――世界が騒ぐ。
違う。
この心が騒いでる。
「テメエッ! いい加減に死ねッ!!」
誰が死ぬかとばかりに舌を出し、はビジュの剣を避ける。怒りで我を忘れているんだろうか、それともあまり剣は得意でないのだろうか。とにかく、ビジュの攻撃は避けるだけなら労苦はない。
どっちかというと、疲れるのは罵声のほうだ。
相変わらず恨まれる理由が判らないせいで、鬱憤が溜まる溜まる溜まる。
しかも、今、ほら、声帯麻痺しちゃってるし。
つまり、云い返したり出来ないし。
……苛々、募ろうってもんである。
じゃあ力ずくで黙らせようか――ちらりと考えはしたが、はそれを行動に移さなかった。
身に覚えのない、というか旧王国というだけで因縁つけてくるビジュはたしかに忌々しい(しかもあの発言は仮乙女として許し難し)のだが、彼の様子を見ていると、なんかすっげえ溜まりに溜まった鬱屈らしい。……これはもしかして、旧王国側にも非があるんじゃなかろーか、なんて思ってしまうくらい。
だから理由を知りたいのだ。
恨まれるなら恨まれていい、誰にでも好かれるなんて出来ないのだから、そんなこととっくに承知の上。
でも。
こうも、軍全体の方針そっちのけで正面からあれこれ恨み言ぶつけてくるのなら、せめて理由を云ってからにしてほしい。
でないと、どーにもこーにも剣で対処しようって気になれないじゃないかっ!!
などと心の中で叫びつつ、ひょいひょい避けるに、ビジュも相当苛立ったのだろう。自身のしでかしたことを忘れて、
「黙ってねえで命乞いぐらい云ってみろッ!」
あんたが黙らせたんだろうが――――!
と、普段のなら全力でツッコミ入れるよーなことを、のたまいあそばした。
そして、が頭をかきむしろうとしたそのとき、
――世界が、騒いだのである。
世界。違う、これはこの心が騒いでる。
「……ッ!?」
いつかも感じた感覚だった。そう遠いことではない、つい最近だ。
そして、そのときと同じように、左手が右腕を抑える。の利き腕、故に白い焔の現出が行われる右の腕を。
心臓が騒ぐ。
ドクン、ドクン、まるで何かを訴えてるみたい。
緊張。動揺。驚愕? ――――否。
これは不安だ。
そして違和感だ。
視線を動かした先には、碧の剣を掲げ、今まさにギャレオを突き飛ばしたアティの姿があった。
――しろく、ましろく。
その姿こそ、の用いるあの焔と同じ色彩をまとっているけれど。
ちがう。
…………あの剣も、違う。と。
の、心が告げていた。
が呆然としたその一瞬を、ビジュは見逃さない。
あらぬ方向を眺めている少女の背中に、彼は躊躇せず斬りかかる。
「死ねオラアアァァァァァッ!!」
こんなことをしたとて、自身の暗雲が晴れるわけはないのだが、刹那の解放だけを求めて、ビジュは動いていた。
――が。
そんなこと知ったこっちゃない今のには、少々危険な兆候が出ていたりする。
危険といっても、いきなり自爆したりするようなもんでなく、“”が“”であるためには、んなもん出したら危険だというようなものである。
それはいったい何かと云うと、
「――――」
勝利の雄叫びをあげて振りかぶられた剣を見、は、口が動いたら「しつこいわ――――!!」と怒鳴っていただろう。
けれど彼女の声帯は変わらず麻痺を続けている。
結果としてのしたことはというと、ちらりとビジュの剣を一瞥し、睨みつけ、無言で右腕を振るったことくらいであった。
「ッ!?」
まさか、振り返りもしないで反撃してくるとは思わなかったのだろう。間合いを見れば届くわけがないのは一目瞭然だったが、ビジュの動きが一瞬止まる。
それと同時、は地面を蹴って走り出した。
「――――!!」
カイルの方に援軍が到着したからだろう、有象無象の兵士たちの足元をちょこまかと潜り抜け、合流しようと駆けてきてくれてた召喚獣を見つけて腕を振り回す。
「ぷー!」
応とばかりに一声鳴いたプニム、ちゃんとそれに気づいて、両の耳を持ち上げた。
罵声を張り上げてを追いかけるビジュは、そんなプニムに目もくれない。走るついでに蹴飛ばしてやろうという魂胆か、なおスピードを上げたところに、
――行け! とばかりに、親指を下に向け、合図。
「ぷぅー!」
ずごーん。
プニムの特技“岩石落とし”の直撃を脳天にくらい、哀れ、刺青男はその場に沈没してしまったのであった。
それは、目も覚めるような、鮮やかな碧。
遠い記憶を刺激する、
強い後悔を刺激する、
或る願いを刺激する、
――――碧の賢帝。その輝き。
「……ッ!」
目を見張った。
身体が強張った。
驚愕か。またアレを目にする、その事実への。
歓喜か。再びアレがここにある、その現実への。
対の輝き、紅のそれはどうしたのか。
