息を飲む。
今の今まで、そんなこと忘れてた。
なんで。
自分たちのことなんて、どうでもいいんじゃなかったの?
学校の先生も勝手に決めちゃって、結局あっちの子たちばかりにかかずらって、こっちのことなんてどうでもよくなったんじゃなかったの?
……ずるいよ。
なんで、こんなときにこういうこと云うんだよ。
……ずるいです。
どうして、そんな口約束を律儀に守りつづけるんですか。
……ずるい。
こんなこと聞いて、なんで――嬉しいって思うんだ。
……ずるいです。
私たち、あなたたちへの気持ち、思い知らされちゃうじゃないですか――!
声が聞こえた。
朦朧としてた意識に、強く訴えるように。なにより強い気持ちのこもった、レックスとアティの声が聞こえた。
そして、それをかき消すように、苛立ったビジュの声が聞こえた。
「なら、その約束を律儀に守って死んじまえエェェェッ!!」
レックスの向こうから、濁った紫の光が迸ろうとしているのが、かすんだ視界に映り込んだ。
……そして。
「――せ」、
身を攀じられるかのような悲痛な叫びが――
『せんせい―――――――――ッ!!』
“四人分”。
たしかに、の耳朶を打っていた。
そうして感じる。
四界への開門を促す力。
サプレス、シルターン、メイトルパ、ロレイラル。
リィンバウムを囲む四つの界へと通じる扉を開かんと、鮮やかな光が炸裂する。前方にひとつ、後方にひとつ、――――もっと後方から、ふたつ……!
「!! 退かせ――――ッ!!」
何やら切羽詰った、カイルの声。もっと後方からのふたつと、同じくらいの場所からだ。
――無茶云うなあ。
それでも、退かせと云われたからには退かさねばならない。
思考はどうにか明瞭。さっきのレックスたちの声と、子供たちのそれが靄を払ってくれた。
身体能力、ちょっと回復。全開には少し遠いけど、動くには問題ない。
声帯……相変わらず麻痺。
それだけを確認して、は地を蹴った。
眼前には勿論、自分を庇ってくれていたレックスたちの背中がある。
斜め後ろから肉迫。ふたりまとめて、めいっぱい横に突き飛ばした。
「え!?」
「あ……っ!?」
「――あ?」
ビジュからは、レックスとアティに遮られての動きは見えなかったらしい。それが幸いだった。標的の唐突な横移動に、彼の動きが一瞬止まる。行使しようとしていた召喚術も、当然一時停止だ。
が。
それはも同じ。
レックスとアティの向こうにいたのは、ビジュだけではない。ウィルもいたのだ。
おかげで、も動きを止める羽目になった。ふたりを突き飛ばした体勢のまま、慣性で同じ方向に突っ込みながらも、視線はウィルに固定されたまま。
……若草色の光。
ウィルの懐から迸った幾つもの光の粒子が集まって、今の今までいなかったはずの存在を形作ろうとしていた。
いなかった、といっても、そのシルエットには覚えがある。
猫耳に、でっかい頭にちっちゃい手足、何故か二本ある尻尾。
――――テコ!?
声を出せぬまま、は口をぱくぱくさせていた。
そのころには、地面にスライディングする羽目になったレックスとアティも身を起こしている。
そんな彼らに勇ましく、テコの咆哮が――
「ミャミャミャ、ミャーっ!!」
……咆哮か?
だが、
「ガガ、ピ――――っ!!」
「ビビビッ!」
「……キュッ!!」
それに加えて、やっぱりどっかで聞いた覚えのあるちびっこ召喚獣たちの咆哮(?)。
しかし。
鳴き声はかわいらしくとも、やはり彼らも召喚獣だった。
テコが真っ先にビジュをどついた後、後方からきた他の三匹も、競うように刺青目掛けて突撃。
アールの頭突き。
オニビの鬼火。いやシャレじゃなくてね。
キユピーの体当たり。
優勢一転、集中攻撃を受けたビジュは、
「ぐひゃあッ!?」
……と、実に間の抜けた悲鳴を上げて転倒。
弾みで拘束が弛んだのだろう、ウィルはその隙を見逃さず、自由を取り戻していた。彼は他の何にも目をくれず、一直線にレックスたちのところへ走る。
「せんせいっ!」
『せんせーっ!!』
そこへ、やはり後方から響く足音と声。
あまりといえばあまりの急展開に、帝国軍の皆さんも呆気にとられてしまったらしい。
「こ……っ、こら待ておまえら! まだ敵はいるんだぞ!?」
……いやカイルさん、今の彼らには何を云ってもきっと聞く耳持ちませんて。
振り返ったの目に映ったのは、やはりと云おうか子供たち。
ベルフラウはともかくとして、いったいいつの間に来たのやら、ナップとアリーゼまでがこちら目掛けて走ってきていた。
そしてその遥か後方、兵たちの囲みの外側に立つカイルたち。と、おそらく捜索に駆り出されたのだろうキュウマにヤッファ。……そか、スバルとパナシェも関係者だもんな、そっちからも要請されたのかも。
だが正直助かる。
アズリアたちが、このまま素直にこちらを見逃してくれるとは思い難いし、そうなると人手はいくらあってもありすぎるということはあるまい。
「! 無事――!?」
「――――――――!」
ちらり、と、レックスたち、そして彼らに飛びついて泣きじゃくる子供たちを確認し、はソノラの問いに応えようと口を開いた。……のはいいが、生憎声帯麻痺現在進行形。しかたなく手をぶんぶん振って、大きく丸をつくってみせる。
が。それ、ちょっとまずかったらしい。
「……さん!? 何かされたんですか!?」
の異常を感じたのだろう、ヤードが目を見開いていた。
安堵しかけていたカイルたちの雰囲気が、それで途端に強張る。
しかも間の悪いことに、時を同じくしてビジュが我を取り戻したらしい。
「テメエらぁ……ッ! よくも、よくも……ッ、まとめてブチ弑してやらあぁぁっ!!」
鬼気迫る形相で怒鳴ると、子供たちをなだめようと苦心してるレックスたちに斬りかかって行く。
だが、とてそれを黙って見ているつもりはない。
ビジュの叫びが響いた瞬間に地を蹴って、走りながら抜き放った剣で彼の攻撃を受け止めた。
甲高い、金属の衝突音。摩擦音。
――それで、その場全ての人間の意識が現実に引き戻された。
「テメ……ッ!」
「……ッ!」
声が出ないのがなんぼのもんか。
気合い一閃、怒りでうまく気の回らないらしいビジュの鳩尾を蹴り飛ばし、再び距離をとらせる。剣にだけ集中してたらしいビジュの身体は、の予想した以上に後退してくれた。
だが追い打ちはかけない。
なにしろ、巻き添えを恐れてかじっとしてたとはいえ、周囲には相変わらず大量の兵たちがいるのだ。その兵たち、ビジュの劣勢を見てとると、命令がないながらも各々の武器に手をかけようとしていた。
そして、そこに彼らを後押しする指示。
「総員、ビジュを援護!!」
はいー!?
