兵士たちのひとりひとりは、実は大した相手ではない。
遠距離から弓で撃ってくる奴が少々厄介ではあるが、一気に間を詰めて叩いてしまえばあっという間に無力化される。近接武器を使う相手には、キュウマが率先して向かって行った。ヤッファ? 実にめんどくさそうに向かって行った。
さて、その近接戦を得手とする者には、副隊長のギャレオも含まれるわけであるのだが。
「ぬおおおおおッ!」
「〜〜ッ、やるな、あんた!!」
そのギャレオとガチンコ勝負、右手と左手をがっしと合わせ、戦場のど真ん中でカイルが力比べ中。結果、足止め。
「アニキ楽しそー……」
「……さすが、脳みそ筋肉だけあるわね」
親しみのこもった悪口とともに、スカーレルは、的確に相手の急所を落としていく。用いるのは、刃ではなく剣の腹。召喚獣たちは絶命すれば肉体が失せ、故郷だか輪廻だかに戻るというが、人間はそうはいかない。
――というのは建前で、本当のところはどうなんだと問われたら、レックスとアティの名が挙がるだろう。
何しろ、と視線を転じた先には兵士たちの山。
そしてさらにその先には、当のレックスたちがいる。あちら様からも、ちっとも断末魔が聞こえない。要するに、絶命させてないのだ。となれば、助けにきたこちらがばっさばっさと切って捨てては少々立つ瀬がなかろう、という判断である。
だもので、基本的には気楽なものだ。数はともかく質ではこちらが上回っている。
「海賊だからって甘く見られちゃ困るのよ、隊長さん?」
「――ぬかせッ!」
兵士の薄くなったところを突き破ろうと目論んだ刹那、その隊長がスカーレルの懐に飛び込んできた。
茶化し成分たっぷりの科白も、だが、彼女にはただの挑発らしい。
一言の元に叩き落すと、スカーレルよりも小柄な身体がなお縮む――といっては口が悪いか。要するに腰を落としたのだ。
来る!
大きく後ろに引かれた腕、睨みあげる眼光に、予測できたのは次なる攻撃の強力。
――避けるか受けるか。
判断は瞬時。
下した直後、
「紫電絶華――――!」
無数、としか形容出来ない速度の突きが、連続してスカーレル目掛け繰り出される。
あまりに速過ぎるそれは、いかなる修練を積めば可能になるのか。相手が普通の戦士であれば、線でなく点としてしか捉えられぬ剣の切っ先に、なすすべもなく貫かれよう。
だが、
「甘いッ!!」
幼馴染みであるヤードしか今は知らないことだが、スカーレルは、自身が普通とは云えぬ道を歩んできたことをよく知っている。
「……なっ!?」
繰り出される攻撃の速度は目視叶わず、威力も受けることあたわずとあれば、とるべき道はひとつ。相手が攻撃に移る直前に、追随の及ばぬ位置まで移動すればいいだけの話。
それこそ尋常でない反射神経を必要とする行動だが、スカーレルにはそれを可能とするだけの礎がある。
結果として、アズリアの繰り出した無数の切っ先は、彼の残像を空しく突き崩しただけだった。
「危ない危ない。あんなの受けたら、腕が削ぎ落とされちゃうわ」
「戯言を!」
「ごめんなさいね、あなたと遊んでる暇はないのよ」
背中まである黒髪をなびかせ、アズリアが半身をねじって振り返る。が、彼女の双眸に映ったのはスカーレルではない。挑発するだけしておいて、彼はさっさと苦戦しているソノラとヤードの手助けに行っている。そのもう少し先には、やはり合流しようとしているのだろう、徐々に近づいてきているアティの姿。と、彼女に守られる形で同行する――だけどダルマ状態というわけでもない――子供たち。
……代わりに、というのか。
アズリアがスカーレルに向かっていくのを目撃し、さすがに放ってはおけぬと駆けつけた、レックスの姿がそこにあった。
