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【先生と生徒】

- 告げられたおしまい -



 様子が変だ。
 散歩から戻ってきた赤い髪の少女こと、ここ最近の臨時教師モドキであるを見つつ、ウィルは首を傾げていた。
 レックスと連れ立って帰ってきたのは、別にいい。散歩に行ってたんだし、集落から戻ってきた彼と合流したのかもしれない。
 だが、それから後が変だった。
 妙にそわそわしてるかと思えば、あらぬ方向を眺めてぼーっとしてたり、はたまたぎゅうっと眉根を寄せて考え込んで固まってたり。
「ぷぅ?」
「…………」
 今も、目の前のスープとにらめっこしたまま動かない。プニムがぽんぽんと肩を叩いて問いかけてるが、それにも気づいてやしない。
 それを見ていたレックスが苦笑して、の肩を揺さぶった。

「へっ!?」
 衝撃の差だろう、さすがにも我に返る。
 翠色の目を数度またたかせてレックスを見上げ、プニムを見、目の前のスープを見下ろして――それから、呆れた顔で自分を眺める周囲の視線に気がついた。
「わ。うわ、ご、ごめん! ぼーっとしてました!」
「あ、そんな慌てないでください。ご飯が……」
「ぷー」
 がったん。椅子を揺らしてが立ち上がった衝撃で、彼女の分の膳が揺れた。
 あわや落下するかと思われたそれは、ちょうどいい位置にいたプニムがすかさずキャッチする。
「……ご、ごめん」
「ぷい、ぷー」
 謝罪するの頭を、まるで「気にするな」と云ってるみたいになでるプニム。
 気を取り直してスプーンをスープに運んだに、ソノラが声をかけた。
「今日の行き倒れ、そんな気になんの?」
 数日休ませりゃだいじょうぶって話なんでしょ、そんな心配するまでもないと思うけどなあ――そう付け加えられたくだんの“行き倒れ”とは、日中レックスが発見してと一緒にラトリクスへ運んだという青年のことらしい。
 なんでも、あの港で自分たちよりも先に逢って世話になったんだとか。
 うん、とひとつ頷いて、は、まだ話していなかった事情を告げるべく口を開いた。
「そのひと――あ、イスラさんていうんだけど、なんか病弱ぽかったから……なんか、ほっとくとぽっくり逝かれそうで。明日も一回様子見に行くつもりだけど、どうも頭から離れなくってさ」
 ウィルをはじめ、この場の一同預り知らぬことであったが、の科白には根拠がある。
 なにしろ、初対面で吐血されたのだ。
 しかも、直後に息も絶え絶えな様子を披露されたのだ。
 こんなインパクトのあるものを見せられれば、イメージがそういう方向に固まってしまうのはしょうがないことだといえよう。
 ……イスラの名誉のため、はこのことについて彼らに明かしてはいない。故に、
「たしかに顔色は……でも、あれ、漂流してたからだって思ってたけど」
 いまいちのことばが実感出来ない様子のレックスが、腕を組む。
 その横で、アティが、ぽん、と手を叩いた。
「じゃあ、明日にでもみんなでお見舞いに行きましょう」
「みんなでって……この大人数でか?」
 昏睡してんだし、さすがにそりゃあ病人のためにならんだろ、とカイルが苦笑い。
 せっかくの名案を即却下されたアティは、ムキになるかと思いきや、「……うーん」と数秒考えて、
「そうですねえ」
 あっさり陥落した。
 なんて切り替えが早いんだ。
 感嘆する一同の視線もなんのその、アティはに視線を戻し、
「それじゃあ、と……」
「いいじゃない、だけで行ってらっしゃいよ」
 他数名の名を挙げようとしたアティのことばを遮って、スカーレルが割り込んだ。何が楽しいのだろうか、にんまりと目を細めて。
 何か企んでそうな表情に、ウィルを含めた子供たちは、わずかばかり身をひいた。その視線を向けられた、当のもちょっとのけぞった。
 その、のけぞったの額をちょんっとつつき、スカーレルは笑う。
「ねえ? はそのイスラって子のことが気になるのよねぇ?」
「え? あ、はい。恩もありますし……」
「ん、もう。アタシとアナタの仲で建前はナシよ。――ね、気になってしょうがないのよね?」
「建前ってなんですか建前って。まごうことなく本音ですって」
「照れちゃって、もう。お年頃なのね」
「お年頃と恩とどんな関係があるんです?」
 ……この場合、がトボけとおしてるというよりも、多分スカーレルの思い込みというのが正解なんだろう。
 嘘偽りなくスカーレルの言動に戸惑いまくった様子を見せるを見て、人事ながらも同情してしまうウィルだった――が。
 明日がラトリクスへ行った場合の弊害を考えて、はてどうしたものかと兄弟共々頭を悩ませる羽目になるのは、とりあえず、もう少しだけあとのことである。



