【そしてお祭の一夜】

- 身支度組 -



 ――幽霊は着物を着れるのか。それがテーゼだ。つまり命題。

 初っ端からこんなことで悩むとは思わなかった。
 そんな一行を眺め、諦めた様子で寂しそうに笑っているファリエルに、それでもなんとかしようと根拠のないままきろうとした啖呵は、だが、実行せずにすんだ。
「あら、それならわたしがなんとか出来ますよ」
 と、根拠のある笑顔で申し出た、くだんの彼女のおかげである。

 おおー。

 彼女がファリエルに触れ、いやここでもうすでに驚きなのだが、そうして目を閉じ何事か施した直後だった。
「きゃっ」
 いつも宙にふわりふわりと浮いていた銀髪の少女が、急に重石をつけられたように、すとんと畳へ着地したのだ。
 まさか、と、思いつつ周囲の面々が伸ばした手も人肌や布地のやわらかさ、髪のなめらかさをそれぞれに伝え、それで上記の歓声があがったのである。
「な、なんだか変な感じ……」
 当のファリエルは、さすが幽霊歴何十年というだけあって、再び手に入れた実体の感触に戸惑っている様子。自らの手をとってみたり、服の裾をつまんでみたり、髪に指を梳き入れてみたり――
 それでもそうこうするうち、次第に慣れて来たらしい。
 周りのざわめきも落ち着いて着付けも始まろうという頃には、すっかり普段の調子に戻っていた。
「あの、ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げられた彼女の方が、逆に頬を染めて慌てている。
「え、い、いいえ気にしないで? ちょっとお裾分けしただけだし、それに、ずっと実体を持たせてあげられるようなものでもないのだし」
「それでも、二度とないと思っていましたから……」ありがとうございます、とファリエルはもう一度繰り返し、「フレイズが見たら、きっと驚きます」
 忠実な副官の驚嘆を想像し、早くも楽しげな笑みを浮かべる義妹を微笑とともに見やったアルディラが、手にした着物に目を落とした。
「……前から思っていたのだけど、ずいぶんと特殊な衣装よね」
「はい。このような時でもなければ、私も着用しようとは考えなかったでしょう」
 看護人形としての作動に、いささか制限がかかりそうなつくりですから。と、クノン。
「たしかに。綺麗だけど動き辛そうー」
 期待と不安半々な様子で、ソノラもつぶやいた。
「そうかしら? 私には馴染みのある衣装だけど――」
 記憶は変わらず戻っていなくても、心のどこか、それに妹の存在もある。シルターンの巫女としての顔を少しだけ覗かせて、ケイナがそう応じる。
「お好きな方はお好きなんですよねえ」
 ふふふ、と、別の意味で楽しそうなパッフェル。
 女性のみだという場であるからか、早くも襦袢一枚の姿になっていて、羽織っているのは鮮やかな夕暮れを表した着物。前身ごろを適当に合わせた上からやはり適当に帯を巻き、端をつかんでくるりと解く。
「あ〜れ〜〜っ、て。解け易くてご好評なんですよー」
「にゃははははは、それ、一部の特殊なシュミの人だけでしょー」
 若人たちに要らん知識を植え込まないようにっ。
 こつんとメイメイに後頭部をつつかれて、それでこりるパッフェルではない。「さ、お戯れはこれくらいにしまして」と、戯れてた当人との自覚もばっちりに、女性陣を見渡した。
「ファリエルさんの問題も解決しましたし、そろそろ準備をはじめましょうか?」
「あれ、ちょっと待って」
 それではと取り掛かろうとした空気を、トリスが止めた。
は?」
 さっきから姿の見えない人物の所在を問うそれに、答えたのはパッフェルではない。
「ミスミ様が連れていかれましたわ」
「ミスミ様が?」
 ベルフラウへおうむ返しで訊き返すアメルの横から、ひょこりとアリーゼが顔を覗かせた。
「はい。ミスミ様、さんに着物着せるの、すごく楽しみにしてましたから」
「そういえば、さっき、そのミスミ様に首根っこつかまれて別の部屋に連れてかれてたね」
「……モーリン、そういうことは先に云ってちょうだい」
 後で合流するー、と、が力なく笑って手を振っていた旨伝えたモーリンに、こちらもまた脱力した様子でミニスがつっこんだ。
 くすくす、それを聞いてアヤが笑う。
「それじゃあ、わたしたちもちゃんに負けないようにおめかししないといけませんね」
「きっとすごいんだろうね」
 落ち着いた紅色と、春先の草原を思わせる紋様。やはりそれぞれの衣装を携えたアヤとナツミのことばに頷くは、彼女たちの傍らにいるクラレットとカシス。
 後者ことカシスもまた、パッフェルのように襦袢とまではいかないものの、常に着ている白い上着は早くも脱いで畳んでいた。クラレットはちょうど、袖の止め具を弛めたところ。
 他の面々もそれぞれに、先ほどのパッフェルの一言で、着替えを始めようと自分の服に手をかけていた。
「――ごめんアメル、後ろお願いしていい?」
「はいはい。じゃあトリス、終わったらあたしもお願いね」
 背中側を開けなければ脱ぎ着の出来ない衣服だったりするトリスとアメルが助け合いしている傍ら、おずおずと、だが手際よく着物を替えようとしていたハサハにミニスが声をかける。
「あ、ハサハ待って。お手本見せてね、一緒に着替えましょう」
「…………うん」
「はわ〜、どうしてこうなるですか〜〜」
「……マルルゥ、今解くからじっとしてくださいね」
 空中浮遊したまま、お人形さん用のものをしつらえなおしたという着物と格闘していた妖精さんが、目をまわして落下した。どうやったらこうからむんでしょう、と苦笑しつつ、アティが解いてやっている。
「どうしても、胸は押さえないといけませんの?」
「形を整えないといけませんからね〜。慣れればだいじょうぶですよ」
 しょうがありませんわね、と、大人しく当て布をされているケルマもやはり、衣装の物珍しさが息苦しさという不便を上回っている様子。
 そんな光景を楽しそうに眺めていた彼女がふと、視線を横へ流した。
「――――」
 無言で軽く、真横に一閃される腕。
「どうかしたのか?」
「いえ。気のせいだったみたいです」
「……?」
 首をかしげるアズリアや他の面々の耳には幸い、障子を挟んだ向こう――縁側で、空間をすっ飛ばして直撃した白い雷に悶絶しているどっかの変態の呻きは聞こえていなかったのだった。


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