プニムと合流したソノラは、とりあえず事情聴取を諦めて、一旦船に戻ることにした。
何があっても、とりあえず彼らの寝床はあそこなのだ。
駆けてったナップたちのことはに任せて、船に誰か戻ってるか確認し、戻ってなければスカーレルやヤード、それからカイルに事情を説明し、姿の見えなくなってしまった先生ふたり、ウィル、ベルフラウを探しに出なければと判断したのである。
そうと決まれば、のんびりしてもいられない。
「うー、なんでこうトラブるかなあ――」
「ぷいぷぷー」
なんてぼやきつつ、ソノラは森のなかをひた走る。
子供ってゆーのは問題起こしてナンボだという意識はあるし、自分だってさんざオヤジたちに迷惑かけた自覚はある。
それでも、なんだか、あの先生と生徒たちに関しては、本人たちの意思を全然無視したところで問題が勃発して、それがさらに彼らの関係をごちゃごちゃにしているような気がするのだ。
そう、あの剣に選ばれたこと然り、船を襲った自分たち然り。
……いや、その件はごめんなさいしかないんだけどさ。
それでもやっとほぐれかけてきたところに、この青空学校崩壊騒ぎである。
島を出るまでに、これからも何が起こるやら。
そんな漠然とした不安にとらわれようとしたソノラは、だが次の瞬間、
「うわわっ!?」
と悲鳴を発してつんのめった。
「おわ!?」
横手から疾走してきたカイルの姿を認め、反射的に避けようとした結果だ。
が、それはカイルも同じ。妹の姿を見て、やはり衝突を避けようと身を躱し――その方向は、ソノラの修正したのと同じ向き。
となれば、結果は見えている。
どん、と鈍い音。
体勢を崩してぐらついたカイルに跳ね飛ばされて、ソノラは背中から地面に落っこちたのだった。
「ぷ!」
そこに滑り込んだプニムがいなければ、効果音が“ぽよん”ではなくて“どさり”に変わっていたことだったろう。
「あいったー! アニキ危ないじゃない何してんのよ!?」
そうして、起き上がるや否や、ソノラは兄に向かって盛大にぶーたれた。
「悪ぃ、急いでたんだ。おまえこそ――ってそうか、学校見てきたんだな?」
「へ? そうだけど?」
なんでアニキがそこまで判るの?
問おうとして、カイルの手を借りて起き上がったソノラの目に、バツの悪そうな顔で佇んでるナップとアリーゼの姿が見えた。
「あー! あんたたち!!」
飛び上がって叫んだ声に、ふたりはびくりと肩を震わせる。
そんなことにはお構いなしで、ソノラはナップたちに詰め寄った。
「何やってたのよあんたたち!? 学校何があったわけ!? ……っていうかはどうしたのよ、逢わなかったの!?」
最後の問いの直前に、慌てて周囲を見渡してみたが、ナップたちを追いかけていった赤い髪の少女の姿はなかった。
怒涛の問いにふたりはしどもどとしていたが、に関する最後のそれにだけは、即座に顔を見合わせて首を横に振る。
「……し、知らない」
「私たち……逢ったのはカイルさんだけです」
うわあ。
今度はが行方不明かあ。
ソノラ、思わず額を押さえて天を仰いだ。
もっとも、彼女の場合は子供たちと違って、はぐれに遭遇した場合の不安がない。その点で、心配の度合いはかなり軽くなる。
軽くはなるはずなのに――なんだろう、この、すっごく嫌な予感は。
ほんの少し動悸を増した心臓に当てようとした手は、だけど、カイルの手によって阻まれた。がしっ、と擬音のつきそうな勢いで、兄が妹の腕をつかんだのだ。
「ア、アニキ!?」
「船に戻るぞ。先生たちが戻ってるかもしれねえし、安全も確かめなきゃならねえ!」
云うや否や、カイルは再び走り出した。
「え、ええ!?」
安全て何よ、船の!?
