誰が一番驚いたかって、そりゃあ云うまでもない。
「やっほージャキーニさん! さっそくですが質問、オウキーニさんはどうしたんですか?」
「あぁ? オウキーニ? なんでおまえが奴のことを知っとるんじゃ?」
「えー? やだなあ、あたしのこと判りません? ほらほらほら、髪赤くて眼が翠の――」
「…………」
「白い剣のー、黒マントのー」
「…………」
「“”って」
「――の……」
「の?」
「のわあああぁぁぁぁぁぁぁあ!? あんときの怪物娘っこはおまえじゃったんかあああぁぁぁぁ!?!?!?」
「ひど! 誰が怪物よ誰が!! だいたいファナンに大砲ぶっ放すんだって充分非常識でしょうが!!」
「いいやいいやいいや! あれ以降だって誰も、おまえ以外にワシの必殺技にかかっといて回避した奴なんぞおらん! 故に怪物娘に間違いはないんじゃ!!」
「ああもう、はいはい、怪物でも人外でもいいですよ。んで、オウキーニさんは? 前に捕まえたときいなかったし、今もいないですよね?」
「……ん? ああそうか、おまえ、一人さっさか帰っとったのう。オウキーニはほれ、結局あのシアリィと一緒に島に残ったんじゃ」
「ああ! そうなんですか!」
「そうそう……って、んんん?」
「何か?」
「って待てぃやあぁぁぁ!? なんで年恰好変わっとらんのじゃ、やはりおまえは怪物以上、人の血肉を食って生きる伝説の浮浪者じゃな!?」
「嫌な字を当てはめるなあああぁぁぁぁ!」
「ごふッ。」
「だいたいこれには深いわけがあってですね! ――って、あれ? ジャキーニさん?」
「…………」
「あれれ。ジャキーニさんジャキーニさんジャキーニさぁん? …………じゃっきぃにさぁぁぁぁん?」
「……………………」
へんじ が ない。
ただ の しかばね の ようだ。
――危うく島への案内担当を失うところだった、そんな、ファナンは金の派閥におけるお茶目な一幕これにて再現終了。
どうやらジャキーニは、海賊なんぞやってるくせに、わりと世間様の常識に拘る傾向があるらしい。
時間を越えたなんぞ信じられるかやっぱりおまえは怪物娘じゃなどとしつこくほざくジャキーニをしつこくしばきつつもとい根気よく説得すること一時間のうち、例の島へ向かうために力を貸して欲しい、刑をその分軽くするからという依頼のやりとりは二分ジャスト。
そもそも、どんなに納得できないとか云われたって、があの島の記憶を持ってこの場にいるのは現実なのだ。少なくともそれだけは認めるように誠心誠意お願いした結果は、まあ、出てはいると見ていいだろう。
「あと小一時間、っちゅうところじゃな」
一気におっさんになった(二十年近くもたてばそりゃそうだ)相貌に、でっかい海賊帽を被ったジャキーニは、島への到着時間についてこう答えた。
他の船室よりは贅を凝らした装飾の見受けられるこの部屋――がパッフェルに連れられてきたここは、操舵も兼ねた船長室。
実は操舵といっても、金の派閥における技術の粋を集結してつくられたこの船、一般に出回っている帆船のように、操舵士の荷は重くない。ジャキーニが登用されたのは、むしろ、海図を読み進路を的確に指示する為の文字通り案内役のためだった。
「にゃはは、思ったより早かったわねえ」
「まあ、いろいろ進歩しておりますしねー」
メイメイとパッフェルが、そう云って笑う。
「そりゃ、二十年前と比べれば」
同じく笑って、も云う。
この三人も島の存在やら内情やら知ってはいるが、ジャキーニのように海を渡って到達出来るかと云われると、無理の二文字が出るだけだ。
メイメイの空間移動はアリかもしれないが、そうほいほい使えるようなものじゃないし、だって嵐で流れ着いたのだから正確な位置が判るはずもない。パッフェルは位置だけなら把握してるんだろうが、いざ海図片手に指示を出せるかと云うと……あれだ、餅は餅屋だね、やっぱり。
