レックスたちのことがうまく行くように祈りつつラトリクスに向かったは、
「患者はまだ昏睡しています」
と、にべもないクノンの返答で、すごすごと引き下がる結果になった。
そりゃ、一日やそこらで回復するとは思っちゃいなかったから、落胆したというわけではないけど。ちょっとだけ期待はしてたから、うん、少しだけ残念。
眠りつづけてるというイスラの様子を部屋の外からちらっと見させてもらって、はラトリクスをあとにした。
スカーレルとヤードに付き合おうかとも思ったけれど、船の設計は真面目な話だろうし専門外だ。それに、
「そういえば、。先日キュウマに逢ったのだけど、どうも貴方に用事があるみたいだったわよ」
そうアルディラが教えてくれたので、ならばとばかりに足を向けたは風雷の郷。リィンバウムを囲む四界のひとつ、シルターンの民が住まう集落である。
入り口をくぐって数歩も行かないうちに、横手から元気な声がした。
「あ! 先生! ……じゃない?」
鬼の御殿の方角から走ってきたのは、ぴんとはねた髪の少年。――一度逢っただけだが覚えている、たしかスバルと名乗ってた鬼の子だ。
「残念でした、はずれ」
笑いながら立ち止まると、スバルのほうもこちらを覚えててくれたらしい。もう一度「あ!」と云って、の目の前まで走ってきた。
「えっと、だよな? こないだ、先生たちと一緒にユクレス村に来た」
「そうそう。覚えててくれたんだ、こんにちは」
「うん、こんにちは!」
軽く頭を下げると、両手をばっと上げて元気な挨拶が返ってくる。
マルルゥ曰くの“ヤンチャさん”って呼称がぴったりな様子に、思わず頬がほころんだ。
「どこか遊びに行くの?」
「パナシェんとこ! もいっしょに行く?」
くりっとした目の真っ白い“ワンワンさん”の顔を思い出して頷きそうになったのは、秘密。
「ごめんね、今日はちょっとキュウマさんに用事があるんだ。なんか探してたって聞いたから」
「あ」
そういや、キュウマそんなこと云ってたっけ。
手のひらを打ち合わせたスバルが、それじゃあとばかりに今自分の走ってきた方向――鬼の御殿を指さした。
「じゃあ、また今度遊ぼうな。キュウマなら、まだ、おいらんちにいると思う」
いなかったら、鎮守の社あたり探してみるといいよ。修行してても、呼んだら出てくると思う。
となると、この子はミスミ様のお子さんなんだろうか。いくらなんでも弟や孫と思うには、外見年齢に無理がありすぎる気がするし。……そしたらお父さんは誰だろう。キュウマさん? いやまさか。こないだ見た、ミスミ様に対するキュウマさんの態度は、あくまで主従としての線引きを崩してないし。
一瞬のうちに湧き出た思考を、は無理矢理そこで打ち切った。気になるならミスミなりキュウマなりに尋ねればよいこと、今は返事を待っているスバルに応えるのが先決だ。
「うん、ありがとう」
「アティ先生は落っこちたけど、は得意そうだもんな! 蓮飛び、おいらと競争しようぜ!」
云うなり走り出した小さな背中を見送って、そういえば、昨日、船に戻ってきたアティの髪がどことなく湿ってたのはこれのせいだったか、と思い出し。
――同じ目に遭ってたまるか、と、要らん対抗心を燃やす誰かさんがそこに残ったのだった。
「おや、殿」
誰かさんの背後に燃える炎が見えたわけでもあるまいに、絶妙のタイミングで探し人がやってきた。
……手にマタタビ、
「ちょうどよかった、これを今からお届けしよ――」
もといイグサ製の敷物をさげて。
「――――うと……!?」
“しようと”まではなんとか口に出来たキュウマだったが、さしもの彼も“していたところだったんですよ”まで形にすることは出来なかった。
声に振り返った誰かさんが、音速突っ切りそうな勢いで、キュウマの持つ敷物の前に移動したからだ。シノビたるキュウマが視認出来ないほどの勢い、過去においても未来においても、そんな人物にはもうお目にかかれまい。……特定の品物がからんだときだけだろうが。