アズリアによって一陣の閃光を描きかけた切っ先は、ひたりと虚空で停止する。
「……レックス」
「ごめん」
苦虫を噛み潰したような表情になったアズリアに対し、レックスはあくまで生真面目に謝罪する。ともに剣を携えたままであるのが、いささか両者の空気にそぐわなかったが。
「何を今さら謝罪する。投降する気になったというのか?」
「そうじゃない。……アズリアが、云いだしたら退かない性格なのは、よく知ってるよ」
「ならば何を――」
「だからごめん」
今回ばかりは、俺も退けない。
そう告げるレックスの眼には、怒りがあった。
――アズリア、レックスとアティが共に過ごしたあの場所では、そして、そこを後にするときでさえ見せなかった、何か。
譲れない何かを、傷つけられたときのような。
「アズリアのせいじゃないのは判ってる」
地面に向けられていた剣の切っ先が、徐々に上向きになっていく。静かに持ち上げられたそれは、ひたり、とアズリアを正眼において停止した。 応え、アズリアもまた体勢を整えた。僅かに利き腕側の半身を引き、自身の得手でもって相手の攻撃に対するために。
「でも、そっちには当の本人が向かっていったし――だったら、俺としてはせめての気が済むまで、あっちに加勢に行かせるわけにいかないんだ」
それに、どうせ、何云ってもアズリアは退かないだろうし。
嘆息混じりの科白に、さきほど見えた怒気はなかった。やわらかな苦笑、だが前には進ませぬという意思もあきらかに、レックスはアズリアの前に立ちふさがる。
そうして。
アズリアは、そんな旧知の相手に、それこそ呆れの色濃く混じったため息をこぼした。
「――なんだ、貴様、それは。がビジュを叩きのめしたら、あの不届き者を拾って撤退しろと云っているのか」
「そうしてくれると嬉しいな」
「莫迦者」
一刀両断。
「こちらの事情を鑑みておらんぞ。私はあくまで、海賊どもに味方した恥知らずの元同僚を捕えに来ているのだからな」
ああ、まったく。
重心をかたげながら、アズリアはもう一度嘆息する。
今しがた見せた怒りの色。少しはこいつも変わったかと思ったが、何のことはない、ちっとも変わっていないではないか。
がビジュを叩きのめすまでだと? それくらい待ってやってもいいが、どちらにせよこの戦いは避けられんというのに、真面目な顔して“そうしてくれると嬉しい”ときた。こちらにとっては、嬉しくもなんともないわ。
と、アズリアが呆れきったことが伝わったのだろう。
「じゃあ、退いてくれるようにするしかないか」
苦笑のまま告げるレックスの科白に、アズリアも苦笑する。
そうか。こういう奴だったな。
真剣の翻る戦場であるというのに、どうしても殺すだの死ぬだといった単語の似合わない姉弟。今も、きっとそうなのだろう。撤退は文字通りの撤退で、敵の命を奪うことをけっして望まない。少々業腹だが、それが旧知の相手なら、なおさらその傾向が強い。
――ああ、まったく腹の立つ相手だ。
「私とてあの頃とは違うぞ。全力でこねば、間違って命を奪うかもしれんな」
「そうならないように、頑張るよ」
それで会話は終わり。
アズリアとレックスは、互いの間合いの一歩外に位置して対峙する。
ちょうど時を同じくして、ソノラ、スカーレル、ヤードがアティたちと合流した。
「センセ、無事?」
「あ――はい。この子たちもだいじょうぶです!」
「よっしゃ! ごたごたは後にして、とにかくアニキんとこ行こ!」
いくらカイルが力自慢だと云っても、ギャレオをひとりで抑えるのは困難だろう。一対一ならともかく、周囲の兵たちがちょっかいを出せばそれまでだ。
見れば、プニムが一匹でその露払いをしている。健闘してくれているが、さすがに任せっきりには出来るものじゃない。
