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【先生と生徒】

- 先生不在 -



 がひとつの決意をし、スカーレルに協力を持ちかけた夜から、早数日が過ぎて。
 ――今、マルルゥ曰くの初期呼称“小さい先生じゃないさん”は、内心ちょっぴり頭を抱えていた。
 現状がちっとも決意どおりに動いていないから、ではない。
 むしろその逆。
 思いっきり、決意通りに動いているからこそ、は頭痛を覚えているのだった。

 ……幾らなんでも、これはちょっとうまく行き過ぎじゃあなかろーか、と。



「ソノラー、レックスさんとアティさんは?」
「あー、アティ先生は知ってる。なんか風雷の郷のスバルと、友達のパナシェだっけ? あいつらに誘われて行くの見たよ」
 こないだ惨敗して悔しがってた、蓮飛びリトライしてるんじゃない?
 答えるソノラの横、スカーレルが追加。
「レックスセンセだったら、ロレイラルの技術が面白いから勉強してくるって云ってたわ」
 ――以上の証言に、は「うーん」とぼやいて後頭部に手をやった。
 ちなみに、今はまだ午前中。
 朝食が終わったばかりで、本来なら“先生”たちは、子供たちの授業をしてる時間のはず。
 それなのに、これだ。不在。
 今日だけじゃない、昨日も一昨日も、何かと集落からの誘いが来て、先生たちは出かけてばかり。
 別に、子供たちを蔑ろにしてるわけではないんだろう。単に、新しい友人が出来たことが嬉しくて、ちょっと浮かれちゃってるだけなんだろうと思う。その証拠というわけじゃないけど、子供たちには、ちゃんと自習のための教材と課題を渡してはいるんだから。
 ・………だけども、先生。
 勉強だけ出来りゃオッケーってわけじゃないこと、今、頭ン中からすっかりすっぽり抜け落ちてるでしょう――?
 ちょっぴり遠い目になって、立ち尽くしたの後ろ。すなわち船内の廊下の向こう側から駆けてくる、軽快な足音がひとり分。
、こんなとこいたのかよ。早く行こう」
「あら。お出かけ?」
「剣の稽古っ!」
 船長が準備運動してくれてるから、も早く来いよ!
 ちなみに、船長とは、云うまでもなくカイルのことである。
 気さくな力持ちの兄ちゃんは、その闊達な性格のおかげか、一度しこりが消えてしまえば子供たちと打ち解けるのも早かった。主に男の子たちと。女の子であるベルフラウとアリーゼは、物静かなヤードのほうがお気に入りらしい。召喚師としてもいい指導役ではある。
 そんなこんなで元気に答えたナップが、ぐいぐいとの腕を引っ張った。ちっちゃな手と身体でめいっぱい引っ張ってくれるかわいさに、思わずメロリン。キャラが違うぞあんた。
「う、うん。行こっか」
「おう!」
 が自分で足を動かしだすと、ナップも方向転換。
 一足先に走り出した小さな背中を見送って、は、くつろいでいるスカーレルとソノラに「行ってきます」と手を振った。

 そうして、走り行く足音ふたつを聞き届け、スカーレルは頬杖をつく。
「……やれやれね。間がいいのか悪いのか。すっかり仲良しさんじゃない」
「なんだかなー。いいの、ほっといて? たしかに、先生たちも周りが見えてないけどさ」
「…………」
 ――このコにこうまで云われるようじゃ、相当ねえ。
 珍しく懸念を露にしているソノラをまじまじと見るスカーレルに、何を感じたのだろうか。
「バカにしてるでしょ、スカーレル」
 勘のよさを発揮したらしいソノラの頬が、ぷぅっと膨らんだ。


 ここ数日、砂浜の一角では似たような光景が展開されている。
 とカイルがナップとウィルに戦闘の稽古をつけて、ヤードがアリーゼとベルフラウに召喚術を教える光景だ。

「いいですか、どんな状態のときでも落ち着いて心を澄ませるんです。心乱れた喚びかけでは、召喚時にどんな被害が起きるか判りませんからね」
「どういうことが起こりますの?」
「たとえば、魔力の暴発。意図せぬ召喚獣の召喚。程度によりますが、召喚者の命さえ危うくする可能性もあるんですよ」
 ですから、どうしても召喚術が出来ない状況下であれば、それを見極めて術に頼らず切り抜ける覚悟も持たなければなりません。
「……はい」
 神妙に頷くアリーゼたち。
「ですから、白兵戦の訓練も怠ってはいけません」
 そんな彼女らに、ヤードはにっこり笑ってみせて。
「あそこにちょうど、いい相手がいますから――」
 と、少し離れた浜辺を指差した。

