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名もなき話

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 少年と子供の出逢った草原から、西に半日ほど歩いたあたりに、ツェルタ、という街がある。
 このご時世のなかでも、それなりに栄えている街だ。
 旅人や隊商が立ち寄ることも多く、宿の数も多い。
 そのうちの一軒、街門から入ったすぐの場所に店を構える宿に、ふたりの客が訪れて食事をとっていた。
 まだ年若い、どころか、幼い、と云っても過言ではなさそうな、黒髪と緑髪のふたりづれ。
 血に塗れた服で門兵を驚かせたふたりは、真っ先に向かった衣料店で驚かれ、宿に入れば入ったで、受付の人間を硬直させた。
 借り受けた一室にて服を替え、こうして食事にありついている今となっては、そんな視線も向けられなくなっているが。
 ひとしきり食事に集中する少年に、子供があれこれ話しかける。
 傍から見ていて判るのは、そんな和やかな光景。
 ただし、ちょっと視点を変えて注視すれば、子供は目の前の食事にちっとも手をつけていないのが判るかもしれない。
「食わんでええんか?」
 それに気づいた少年が、空になった食器を横に置きながら問いかける。
「うん。食べないなら食べないでもいいんだよ」
「じゃ、食べるなら食べてもええんやな?」
「そう」
「じゃ、食べとき」
「うん」
 なんとも気の抜けるやりとりのあと、子供がようやっと食事に手を伸ばした。
 少年と同じ定食のなかから一品を選んで、もそもそとそれを口に運ぶ。
「他、食べていいよ」
「おう」
 頷いて、実は定食1セットだけでは物足りなかったらしい少年の手が、子供の前に並ぶ器をひとつとった。
「食べながらでええから、確認させてや」
 こっくり。
 食べ物を口に入れたまま話すということは、出来ないらしい。
 口を動かしながら頷く子供に、少年は、ちょっと聞き取りづらい発音で告げる。――いや、確認する。
「要するに、あんたは人形なんやな?」
 こっくり。
「大和が沈んだときに、海に投げ出された、人間を模した人形やて」
 こっくり。
「ラウディってのは、流れ着いたあんたを拾って面倒見てくれた人形師で」
 こっくり。
 ごくん、と一度喉を鳴らして、子供は食事を飲み込んだ。
「十年ちょっと、お世話になった人だよ。わたしに、いろいろ教えてくれた」
「ほんで、旅に出ろ云われた?」
「うん。自分で見て触れて感じる以上に、勉強になることはないって」
 その目で、今の世界がどんななのか見てこいって。
「手が止まっとるで」
 食え、食え。
 促され、子供はまた食事に戻る。
「――で、まあ、あんたはいろいろ変な力持っとるんやな」
 こっくん。
 血みどろだった少年の身体は今、どこをどう見てもそんな原因になるような傷など見当たらない。
 死んでもおかしくないほど失った血は、それが夢だったとでも云いたげに、ほのかな熱を持って体内をめぐっている。
 それをなしたのは、目の前の子供。
 正確に云うならば、子供の持つ力。
 また、子供の喉がなる。嚥下し終えたのだ。
「うん。変な人形。ええと――材料が、世界だから」
 そのラウディとやらに、あまり大きな声で云うなといわれたんだろうか。
 気持ち声を落として、子供は云う。
「世界に巡る力の一部を縁って、わたしの器は作られたから。世界の命はすべてがそうだけど、もっと、直接的な感じ」
「ふむ? 子供か分身か、とかそんなん?」
「そう、かな。それで、わたしはそういうのだから、この世界が存在する以上、わたしが消えることはなくて」
 世界に意思ってものがあるとしてだけど、その意思が、わたしを存在させようとするから。
「その溢れた力が、ついでにオレまで回復させてくれた――っつぅわけか」
 便利ちゃあ、便利やな。
 つぶやいて。
 少年は、あることに気づく。
「ほんなら、あの魔物たちも、今ごろ生き返っとるかもしれんの?」
「それはない。“わたしが殺した”から……」
 君が手にかけた子なら、もしかして、それもあるかもしれないけど。
 そのことばに、少年は頷く。納得の仕草。
「なるほどな。あんたが殺したんは、あんたがそう選んだもんやから、無差別回復の対象にはならんのか」
「……うん」
「――なるほどなぁ」
 もう一度つぶやいて、少年は食器を積み上げる。
 手付かずの、子供の側の器をもう一つとって、それが吸い物であると知ると、ずずーっと一気に胃に流し込んだ。
 口の端に残るそれを、手の甲でぬぐう。
「ま、判っとらんかもしれんけど、納得。少なくとも、オレがここにいるのはあんたのおかげっちゅーわけや」
 改めて礼を云う。
「ありがとうな。助かった」
「う、ううん」
 ところが、子供は、戸惑ったように首を振るばかり。
「わたしは別に、何もしてない」
 この力だって、そこにいれば作用するっていうだけのものだし。
「それに、本当は死にかけのものを意図的に回復させるなんて出来ないんだ」
 君の気持ちが生きようとしたから、零れてた力がそれに応えてそっちに流れ込んだだけで……
 云いつのる子供に、少年は首を傾げてことばを投げる。
「したやん。喰われかけたの、助けてくれたやろ?」
「……あれは、その……」