が、現状では他にも気になる戦いがあった。
「さんは――」
うちのひとつを、ヤードが懸念する。
視線をめぐらせた向こう側には、うまいとこ兵士たちの向こう側に抜けて広い空間を確保したと、そんな彼女をいきりたって攻撃しているビジュの姿。
……心配なさそうですね、と、苦笑するヤード。一同、同感。
レックスとアズリアのほうは、カイル側に走れば自然と距離が縮まる。それに、隊長自ら剣を抜いた相手だ。兵士たちが手を出す心配は少ないと云っていいだろう。
となれば、やはり先んじて合流すべきは我等が船長であった。
顔を見合わせ頷くと、一気に倍増したソノラチーム、わらわらとカイルのほうへと疾走。
間にいた兵士は、ソノラの投げナイフやヤードの召喚術、はたまた子供たちのちびっこ召喚獣アタックの犠牲になって、一人、また一人と戦力外にカウントされる。
「アニキーっ!」
「……おうッ!」
距離がかなり縮まったころ、ソノラの投具が風切り音も鋭く飛んだ。力比べ続行中だったカイルとギャレオの間の空間が、それで切り裂かれる。
ソノラの声でそれを予想したカイルは、突然出現したナイフにギャレオが注意を奪われた瞬間を見逃さなかった。それまでに増した気合いとともに手の甲の血管を浮き上がらせ、ギャレオを、ぐ、と一歩押し切った。
「ぬ……ッ!」
それが焦りになったか、ギャレオの額に青筋が浮かぶ。組んだ手になお力を入れようとしたとき、
「あらよ、っと!」
「何ッ!?」
喧嘩では常套手段、力を入れさせるだけ入れさせておいて拍子抜けさせる――まあ、つまりカイルが一気に力を抜いて、身を横に滑らせたのだ。
渾身の力をまさにそのとき発揮したギャレオは、当然のように体勢を崩し、前へとつんのめる。
「……おわッ!?」
が、少々考えが甘かった。
つんのめりながらも、ギャレオは大きく腕を薙ぎ、カイルの足を払ったのだ。
してやったり、との気分が生まれていたカイルは、気構えもないままそれを受け。結果として、彼もまた大きくバランスを崩す。
「カイルさんッ!?」
一瞬の優位が転じたそこに、アティの叫び。
その隙に、ギャレオが一足早く体勢を取り戻した。
「海賊如きが、帝国軍を甘く見るな!」
「ンだとおッ!?」
カイルだって負けてはいない、身体を地面につけることだけはなんとしても避けようと、片手を背中側について凌いだ。馬乗りになぞなられてみろ、一方的な殴打大会が開催されるだけである。
そのまま腕を軸にして身体を回転、振り下ろされる拳から、すんでのところで身を躱す。つづいて二撃目が来る、が、重心の乗り切った一撃目と違い、受けてもダメージの心配はあまりなかろう。ここはくらっておいて、倍返しを見舞ってやるべきだ。
――そのときだ。
「カイルさん!!」
いざ反撃、と飛び掛ろうとしたカイルの目の前、つまりはギャレオの横手から滑り込んだ剣の腹が、ギャレオの拳を弾いていた。
金属が金属に打ち付けられる音が、鈍く大きく響く。
「くっ!?」
誰もが予想しなかった方向からのそれに、ギャレオは繰り出そうとしていた三撃目を留めて後退した。
そこに入り込む、人影ひとつ。
カイルとギャレオの間に、壁か盾を思わせて立ちふさがったのは、たった今長剣でもって拳を弾いたアティだった。
「ちょっ、おい待て先生、あんたじゃ無……!」
直接ぶつかりあい、ギャレオの腕力の程を知ったカイルが慌てて身を起こす。アティの前に回りこみ、再び標的となろうという腹だったが、一拍遅かった。
後退した直後、ギャレオは地を蹴っていたのだ。それは、カイルが立ち上がったのとほぼ同時。
カイルがアティの前に回りこむには、数歩を要する。