「にしても、本当なんでしょうかね。原罪の欠片、あの島に在るって」
「んー、派閥の調べでもはっきり特定できたわけじゃないんですよ」、顎に指を添え、先行き不安なことを仰るパッフェルさん。「でも、あのあたりに不自然な澱みがあるのは感知されてますし、周辺は文字通り海ですし……ならばやはり、あの島かなあと」
「まあ、何もなければいい休暇になろうってもんだわ〜」
年がら年中休暇のひとが、何を云うかな。
からから笑うメイメイを見るとパッフェルの視線は、いささか生ぬるい。
そんなかしましい光景を黙って見ていた――単に口を挟めなかっただけかもしれない――ジャキーニが「じゃがのう」と、少しばかり気鬱げにつぶやいた。
「ワシとしては、あの島は外からどうのこうのちょっかい出していいもんとは思えんのじゃがなぁ……」
義弟と義妹が仲睦まじく暮らす島に、彼は、この二十年ほど一度も足を向けなかったという。
仲違いをしたわけではない。義兄弟はお互い、納得ずくめで陸と海に別れたのだ。
では何故、と問われれば――理由は、今、彼のつぶやいたそのことばに集約されていると云っていい。
「そうですよね……」
「本当は、それが一番なんでしょうけども……」
そうして、もパッフェルもメイメイも、そんなこと云われるまでもなく熟知している。
その島は、忘れられた島。
時の流れにおいて一線を隔し、共界線によって外界から切り離された島。
かつて無色の派閥が蹂躙した実験場、そうして今は――?
知りたくないわけがない。
この場の誰もが、あのときを目の当たりにしている。
……それでも。
今回のようなことがなければ、いわく外の人間を大量に引き連れて島を訪れようなんて、しなかったのではないかと思う。
たとえばこっそり。とパッフェルで、もしかしたら後ふたりほどつれて、メイメイにお願いしてみたりなんかして。
こっそり、こっそり――空間を跳んで。
そうして、あの島の土を、踏んでたんじゃないかなと……事実、など、原罪の欠片と島の繋がりが発覚する前、ぼんやりとそんな計画を立てていたくらいだったのだ。
だがしかし。
話は戻るが、やはり、原罪が関ってるとなると、話は別。
傀儡戦争の折、レイムが世界中に吹かせた黒い風。悪魔の蓄積する、ありとあらゆる負の感情を凝らせたもの。
世界を狂わせかけたそれは、幸いにして殆どが、そう間を置かずして生まれた光に浄化されたけれど、一気にすべてをそうしきることはかなわなかったのだ。
巡りの大樹と名付けられたあの樹から、今も、時折光は生まれている。
それによって、あのとき浄化しそこねた原罪も、少しずつ少しずつ消えていっているらしいけれど……なんというか、規模が小さい分、微妙に隠れた感じになってるやつなんかがあると云うのだ。
しばらく前、そのことに気づいた派閥は、独自に調査を重ね、人の手で可能な限り、原罪を除去することを決定した。
原罪とは負。
正負糾うが人の世とはいうけれど、濃縮された負がいつまでも留まっていれば、その周囲は徐々に侵蝕されていくだろう。まして源が悪魔とくれば、それは欠片とて油断出来るものではない。
事が事なので、この任務については、超がつく極秘事項にされている。
……まあ。極秘事項だとか念を押されなくてもだ。悪魔の風がまだ悪さしてますー、なんて云えるかい。大混乱必至だ。
「そーいえば」
話が島のことに及んだついでだ。りん、と首もとで鳴る音を耳に、は、メイメイとジャキーニを振り返る。
「なんかばたばたしてて訊けなかったんですけど……あたしが帰った後って、みんな結局どうしたんですか?」