「大和の人形ってのは、すごいんやな。そんなやわこく見えるくせして、刃物並な真似も出来るんやから」
 少しだけ。
 羨望の感情がことばに混ざったことを、少年は自覚した。
 けど、子供はまたかぶりを振る。
「違うよ。大和の、っていうけど、本来大和だろうがどこだろうが、人形は人形だもの」
「へ? そうなん?」
「うん。わたしは最初で最後の『そういう人形』のはずなんだ。実験作は、いたけれど。でも『そう』なったのは、わたしだけ。そして、わたしが存在してほとんどすぐに、大和は沈んだ」
 だから、この存在は他にはない。
「それに、魂を持って動く人形なんて、もう、人形じゃないし」
 セリフこそ重みを感じさせるが、子供の表情は、それに反してそう暗くはない。
 おそらく、自らの存在というものを、ある程度は自らで納得しているのだろう。
 もしかしなくてもそれは、世話をしていたというラウディとやらのおかげか。
「それでも、そういうわたしでも、何かが出来るかなって思ってたころだったから、旅に出ろってことばに乗ったんだ」
「ほうほう?」
 こういったことは、話すのが楽しいのだろう。
 それまでと打って変わって、子供の表情に笑みが混じりだす。
「わたしは、わたしが何をしたいか見つけたいって思うんだ」
「見つかったら?」
「一度ラウディのところに帰って、それからそれをしたい、つもり」
「見つからなかったら?」
「やっぱり、一度ラウディのところに帰る。わたしと違って、ラウディの終わりは早いから。そしたら、それがしたいことになる」
「……なるほどなあ」
 なんや、人生設計ばっちりやんけ。
 かなり場当たり的な印象はあるものの、当座の行動予定はしっかり組み立ててあるわけだ。
「それに、あちこち見るのは楽しいぞってラウディが云ったんだ」
「ああ、それはオレもそう思うわ」
「君もなの?」
「おう」
 頷くと、子供は、ちょっと怪訝そうに首を傾げた。
「あんな目に、遭ったのに?」
「遭うたけど、助かったやろ」
 それに、あれ以外でなら楽しいことだって大量にあったんやで?
 ちちちっ、と指をメトロノームして、少年は子供に笑いかける。
 ふたりの間には、空になった食器が山と積み上げられていた。
 もちろん、その九割が少年の胃袋に収まっていることは、云うまでもない。
 そして、残りの一割を食した子供も、にっこり笑う。
「――そっか」
 それなら、君の旅は楽しいんだね。
「あんたもやろ」
「うん」
 そこで会話は一旦途切れた。
 食事と会話で少し乾いた喉を潤すために、計ったわけではないけれど、同時に目の前の飲み物に口をつけた。
 食器を下げに来た従業員が、笑いあう少年と子供を、微笑ましく眺めて去る。
 意外にも、先に器を空にしたのは子供のほうだった。
「えっと、そしたら今日は――」
「おう。礼にもならんが、宿代オレに持たせや」
 別に野宿でも平気、と辞退しようとした子供を、実は、半ば無理矢理引っ張ってきたのである。
 人間に混じって生きようとするなら、普段からちゃんとそういうの意識しとけ、と云って。
「洋服代も食事も、もってもらっちゃったね」
 辞退はもう選択外なんだろう。
 身を包む衣服をつまみ、食器が下げられスペースが大幅に空いたテーブルを眺め、子供は笑う。
 そうして、少年も笑う。
「気にしなや。どうせ、金なんかあんまり持っとっても使い道ないし」
 前に滞在しとった街で、しばらく困らんくらいは稼いどったし。
「へえ」、
 何気なく云った少年のことばに、子供がちょっと目を丸くした。
「君みたいな年でも、雇ってくれるところあるの?」
「あんたに云われたかないな。……ま、それなりにな。手っ取り早いとこやと、宿の手伝いやって一泊浮かせたことあるし」
「ふーん……しっかりしてるんだね」
「……あんたが知らなさすぎなだけやろ」
 ラウディとやらと暮らしてた街で、日常生活のいろははある程度覚えた、と子供は云った。
 だが、それと旅をするのとは、また別問題である。
 衣料店で値切りの交渉をする少年をぽかんとして見ていたし、宿についたらついたで質が悪くてもいいから安い部屋、と注文つけたのを受付と一緒にびっくりしていたし。
 何より、食事の前に手持ちの服の繕いを始めた少年に「人形師?」と訊いて絶句させた事実もある。
 街に来る途中にだって、なんと地図さえ持っていなかったことが判明していた。当然、地図や方位の見方も知らないという。
 好きにあちこちまわってみろ、にしたって、限度ってもんがあるだろうに。
 事実、子供は旅に出てから数日目らしいのだが、その間一度も街に立ち寄ったことがないとか。
 とはいえ、暮らしてた街の名は覚えていたから、まあ、帰れなくなるという最悪の事態にはならずにすみそうだ。
「今日はもう疲れたしな、明日になったら、おまえの分の地図とか道具とか買いに行こか」
「うん」
 そのやりとりを最後に、少年と子供は席を立つ。
 赤く染まりだした窓の外に目をやって、二階にある部屋へと歩いていく。
 同じようにひとつに結わえられた黒い髪と緑の髪が、動きに合わせてゆらゆら揺れた。
 ――その背中に。
 食堂の片隅から、視線を注いでいた人物がいたことに、黒も緑も気づくことはなかったけれど。


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