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【先生と生徒】

- 話をしておいで -



 ――視界の端に、黒い影。
「!」
 真っ直ぐに突き出された、気迫はともかく速さも狙いも甘い拳を、は片手で受け止める。
 パァン、と、高めの音が室内に響いた。
「ッ!」
 拳を突き出した体勢のまま、ナップが硬直する。けどそれも一瞬、すぐに腕を戻して後ずさる。もともと一、二歩しか距離のなかった扉に、少年の背は鈍い音をたててぶつかった。
 そんな兄を迎える形になったウィルは、けれどナップではなくを見る。いや、睨みつけている。
「あなたも――――」
 僕たちのことなんか、どうでもいいんですね。
 後半は音としての響きを持たなくても、口の動きでそれと読み取って。は、首を横に振る。
 さて、ここがちょいと正念場。
 突っついたら泣き出しそうな顔してる少年ふたりを目の前に、少女ふたりがいなかったことを感謝して、どうにかばっさりやらなければ。
 ……ことばって難しいね、バルレル。
 いつかは、彼に殆ど頼ってばっかりだった。ちょっと自省。
 自身で解決すること、己がこれと思う方向に誰かの目を向かせること、頭のなかで組み立てるのは簡単なのに、実行に移そうとすると、うまくいくのか不安になる。

 でもね。
 やっぱり、ナップくんたちは、レックスとアティに向かい合わなきゃ何も始まらないんだと思うよ。

 もちろんレックスたちにも同じことが云えるわけだが、体当たりの勢いは子供たちのほうがあるはずだ。
 集落のみんなと仲良くなるのは本当によいことだけれど、足元を――そっぽ向いてるその子たちが、実は手をつなぐ機会うかがってることに、ちゃんと気づいてあげなくちゃ。

 ……うん。まあ。そのために。
 こないだつい情を出した散歩のせいで、天秤を傾かせちゃったんなら。
 傾かせた本人がちゃんと元に戻すのが、世の理ってもんだろうし。

 あーもう、顔面がひきつるったらありゃしない。
 心中でひとりごちて、は口を開いた。
「どうでもいいなんて云ってないよ」
「でも! 稽古やめて見舞いに行くんだろ!?」
「うん」
 叫びには――冷静に、冷静に。
「でも、イスラさんが目を覚まして大丈夫だなって思ったら、またやるつもりだよ。ナップくんたちがいいって云えばだけど」
「そんなの、あんたの事情じゃないか……!」
 自分勝手だ、と叫んでる。
 まなざしで、ことばで、全身で。
 ……それを挫け。
「……?」
 固唾を飲んで見守っていたソノラとプニムが、首を傾げる気配。
 眼前のナップとウィルが、擬音つきで固まった。
 不意に笑った、を見て。
「嬉しいなあ」
「何がです」
「あたしとやる稽古、そんなに好きだったんだ?」
 にんまりと、にこにこと。これは楽。
 好意しかないように思わせようったって、この事実には本当に嬉しいとしか思ってないから、本音そのまま。
 「う」と子供たちは口ごもる。
 なにしろ、今夜の訪問自体、如実にそれを表してたから――本人たちがそれと意図してなかったとはいえ。
 それをことばにして指摘され、気づき、彼らは虚を突かれてしまったのだった。そうして、子供たちの怒りでそこはかとなし張り詰めてた空気が、やんわりと揺らいだ。
 さて追い打ち。
 やれいけそれいけ、あと一押しだ。
「あたしが出かけるからってレックスさんとアティさんに正規の授業をお願いしに行くんじゃなくて、わざわざ引き止めに来てくれるくらい、あたしとの稽古好きになっててくれたんだね」
「……あ。」
 つり目気味だったり眠そうだったりだけど、もともと丸っこい印象のある目を、さらにまん丸くして。
 ナップとウィルは、指さされてたその方向に気づいてくれたらしい。
 顔を見合わせ――――
「だって……あいつら、いつも集落集落ってばっかりで。オレたちの授業そっちのけで」
「……だから、さんたちにお願いしてて……」
 双方ともに了解済みの事情を口にするうちに、それもひとつの自分勝手なのだと気づいたらしい。ふたりの声が、語尾に近づくにつれだんだんと小さくなっていく。
 バルレルが同行してたらさらに追い込んでいぢめそうだが、生憎にそんな趣味はない。
「「…………」」
 黙ってしまった兄弟を前に、ただ黙って見守った。
 ……待つ時間は、ほんの数分もかからず。
 ナップとウィルは、実に渋々といった素振りで顔を見合わせアイコンタクト。そしてを振り返る。
「…………判りました。あのひとたちに、きちんと授業をするよう話してみます」
 そう。
 彼らはそれをせずに、との稽古を始めたのだ。
 いわば、彼らにとってひとつの逃げ場だったといえるかもしれない。
 が、本日をもってそれがなくなった。となれば、軍学校に行くという当初の目的を達成するには、正式に家庭教師として雇われたレックスたちに目を向けるしかないわけで。
 ……軍学校に行くって目的を放棄されるんだったら、手も足も出なかったけどね。
 思いつつ、ほっ、と胸をなでおろす。
 この分なら、それもなさそうだ。
 よほど強固な意志のもと、軍人になると決めたのか――それとも、家の方針がそれで、逆らおうという思考がないのか。前者はともかく後者も後者で問題だが、まあ、初志貫徹する根性があるなら、その解決も困難ではないだろう。