「ん〜、カイルさんたちは海賊家業に戻られた、と、聞き及んでおりますよ。ヤードさんは、島に残っておられるとか」
真っ先に答えたのは、問われたふたりではなくパッフェルだった。
彼女のことばに続けるようにして、ジャキーニが云う。
「ワシらはオウキーニを残して海に戻ったんじゃ。先生たちは、ほれ、あの小僧どもの家庭教師のために島を出た……までは知っとるんじゃが」
「あー、そうねえ。最後に訪ねたのってば数年前だけど、たしかまだ元気に島の先生やってたわよぉ?」
「……たしかもう四十くらいになりますよね。教師業にも脂の乗った頃?」
「ちちちちち」
中年のあのふたりって、どんなんだ。
想像出来ないままつぶやいたの眼前で、メイメイの指がメトロノーム。かつ音声効果つき。
「ちゃん忘れちゃったの? あの島ってば、存在だけじゃなくて時間の流れも外とは切り離されてるでしょ?」
「……あ」
ってことは、つまり。
「まーだまだ若手現役ってことよ。……外見はね」
「なるほど……」
あそこは、そういう場所だった。
となると、二十年とか云ったところで、その実、実際の体感経過時間とかいうやつは、何年もあるかどうかってところなんだろうか。スバルの成長が遅いのも、その時間の流れのせい、ってことだったし。
でも一日はこちらの一日と等しいはずで、だけどまとめて考えると数年が一年未満って感じで……どっかでどうにか捻じ曲がって圧縮されてたりするんだろうか。理屈考えるだけ無駄かもしれない。
「島のみんなも、だからあんまり大きく変わったりはしてないと思うわ。……例の彼もね?」
意味深な最後のそれに、とパッフェルは思わず顔を見合わせ、苦笑。それが誰のことなのか、云われればすぐに判ってしまうせいだ。
だけど、
「あれ?」
そうしたらそうしたで、また疑問。
「イスラが島に残った……のは判るんですけど、じゃあ、アズリアさんは? あとギャレオさんも」
「あ、そっちのふたりは帝国に戻ったわよ。……まあ、お咎めは避けられなかったらしいんだけど、ね」
「……う……それはさすがに……そうです、よねえ」
「……責任を感じますですよー」
魔剣を紛失した挙句に部隊丸々壊滅させられたのだ。その責任は、いくら家が名門だからとて、免除出来る範囲を大きく超えていただろう。
で、その任務のジャマをしまくった、トドメを刺したヘイゼルもといパッフェルは、苦い面持ちで顔を見合わせる。
そうしてメイメイが続けたところによると、帝国に戻った彼女らは、まず、自分たち二名以外はすべて、戦いにおいて死亡したと伝えたらしい。島のことや魔剣の事実は一切云わず、ただ、護衛対象物の紛失と、部隊の壊滅だけを告げたとのこと。
姉は弟を軍に戻すつもりなどなく、弟もまた、それを受け入れたのだとか。……まあ、病魔が落ちたとはいえ、さんざ蝕まれてたんだし、下手に無茶なこともさせられませんわな。
んでもってイスラの扱いは表面上、任務の為に殉死した形になって、失敗の責任はすべてアズリアとギャレオがとることになった。それを受けたふたりは、海戦隊から異動になり、陸戦隊の辺境警備の任を命じられたそうだ。
ろくに敵が襲ってくる危険もない僻地の任務で、これは事実上出世街道からすっ飛ばされたも同然なのだが、アズリア曰く「どこにいようと、民を守るという軍人の任務に変わりはない」のだとのこと。素晴らしい。
てゆーか、むしろ休暇のとりやすさを逆手にとって、わりと頻繁に島を訪れイスラに逢ってるんだとか。
……まあ、しあわせならいいか。
と、そこまで話したところで、メイメイが何やら含み笑い。
「ふっふっふ、それで面白い話がひとつ」
「え?」
「なんじゃ、気色悪いのう」