そんなことが、ちらりと脳裏をよぎって……けれど、すぐに消えた。
……一本でも、事は足りるのだから。
知らず口の端に笑みを浮かべたことに、本人だけが気づかない。また、同じくその光景を眺めて忌々しそうに口元を歪めている者がいたことに、やはり、誰も気づいてはいなかった。
――引きずられる。
「……っ、あ……!?」
何合目かの打ち合いの後、息を整えなおすべく、互い、距離をとった直後。
呼吸を整えるどころか、何の前触れもなく飛び上がった心臓を抑え、レックスは瞠目した。
「どうした?」
さすがに尋常でないと気づいたのだろう、この隙にかかれば一刀両断であろうに、律儀にも剣を下ろしてアズリアが問う。
が、それに応えるだけの余裕が、すでにレックスにはなかった。
ドクン
心臓が脈打つ。
身体の裡から、熱い何かが迸る。
それが何を意味するのか、知っている。知ってはいても、何故、と思った。
――碧の賢帝シャルトス。
あの嵐の日、一本の剣でありながら、如何なる手段を用いてかレックスとアティに分かたれたらしい魔剣。
それを、発動させるときの前兆だ。
喚んだ回数は通算二回、だがそれだけでも充分、自分が自分のものでない熱に塗りつぶされる感覚は、嫌と云うほど身体に叩き込まれた。
ドクン ドクン
だから判る。
だから不思議だ。
自分は、この戦いで一度もシャルトスに喚びかけたりはしていないというのに、何故、今この兆候が起きている?
――誰に投げたわけでもない問いの答えは、だが、すぐに得ることが出来た。
「……あれは……!」
レックスの正面に立つアズリアが、こちらを――違う、こちらの遥か後方を見て身を強張らせている。
自然、彼の目は、それを追って振り返った。
そして、蒼い双眸に映り込んだ碧の輝きによって、自身に起きた兆候の理由を理解した。
「――アティ……!?」
真っ白い髪を翻し、碧も鮮やかな魔剣を奮う、姉の姿がそこにあったのだから。
だが、長く驚愕に浸るわけにもいかなかった。
「貴様ら……ッ!」
鋭いアズリアの声が耳朶を打ち、レックスは再び視線を転じる。
「……アズリア?」
「気安く私の名を呼ぶなッ!!」
叩きつけられる拒絶。
つい数秒前まで、捕える側と捕えられる側ではなく好敵手といった感じで剣を合わせていた、かつての同僚の姿はすでになく。
拳を、剣を、力のかぎりと握りしめ、“敵”を睨みつける“軍人”がそこにいた。
彼女はレックスを見ていない。
彼女はアティを見ている。
魔剣によって変貌したアティをではなく、その腕に握られた、鮮やかな碧を見据えている。
――それで、思い出した。
カイルたちが船を襲った理由、この剣が自分たちへ呼びかけられる位置にあった理由……帝国海軍であるアズリアたちが、この島へ流れ着いた理由。
すべてがそこに収束することを、理解した。
ヤードが無色の派閥より持ち出し、帝国軍によって回収され、海賊によって運搬途中を狙われた魔剣の名はシャルトス。
今アズリアが見据えている、まさに、そのものなのだから。
ふたりの見守る前で、巨漢であるギャレオがアティによって、信じられぬ距離を後退させられる。
それより遅れること数秒、かろうじて視界に入る位置でに斬りかかっていたビジュが、プニムによって気絶させられていた。
「――どこまでも、貴様等は私の邪魔をするか……!」
副官のギャレオ、そして一応は他の兵士より高い位置付けであるビジュを殆ど同時に無力化された時点で、アズリアはこれ以上の戦いの無益を判断した。
人員では大幅に勝っているのだから人海戦術に訴えろと、能無しの上役ならば云うだろうか。アズリアも、戦う相手が“人”ならばそう決断したかもしれない。
だが、アレは相手にしてはならないと、自身のどこかが告げていた。
人が変貌するなどありえない、というその常識をいともあっさり打ち破り、あまつさえ女性であるアティにギャレオを圧するだけの膂力を与えるその源――碧の賢帝。
今回は、あくまでも“海賊とその一派”を捕えることを前提にした布陣であって、魔剣の存在などまさかと思うことさえしなかった。
あの嵐の日、彼とともに海の藻屑になったとばかり思っていたはずの魔剣。
それが。
よりにもよって、奴らの手に渡っていようとは。
「総員――」
衝動のまま、レックスに切りかかろうとする腕を、足を留め、アズリアは岩場全体に届かせんがために声を張り上げた。
「――総員、撤退せよ!!」
怒りが判断力を鈍らせる前に決断を下した彼女は、やはり戦場の采配をとるに相応しかった。
呆然とこちらの背を眺めている、蒼い一対の視線。それを苦々しく思いながら、アズリアはビジュの回収を指示すると、一団とともにその場を後にしたのである。