その日は突然やってきた。――もとい、そのひとは突然やってきた。
「ごめんください」
船の外から聞こえた、やけに礼儀正しい声に、留守番をしてた一行は、顔を見合わせて疑問符を浮かべた。
今日も実にいい天気。この島に雨は降るんだろうか。
なんて思いつつ、は、プニムと一緒にいつかヤッファの切り倒してた木に腰かけて。のんびりと、目の前で展開されてる授業風景を見守っていた。
帝国軍相手の人質事件から数日、青空学校は実に順調に進行してる。
それというのも、先生と生徒がやっとこ和解してくれて、その先生の提案で、ナップたちが学級のまとめ役――委員長っていう役割を貰ってからだ。
先輩後輩でもいいんだけど、それだとちょっと硬い感じ。
四人いっぺんに委員長ってどうよそれ、と、聞いた当初こそ思ったものの、委員長は日替わりらしい。今日はナップで明日はウィル、明後日ベルフラウで明々後日アリーゼ……で、一巡したらナップから。
日直か、と思ったが、あえては沈黙した。
提案を受け入れるマルティーニ兄弟が、本当に楽しそうで、微笑ましかったから。
現実としてアティの提案は大成功、初めての責任ある立場に子供たちは大張り切りで、スバルとパナシェもそんな彼らに尊敬のまなざし。なにしろ、勉強においても一日の長がある。わかんなかったらオレたちに訊けよ、とは、学校仕切りなおし初日にナップが宣言した台詞。
あれから帝国軍も姿を見てないし、本当に、このまま穏やかな日がつづいて、和やかに島を出る日が来るといいなあ、なんて夢想してしまうほどだ。
……ま、いつかカイルの云ってた『島を出ようとすると嵐』が本当だとするなら、一筋縄ではいかなかろうが。
「ん」
ちょっと暗くなった気分を振り払うべく、は一声あげて立ち上がった。
「あ。、もう行くの?」
それに気づいたレックスが、パナシェといっしょににらめっこしてた黒板から顔をあげてそう云った。
「はい。おべんと持ってきただけなんで、そろそろ行こうかなーと」
「せっかくお昼をご一緒したんですから、授業も一緒に受けていけばよろしいじゃありませんの」
の足元の傍、山と積まれた弁当の空容器をちらりと見て、ベルフラウがちっちゃく笑った。
彼女の云うとおり、は弁当を届けに来たついで、そのままお相伴としゃれこんで。それから、こうして午後の授業を見学していたのである。
午前中? 勿論、イスラさんの容態を見に行ってきましたよ。
アルディラさんとクノンに遠まわしに諌められたんで、数日おきにペースダウンしてたけど。ちなみに、結果は勿論「昏睡中です」だ、あの居眠り小僧めが。
で、船に戻ってスカーレルとソノラといっしょに弁当、昼食の準備。毎日持って行くわけじゃないんだけど、どうせ時間なら余ってる。委員長として弁当を取りに来たナップと一緒に、いそいそと学校まで出かけてきた次第である。
蛇足ながら、レックスとアティも慣れてきたのか、誰かが授業参観に来てもそう動揺しなくなった。嬉しいやら残念やら。
まあそんな事情はさておいて、
「あははは、勘弁して。それじゃお疲れさまー」
リィンバウムの学校にこそ通ったことはないが、ルヴァイドやレイム、他の兵士たちのおかげで年齢相応のことは教わったのだ。ここであえて復習を志してみるほど、さんは勉強熱心ではない。
手をひらひら振って笑うに、今度はウィルが声をかけた。
「さん、後ろ」
「後ろ?」
またからかわれるかと身構えたのが拍子抜け、きょとんと目を見開いて、は後ろを振り返り。
「あ」
――アルディラさん!
今朝方逢ってきたばっかりの、ロレイラル出身な美人眼鏡お姉さんの名を口にしたのだった。
ところでさ。
融機人は眼鏡しなきゃいけないって決まりでもあるのかな。ねえネスティ?
