【そして彼らは彼らと出逢う】

- そうして彼らは海を往く -



 ざぁん……ざざあぁぁん……

 船体に寄せては返し、ときに盛大にぶち当たる波の音が、休みなく繰り返される――ここは、遥かに水平線を臨む大海原。その弾みで起こる飛沫に聴覚と視覚を委ねながら、彼女は組んだ腕を甲板のふちに乗せ、ぺったりと体重を預けきっていた。
 彼女――
 もう十年近く前に、名も無き世界から何らかの現象によって召喚され、一年ちょっと前までデグレアで軍人として暮らし、傀儡戦争を経てその後、今日の出航までは主にゼラムに滞在し――
 そんでもって数日前、だいたい数ヶ月くらいかかって二年前のサイジェントとか二十年近く前のとある島でいくつか騒動潜り抜けてきた経歴を持つ。
 数日前帰ってきたのではない。いや、帰ってはきたが。
 正確に云うなら、“その日のうちに”“行って”“帰ってきた”。
 二年と少し前のサイジェントと、二十年近く前のとある島を、一日のうち三時間弱の間に行き来したのだ。
 一日。
 いちにち。
 二十四時間。
 ――数日前。
 ひゃくすうじゅうじかんまえ。
「…………ふ」
「……へっ」
 思わず零したため息に重ねて、傍ら、樽に腰かけて足をぶらぶらさせていたちびっこ悪魔が鼻を鳴らした。
 互いのそれを聞いたふたりは、やはり、殆ど同時に相手を見て、
「はは」
「ハッ」
 と、生ぬるい笑みを浮かべ、また視線を逸らす。
 は海へ、ちびっこ悪魔ことバルレルは虚空へ。
 もしも空気に色がつけられたなら、ふたりの周りはさぞ、ファンタスティックなマーブルどどめ色なものになっていただろう。
 要するに何が云いたいのかというと、おおよそ誰かが近づけるような雰囲気ではない、ということだ。
 が。
、バルレル」
「船酔い? だいじょうぶ?」
 それでも近づく奴はいる。
「お水汲んできましょうか?」
さん、気分が悪いときは素直に出したほうがすっきりしますよ」
「甲板は汚すんじゃねえぞ、――袋要るか?」
 というか、
おねえちゃんの気持ち、ぐるぐる。くらくら……でも、少しの希望と不安」
「あのっ! ボク、何か精のつきそうなもの持ってきましょうかっ!?」
「身体的ニオカシナ部位ハナイヨウニ思イマスガ……」
 むしろ、
「おいおい船酔いか? 背中さすってやろうか?」
「フォルテ、あんた他の子には面倒見いいわよねえ……」
「いや、だっておまえ船酔いなんてしねえだろ」
「いいわよもう!」
 ……あー、こっちは除外するとして。

 なんてかこう。

「いいなあ……」
「だなあ……」

 思わずしみじみつぶやいたとバルレルのことばを、どう勘違いしたのか。周囲にやってきていた一同が、何故だかどよめく。

「どどどどどーしたの!? 今までそんなこと一言も云わなかったじゃない!!」
「そうだぞ!? 君はまさかあんなふうになりたいのか!?」
「そりゃの裏拳ならケイナさんより痛くないだろうけど、俺、どつき漫才な夫婦にはなりたくないっていうか!」
、ひどいです! リューグかロッカをもらってくれるっていう約束はどうなったんですか!」
「いやちょっと、アメル。それ逆だから」
「嫁にいくの俺らのほうかよ」
「っていうかそこ! 特にマグナ! 何、人を引き合いに出してるのかしら!?」
「ははははは、ケイナのツッコミは殺人きゅぐげるぱッ!」
「あんたは黙ってなさいッ!!」
「……ほ……ほれ……云わんこっちゃ、な……がふぅ」