聞くともなしに聞いていたジャキーニが、何やら感じたらしく半歩後退した。
「実はねえ、その、隊長さんも副隊長さんも、年をとってないって有名らしいのよ〜」
「……え? でもお二方は帝国に戻られたんですよね?」
初耳だったらしいパッフェルが、目を丸くして問いかけた。
「そーですよ、それ変ですって。それこそ見た目がいつまでも若いとか、そういうことなんじゃ?」
云いたてるのことばも受け流し、メイメイは「にゃふ」と相好を崩す。
「これはメイメイさんの仮説なんだけど……ほら、一時でもあの島にいたってことで、影響を受けてるって可能性もあるんじゃないかなあ?」
「え……え――――ッ!?」
メイメイのことばを噛み砕いて飲み込んだ瞬間、は思わず叫んでいた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! それじゃあ、あたしはどうなるんですッ!? あたしもまさか二番煎じに浮浪者になるんですか!?」
「にゃははははは、サイジェントの裏路地に転がってたフラットの味方は健在のようねー」
「ってなんでそんなこと知ってるんですか!!」
裏返りまくったのことばは、甲板まで届いたらしい。
なんだなんだとばかりに、階段を下りてくる複数の足音が聞こえてきた。
「にゃはは、ちゃんてばテンパっちゃってぇ」
こ・のぉ♪
つんっ、とお星様つきでの額を突っついた後、メイメイはちょっぴり声を潜めて早口に告げる。
「心配ないない、あのふたりはそれこそ頻繁に島で滞在してるしね。その分の割増もあるわけよ。――あと、ちゃんは本来の時間がこちらだから、ズレが亀裂みたいにあって、影響は大きくなかったはずよ?」
「……あ……そ、そうなん、ですか」
うはー。と、胸をなでおろすの頭を、よかったですねえ、とパッフェルがなでてくれる。ジャキーニは、今しがたの絶叫が脳天突き抜けちゃったらしく、耳をおさえて悶えていた。
心底安堵しているこちらを見るメイメイの目は、そうして、どこか面白げ。
「にゃははは……ごめんごめん、脅かしちゃったかな?」
「ええそりゃもうちからいっぱいむねいっぱい」
足音はだんだん大きくなる。あと十数秒程度で、傍らの扉が開くだろう。
ちらりとそちらに目をやって、あのとき幻影となって眠っていた龍姫は、「欲しいと思ったことはない?」と、呼気に等しい声で、とパッフェルに問いかけた。
『え?』
異口同音に応じるふたりへ均等に、
「――変わらぬものを。永遠を。……一番の時間をそのまま留めておきたいと」
思ったことは、ある?
そう紡ごうとしたんだろう彼女のことばを、だけど、問われたふたりは途中で遮った。
「止まるのは好きじゃないです。だって生きてるし」
「ええ。どんなに美しい水でも流れがなければ澱んでしまいますしね」
そしてメイメイは、
「そっか」
と、嬉しそうに微笑んだ。
そこに含まれたはかない何かに、向かい合っていたふたりが気づく直前、足音が部屋の手前に到達する。
ノックもそこそこに駆け込んできたのは、押しの強さで勝利したらしいリューグだった。
「おい、今何かあったのか?」
「ううん、別に」
「…………」
ちょっぴり気負いこんでたらしいリューグの肩が、それで落ちる。ついでに頭もがくりと項垂れた。ごめん。
その弟を後ろからどついて押しのけ、ロッカが室内の一同を手招く素振り。
「それはともかく、来てください」
「へ?」
なんだ、単にタイミングが一緒だっただけなのか。
笑顔で手招くロッカの肩に手をかけ、身を乗り出したマグナが云った。
「水平線の向こうにさ、陸地の影が見えたんだよ!」
「……!」
瞠目する自分の表情が、それでも喜色を全面に押し出したものだろうと、は頭のどこかで自覚していた。