「てやーっ!」
「甘いッ!」
「カイルさん本気だしちゃだめ!」
「出してねえ!!」
「隙ありっ!」
「ふっ、見通しがぬるいッ!」
 手にした獲物は木刀。ただし、カイルだけは素手。
 ナップとウィルがふたりがかりでかかっても、とカイルには一撃も入れきれていない。逆に、兄弟の頭上にはたんこぶ、身体には打ち身、と、攻める側ばかりに傷が増えていく。
 木刀を大上段に構えて切り込んできたナップの攻撃は軽く躱され、視界の端には赤い残像が残るだけとなった瞬間、
 ――べしっ
 遠慮なんてしてないほうに、100バームかけたっていい! 最初の一撃をもらったとき、ナップが握りこぶしつくってがなったの攻撃が彼の手首を叩いていた。
 ちなみに「手加減はともかく、遠慮なんてするわけないでしょ」と、朗らかに笑った誰かさんの顔は何故か、その晴れやかさと裏腹に畏れを伴った映像で記憶に残っている。
 つまるとこ、隙があればひっぱたかれるのだ。
「〜〜〜ッ!」
 年齢差もある、実戦経験の差もある。
 そんな一撃を受けて、手が痺れないわけがない。力の抜けた手のひらから、ずるりと木刀が滑り落ちた。
「ガガガッ、ビー!」
「ミュミュミューウ!!」
 アールとテコの声援に、応えてやる余裕はない。
 武器を取り落としたナップを、が見逃すはずなんてない。叩き込む一撃に遠慮がないように、模擬戦とはいえ、とカイルは戦闘“ごっこ”をしているつもりじゃないのだ。
 戦闘不能になるまで、もしくはその意思表示をするまで、彼らの攻撃はやまない。
 ……まあ、ある程度の加減はしてくれてるようだが、自分たちにとっては、昔やった殴り合いのケンカなど足元にも及ばない痛みである。正直、我ながらよく耐えているなと思うのだ。
 もっとも、
「まだまだです!」
「よっしゃ、こい!!」
 ダッ、と地面を蹴ってカイルに迫るウィル――そう、そんなふうにライバル心を刺激する相手がいるからこそ、ナップも、自分だって負けてられないと奮起してしまえるのだ。
「ナップくん、余所見」
「いてぇっ!」
 そこに、またしても容赦のない一撃。
 が、今度は木刀を落とさずに済んだ。はたかれた背中にはきっと青アザが出来るだろうが、それは男の勲章だ。そうカイルも云ってた。
 そしたら、女の勲章ってなんだ?
 そう問われたはというと、「女とかいう以前に、あたしはアレだもんなあ」とか腕組みして空仰ぎながら悩みだしたから、結局曖昧になったけど。
「戦況を確かめるのと余所見は違うよ。キツイだろうけど、気は抜いちゃ――――」
 ダメ、と云いかけたは、その途中で口を閉じた。
 痛みを堪えて突進するナップを軽くいなし、横手から飛んできた矢を叩き落とす。
 あっちのほうは見てなかったはずなのに、なんて奴。
 そう思ったナップの周囲が、きらきらと輝いた。頭上に出来た陰を見やれば、もうすっかり御馴染みになったピコリットが、癒しの術を使ったところ。
 ベルフラウと、アリーゼだった。
 その傍らには、ヤードの姿。彼は戦局に手を出す気はないのだろう、特に何の構えもとらぬまま、佇んでいる。
「ベルフラウさん、そのままさんの気を逸らしてみましょう。カイルさんは召喚術への耐性があまりないですから、アリーゼさん、狙ってみてください」
 ……訂正。口は出すようだ。
 そのとおり動き始めたふたりに気づき、カイルが「チ」と舌打ち。
「厄介な参謀付きってわけか」
「ええ。ちなみに、こちらを率先して潰しに来るのは反則ですよ。後衛には、本来攻撃は届きにくいはずですからね」
「へえ……なら、坊主ががんばらねえとな。気ィ抜くとあっちに行くぜ?」
「そんなことはさせません!」
 にやりと笑うカイルに、ウィルが意気込んで答えた。
 そんな弟に負けじと、横目でそれを見たナップは、しゃべる余力さえも立ち向かう意気込みに変えて地面を蹴る。
 が、にっ、と笑って、迫る彼を迎え撃たんと待ち構えていた。