 そうして少し離れたところでは、乳白色に近い金髪を真っ直ぐ伸ばした女性と、まだまだ育ち盛りの、こちらは向日葵のような金髪を肩でそろえた少女が顔を見合わせている。

「……いつもあんな感じなんですの、貴方たちは……?」
「……まあね……」

 腕全体を覆おうかという巨大なガントレットを装着したむちむち女性は、ケルマ・ウォーデン。
 淡い紫を基調とした動き易く上質な服装、胸元の赤いリボンがかわいらしい少女の名は、ミニス・マーン。
 共に、金の派閥に属する召喚師。

 ああそうそう、ちなみにさっきから賑やかなのは、発言の順番から適当にシャッフルして、トリス、マグナ、ネスティ、ハサハにレシィにレオルド、んでもってアメルにロッカにリューグ、つづいて漫才夫婦ことフォルテとケイナ。
 ……あ、ケイナさんが睨んでる。

 周囲の騒動などどこ吹く風、いやむしろそよ風ふんわり春爛漫。
 ああ、人生ってしあわせだ。
 とかなんとか、実にとんでもまったりな思考に溺れてしまいそうになる、騒動の大元であるは、もう一度、バルレルと顔を見合わせた。
「……いいよねえ」
「……だよなあ」
 火事場もかくやの喧騒のなか、よくもそんな会話が交わせるものだ。
 特に、バルレルの、この気の抜けまくった顔なんぞ、滅多に見られるものではあるまい。周りのみなさんは騒動に夢中で、この奇跡に気づいてないっぽいが。
 なんか結婚式場は村おこしのためにレルムでやるとか、いいや格式を重視して聖王都にすべきだとか妙な方向に飛んでる話題を、いい加減引き戻すべきだろうか。
 そんなことを考えて、騒ぐ一同を眺めたの視界に、ちょうど甲板に出てきた誰かさんの姿が入る。
「あー」
 へにゃっ、と相好を崩して、は、よりかかっていた船べりから身を離した。
 その行動に気づいた数人が、視線を追って、甲板と船内を繋ぐ扉へと向き直る。そして、「ああ」と諦めと納得をミックスしたような頷きの動作。
 モーセの十戒よろしく空けてくれた隙間を縫って、は、やってきた人影へと駆け寄った。リズミカルに跳ねる足音はすぐ鳴り止んで、続いて響いたのは飛び込んだ音と抱きとめる音。
「ルヴァイドさーまー」
「まだ子供返りか?」
 苦笑とともに、それでもその人は、をあたたかく受け止めてくれる。
 広い胸に頬を押しつけて、腕を伸ばしてしがみつくと、応えるように、大きな手のひらが髪をくしゃくしゃかきまわす。
 それから、さすがにそれでは身動きし辛いと判断したか、ひょいっと持ち上げて肩の上に移動させられた。
 自由になった片手で、その人は、小脇に抱えていた書類を、近寄ってきたネスティに渡す。
「重要だと思われる部分は目を通したのでな。返しておこう」
「ああ。そうか、すまない」
 差し出されたそれを受け取って、ネスティは、何となしにだろう、頁をぱらぱらとめくって閉じた。それから、「それで」とを肩に置いたままの相手――ルヴァイドへ視線を戻す。
「とにかく、そういう経緯なものだから……あくまでも、今回は蒼の派閥からの派遣として動いてほしい」
 問題の島は帝国海域寄りにあるから、たとえ僅かでも軍事問題の起こる可能性のある行動は起こせないんだ。
 少し申し訳なさそうに告げる彼のことばに、ルヴァイドは間も置かず頷く。
「無論だ」
 聖王都はともかく、そして都市ひとつを壊滅させられた旧王国はともかく――あの傀儡戦争において、幸いにもレイムたちの干渉を間一髪で免れた(とは知らない)帝国が、彼らの目指す自由騎士団樹立に向けて、現在一番の壁になっていると云ってもいい。
