思えば、そう長くもなかったろう軍人生活のなかで、捕虜になった経験はない。
非戦闘員の諜報員が捕虜になるような事態が起こるようではデグレア軍の先は長くなかっただろうが、幸い、そのような心配さえしないですんだあの日々を、はひっそりと思い返す。
それから、遠い地の家族に報告する心の日記に書き加える。
あたし、生まれて初めて捕虜になってますよルヴァイド様ー。
これでおそろいだねイオスー。
……緊迫の度合いが違うだろ。
きっとこうツッコむだろう金髪の槍使いを思い、は思わず小さな笑みを零していた。
そんなの足元に、ガッ、と剣の切っ先が突き刺さる。
「何が楽しいんだよ、あァ!?」
「…………」
あっかんべー。
「テ……っ、メエ!」
風を切って振り上げられる剣。放っておけば、間違いなくの脳天を叩き割ろう。
だが、
「よせ、ビジュ」
背後に立っていたギャレオが、すかさずその腕を掴んで止めた。
「おまえも、無駄に挑発するのはよせ。こいつは旧王国を毛嫌いしているんだ、命の保障は出来んぞ」
「……すみません。でも、旧王国ってだけで難癖つけられるの、腹が立つんです」
噛んで云い含めるようなギャレオのことばへ、は殊勝にそう返す。
一見素直に謝っているようだが、その実、さりげなくビジュへの厭味だ。
「ケッ、旧王国に関係してるってだけで十分だ、このガキっ!!」
「ビジュ。その“ガキ”相手に大人気ないぞ」
「副隊長殿はそう仰いますがねえ、あんたはいいんですか。さっきから何を訊いてもだんまり、かと思えば要らねえことばっかべらべらしゃべる……ちっと身体に訊く必要があるんじゃねえですかい?」
……それは、つまり、あれか。
自分を見るビジュの視線を受けて、は「ははは」と乾いた笑いを浮かべてしまった。気持ち悪いよあの目。
痛めつけるとかいう意味、ではなさそうである。
となりゃ、導き出される答えはひとつ。
あー。
なんか捕虜のお約束を地で行ってるな、あたし。
まさか、自分にそういう目を向けられるとは、それこそ生まれてこのかた思ったことなどなかった。
……まあ、軍人なんてやってれば、つまり男所帯で生活してればいろいろほら、溜まるもんも溜まろうというもの。かといって、紅一点と思われるアズリアにそんなことしようとした日にゃ、おそらく地獄が待っている。
ある意味健全だったのかなあ、うちの部隊。
進軍中は信じられないほど潔癖だった黒の旅団を思い出し、心中ちょっぴり涙。
てゆーか、そんなこと考える暇もないくらいハードな戦争にばっかり出撃してた、という事情もあることはあるのだが。
「さん……」
「ん? 平気平気。だいじょうぶ」
不安そうに見上げてくる二対の眼差しに、はにっこり笑ってみせた。
「ケッ、大口叩けるのも今のうちだぜ?」
にやにや笑いながら迫るビジュから隠すように、ウィルとベルフラウを背中に庇う。
だが、背後にも兵士たちはいる。ちょっと逃走は難しい。
これは裏技に頼るしかなかろうか、と懸念したとき、ビジュが本気らしいことを悟ったギャレオが、怒気も露に怒鳴ろうとした。
「ビジュ! いい加減に――」
「やめないか、ビジュ!!」
「……チッ」
予想はしていたのだろう、突如響いた鋭い声に、ビジュの前進が止まる。
兵の配置を指揮していたらしいアズリアが大股にこちらへやってくる姿が見えて、は、ほっと息をついた。足の震えも、それで止まる。
おちゃらけて強がってみたはいいものの、……一女性としては、ああいう目で見られると、どうしても嫌悪や怖れが先にたつ。不愉快だし怒りは湧くし、この時点で刺青男に“最低”と烙印押してもいいくらいだ。
そうして、アズリアがビジュに一喝。
「貴様は何を考えている!? 帝国海戦隊の誇りを汚す気か!!」
「イヒヒッ、そんなことは考えてませんがね……」