 生ぬるい空気が生まれるなか、スカーレルは、半ば強引に一名様お見舞いツアーを決定してしまった。
 別に、本人としてはあと何人か――発見者であるレックスとかが同行してくれてもよかったのだけれど、スカーレルが云うにはこれは絶好のチャンスらしい。
 何がと問うまでもない、と思う。
 たかだか数日だったが、子供たちの相手をしてきた自分が離れるのだ。幸いというかなんというか、明日は、スカーレルとヤードがラトリクスに船の設計図を依頼しに(でも見舞いには同行してくれないらしい)、カイルとソノラはジャキーニたちの様子を見に行くつもりらしい。そうとなれば、ナップたちがレックスたちのところに赴くのは必定。
 なんてことを、いかにも別のことでほくそえんでます、ってな感じで耳打ちされればとしても頷かざるを得なかった。

「でもスカーレルさん、なんであんなににまにましてたんだろうねえ」

 夜の帳の下りた船内、相変わらずソノラとの同室で、はそうプニムに話しかける。
「ぷぷ、ぷーぅ」
 対してプニムが耳で描くは、輪っか……なんだろうか? なんかてっぺんのあたりが引っ込んでる気がするし、形もそれだけでなく歪。
「さあねー。スカーレルってたまに何考えてるかわかんないし」
 あんまり気にしないほうがいいよー、と。プニムのジェスチャーの横からソノラ。
 湖の水浴びから帰ってきて間がないせいか、彼女の金髪はまだ、ほのかに湿り気をおびていた。いつもはふんわりとしているそれが、頬や首筋にまといついてて妙に艶かしい。
 もし彼女と話してる相手が男だったら、普段とのギャップにどっきりしたに違いない。もっともそれは外見のみで、話し方や動作は普段のソノラそのものなのだが。
 と、埒もない考えを浮かべたとき。
 とんとん、と、扉を叩く音がした。ついで、複数の気配が外にあることに気づく。
「はーい?」
「開いてるよ」
 誰何の意味をこめたの声、開けろと促すソノラの声。
 その残響が消えるくらいの間を空けて、そろそろと扉が押し開けられた。隙間から覗くのは、マルティーニ家の長男の姿。
 たしか、男性陣の水浴びもとっくに終わってるはずだが、短めに散髪してある彼の髪はすっかり乾いてるらしい。衣服も普段の活動的なものではなくて、さすがに寝るときは、と女性たちでどうにかこうにか用立てた寝間着もどきに袖を通している。
 蛇足だが、が着ている寝間着の胸元にはひよこちゃんのアップリケ付き。アティが嬉々として縫いつけてたものなのだが、それを目の当たりにして、つい、遠い昔いやこの場合未来の養い親を思い出し、ほんのり和んでしまった養い子の姿があったという。
「あ、ナップくん」
 どうしたの?
 すでにベッドに腰かけてた足を床におろし、扉から先には来ようとしない少年のところに歩み寄る。
 視線を合わせるために、膝をかかえるようにしてしゃがみこんだ。
 これだとがナップを見上げる形になるのだが、昔っから見下ろすより見上げるほうが多かったので、自分としてもこのほうが気楽だったりする。
 そうしてから、
「あれ、ウィルくんもいたんだ」
 兄よりも一歩後ろ、すでに廊下でしかない場所に佇むマルティーニ家次男に、さすがに目を丸くする。
 ウィルはぺこりと一礼すると、扉をくぐってナップの横に並んだ。
 なんだなんだと戸惑うの斜め後ろに、ソノラとプニムもやってきた。
「ぷぷー?」
「なに? なんか大事な話?」
 兄弟そろっての訪問、しかも夜分のそれである。いったい何があったのかと、緊張してしまうのも当然だ。
 が、対するナップの返答は、普段のわんぱく坊主的彼の性格からは程遠いものだった。
「……あ、えーっとさ。その、寝る前に悪いなって思ったんだけどさ」
 実に居心地悪そうに、視線をあっち飛ばしこっち飛ばし、彼は云う。
 ウィルもウィルで、視線を足元に落として、必要もないのに手の指を組んだり解いたりとせわしない。
 そんな彼らの傍には、いつも一緒であるはずのアールとテコの姿もなかった。
「うん?」
 あまり急かしてるふうに聞こえないように注意して、は先を促す。
「あんたさ、明日……ラトリクス行くんだよな」
「へ? ――ああ、うん。行くよ」
「何時ごろですか?」
 語尾にかぶせて、ウィルの問い。
「時間?」
 おうむ返しにそう云って、あ、と気がついた。
 それが顔に出ないように、あわてて、考え込むふりして視線を落とす。
「えっと――朝出ようと思ってる。うん、これから毎日、出来るだけ様子見に行こうかなって」
 事情があれこれからまってるが、イスラが心配なことに変わりはないのだ。
 出会い頭に吐血事件と瀕死事件をかましてくれた、なんか常に命の危機に直面してるっぽいお兄さん。
 いや、それだけなら、世話になったことを差し引いてもこんなに気にはならなかったろう。