その前に、ギャレオはアティとの距離を縮めていた。
「でしゃばったな……!」
女だからとて、手加減するつもりはギャレオにはない。いかなる相手であろうと常に全力で戦う、それが副隊長としての――いや、一戦士としての矜持。
腹に渾身の一撃、それで意識を奪う自信がギャレオにはあった。
実際、何も起こらなければそうなっていたはずだ。
だが。
“何か”は、そのときすでに、起こり得る条件を整えていた。
自分の膂力だけでギャレオを凌ぎきれるなどと、アティは自身を過大評価してはいない。
こちら一行のなかでも随一の力持ちであるカイルがぶつかって、やっと互角なのだ。そもレックスでも難しいはずのそこに割り込んだのは、何も自殺願望があるからではない。
戦力は分断されている。
レックスとアズリア、そしてとビジュ。
帝国軍側の主戦力相手に、あのふたりは一対一で渡り合っているのだ。そこに、他の兵士が不安を覚えないわけがない。指示を出すべき者がすでにふたり、そうも出来ぬ状況に自らを置いている。余裕がないわけではないのだろうが、意識をそちらにとられていることは確かだ。
ならば――だ。
手近だったということもある、が、あちらの二組に横槍を入れる気にはなれなかった、というのもある。
とにかく、主力であろう三人のうちひとりを叩けば、他の兵士たちの気勢も削がれるだろう、と、アティは判断したのだった。
そのために。
それを使おうと、決めていた。
普段はあまり目を向けぬ、自身の裡に呼びかける。
あの嵐の日からずっとそこにある、何者かに呼びかける。
――――シャルトス。
ヤードは、アティとレックスの身に宿ったという碧の魔剣を、そう称した。
――来てください、シャルトス。貴方の力が必要です。
ドクン
裡から巻き起こる鼓動。
自分のものではない、だけど一分のずれもなく、自分のそれに重なる鼓動。
ドクン ドクン
――我を喚ぶか
そうして声が聞こえる。
“生き延びたければ継承しろ”と、あの日ささやきかけた声が。
――良かろう、我を手にせよ
――さあ、喚び起こせ
裡から熱が巻き起こる。
身体を溶かしてしまいそうなほどの熱。
熱くて熱くて、頭のなかが真っ白になる。
だけどそれはほんの一瞬。
全身を駆け巡った熱は、その名残も残さぬまま、アティの利き腕に収束した。
……見ずとも判る。
これを喚ぶのは、もう、三度目ほどになるのだから。
手の先に、重み。
腕に、何かが絡みつく感触。
――彼女の裡からにじみ出たとしか思えぬ碧の剣が、アティの手に握られる。
変貌に要した時間は、ほんの一瞬。
その一瞬の間に攻撃を仕掛けていれば、もしかしたらアティに一撃を喰らわせるくらいは出来たかもしれない。
だが、ギャレオはその一瞬を驚愕に費やした。
アティは、その隙を見逃さない。
さきほどまで感じていた、相手の腕力に対しての不安はすっかり消え去っている。故に一撃必中の自信とともに、アティは、ギャレオへと踏み出した。
「はああぁぁぁあぁぁぁッ!!」
「何……ッ!?」
碧の刃を振り下ろす。
咄嗟に手甲で受けたギャレオの顔色が、さっと変わる。
戸惑いが、動揺に。動揺が、焦燥に。
悟ったのだろう。叶わないと。
色素の抜け落ちたような真っ白い肌、真っ白い髪、そのなかで輝く碧の双眸、それと同色の剣を持つこの女には勝てぬと。
予感ではなく確信に従って、ギャレオは、一度アティから距離をとろうと地を蹴りかけた。
その判断は、結果として彼に及ぶ衝撃を減じさせることになる。
「――はッ!!」
裂帛の呼気とともにアティが剣を振り抜き、
「ぐおおおッ!?」
すでに後方へと飛び下がろうとしていたギャレオの胴を、女性の――否、人間のそれと思えぬ力で叩き飛ばしたのだから。