風雷の郷に辿り着き、経緯を説明したふたりを待ち受けていたのはミスミの謝罪だった。
「すまぬ……スバルのせいで、そんなことになってしまったとは」
あやつには、後できつく灸をすえてやらねば……!
拳を握りしめて意気込む鬼姫を前に、想像と逆の現実を見せ付けられたレックスとアティは、ともに大慌て。
だが、
「ち、違うんです! 私たちが……」
「そのとおりじゃな」
アティがミスミを弁護しようとしたとき、まったく違う声が縁側から響いて、ふたりの耳朶を打った。
しわがれた、けれど強い芯の通った声。
「ゲンジさん……」
振り返ったレックスが、声の主の名を呼んだ。
一拍遅れて振り返ったアティともども、自らが教えた教師ふたりを均等に眺め、ゲンジは小さく息をつく。そして、それ以上に大量の空気を吸い込んだかと思うと、
「バカタレどもがッ!!!」
御殿全体を震わす勢いで、彼らに一喝を浴びせかけた。
「〜〜〜ッ!!」
もともと意気消沈していたところに、この怒声。たまらず、レックスとアティは項垂れる。
だが、それで遠慮するようなゲンジではない。
「おまえたちは大方、あの子らのことを怖がっておったのじゃろうが!」
「こ、怖がって……?」
「初対面の人間同士にはよくあることじゃ。感情のぶつかり合い、それで生まれる軋轢を怖れ、結果、怒らせんように傷つけんように考えて、優しく接していく」
覚えがあるのではないか。
そう云われ、レックスとアティは顔を見合わせた。
怒らせたというなら、ついさっき。
だけど、それ以前。
あれほど彼らが怒りを露にしたところを、自分たちは見たことがあっただろうか――自問の答えは否だった。
「ただ行きずりの間柄なら、それでよかろう」
だが、おまえたちはそういうわけにはいかんのじゃろうが。
「教師と生徒といえど割ってみれば人間同士。思い切って近づかねば、相手の心を知ることなど出来はせんのじゃぞ」
脳裏に浮かんだのは、先日のこと。
集落のほうにかまけていた自分たちに授業を要請しに来た彼らが、ほんの一瞬だけ見せた微妙な表情。
レックスとアティが謝罪した瞬間に見せた、なんとも煮えきらぬ感のあったあの眼差し。
「…………俺たち……」
「ふん、未熟者めが」
悄然とつぶやいたレックスに、追い打ちをかけるがごとく告げるゲンジ。
だが、それがふたりを追い詰めるためのものではないと判っているからこそだろうか、鬼姫は沈黙でもって彼らのやりとりを眺めている。
「じゃがの」、
そうして、ゲンジは云った。
「未熟者なら未熟者らしく、失敗を恐れずにぶつかっていけばいいだけのことじゃ。……おまえたちが、護人たちを追いかけて諭したときのように」
キュウマから聞いておるぞ。もっとも、彼奴を追ったのはのほうだったそうじゃがな。
「――――っ!」
は、とアティが顔を上げた。同時に、レックスも。
そうだ。
何をしてたんだろう。
いくら信頼を得なければ仕事がチャラになるからって、ならば機嫌を損ねなければいいなんて、まったくの見当違い。
自分たちの否を認めることは大事、でもそれで終わっちゃいけない、そこから前に進まなければ彼らにぶつかってなどいけない。
だって、信頼っていうのは判り合わなくては生まれない。
判り合うことは、一歩も二歩も退いている状態じゃ絶対叶わない。
――――そうだ。
何を恐れてた。
子供だからって、自分たちと違う生き物なわけがない。
俺たちは(わたしたちは)
誰も、同じ人間、そして同じ世界に生きるもの。
ことばを交わせる以上、気持ちを交わすことは不可能などではないのだから。
赤い髪が翻る。
「……レックス!!」
「ああ!」
勇ましく立ち上がったアティを追い、同じ色の髪を揺らしてレックスも立ち上がる。
そんなふたりを眺めるゲンジの口の端が、ほんの僅かに持ち上がる。だが、老体はそれをすぐ真一文字に戻すと、しっしっとばかりに手を振った。