敷物の前にしゃがみこんだが、じ――――っと敷物を凝視する。みるみるうちに、その双眸が潤み始めた。
そんなに懐かしいのか。嬉しいのか。
この郷には彼女の故郷を思い出させるものが多いという、なればこそ納得も出来るとは思うが、そも女性の涙というものは苦手な彼だ。慰めのことばが思いつくわけもなく、ただ黙ってを見下ろした。
そうして、がキュウマを見上げる。
「……あの、もしかして、これ」
感涙寸前とばかりにふるふる震えた問いかけに、キュウマは、動揺が表に出ぬよう苦心しつつ頷いた。
「さすがに、畳を差し上げるわけにはいきませんから。小物で申し訳ありませんが、こんなものでよろしければお使いください」
「こんなものって、そんな!」
敷物を差し出すと、はやっぱり震える手でそれを受け取った。丸めて紐で縛ったままのそれを、ぎゅうと抱きしめて頬ずり。それから鼻をよせて、くん、とにおいを楽しむ仕草。
――――そうして。
「うわあ……――――」
胸一杯にイグサの香りを吸い込んで、彼女は、これ以上ないであろう至福の表情を浮かべてみせた。
許されるならそのままとろけてしまいそうな、そんな幸福を味わう少女の表情に、キュウマはあわてて視線を明後日に向ける。すぐ、これでは失礼かと目を戻すと、も、しあわせそうに微笑んだままキュウマへ向き直っていた。
「――ありがとうございます、本当にうれしいです……!」
告げられる礼は、心からの好意。そして親愛。……真っ白な、信頼。
無用心ではありませんか、そう注意しようとした口は動かなかった。たかが敷物ひとつを貰ったくらいで、こんなにあけすけに笑いかけるのは用心が足りないのでは、それだけのことが何故か云えなかった。
――気づく。
同郷の者以外で――あの人懐こい妖精を除いて――こんな笑顔を見せてくれる外の者は、もうどれくらいとも目にしていなかったということに。
「いえ……」
シノビには不要であるはずの、じんわりとした何かに突き動かされるようにして、キュウマも笑んだ。
「そうまで喜んでいただけるならば、腕を揮った甲斐もあります」
「うわ!? これ、キュウマさんの手作りですか!?」
思わずこぼした一言を耳ざとくとらえ、が目を丸くする。
そんなに自分が手先の仕事をやるのは変だろうか、と自問する間もなく、
「あーでもそう云われるとなんとなく。キュウマさん、シノビってだけあって器用そうですよね」
敷物と彼を交互に眺め、こくこく彼女はうなずいた。
実は、先日ののよろこびっぷりをいたく気に入った鬼姫が手ずから織ろうとしたのを、あわてて止めたりした経緯があるのだが。まあ、それは説明するようなことでもなし。
「郷にあるものは、使い古しばかりですからね。差し上げるのに、それでは失礼かと思いまして」
「いえ、使い古しも味がありますよ、全然失礼じゃないです。でもお手間かけてくださって、本当にありがとうございます」
よいしょ、と敷物を抱えなおしてが笑う。
やっと、てらいなくその笑顔に対峙出来るようになったキュウマもまた、応えるようにして口の端を持ち上げた。それから、さすがに謝礼の嵐を浴びるのも気恥ずかしくなってきたので、ちょっと話題転換を試みる。
「気になっていたことがあるのですが」
立ち話もなんですから、と、入り口近くの井戸前広場に誘ってみると、は素直についてきた。
「殿は、最初からシノビのことをご存知でしたね」
たしかそれは、シルターンの知人がいるから、と。
「はい。えーとですね、現役シノビにお蕎麦屋さん、巫女さんにサムライ……」
彼女が指折り数えるそれを聞き、キュウマは僅かながら驚嘆する。
「そんなに大勢が、貴女の周囲には召喚されてきているのですか?」
「あ、違いますよ。なんかいろいろあってですね、友達の友達、知人、そのまた顔見知りって感じで知り合ってったんです」
