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名もなき話

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 緑――翠――碧。緑。濃く鮮やかな植物たちは、そこかしこが赤黒く染まっていた。
 緑の海に沈むは、肉塊と化した異形たち。それらに混ざって、ふたりの存在が向かい合う。
「――何眺めとん? のんきなやっちゃなぁ」
 ぜ、と。
 荒い息にまじえて、寝そべった少年が云った。
 浮かべようとしたらしい笑みは、傷の痛みにジャマされて、微妙に歪んでいる。
「のんき、なんだ? こういうの?」
「のんきに決まっとるわ。……はよ、ここから離れ」
 屍たちがまだ動いていたときに切り刻まれた腕を、億劫そうに持ち上げて、少年は云う。
「なんで?」
「まだ、こいつらの仲間がそのへんにおるやろ」
 ――血のにおいにひかれて、時間かけずに集まってくるぞ。
「こいつら……って、こいつら?」
「他にこいつらがおるかい」
「血が好きなんだ?」
「……さあなあ」
 魔物が血を好むのかどうか、少年は知らない。たぶん、真実は誰も知らない。
 ただ、領土に入り込んだ人間がことごとく喰われたという事実から、人は魔物を人喰いだと結論付けただけで。
「実際のトコロ、こいつらが人を襲いにわざわざ出向いてきた……ってのは聞かんしなぁ」
「それじゃあ、来るかどうかも判らないよね」
「――ま、そうかもしれん」
 でも、こないともかぎらん。
「だから、早よ行き」
 ぱたぱたと。
 めんどくさそうに振られる手を、緑の髪の子がつかむ。
 服の、まだ血のついてなかった部分が、緑の髪の子の手についたそれで赤く染まった。
 そうして、黒い髪の少年は驚いて目を見開く。
「おい?」
「おまえ……じゃない、君も、行かないと」
 わたしより、君のほうが、血の気配は強いもの。
 云って、緑の髪の子は、ずるずると少年を背負って歩き出す。
 離れろ、と少年の云ったそのとおりに、屍の転がる中心から、草を踏みしだきつつ遠ざかる。
「おいおいおい……それじゃ間に合わんて」
「ううん、だいじょうぶ」
 まだ、何も来てないし、来る様子もないから。
「なんや、判るんか? そういうの?」
 あんた、巫女かなにかか?
 そう問うて、少年は「んなわけないか」と、目だけで背後を振り返る。
 累々と転がる魔物の屍は、少年ひとりで片付けたわけじゃない。
 どうにか鞘に戻した太刀は、たしかに魔物の血に汚れてはいるが、あの屍の半数以上をこしらえたのは、今少年をひきずっている緑の髪の子だ。
 巫女という職業の者ならば、不殺が旨であるはずだ。なら、この子がそうであるわけがない。

 ……いや、実に素晴らしかった。あれは。
 しばらく夢に見て、うなされるかもしれないと、少年は、つい先ほどのそれを思い返す。





 多勢に無勢、そのことばを少年が思い知ったのは、戦い始めてすぐのこと。
 一体二体を斬り伏せたまではよかったが、魔物たちの見せる、そこらの獣以上に柔軟な動きに、剣の直線的な動きはついていきにくい。
 ましてや、文字通りの四方八方からの攻撃に、少年は身を守るだけが精一杯になっていた。
 容赦のない牙や爪が、易々と肉を切り刻み、場所によっては食いちぎっていく。
 急所だけはかばいつづけていたものの、他の部位からの出血が激しく、そのままだったらどちらにせよ死んでいただろう。
 いっそ、身を投げ出すかと。
 そんな自棄めいた思考まで、浮かんだとき――

 その子は、少年の視界に入ってきた。

 血生臭い風が流れて、その子の足を向けさせたのか。
 それとも単に、商隊の使うルートを外れて迷いこんでしまったのか。
 まだ、十になるかならないか、ではなかろうか。
 小さな手足を動かして、その子は、草原をコチラのほうへと進んできていた。
 あと少しも近づけば、魔物たちがその存在に気づくだろうという場所にまで。
「――逃げ」
 ろ、と。
 叫ぼうとした、その瞬間。
 息を吸い込んだ動作が隙をつくり、そこに魔物が飛び込んできた。
「チ――――ッ!!」
 喉笛をかばい、防御一辺倒だった腕を跳ね開け、攻撃へまわす。
 それまでのなぶるような動きではなく、一心にこちらの絶命を狙っていたから、迎え撃つのは難しくなかった。

 ――ギャウアァァッ!

 ひび割れた断末魔をあげて、逆に喉元を貫かれた魔物はその場に落ちる。
 脳からの信号を受け取り損ねた四肢が、最後のあがきとばかりに痙攣する。
 血の混じった泡が吐き出され、魔物の下の草をぬらぬらと汚していく。
 そうして。
 三匹もの仲間が仕留められたことで、魔物たちの攻撃が一旦止まった。
 その向こう――魔物たちの背中側では、歩いてきた子が足を止めていた。
 さすがに断末魔も聞こえたろうし、漂う血のにおいもごまかしようがないだろう。
 逃げ出してくれよと願ったが、その子は、だけど動かない。
 恐怖に固まったか、それとも何か別の理由か。
 魔物たちは、少年にだけ集中している。
 気づくなと願ったが、その子は、だけど――
「きみたち、どうしたの?」
 あろうことか、のほほんと、そんなことをのたまったのだ。

 とたん、魔物たちが振り返る。
 風下に立つ、新たな獲物をその目におさめる。
 目の前の武器持ちより手にかけやすそうな、まだ小さな子が、魔物たちに認識されてしまった。
「逃げろッ!!」
 そうと悟った瞬間。
 魔物たちがその子に殺到するより早く、少年は群れの只中に飛び込んで、めくらめっぽうに太刀を揮う。
 敵はここだと知らしめる。
 倒さねば倒されるぞと印象づける。
 せめて、逃がす間の時間稼ぎぐらいはしてみせる。
 戦法など考えていない少年の動きに、魔物たちは一瞬怯んだけれど。
 先刻より動きが鈍く、大ぶりなことを悟るやいなや、次々に飛びかかり、牙を立ててきた。
 腕。
 足。
 腹。
 ――そして。
 ぶら下がる魔物たちの重みで、少年の動きが止まるときがきた。

 喉笛目掛けて喰らいつく魔物のあぎとが、まるでコマ送りの銀幕のようだと、痛みにぼやけた頭で思う。

 目を閉じようとは思わなかった。
 張ってもしょうがないとは判っているが、それが少年の意地だった。
 だから――彼は見た。

 ――ガッ!?

 刹那の間のあと、少年に喰らいつこうとしていた魔物のあぎと。
 その向こう――あるというのなら喉笛、さらには頚椎部から。
 魔物の皮膚を、肉を、骨を。
 つきやぶり、それは少年の目に存在を焼き付けた。
 ……小さな。
 まだ、十にもならぬ子供の、小さな小さな手が。
 無造作に、魔物の喉をつらぬく映像を――焼き付けた。

 紅く赤く。
 紅葉のようだと思った自分の脳みそはどこまで呑気なのかと、少年は少し呆れた。


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