 ――そうして、日が中天にさしかかったころ、模擬戦は終わりを告げた。
 ナップとウィルの体力が切れ、ベルフラウとアリーゼの魔力が枯渇したことが原因だ。
 対して、4人をそうさせた相手はというと、
「ナップくんは大振りなんだよねー、剣を振り抜いたときに重みに引っ張られるのが多いから、そこ注意すると追撃受けにくいよ」
「こっちの坊主は逆だな。小技が効いてるが、一撃が小せえ。数を増やすか質を伴わすか、今から考えてたほうがいいかもしれねえぞ」
「おふたりとも、召喚術の素質はまずまずですね。ベルフラウさんは、弓の技術も伸ばすと、乱戦時には効果的だと思います。アリーゼさんはこのまま、召喚術をメインに学習したほうがよく長所も伸ばせますよ」
 などと、スカーレルのつくってくれた昼食を食べながら、のんきに話していたりする。
 ひとしきり砂浜にへたりこんだあと、湖で汗を流して戻ってきた船のなかは、ひんやりとして気持ちがいい。開けたままの窓から入り込む潮風も手伝って、なかなかに快適だった。
 しかも、目の前には涎の出そうな料理が山盛り。
 子供たちがへばっている間にカイルとが釣ってきた魚、ソノラが集めてきた木の実。それにスカーレルの味付が効いて、まさにハーモニー。
 即席教育係の意見を聞きつつ、彼らは満たされた腹をかかえて椅子に腰かけていた。ナップなど、行儀悪く椅子に背を預けて今にもひっくり返りそうな体勢。……ま、落ちたら自業自得だけど。
 と、あたりが聞いたら『子供らしくない!』と嘆きそうなことを思いつつ、ウィルは壁の時計を確かめた。
 あの嵐を抜けて大破した船のなか、奇跡的に無事だったらしく、カチコチ、規則的に時を刻んでいる壁掛け時計だ。その横には航海図と思しき、変色した大きな地図のようなもの。ただ、この島がその図のなかのどこなのか、そもそも記されているのかどうか、漂着当初から今まで解明出来た者はない。
 そうして時間をたしかめて、ウィルは、横のナップを促した。
「ナップ。ベルフラウ、アリーゼも。そろそろ始めないと、あの人たちが戻ってくるのに間に合わないよ」
「……そうですわね。自習の方もやっておきませんと」
 ふう、と、ため息ついて、ベルフラウが立ち上がった。追いかけるように、アリーゼも続く。
「うー、めんどくせえ」
 ぶーたれるナップを、
「朝からやってりゃ、突貫自習しなくていいんじゃん?」
 とソノラが茶化した。
 ――む。ナップだけでなく、アリーゼ以外全員の眉根が寄せられる。
 三人分の睨みを一身に受けたソノラは、「うわぁ」と云いつつ身を引いた。ちっとも怖がってる様子じゃないが、意図は通じたんだろう。
「冗談じゃねーって。ずっと部屋にこもってばっかいたら、病気になっちまう」
 椅子から飛び下りて、ナップが云った。
 突貫自習をすっぽかす気はないんだろう、足はそのまま扉のほうへ。
 逆に、ウィルがそれを追いかける形になった。そこに合流する、ベルフラウとアリーゼ。
 揃った四人は、示し合わせたように海賊一家とその客人を振り返った。
「それじゃ、今日のことも――」
 四人の最後尾、つまり逆を向けば先頭になったウィルは、ここ数日の常套文句を口にする。
 が、それを聞く相手もすでに慣れたもの。
 最後まで云うまでもない、とばかりに手を振って、代表したカイルがにやりと笑う。
「おう、判ってら。内緒にしといてやっから、先生たちからの自習、サボってたなんて思われねえようにやっとくんだぞ」
「……はい。それじゃ、失礼します」
 ぺこり、と、アリーゼが頭を下げて、そうして、マルティーニ家の四人は部屋を後にした。
 その場に残った5人が5人、ひらひら手を振っていたのは、ちゃんとその目に刻んでおいて。
 そうして廊下を小走りに進む。
 ちょっと昼食に時間を取りすぎた。これから彼らが戻ってくるまでに、本来なら午前中いっぱいかかる自習を、すべて終わらせなければならない。
 自然と進むペースは速くなり、部屋に辿り着いたときには、軽い息切れも起こしていた。――午前中の疲れが抜けきったわけではないから、それも当然なのだが。
「では、はじめますわよ」
 ウィルが扉を押さえている間に入ったベルフラウが、そう云ってテーブルに向かう。部屋の中央、学習のために運び込まれた大きなテーブル。
 そのうえに積まれた自習課題を見、うんざりしたのも一瞬。“六つ”ある椅子のうちの四つを埋めて、マルティーニ家の兄弟の自習は始まった。
 文句を云っていたナップも覚悟を決めたか、部屋に響くのは筆記具を走らせる音や頁をめくる音ばかり。突貫工事じみた自習だということもあるが、誰も顔を上げない。

 ――必然的に、今日も含めた数日、空席のままになっている椅子を見る者は、この日も、誰もいなかった。ついでに、窓の外に気を払う者もいなかったのである。


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