 海図上では自由航路の部分とはいえ、三国中帝国の海域にもっとも近い島へ、その騎士団の人間、しかもトップが乗り込んでいくのだ。発覚することなどまずないだろうが、発覚した場合の口裏合わせくらい、やっておいても損はないはず。
「だいじょうぶー」
 と、そんな真面目な思惑などどっちらけ、は笑ったまま、ネスティとルヴァイドの間に割り込んだ。
「その、なんだっけ。原罪の残りカスなんて、流れ着いてたとしてもみんながきっと退治してるよ」
「……みんな、ね」
 実にお気楽なのことばに、ネスティは苦笑。
「にしても、未だになんだか信じられないねえ――過去の時間を旅してきた、なんて」
 少し離れた場所から喧騒を眺めていた、ミニスやケルマではないけれど、これまた金髪の女性――モーリンが、いつの間にやらやってきてそう云った。
「あたしも信じられないんだけどね……」
 でも、事実だったりするんだな、これが。
 とは云うものの、だって、他人事ならむしろモーリンと同じ感想を持っていたことだろう。
 ミモザの実験から始まってこっち、三時間後に戻るまでの数ヶ月のことはかいつまんで話してはいるが、話せば話すほど、ほんとに自分は時間越えてたのかすごいリアルな夢見てたんじゃないのか混乱してくるのだ。
 ちょっぴり遠い目になったの髪を、そこで誰かが後ろから一房持ち上げる。
「けれど、伸びた髪の長さが目に見えて判るっていうのは、それだけの時間をどこかで過ごしてたってことだろうね」
 肩口を越えて、肩甲骨の上あたりに辿り着こうとしている毛先をぴこぴこもてあそんでいるのは、今しがた船内から出てきたらしい金髪の青年。
 その手こそ、武器を扱い慣れた者のそれだが、容貌といいぱっと見た目の印象といい、まるでどこぞの貴族の坊ちゃん。
「あ、イオス。もう終わったの?」
 渡航の間割り当てられた自室で、帰還後すぐに提出しなければいけないとかいう書類に取り組んでいたはずの彼の姿を、は首をひねって目に映した。
 他人事ながら日焼けが心配になっちゃいそうな色白の肌、でも不健康な印象はない。整った造作に親しみこめた笑みを浮かべて、イオスは「粗方は」と問いに応じた。
 その後、彼は笑みを少しだけ、悪戯小僧ぽいものに変えて手を伸ばす。
「ルヴァイド様ばかりじゃなくて、こっちにもおいで」
 僕らだって、君にしばらく逢ってなかったのは同じなんだし。続けられることばは、自由騎士団のために奔走している彼としては当然のもの。その間、は聖王都にいるのだから。
「あいあいさー」
 だから、気安く応えて、はルヴァイドからイオスに移動した。というか、まるでぬいぐるみよろしく抱き取られた。
 もう一生逢えないかもしれないと、一時は覚悟した人たちだ。
 おまえもうすぐ成人だろうとか、そういうことを云っちゃいけない。
 幼児よろしくくっつき魔と化すのも、先ほどの喧々轟々な会話をしあわせな心地で聞いていられたのも、ひとえに、そんな理由があるからである。
 バルレルがいつになく毒気少ないのだって、サイジェントで起こった騒動の疲れがまだ残ってるせいだろう。
 にしてみれば、サイジェントはもうかなり前のことなのだが、バルレルの視点からすれば、終わって即行船に乗り込んだも同然。元の時間に戻れるかという不安も少しくらいはあったろうし、これで気が抜けてないほうがとんでもない。
 要するに、さっきからの奇行っていうのは、そういう理由なのである。
 まかり間違っても、みんなが騒いでいたように、フォルテとケイナの漫才夫婦っぷりに見惚れていたわけではないのである。