それはそれで、またすごい話だ。
経緯を訊いてみたい、と、普段控えめな彼にしては珍しくそう思ったが、今問いたいのは別のことである。故に、キュウマはそれを優先した。
「それでは、つかぬことをお訊きしますが」
「はい」
「殿ご自身は、シノビとしての訓練を受けられたことがありますか?」
「え? いえ、そういう経験はないですけど」
「……そうですか」
いつぞや、刺青の男と戦っていた彼女を思い出す。人間の剣技にそう詳しいわけではないが、最初の数撃に対して行ったの剣さばきは、むしろ自分たちが小太刀を用いて戦うそれとよく似ていた。
それがなんとなく引っかかって、今、問うてみたわけなのだけれど。
奇妙な一致もあるものだ、と考え込むキュウマの内心を読んだわけでもなかろうが、「でも」とはことばをつづける。
「苦無とか小太刀借りて使ったことくらいなら、ちょっとだけ」
あれって、なかなかこっちの剣と勝手が違う部分があって扱いに苦労しますよね。
同意を求めるそのことばに得心し、だが、キュウマは別の意味でうなずいた。
「そうですね……私たちにとっては、逆にこの世界の剣こそが手に馴染まないでしょうが」
「キュウマさん、こっちの剣使ったことあるんですか?」
「いいえ、自分で振るったことはありません。放置されていったままの剣を、手にとってみたくらいですよ」
刃渡りの長さ、剣の身ごろ。当然だが、どれをとっても普段自分たちが用いる武具とは異なっている。
隠行、暗殺の妨げにならぬよう軽量化と鋭利さを追及されたシノビの武器とは対照的に、装飾こそが主目的ではないかと思われるような剣、斬るというよりは叩きのめすのが目的のような幅広の大剣――
そんなキュウマの目は、いつの間にか、の腰にさがっている一本の剣に固定されていた。
……襲撃のあったあの夜、闇のなかで白く輝いていた剣。
月明かりを反射していたのでないことは、明らかだ。木々に覆われた森のなかで、そんなことはまずないのだから。
となれば、その剣は自ら光を発していたという結論しか見出しえない。
そうして彼は、そのような剣を生涯において二本しか目にしたことがない――――
「ん?」
キュウマの視線を追いかけたが、首を傾げて己の剣に手を触れた。
「これ、どうかしましたか?」
「あ――いいえ。珍しい剣だと思いまして」
「……ですよねえ」
特に動揺もなく、さりとて何かを隠すような素振りもなく、はしみじみと頷いてみせた。
「自分で発光する剣なんて、あんたもう何様って感じですよね」
でも信じてください、あたしこれに何か仕掛けとかしたわけじゃないんですよ。最初からこうだったんです。
心なし必死に云いつのり、少女は剣を抜いてみせた。
とたん零れる、ましろきひかり。
陽光の反射だけではない、やはり、その剣は自らの刃から純白の光を零して輝いている。
「……」
どう見ても、それはキュウマの知るあの剣ではない。だが、ほんの僅かだけれども類似性を感じる――それは自分が無理矢理こじつけたがっているのか、本当にそうなのか。今の彼は考えることもなく、故に思うのだ。
この剣ならば、もしや鍵と成り得るか、と。
だがそう思った矢先、
「なんか最近、妙な剣ばっかりに縁があるんですよね」
そんな衝撃的な発言が、当の少女からなされたのである。
「――え……?」
期待か。
祈りか。
強すぎる衝動を抑えこもうとして、逆に無表情になってしまったキュウマを見やることもなく。は、手にした剣をもてあそびながら苦笑していた。
「それは……どのような……?」
問いに対する少女の答えは、
「あ……と、いやその。機会があれば見れるかと思います。なんていうか結構綺麗な色で、あたしのよりずっと変な剣ですよ。ヤな曰くもついてますけど」
キュウマの確信を、さらにさらに深めてくれるものだったことに、当のだけが気づいていなかったのである。