「ふん、判ったならとっとと行け。……あの子らも、おまえたちを待っとるだろうて」
素直ではない老体のことばに、ミスミがくすくすと笑みを零す。
「キュウマたちにも頼んで、手分けして探させよう」
「助かります、ミスミ様。……ゲンジさんも、本当にありがとうございます!」
云うなり、退去の挨拶もそこそこに、ふたりは御殿を飛び出した。
その背中を見送っていたミスミは、ふと隣を見、またしても笑みをこぼすのを、すんでのところで押しとどめた。
満足そうに頷いて年若い後輩たちを見送るゲンジに水を差しては、自分が喝の対象になるのではなかろうかと懸念したせいであったそうな。
ふたりは森を駆ける。
その姿に、先刻まであった悲壮感は欠片もない。
今は、ただ、行方の知れぬふたりの生徒を探すことだけを考えて走るのみ。
それから、叱るのだ。
スバルとパナシェが、そうしようとしたわけではなくても結果として授業を妨害したことは明らか。けれど、だからといって学校を放り出していくのは、生徒としてやってはいけないことなんだと。
それから、謝る。
あのふたりにかまけてた、自分たちの否もちゃんと謝る。
謝って、だけど叱る。
悪いのはあのふたりなんだ、って、彼らが云うとは思えないけど、もしそう云ったらやっぱり叱ろう。あんたたちが悪いんだって云われたら、云い終わるまで待とう。
――――謝罪で、彼らのことばを途切れさせたりしないで。
それから……そのあとは、そのときに考えよう。
心は決まった。
けれど、探し人が杳として見つからぬ現実は、厳然と続くばかり。
「……どこまで行っちゃったんでしょう」
そろそろ幻獣界集落に差しかかろうというころ、走る速さを緩めてアティがつぶやいた。
「が見つけててくれるなら、いいんだけど……」
「――、ですか」
答えるレックスのことばは、だが、単なる希望。
そうして彼の耳には、なにやら含みのあるアティの独白は届かなかった。レックスはただ、今の事態を憂えて息をつく。
彼女が追って行ったのは、本来ナップとアリーゼだったのだ。だが、が発見する前に、ふたりはカイルに連れられて船に戻ってきた。
ウィルとベルフラウが、ナップたちとどう違う方向に行ったのかまでは判らない。判らないが、偶然の遭遇を期待するには、この島に広がる森は広すぎる。
島を覆わんと広がる森。何もかもをも緑のうちに隠そうとしているような、すべてをくらましてしまおうとしているような。
なんとも云えぬ不安を払拭しようと、レックスは大きくかぶりを振り――
その拍子に、アティがじっと自分を見ていることに気づいた。
「……アティ?」
「あの……レックス。のこと、なんだけど」
「え? いた?」
「違います、……けど」
ぱ、と喜色がかったレックスに対するアティの答えは、否定。
ことばを探そうとしている姉を、だが、今は待っている余裕がない。
「のことって、今じゃないといけないことかな」
「……そうじゃないけど、他のひとたちがいる前だと、ちょっと話しにくいことで……」
「うん、判った。それじゃあ、今夜にでも話そう」
今はとにかく、ウィルたちやを見つけなくちゃ。
そう諭すレックスのことばに、アティはしばし迷う素振りをみせたものの、
「…………そう……だね。うん、今はそれどころじゃなかったね」
ひとつ大きく頷いて、歩き出した弟の隣に並んだのである。
そうして、進んだ先にて、ふたりはスバルとマルルゥに出逢う。
一度は帰ったはずの彼らは、四人のことが心配で、探しに出てきたんだとのことだった。
そこにパナシェが駆け込んで、行方不明である三人――、ウィル、ベルフラウの発見を告げるのはその直後。
ついでに、その三人が帝国軍に捕まっていることが判明するのは、それと同時のことだった。