右手にナップ、その後ろにアリーゼが繋がり、左手に、叫ぶソノラを引っ張って。プニムは一行が走り出すと同時、ぽん、と慣れた様子でソノラの帽子の上に乗車する。
「ちょ、アニキ、何があったのよ!?」
カイルが全力疾走すると、ソノラたちは半ば引きずられるも同然だ。何度も体勢を崩しそうになるが、つかまれたままの腕がかろうじてそれを防いだ。
だが、不安定な姿勢で走ることを強要されて、ソノラたちの息はみるみるうちに切れ切れになる。
それに気づいてないわけではなかろうに、カイルの走るスピードは一向に落ちなかった。つまり、配慮を置き去りにするほどの大事が動いてるということなのだろうが――
「――だ」
「は?」
絶え絶えになりながら発した問いに、カイルは前を見たままそう云った。
けれど、耳を横切る風の音に遮られ、ソノラに届いたのはことばの後半のみ。
反射的に聞き返した彼女の声に、今度こそは、大きな兄の声が届く。
「帝国軍が、森の周辺でうろついてやがったんだよ……!」
事態ごろごろ急転直下。
何故かふたりだけで船に戻ってきたレックスとアティを落ち着かせ、事情を聞きだそうとしたところに疾走してきたカイルとソノラ、それにナップとアリーゼ、おまけでプニムを出迎えたヤードの感想はそれだった。
いや、他に何を考えろというのだろう。
見守る彼の目の前では、別口で帰還してきた二組が、それはもう喧々轟々の有り様で事情を叫びあっているのだ。
さすがに、これに口を挟む度胸はなかった。
「……なんだってのかしら」
隣で疲れたため息をつくスカーレルに、この上もなく同意。
「まあ、カイルさんのほうは判り易いですけどね」
「そうね。ナップとアリーゼの分を差し引けばね」
ソノラに叫んだそのとおり、気晴らしに散策に出かけたカイルは森の周辺に帝国軍の姿を見つけ、万一船に向かわれていては大変だと、急ぎ戻ってきたのだということ。
それだけなら、スカーレルの云うとおり、単純なのだ。
ところが、その途中でナップとアリーゼに遭遇したところから、別口帰還組の事情と絡まり始め、てんやわんやという次第。
その別口帰還組――レックスとアティなのだが、ソノラやが推測したことは半分ほど当たっていた。
つまり、青空学校イズ崩壊。
巷でいう学級崩壊というやつだ。どこの巷かは考えるな。
わりとスムーズに開始された授業に、ナップをはじめとするマルティーニ兄弟は、素直に真面目に取り組んでたらしい。
けれど、学校初体験のスバルとパナシェはそうはいかない。
すぐにふたりで騒ぎ始め、それを止めるために手を割かれたレックスとアティは、ナップたちから質問があってもまともに答えてやれやしない。かなり苛々がつのってきたのだろうと思われるころ、マルルゥが乱入、騒動がピークに達したのと同時、ナップたちのそれも頂点に到達してしまった。
いい加減にしろ! との叫びを最後に、ナップが、おろおろと泣き出しそうだったアリーゼを引っ張って駆け出した。ウィルとベルフラウは、それから一拍遅れたらしい。兄に触発されたか、単にタイミングが同じだっただけか。立ち上がった双子はやはり、怒りに任せてレックスたちを怒鳴ると、青空学校をあとにしたんだそうだ。
――で、走っていったナップとアリーゼはやソノラとすれ違い、がむしゃらに走りつづけてた先で、戻ってくるカイルと遭遇してしまったとのこと。
そうしてさすがはカイル、たちのように呆然としたりはせず、逃げ出そうとしたナップたちを捕獲。ざっと事情を聞いたあと帝国軍の動きを告げて、こう云った。
「学校を放り出すのは勝手だがな、てんでばらばらのあとふたりの安全はたしかめないといけねえだろうが!」
これにはナップたちも反論できず、手をひかれて戻る途中――今度は、ソノラにぶつかってしまったというわけだ。
