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【girl meets boy】

- 探し物はキツネさん -



 ざわざわざわ。
 わいわい、わいわい。
 がやがやがやがや……
 場末特有の喧騒やタバコの煙、アルコール臭。
 そんな、少し陰にこもった、表向きだけは賑やかな酒場。
 そここそがフォックスハウンドなる男がいるという、 の目的地だった。
 時代はともかくとして、とりあえず知った地に帰りたい。そんな気持ちから、 はとりあえず当初の予定どおり、聖王都を目指してみることにしたのである。

 木戸を押し開けた瞬間、むわっとした匂いが鼻孔を刺激した。
 酒のにおい、タバコのにおい、また、海で働く男達独特の潮くささ。
 職業柄だろうか、アグラバインやエドスを思わせる、実に見事な筋肉の兄貴たちが数人、ご機嫌そうに酒を飲んでいた。
 カウンターの奥でシェイカーを振っていたマスターが、おや、といった顔で たちを見る。
「お嬢さん、ここは貴女みたいな人が来る場所ではありませんよ」
「おーお、どうしたんだい? 道に迷ったかい?」
「だめじゃないか兄ちゃん、ちゃんと面倒見てやらなきゃ」
 がっはははははは!
 ちょっぴり揶揄の混じったことばに、豪快な笑い声。
 だけど、ちっとも悪意は見当たらない。
 ちなみに、兄ちゃんとは後ろにいるイスラのこと。聖王都に行く船を用立ててもらうんだ、といったら、何を思ったか についてきたのである。
 待ち合わせをしてるんだけど合流が明日だから、今日は暇なんだ、とは彼のいい分。
 どこまで信じていいのか判らないが、あのすさまじい発作を見たあとでは、あれ以上走って逃げる気もしなかった。
 それに、大事な待ち合わせらしいから、さすがにそれを蹴ろうとまではしないだろう。
 ……一日だけ、一日だけ。
 そんなことを呪文のように唱えながら、は、本日のみはこの時代の人と一緒に行動することを心に決めたのである。決してボロは出さないようにしようと、かたく誓いつつ。
 閑話休題。
 男たちの声に、は、首を横に振る。
「いえ、こちらに用があるんです」
 フォックスハウンドさんという方が、こちらにいらっしゃると聞いたんですが。
 とたん。
 男たちのざわめきが、ひたりと止まった。
 予想もしてない名前を出された、そんな印象を受ける。
 しばしの沈黙ののち。男のひとりがジョッキを置いて、身体ごと たちに向き直った。
 酒場にいる数人のなかでも一番、筋骨隆々とした男だ。
「姉ちゃん、キツネを捜してるのかい?」
 野太い声は、けれど、粗暴というよりも闊達。
 にやりと持ち上げられた口元も、豪快さを感じさせる。
 ただ――男の目は笑っていなかった。
「キツネ、ですか」
 それに呑まれたわけではないけれど、は、男のことばを繰り返してつぶやいてみる。
「おう。軍の関係者……ってわけでもなさそうだな?」
「…………」
 後ろで、イスラが何か云いたそうな気配。
 何を云いたいのか判らないが、とりあえず黙っててくれ、と、軽く肘鉄して、 は視線を男に固定した。
「違います。あたしは民間人です」
 妙な力があるけど、それさえ出さなければ、 の身分はしっかりかっちり民間人だ。“元軍人”と熨斗がつくが。
「ますます判らねえな。その民間人の姉ちゃんが、キツネに何の用があるってんだい?」
「……キツネさんというのは、軍や民間に煙たがられてるんですか?」
「ノーコメントだ」
 とりあえず、用ってのを云いな。それ次第で、対応を考えてやろうじゃねえか。
「――――」
 虎の威を借るなんとやら、が、はあんまり好きではない。
 が、どうにも、目の前の男にはとっつく隙がない。
 しょうがないな、とため息ついて、はまず、用件を口にする。
「聖王都に行く船を捜しています」
「ふむふむ、なるほど。表向きにゃあ出ない航路だな。そんじゃ、どこでキツネのことを聞いたんだい?」
 次に、切り札。
「カイルさんたちからです。……海賊カイル一家の」
 ガッタン。
 テーブルに片肘ついていた、男の腕が大きくずれた。
 衝撃で揺れたテーブルの上、ジョッキがごろんと倒れるが、空っぽだったらしい。空しくそのまま転がって、床に音高く落ち、転がっていく。
 そうして。
 銅鑼のような声が、酒場に響き渡る。
 しかも多重音声。
「カイルの小僧だぁ!?」
「はい」
「いるのか!? あいつ今、この街に!?」
「用事があるからって別れてそれきりです、出港したかどうかは判りません」
「どこに行くとかは!?」
「聞いてません。あたしは、ちょっと縁があって前の街からここまで乗せてもらっただけでしたから」