さっきまでの女傑っぷりはどこ行ったのか。よりにもよって、軍の誇りを汚そうとした奴を援護しようとするアズリアの声に、は驚愕を隠せない。
それは、彼女の傍に控えるギャレオとて同じらしい。
「――隊長!?」
語気荒く詰め寄りかけた彼に、アズリアは苦々しい顔で応じた。
「不心得者であろうと、奴も我が軍の一員。見殺しにするわけにもいくまい」
「ですが……」
「行け、ギャレオ!」
なお云いつのろうとした副隊長のことばを遮って、アズリアがたちの立つ場所を指し示す。
「あいつには、この手で懲罰を与えなくては気がすまん。海賊どもを蹴散らし、あの愚か者めを私の前に連れてこい!!」
それで、やっと。
ギャレオも、自らの隊長の意図を汲み取ったらしい。
「任務了解!」
疑問符は投げ捨てそう叫ぶと、自ら率先して兵たちを率い、移動を開始した。
同時にカイルたちも動く。
「どけどけどけ――――っ!」
「すぐに行くから! 持ちこたえるのよ!」
「…………っ!!」
スカーレルの励ましに、元気よく応えられない自分が恨めしい。
腕を振り回す余裕も今はなく、大きく頷いてみたけど、果たして向こうから見えたかどうか。
そこに、レックスとアティが子供たちと一緒に駆けてくる。カイルたちと違って、こちらは分断されてない。
「!」
「――――っ」
レックスたちは、子供たちと一緒に安全な場所へ!
と、そんな気持ちを込めて岩場の陰を指差してみたところ、
「え!? あっちに敵が潜んでる!?」
ちっがーう!!
全然見当違いのことを云う、そんな誰かさんの頭に石を投げたくなった衝動を必死こいてこらえた。
くどいようだが、今はそんな場合じゃない。
「ウオオォォァァァッ!!」
一旦は引っぺがしたビジュが、またしても接近してきてるし、周囲の兵たちも隊長の号令がくだったことで、一気呵成に突っ込んできてる。
「あ……っ、、もしかしてさっきのブラックラックで!?」
突出してきたひとりの兵と切り結びながら、アティがようやくそのことに思い至ってくれた。
うんうんうん!!!
全力で頷いて、目くらましのために投げられた投具を弾き飛ばす。腕が振り切られたところを狙ってきたビジュの攻撃は、避けるだけならそう造作ない。
反撃は考えず、回避のためにのけぞらせた背の後ろから、声。
「アール、行けーっ!」
「ビービビー!!」
天地が逆向きになった視界のなか、アールが、またしてもビジュに体当たり。
「ひでぶッ!?」
うわ。あれは痛い。
体勢を戻したは、腹を抑えてうずくまるビジュの姿を目にして、ちょっと同情を覚えてしまった。……ちょっとだけ。
だが、現実はそんな場合ではない。
「ピコリット……!」
慌ててアティの喚んだピコリットが、レックスとの負っていた傷をそれぞれ癒した。さすがに声帯まで治す余裕はなかったか、迫る白刃から逃すため、治療が終わるとすぐ小天使は送還される。
ありがとうございます、と一礼。
喉を押さえて笑い、これは後でお願いします、と表現。
子供たちを岩陰に連れて行け、とはもう云えなくなったから、簡単なジェスチャーだけでいい。
だって、もう周囲は勇み立ってやってくる兵士たちばかり。……子供たちに関しては、レックスとアティの判断に任せてしまおう。守ると断言したのだ、きっと守りきってくれるはず。それに、カイルたちも群がる兵士をぶっ飛ばしつつこっちとの距離を縮めてるし……
ならばやることは決まってた。
びっ、と親指を立てて、
「テメエらアァァァァァッ!!」
……完璧に怒髪天らしい刺青男を示し、最後にブイサイン。
「判った。ビジュは任せる」
今度は通じた。ありがとうレックス。
お礼の代わりににっこり笑い、はくるりと身を翻す。
――よっしゃこいッ!
手にした剣は、いつもと同じに白く、ましろく輝いていた。