一方レックスとアティはというと、これは当然のように子供たちを追いかけたわけだが、突然の出来事に自失してた分もあって、追いつくことは出来なかったんだそう。
ひとまずスバルとパナシェを帰し、ナップたち四人が船に戻ったかどうかを確かめるためにこちらに足を向け……あとは、見てのとおり。
――ひとしきり事情の叫び合いが終わったあと、その場で誰よりも冷静なのはスカーレルだった。
「オッケー、事情はこれで全部ね。なら急ぎましょう」
「……え?」
ぜえはあ、と、息を荒げたレックスが、前触れさえない彼のことばに、きょとんと目をまたたかせる。
が、その表情はすぐ消えた。
「あ――――、そうか、急がないと!!」
「ウィルくんと、ベルフラウちゃん……!」
「もだよ!!」
「ぷーっ!!」
この場にいない人物の名が、口々に挙げられる。
だが、そのまま身体を反転させて走り出そうとしたレックスのマフラーは、咄嗟に伸ばされたスカーレルの手のひらによって捕獲された。
「うげっ!?」
カエルの潰れたような声を出して、レックスがその場にしゃがみこむ。
そのときにはとっくに手を放していたスカーレルが、呆れたように云った。
「あのねえ、センセ。後先はちゃんと考えてね。捜索の手はずも決めずに飛び出しちゃ、さっきのアナタたちの二の舞でしょ」
「でも、早くしないとみんなが……!」
「いいから、落・ち・着・き・な・さ・い!! ――ほら、ヤード!」
名を呼ばれ、ヤードはやっと、騒然としたその場で発言する機会を得た。……別に、伺っていたわけではないが。
「では、レックスさんとアティさんは、まずスバルくんたちがきちんと集落まで帰ったか確認しに行ってください。貴方たちの場合、捜索はそれからです」
「あ!」
やっぱりね、とスカーレルが嘆息を零す。
ナップたちのことに気をとられて、スバルやパナシェをきちんと集落まで送っていなかったのだ。仕方のないことだとは思うが、子供を預かっている身としては配慮が足りないと云わざるを得ない。
指摘されたレックスとアティは顔を見合わせ、今度こそとばかりに走り出した。
今度は、スカーレルの制止もかからない。
代わりに、
「一時間探しても見つからなかったら、戻ってくるのよ!」
くれぐれも、帝国軍に見つからないように!
そう叫んだスカーレルは、応えるように突き上げられたレックスの拳を確認すると、ひとつ頷いてこちら側の一行に向き直った。
「アタシたちはこのまま探しに出ましょう。万が一あの子たちが自分で戻ってきたときのために、誰か残っていてほしいんだけど……」
ちらり、と目を向けられたのは、ナップとアリーゼだ。
さもあらん、はぐれは出るは帝国軍は出るはの探索行に、幼い彼らを同行させられるわけがない。
が、今日ばかりはそういうわけにもいかないらしい。
「いやだ! オレも行く!!」
とナップが叫べば、
「わ……わたし、私たちだけここでじっとして待ってるなんてこと、出来ませんっ!」
引っ込み思案をかなぐり捨てて、アリーゼが懇願する。
そうしてスカーレルも、兄弟を案じる彼らの気持ちを無下にするつもりはないようだった。
ちらり、視線が一行を巡る。
「冗談じゃねえぞ、じっとしてられるかよ」
「そうだそうだー!」
「ぷいぷーっ!!」
とたんに上がるブーイング。
「……ヤード?」
「私も探しに行きますよ」
一巡してやってきた幼馴染みのことばに、しれっ、とヤードも返答した。
そういうスカーレル自身が残るという選択肢もあるのだが、当人の頭では最初から除外されているらしい。
だが、どうあっても最低一名は船に残さなければならない。
船長の強制決定権を使うべきか否か、カイルが迷った――かどうかは、定かではない。
なんとなれば、ちょうどそのとき、一行の耳にのんきな声が響いたからだ。
「にゃはっは〜? こんにちはぁ、暇だったから遊びに来たんだけどぉ――」
なんだかバタバタねえ、何があったのぉ?
