう見ても人形ぽくないし――っていうか、自分で動けるのを相手さん知っとるのに、『保管』ってのはどうやと思うなあ」
「だよね? 保管だよ保管。倉庫で延々と眠れ、とか、鑑賞物になれ、とか云ってるようなものだよ」
 わたし、そんなの絶対ヤだ。
「オレもイヤやな」
「だよね?」
 繰り返し云い、子供は同意を得たのが嬉しいのか、ちょっと笑う仕草をした。が、すぐに真剣な面持ちになってつぶやく。
「さっきも云ったけど――ラウディといた街でもね、たまに王都から『お迎え』が来たよ」
 でも、そのたびにラウディがなんのかんので追い返してくれた。
「……だけど、もう、自分で自分の身、守れるようにならないといけないね」
 守ってくれる保護者。ラウディ・ホーン。
 彼のもとを離れたということは、つまり、そういうことだ。
 だからこそ――どこから情報が出たのかは判らないが、王都の誰かさんもわざわざ伝達を出したのだろうし。
「まあな。ひとりで旅しろってのは、そういうんも含めて、やろうな」
 保護者の仕事はちゃんとしつつも、ちゃんと突き放すところは突き放したらしい。
 いや、一人立ちを促した、と云ったほうがいいか。
 子供が云ったことが正しいのならば、ラウディの終わりは、子供の終わりよりもはるかに早い。
 それまでに。
 まだ、自分が子供の帰る場所である間に。
 ほっぽりだして、世間の荒波にもまれてこいと。
 顔も知らない人形師が、何故か自分の姉の顔でそう云う光景が目に浮かんで、少年は思わず遠い目になった。
 だがせめて旅の心得くらいは教えておけよと、ちょっぴり心中で顔も知らない相手につっこんでみる。
 十年近くラウディのもとにいたのなら、教える機会はあったのではなかろうか。子供が旅に興味を持たなかったから、そうはしなかったのだろうか。自主性を重んじるのなら、ありえない話でもないだろうけれど。
「……人間って難しいなあ」
「おう、難しいでー」
 そうして、ぽつりとつぶやいた子供に、少年も、ぽつりと応じてみせた。
「あ」
 子供がこちらを振り返る気配。
「ねえ、お願いしてもいい?」
「何を?」
「大和の見える岬に行くまでの間でいいから、いろいろ教えてほしいんだ」
「ん? オレが知ってることでええならな」
「うんうん。たくさんよろしく」
 わたしは、人間って存在にはなれないだろうけど。
 そう云って、子供は笑う。
「――わたしはわたしになれるように、がんばるつもりだから」
「おー、そりゃええ心がけや」
「でしょ。ラウディも誉めてくれた」
 人間だとか、人形だとか。
 そんな区別はさておいて。

 ……おまえは、おまえで在ればいい。

 正確に、ラウディのことばを繰り返す子供を見て、少年は、やっぱり自分の姉を思い返していた。
 もしかして、その人形師と姉たちは、どこかで血が繋がっているんじゃなかろうか、と。


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