「姉ちゃんいい腰してるな!?」
「お触りはご遠慮ください」
 わらわらわら。
 席を蹴り立って集まってくる男たちに、はひとつひとつ返していく。
 迫り来る巨漢に驚いたか、イスラが少し後ずさっていた。
 そんなの背を、ばっしん! と、大きな手のひらが叩く。
 思わずよろめいたものの、なんとか耐え、叩いた人物に目を向ける。
「なんだよ、それなら早く名前を出しゃよかったじゃねぇか」
 最初に口を開いた一番大柄な男が、くしゃっと顔を崩して立っていた。
 苦笑いして、は頭をかいてみせた。
「最初はそのつもりだったんですけど、自分だけでどこまで出来るかなって思っちゃって」
 結局、めんどくさくなって名前に頼っちゃったんですけどね。
「なに云ってんだよ、こんな若いっつーのに。いいかい姉ちゃん? 使えるもんは使っとくのが、正しい人間の生き方だぜ?」
「カイルたちの知り合いなら、遠慮はいらねえや! どうだい姉ちゃん、そこの兄ちゃんも一杯やってかないかい?」
「おおっ! おごりですか!?」
「ははははは、ちゃっかりしてんなぁ。よっし! おじさんに任せときな!」
「え? えっ……ちょっと、!?」
 そこで初めて。
 事態を傍観していたイスラが、あわてたように割って入る。
 元々、船の手配をしてくれる人を捜すという目的のために、 はここを訪れたのだ。
 こんなバカ騒ぎなど、イスラにとっては予定外だ。それは も同じなのだが、
「船の手配を頼むだけじゃなかったの?」
「イスラさん。世界にはその場のノリっていう、何より優先すべきものがあるんです」
 と、にっこり笑顔でのたまってみる始末。
 だが。
「ノ……ノリ……って……」
 そんな、無茶苦茶な。
 ちょっぴり血の気の引いた彼を見て、あ、と我に返る。
 すでにカウンターに追加注文をしようとしていた巨漢の腕を、むんず、と両手で掴んだ。
「待って待って、待ってください!」
「んあ? なんだい?」
「この人病弱なんです! ヘタにお酒飲ませたら、命にかかわるかも!」
 っていうか、もうあたし、吐血の後始末するのはごめんです!!
「……いや……えっと…………単にさっきのは、予定外の発作だっただけで、本当は一応健康体なんだけど……」
 必死にわめく後ろから、なにやらぶつぶつ聞こえるが、さらりと無視。
 そうして男はを見て、イスラを見て、
「なんだぁ兄ちゃん? いかんぞ、男は女を守るもんだ」
 逆に守られてどうするんだ。もっと鍛えんと、面目丸つぶれだぞ?
 そう諭すように云う彼と、そして周囲の男たちにはしらけたような空気はない。
 助かった。
 ここでご機嫌損ねたりなんかしたら、もう切り札も使用不可の状態で、手も足も出なくなるところだった。
 安堵の息をつくの後ろ、イスラがぽつりとつぶやいた。
「……守る……僕が?」
「そうそう」
 病弱、と称された彼を気遣ってか、男の一人が、ぽん、と軽く背中を叩いた。
「男は女を守るもんだ。特に、惚れた女ならなおさらな」
「いやいやいやいや、ちょいとおじさん。そういう関係じゃないですから、あたしら」
 ほんの数十分前、叫んで吐血した間柄ってだけですから。
 はっはっは。
 ちょっぴり必死に誤解を解こうとするの頭上から、再び豪快な笑い声。
「惚れたはれたじゃなくてもな、男と女が逆でもそれは変わらねえんだよ?」
「……あ、それなら判ります」
「おっ、そうか? 偉いぞ、姉ちゃん」
 うりうり。
 撫でるというよりは、髪をひっかきまわす豪快な仕草。
 髪が酒くさくなる、とか潮のにおいが伝染る、とか、そういうのはおいといて。
 ああやっぱり、あたし、頭撫でてもらうの好きだなあ、と。
 思ったを、男はひょいっと抱え上げた。
「え?」
 すとん、と、椅子に座らされる。
?」
 唐突な男の行動を不審に思ったか、イスラがそこに駆けてきた。
 椅子に座ったの前、つまり男との間に入り込むような位置に立つ。
 それを見て、男は満足そうに、また笑う。
「そうそう。それでいい」
 くるり、男は身を翻した。
「おじさん?」
「何を……?」
 疑問符まぶしたふたりの声に、男はひらひら手を振った。
 軽く腕まくりなどしてみせて、パフォーマンスか力こぶ。
「ま、一杯はともかくとしても少し待ってな。すぐに船の手配をしてやっからよ」
「…………あ。ありがとうございます」
 力こぶの出来た左腕。袖のまくられた左腕。
 が両腕でやっと抱え込めそうなその腕には、キツネを模した刺青が、色鮮やかに彫られていた。

 ……最初から名乗ってくれればいいのにさ。もう。


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