ほんのり赤い頬。赤い服。
お団子にまとめた髪から突き出した、何かの物体。
左手にぶら下げた、“清酒・龍殺し”。
彼女の存在に気づいた瞬間こそ、一同の気持ちがひとつにまとまったときだった。
「「「下僕――――――――!!!!」」」
「にゃにいいぃぃぃぃ!?」
ビシィと突き出された六本の腕、プラス腕モドキの耳。そして響いた六人分の絶叫唱和に、さしもの酔いどれさんも、そのときばかりは身の危険を感じたのだとか。
……そうして、あっという間に船は静かになった。
「にゃふ」
お日様さんさんと照りつける砂浜でも、船の陰になった部分は涼しい。森がよく見えるその一角に陣取って、メイメイさんはご機嫌そうに、その場に山と積まれた酒でよろしくやっていた。
「うぅん、しあわせ♪」
それにしても、みんな太っ腹だわぁ。
両手を使っても数え切れぬ、酒瓶の山。これらは全部、メイメイさんに船の留守番を押し付けて走っていった彼らが、駄賃にと出して行ったものである。
「えーっと、帰ってきたら船から動かないように云えばいいのよねぇ……誰にだっけぇ?」
にゃははははははっ、わっかんなくなっちゃったぁ〜♪
ぷはあ、と酒臭い息を吐き出して、メイメイさんは豪快に笑う。
「ここ来たみんなに云っちゃえばいいわよね、うん。ををっ、ハズレナシだわよお客さん! オトクオトク!!」
……ハイテンション、極まれり。
にゃははははははは、と、ひとしきり笑ったメイメイさんは、直後「ん?」と首を傾げた。
がさがさ、と、茂みをかき分ける音がしたのだ。
「んんん〜? あれはぁ……」
ごつごつとした鱗、でっかい体躯。……エラ。水かき。
ぷるんとした身体、そのなかに浮かぶ目玉。……ゼリー状物体。
何やらいつもと違う、のんきでひ弱そうな人間がいるぞ、とばかりにやってきた、サハギンとブルージェルご一行様。総勢、十数匹ほど。
物騒な雰囲気のはぐれたちを目の前にしても、メイメイさんのご機嫌は揺るがない。
「ん〜、あれはちょっと違うわよねえ」
もしもしキミたちぃ? メイメイさんはぁ、別の彼と待ち合わせしてるの。デートのお誘いならお断りよ〜?
そんな、ふざけまくった人語を果たして解したのかどうか。
数匹のサハギンが、武器を構えて前に出た。じりっ、と、ブルージェルもつづく。
「……ありゃりゃ」
友好的解決は、無理みたいねえ。
端っからやる気なかっただろうが、というツッコミを出来る人間は、生憎その場にはいなかった。
「しょうがないなぁもう、メイメイさんてばモテモテで困っちゃうわぁ」
なんて云いながら、メイメイさんは立ち上がる。
顔が真っ赤になるほど酒を浴びていながらなお、その足はしっかりと砂浜を踏みしめていた。……ちょっぴり、ほんのちょっぴりぐらついているのはご愛嬌。
そんなもの吹き飛ばす何かが、そのときのメイメイさんにはあったのだ。
「にゃはははは〜、腕がなまってることを祈りなさいねぇ?」
空になった酒瓶をぶんぶんと振り回し、メイメイさんは、それを高く空中に放り投げる。
それに、サハギンたちの目が奪われた一瞬。
「おいでなさいな我が眷属、荒ぶる龍よ!」
――――凛とした声が、迸る光のなかに響き渡り――