「――下手に強制手段に出ずとも良い。おまえたちの戦ったという相手が真実そうであるのなら、その者たちは必ずここを見つけてやってくる」
私が知っている、あの者たちであるのならば、な。
「「……え?」」
「あらま」
やっぱり知り合いですか。
きょとん、とつぶやいたウィルとベルフラウを庇ったまま、は後頭部に手をやった。指に絡まった赤い髪はすぐに解け、そよぐ風に流されて目の前に落ちてくる。
色は赤。
少々色味は違えど、アズリアが予想してるだろうふたりと同じ色だ。
たしかに、妹と間違えられてもおかしくないな、と、今さらながらに思う。初対面とはいえナップが後ろ姿を取り違えたくらいだし、マルルゥに至ってはいわずもがな。そして、先ほども。
サイジェントに落ちたあの日、この色を選んだのは自分だった。
バルレルの赤い髪に見惚れて、そうした記憶。
だが、がこの島にいる原因は、ほぼ、この色のせいなのだ。
こういうのも、自業自得って云うのかなあ……、などと、思ったとき。兵士たちと話していたアズリアが、ふと、一行のいる岩場の向こうを振り返った。
――ここで、遅まきながら、現在地を説明しておこう。
はこの島を森ばかりだと思っていたが、実はそうでもなかった。たしかに島のほとんどが森なのだが、それが途切れた先に、この切り立った崖だらけの岩場があったのである。
帝国軍の拠点とする地ではなさそうだが、見晴らしのよさの際立つここを選んで陣取ったことに、ちょっと感嘆。指揮しているのがルヴァイド様でもそうするだろうな、と、懐かしくもなった。
見渡す限り、アズリアたちの布陣するこの場所が一番の高台なのだ。周囲のどこから敵が攻めてこようと、その動きは手にとるように判るだろう。森からの距離も十分で、身を潜めての飛び道具は懸念する必要さえない。
故に、アズリアがその集団に気づかないわけがないのだ。
そう、森を抜けてこちらへ一直線に走ってくる、レックスたちの接近に。
……やはりな、と。
小さな彼女の囁きが、風にまぎれてに届いた。
飛び道具の射程外、声の届く位置まで走ってきたレックスとアティは、こちらの姿を見て、遠目にも判るほど、大きく肩を上下させた。
相当息が荒くなっているようだ。ずっと、彼らを探して走り回っていたんだろうか。
「! ウィルもベルフラウも、無事か!?」
それでも、レックスは声を張り上げてこちらの無事を問う。
「はい! 三人とも怪我はないです!!」
「あ……」
腕を大きく振り回して応じるの後ろから、ウィルとベルフラウが、ふらりと一歩前に出た。
ちらりと彼らの表情を見て、は、軽く双子の肩を抱く。
いろいろと複雑なものが混じってはいるけれど、今にも泣き出しそうだけれど、安心と喜びが何より強い、ふたりの表情。
けれども、さすがにレックスたちにはそこまで見えないのだろう。
の返答を聞いて、ほ、と胸をなでおろすばかり。
「あいつらだ、隊長!」
憎々しげに睨みつけ、ビジュがレックスたちを指さした。
が、それが聞こえているのかいないのか。アズリアはビジュに一瞥もくれない。ただ真っ直ぐに正面を見て、進み出る。
ふと見えたその表情は、なんとも複雑な色だった。ウィルたちとは違うけれど、それでも、云い表せぬ諸々の何かを抱え込んだもの。そんな色をたたえたまま、アズリアは口を開く。
「やはり、おまえたちか」
進み出た人影を見ようと目をこらしていたレックスたちが、発された声を耳にして硬直した。
アズリアはそんなことにはお構いなし、ふ、と口の端を持ち上げて語をつづける。
「久しぶり……と云っておこうか、レックス、アティ。――向こう見ずなのは、学生時代から変わらんようだな」
「アズリア……!?」
その語尾に被せて、アティが叫ぶ。
叫びというわけではないけれど、信じられぬものを見た驚きとでもいうのか、彼女の声はかなり動転しているようにには聞こえた。