 ……まあ、見ている分には楽しいことに間違いはないが。フォルテの心配さえしなければ。

 さて、イオスに抱っこされた場合だが、これはさすがに肩に乗るというわけにはいかない。彼とルヴァイドでは体格が違いすぎる、
 ぶっちゃけ肩乗せは殆ど養い親だけの特権だ。あと可能そうなのといえば、アグラバインくらいだろうか。レルム村にアメルとロッカを徴兵もといお借りしに行った折、ちょうど戻ってきていたリューグを含め、笑顔で孫たちを送り出していた彼の筋肉は、相変わらず立派なものだった。衰えというものを知らないらしい。
 ……あれぞ軍人の鑑。ああなりたいものだ。
 とかなんとかぼやいたら、同行してたマグナとネスティにすっごい勢いで考え直せと云われてしまった。別に筋骨隆々になりたいわけではなかったのだが。
 閑話休題。
 だもので、現在は、半ばお姫様抱っこ状態でイオスの腕のなかにいる。完全に重心預けているわけではなくて、姿勢も持ち上げ気味だけれど、それでもぱっと見た目はそんな感じだ。
「むー。。俺は?」
 ご主人とられた犬のような表情で、マグナがの袖をひく。
 が、イオスが、ぱっと身体の向きを変えてそれを阻止した。
「君たちはいつも逢ってるだろう。たまの家族の再会なんだ、気を利かせてくれ」
 意地悪く微笑みながら告げるそれに、当然、マグナは云い返す。
「いつも逢ってるけど、いつも抱っこはしてないぞ!」
「してたら問題がありますよ」
 ははは、と、生ぬるい笑みを浮かべたまま、横手のロッカがつぶやいた。
 リューグなど、「やってられっか」と、脱力を隠しもせずに視線を明後日へ向けている。見ていなければ腹も立たない、と、そんな悟りの心境だろうか。
 そんな、またしても一騒動始まりそうな雰囲気が漂い出したときだった。
「みーなさーん」
 ひょっこり。
 陽気な声とともに、甲板へ新たな登場人物。
 赤茶の髪をひとつに束ね、オレンジとピンクでかわいらしくデザインされた衣服をまとったアルバイター、しかしてその実体は召喚師集団蒼の派閥総帥直属エージェント、こと、パッフェル。ついでに元紅き手袋暗殺者ヘイゼル。
 ちなみに、最後ひとつの情報を知ってるのは、この場ではだけだ。
 が帰還したと同時に、何やらイロイロ結びついたらしくて衝撃を受けてたようだった。
 だが、出航して数時間、彼女もようやく普段のペースを取り戻しつつあるらしい。笑顔たたえて、船内に繋がる戸口に佇んだまま、甲板にたむろする一行のもとへとやってくる。
「もうすぐ島に着きますからー。ちょっとその前に、お話をいたしたいので、さんお借りいたしますねー」
「え、もう帝国海域近く?」
「さすが、金の派閥の高速船……」
「ふっ、当然ですわ」
 耳ざとく誰かのつぶやきを聞きつけたケルマが、ふん、と豊かな胸を反らす。
 カザミネでもいれば愉快な展開が見れたかもしれないし、カイナもいればもっと面白いものが見られたろう。ただし外野にとって。
でなければだめなのか?」
 そんな数名の思惑も、どことなく名残惜しそうにしているイオスの問いも知ったことではなく、「ええええもちろんですこればっかりは」と、パッフェルは、笑顔絶やさぬまま、を床に着地させた。
「やっぱり、二十年前の事件も関係あるの?」
「んー、そうですねえ。まだ未確定情報なので、はっきりするまでは明言を避けたいんですよ」
 興味津々のトリスも軽く躱して、の肩を抱くパッフェル。
「さささ、さん参りましょう」
「はいはいはい、そんな急かさなくても行きますから」
 押し出されるようにして甲板を辞去する女性ふたりを見送る一行の表情は、苦笑だったり呆れだったり口惜しさだったり、まあ、様々ではあった。


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