「……レックスたちがそれでも気づかなかったら、あたしが後頭部殴ったげるからね」

 さっきまでの勢いはすっかり消えて、でも意気消沈というわけでもなさそうに去っていく小さな背中ふたつに、はこっそり囁いた。
「ぷ、ぷ」
 頭の上で、プニムが力こぶ作るジェスチャー。手伝うつもりか、わりと怪力な召喚獣。
 それを見たソノラが、「はー」と息をついてベッドに背中からひっくり返った。
「あー、緊張したあ――――」
「ごめん、巻き添えっちゃったねー」
 ソノラには、本当に申し訳ないという思いしかない。苦笑いして扉を閉め、もベッドに戻った。
 話しこんでいるうちにすっかり時間が経ってしまったか、棚の上にある時計の針は最後に見たより随分先に進んでいる。プニムなど、話が終わったと同時にベッドの隅にもぐりこみ、なんだか死んだよーに熟睡してた。
 さて、それじゃ寝ようと室内の明かりを消してしまうと、目が慣れるまでは真っ暗闇。
 手探りで毛布をかぶると、横から伸びたソノラの手が、ぽむ、と照準間違えての顔面に乗せられた。
「むご」
「あ、ゴメンゴメン」
 窒息死させる気ではあるまいな。
 などというツッコミも朗らかに、はソノラに身体ごと向き直る。ごろりん。
 するやいなや、ソノラの感心したような声。
「やるじゃん、
 スカーレルと企んでたのって、これだったわけ?
「ちゃんと先生たちに気が向くようにしてんだから、たいしたもんだよね」
「んー、こないだの罪滅ぼしかなあ」
 あの日散歩に連れ出さなければ、こんな後押しがなくたって、ナップたちはレックスとアティに向かってたかもしれないから。
 思うの目の前で、やっと輪郭以外もうっすら判るようになった黒い影、ことソノラがもぞもぞ近寄ってきた。
「こないだ?」
 ちなみに、ソノラは内緒の散歩事件を知らない。
 おうむ返しの質問には、口の前に人差し指立てて意思表示。
「そのうち笑い話で出てくるから」
「何それ」
 茶化すの意図を、ちゃんとソノラは汲んでくれた。
 直後起こった少女ふたりの笑う声は、静まり返った闇を抜け、窓の外、扉の外まで漏れ出して。
 もっとも、それを聞く者は誰もいなかったわけなのだけど。
 ……船内には。



 ふわふわ、ひらりと光が舞う。
 降り注ぐ明かりといえば月光だけであるはずの砂浜に、ふわふわ、光の粒子が漂っている。
 粒子は気まぐれにたゆたっているようだけれど、けして一定の範囲以上には動かない。
 そんな光たちの中心に、月の光よりもなお蒼白い輝きをもつ、ひとりの青年が立っていた。……青年の姿、と云うべきか。景色を透かす身体――彼が現し身を持たぬことは、誰が見てもあきらかである。
「……」
 穏やかな笑みを浮かべて佇む姿をが見たら、手を振るなりなんなりしたかもしれない。数日前、「こんばんは」とやりとりをしたその相手なのだから。
 が、閉めきられた船の窓からは、かすかに笑い声がもれるだけ。
 そうしてそれさえも途切れたあとは、ひたりとも動く者はない。穏やかな眠りの波が、船を包んでいた。
「……」
 青年は、ただ佇む。
 飽くこともなく、船を見つづける。
 何か大事なものが、そこにこそあるのだとでもいうように。

 ふと。風が吹いた。
 煌々と世界を照らしていた月の光が、ほんの一瞬遮られる。
 それはほんのひとときだったが、再び姿を見せた月が照らし出したそこには、もはや青年の姿は欠片たりと残ってはいなかった。


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