「どうしてここに!?」
「どうしても何もあるものか。帝国軍海戦部隊所属第6部隊隊長、アズリア・レヴィノス。これが、今の私の肩書きだ」
それで推察しろとばかりに、アズリアの声に容赦はない。
だが、実は推察するまでもない。
肩書きを聞いた瞬間、レックスたちは顔を見合わせていた。にはそれくらいしか見えなかったが、おそらくは直感したのだろう。あの船に乗り合わせた帝国軍こそが、彼女の率いているこの部隊だったのだと。
「それじゃあ……アズリア……!?」
確認のためか、疑問の色も濃いレックスのことばに、だがアズリアは直截的ないらえを返さなかった。
「部下が世話になったそうだな」
――どうせ、大方こいつに非があったのだろうが。
あの夜の戦いを指して云い、ちらりとビジュを見て付け加える。一瞥されたビジュは、「う……」と、刺青を歪めてうめいた。
頷くべきか、さりとて否定できるわけもなく沈黙したレックスたちへ、
「だが」、
という、アズリアの鋭い声が投げられる。
「元軍人である貴様等が、海賊に荷担していたという事実は見過ごせん!」
軍法会議を思わせるその語調に、思わずの背までもが強張った。気分は、昔とった杵柄。違う、三つ子の魂百まで。
「海賊とともに大人しく投降しろ。そうすれば、悪いようにはしない」
そのことばは、きっと嘘ではない。
少なくとも彼女の権限が及ぶ部分までは、だろうが。
たしかに、海を荒らすならず者といっしょに自分たちを叩きのめしたのが元とはいえ同僚とあっては、帝国軍の名折れ。それを罰するのは理に叶っている。
……なるほど。じゃあ、魔剣のことはやっぱり知らないんだ。
触らぬ神に祟りナシ。決め込めだんまり。
こっそり誓ったの耳に、
「……、それは出来ない!!」
逡巡の間を置いて、だけどきっぱりとしたレックスの声が届いた。
それにつづけて、アティの告白。
「あなたの部下たちに危害を加えたことは謝罪します! けど、私たちは、あの夜間違ったことをしたとは思っていません……!」
うん。そのとおり。
いくら姿形が自分らと違うからって、問答無用で攻撃するのはあんまりである。手荒だったが、それを止めたことを間違ってるなんて、だって思いたくはない。
だが、そのへんの事情は別として現状を見るなら、レックスたちの主張はつまり、アズリアの提案を否定するものだった。
ス、と、アズリアの手が腰に伸びる。
細めの長剣は、一撃の重さよりも使い手の素早さを生かすために形作られたものだろう。斬る、叩く、といった攻撃よりも、突く、といったそれを連想させる形状だ。……そのとおりの攻撃が来るかどうかは、戦ってみなければ判らないが。
「そうか」
引き抜いた剣の刃が、陽光を反射して輝いた。
「ならば、私の手で捕えるのみだ!!」
「……っ!!」
レックスとアティが、各々の剣に手をかけた。
――あの魔剣ではない。メイメイの店で購入させてもらった普通の剣だ。
大剣を持つレックスの横、アティが長剣を構える。細身ではあるが、アズリアの武器に比べるといささか幅広と云えた。
それと同時に、アズリアの背後に控えていたギャレオが拳を構える。見れば、いつの間にか拳に頑丈そうな手甲を装着していた。このひとの一撃だけは、くらいたくないものだ。
兵士たちは動かない。
アズリアが云い含めたのだろうか、ただたちの逃走を妨害するような位置に布陣したまま、動向を見守っている。
睨み合う双方の間で、空気が重みを増していく。
飛び込む隙を伺っているのか、召喚術のために魔力を集中しているのか――
「――」
レックスの右腕が動いた。
「……!」
アズリアの足が地を蹴らんと力を込めた。
そのときだ。
「おっとォ! こっちにゃ人質がいるってことを忘れんじゃねェぞ!!」
戦いの緊張をものの見事にぶち抜いて、刺青男が雄叫びなすった。