 ……思い返す。

 “行かないで”とつぶやいた、彼の声。
 “行かないで”と叫んでた、彼の腕にこめられた力。

 ……覚えてる。

 “諦めなければ願いはかなうの?”目の前にいたにではない誰かに向けられた、強い嘲り。

 “さよなら”と。
 船でそう云って振り返ったときの、消えてしまいそうだった淡い淡い微笑。

 ……どれもがまだ、鮮やかで。
 ……どれもが、痛々しくて。

 そうだ。
 そんな仕草の、どれもに孤独が見えた。
 そうして、ひどく強い哀しみがあった。

 ――――すべてを背負って、独り、血塗れの道に立とうとしてた、いつかのあの人と似た何かが見えた。

 だから、気にかかる。
 海に投げだされて行方も杳として知れぬのなら、これほどでもなかったかもしれないが、こうして仮にでも無事な姿を目の当たりにした今となっては、どうしても意識から除外できない。
 ……似てるから? 否、どこも似てなどない。
 外見も、抱えた気性も全然違う。けど、似てると思ってしまうのだ。
 あのころ。
 まだ、見えぬ何かに踊らされていたころ。
 呪いも怨嗟も、すべて己が身に与えよと、独り血みどろの道を選んだ、大好きなあのひとと――――

「……似てるんだ」
「え?」

 怪訝な表情になったナップと、隣のウィル。覗き込んできたソノラも、首をかしげる。
「誰と?」
「大好きなひとと」
 問いには、即座にそう返した。
 意図せずして閉じたまぶたの闇に浮かぶは、遠い明日の大好きな家族。強くて頑固で不器用で、優しくて暖かな養い親の姿。
「何、の恋人かなにか?」
「違う違う、家族」
 なにを素っ頓狂なこと云うのか。
 ソノラの質問に笑みをこぼして、そのままナップたちに向き直る。
「その人ね、今はいいけど、前は目一杯苦しい道を進んでて傷だらけだったんだ。……最後に逢ったイスラさん、そのときのその人に似てる気がしてさ」
 ちょっと目を離したら、取り返しのつかない場所に行ってしまいそうな気がする。
 だから、とても気になるし、心配。
 そんなことになったら、きっと彼の家族だって哀しむだろう。――あの嵐のなかを助かったのだ、出来るならカイルたちに送り届けてもらうなりして、無事な姿を見せてやってほしい。
 だのになぜか、彼はそんなことさえ念頭にないような気がするのだ。“さよなら”と駆けていったときの表情は、それこそあの嵐で命を失う覚悟さえしていたのではないかと思わせるほどで。
 似てる、と思う誰かを知っているからの、理屈のない直感かもしれない。だけど、それを無視するなとの深い部分が告げていた。
「うまく云えないんだけど……本当に、気になってしょうがないんだ」

 そして、ナップとウィルはことばをなくす。
 朝から出かけると云うだろうに、それは午後からにならないかって。午前中は今までみたいに、自分たちに稽古つけてくれないかって。
 云おうと思ってた頼みごとが、あっさりと消えてしまった。
 だって。ひどく真剣に、真っ直ぐに。
 赤い髪にふちどられた翠の双眸が、ちゃんと自分たちを見て云ったから。

 ――――もう砂浜の稽古はおしまい、と。

 は、もう、自分たち以上に気にかかることが出来てしまった。
 無責任? ……違う。だって、は自分たちの教師としてここにいるわけじゃない。ここ数日彼女が稽古してくれてたのは、本来の教師であるふたりがあんなだからだったってだけで。
 だから、にはいつだって、砂浜の稽古をやめる権利があった。
 そう。それが、今日だというだけ。
 そんなの判ってる。
 判ってる――からって。
 自分たちに伸ばされてるって思った手が、いともあっさり離れていく感覚は、傍にいた誰かが他のものを見て遠ざかる足音は。

 いざ実感して、楽しいものじゃない……!


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