知るか、と、遠い時間の向こうで誰かがごちた。かもしれない。
それはさておき、珍しいこともあるもんである。
身体が弱いとかいう話は聞かないが、アルディラがラトリクスから出歩いてる姿を見るのは、この島に来てからそう何度もない。しかも、こんな青空学校に出向くなんてそれこそ初めて。
集いの泉、もしくはいつかの襲撃の夜の森。普段はラトリクス。
そんなところでしか逢ってないせいか、なんとなく、アルディラには浮世離れしたイメージを勝手に持っていたのだけど、たった今それは瓦解した。
明るいお日様の光の下、ほのぼのとした空気の流れる青空学校において、アルディラの姿は全然浮いてなんかない。むしろ、授業に懸命なレックスたち、ナップたちを眺める彼女の眼はとても微笑ましいものを見てるかのように細められている。
より遥かに色の薄い肌は、周囲の鮮やかな景色に負けてなんかない。不健康な印象なんかなく、木漏れ日を受けてやわらかく輝いてた。
そのアルディラは、の反応が面白かったのだろう、ふふ、と小さく笑みこぼし、
「こんにちは、。今朝ぶりね」
と挨拶したあと、
「レックス、アティ――みんなもお疲れ様。はかどっているようで何よりだわ」
同じように、青空学校の面々にも微笑みかけた。
「こんにちは、お姉様」
笑みを向けられたベルフラウが、やけにきらきらした瞳で応じる。
……オネエサマ?
思わずひきつりかけた頬を駆使して、はアルディラに問いかけた。
「どうしてここに?」
「最初は船に行ったのよ。そうしたら、まだ学校にいるって云われたから足を伸ばしたの」
「あらら……ご面倒かけたみたいで、すいません」
「気にしないで。たまの散歩も、いい気分転換になるものだから」
神妙に頭を下げるをとりなすアルディラの顔には、やっぱり笑顔。けれど、それが少し曇った。
「――というのもね、ちょっと報せを持ってきたのだけど」
「え?」
「何々?」
いつの間にか、わらわらと、の周囲に人口が増加していた。
頭の上のプニムはいつもどおりだが、右手にスバル、左手にパナシェ、その周囲にナップたち、さらに後ろにレックスとアティ。
……学校放り出すなよ、あんたら。
もっとも、この呑気さがこの学校のいいところなのだが。うん、実に。
一同の注目を浴びても、アルディラはちっとも動じない。ただ、何が気がかりなのか、逡巡するように一度口を閉ざしたあと、
「……貴方たちの助けた例の彼、ようやく話が出来るまでには回復したわよ」
「ええぇっ!?」
今朝行ったときには昏睡だったのに!?
なんて失礼な、と、無駄な怒りを燃やすを見て、
「そう無茶を云わないの」
アルディラ、しょうがないわねとばかりに苦笑。
「正午くらいだったかしらね、意識を取り戻したのは。まだ少し不安定だけれど、栄養は定期的に与えていたから日常生活に大した支障はないと思うわ。――ただ」、
「ただ?」
身を乗り出したの問いに、その場で答えはもらえなかった。
「……とにかく、一度面会に来てくれる? 詳しい説明はクノンがしてくれるから」
「はい! 勿論行きます!!」
「ぷいっぷぷー!」
「じゃあ、を借りていくわね。問題ないかしら?」
力むひとりと一匹を見、アルディラがレックスたちにお伺いを立てた。必要なものではないのだけれど、一応、同じ場所にいたのだからという配慮だろう。
それに、レックスに至っては発見者一号でもあることだし。
で、その発見者一号はというと、即座に笑ってこう告げた。
「ああ、どうぞ。、あとでその人の様子を教えてくれるかな」
俺たちはまだ授業があるし、大勢で行くと病み上がりには辛いだろうし。
配慮満点のそのことばに、が頷かぬ道理はどこにもなかったのだった。